15.団欒のほころび

 魂が魔人を宿敵と判じているファリスにとって、ローガン達は家族であって同時にそうでもないものだ。それは生まれた時から今まで、ファリスの中に刻まれた変わらぬ認識だった。


 だが、それを露とも知らぬ彼らは当たり前のようにファリスへ無償の愛を注ぐ。


 それがファリスには苦痛だった。奥底に潜む魔人という種への忌避感故に、また、そんなもので未だに彼らと心を通わせられないでいるという負い目故に。


 ——ただ、そんな心境も徐々に過去へと移ろい始めていた。





「ほお、今日はそんなことを」


「はい、なので次は同時発動の数自体を増やしてみようって……」


「すごいわねぇ……剣だったらローガンの子だからってなるけれど、まさか創術の才能があるなんて」


「ヘレナに似たんじゃないか?」


「私はこんなにすごくなかったわよ」


 夕食の席で、連日ファリスの話題が中心に賑やかな食卓。あれやこれや、ふたりは楽しそうにファリスに話しかける。


 相も変わらずな光景だが、ひとつだけ変化しつつあることがある。


「その……また今度、成果を見てもらいたいです」


「……! あぁ、勿論だとも。むしろ俺も見せて欲しい」


「あら! 楽しみにしてるわね!」


 ファリスは自分から出来る限り積極的にコミュニケーションを取ることを心がけ始めたのだ。ここのところ

身の回りで起こったアクシデントや、それに伴う環境の変化。要因はいくつかあるが、結局のところそれは開き直りのようなものだ。


 自分が思っていたよりもずっと、両親は自分を気にかけてくれている。多少周囲とずれたようなことをしたって彼らは不気味に思ったりはしない。そう、信じられるようになってきたから。


 ——勝手に恐れて、勝手に壁を作っていたのは自分だけだ。なら、ちゃんと自分から歩み寄ろう。まだ遅くはない筈だから。


「ふふ、ファリスは本が好きだから将来は学者や教師かと思っていたが、このまま行けば我が家から稀代の創術士が出てしまうな」


 ローガン達もその心境の変化を感じ取って、ここしばらくはいつになく上機嫌だ。発現は親馬鹿丸出しだが、これまでのファリスのことを考えれば無理からぬことであるし、そもそも客観的に見ても割と正当な評価だった。


「……ねえ、お父さま!」


「ん、どうした? シスカ」


 それまでは口を挟まずに食事していたシスカがローガンに話しかけた。


「また明日、剣術の稽古をつけて欲しいの。最近見てもらえてないし……」


「む……明日は難しいな。すまない、ここのところちょっと忙しくてな。またそのうちでいいか?」


「……うん」


 残念がるシスカに申し訳なさそうにするローガン。


「あぁ、そうだ」


 ふとローガンが何かを思い出したかのように話題を変える。


「また近いうちにダリル達が来るらしい。ユースティアちゃんも連れてな」


「ユティが、ですか?」


「ああ。もちろん俺達も何かあった時すぐ対処できるようにするが……ファリスの創術もあるから、あまり心配することはないかもしれないな」


「そんなことは……」


「そんなことあるさ。お前はすごい子なんだ、もうちょっと自信を持て」


 掛け値ないローガンの言葉にファリスは思わず、はにかんで俯く。そんな様子にローガンとヘレナは微笑ましげだ。理想的な家庭像といえるような場面。はっきり言って皆、どこか浮かれていたのだ。ローガンもヘレナも、ファリスでさえも。


 だから気づかなかった。そのほころびに、気づけなかった。


「……でも、お父さまの子で男の子なんだから剣術が出来なきゃ」


 シスカがぽつりと呟くように言った。


「……シスカ?」


 視線がシスカに集まり、ローガンが訝し気な声を漏らす。


「ファリスはいつも剣術を真剣にやらないんだもの。よくないわ、そんなの」


「そ、れは……」


 言葉に詰まるファリス。ヘレナが困ったように口を開いた。


「そ、そんなことないんじゃないかしら……? それに良くないだなんてことも……」


「だって……お父さまはミーテリオンで一番の剣士で……その子どもなのに剣術が苦手なんておかしいじゃない!」


 次いで上げられた半ば叫ぶような言葉に皆、目を見開く。確かにシスカは少々、いや多分にやんちゃなところはある。時折上手くいかないことに癇癪を起すことだってあるが、それは年相応と言って差し支えない程度のものだ。


 それどころか、ユースティアの一件でも分かるように、ファリスとはまた違った方向でいい子だといえる。少なくとも、理不尽な理由でみだりに他者を責めたり傷つけたりする子ではなかった。


 故に、突然放たれたその物言いにローガン達は一瞬絶句してしまう。


 ややあって、視線を下げ、テーブルを睨みつけるようにしているシスカにローガンが語り掛けた。


「……あのな、シスカ。誰にでも得意不得意というのはあるんだ。それは俺の子どもだからとか、関係ない」


「……っ……でも、そんなのお父さまの子にふさわしくないっ」


「っ……」


 ひゅ、とファリスの喉から息を呑む音が漏れる。


「いい加減にしなさい!」


「っ……!」


 ぴしゃりと告げられた叱責に、口をつぐむシスカ。思えばローガンがシスカにそのような𠮟り方をしたのは初めてかもしれなかった。


 訪れる数秒の沈黙の後、ジワリと瞳に涙を浮かべたシスカは席を立ち、踵を返して部屋を飛び出していってしまった。


「……私、行ってくるわね」


「あぁ……頼む」


 ヘレナがシスカの後を追って部屋を出る。つい先ほどまで明るい雰囲気に包まれていたはずの食堂はすっかり冷え切ってしまった。


「……ごめんなさい」


「……どうしてファリスが謝る」


「……ぼくが出しゃばったから、姉さんは……」


 その返答に、ローガンは改めてファリスがいかに聡明な子なのかを再認識させられた。シスカの突然の言動、を正しく理解している。


 しかし、だからこそローガンはこのことでファリスに自分自身を責めて欲しくはなかった。


「いいや、ファリス。お前はひとつも悪くない。悪いんだとしたらそれは間違いなく俺達だ」


「…………」


 押し黙ったままファリスも席を立とうとする。


「今はヘレナに任せた方がいい。お前なら分かるだろう……?」


 ローガンの言う通り、ファリスには理解できる。きっと今自分が行っても余計に傷つけ合うことになりかねないと。


 ファリスは浮かせかけた腰を落として、力なく項垂れた。





 飛び出したシスカが向かった先は自室のベッドの中だった。別に場所なんてどこでもよかった。とにかくあの場から離れられれば。


 制御できないぐちゃぐちゃした感情を抱えたままうずくまる。


 ——なんであんなこと言っちゃったんだろう。


 その時の両親と、そして何よりファリスの表情が脳裏から離れない。


 間もなくして、部屋の扉がノックされる音。シスカは返事を返さない。数秒して、ゆっくり扉が開かれた。


「シスカ……」


「…………」


 いたわるようなヘレナの呼びかけにも、一瞥いちべつもくれず沈黙を貫く。やがて、ゆっくりと傍まで近寄ってくる気配。


「……ごめんね、シスカ」


 かけられた謝罪の言葉にピクリとシスカの体が動いた。


「最近、お母さんたちファリスのことばっかりだったものね……」


 布団の中にくるまったままのシスカは黙ったままだ。構わずにヘレナは続ける。


「言い訳にもならないかもしれないけど、シスカのこと蔑ろにするつもりはなかったの。ただ、ファリスがあんな風に話してくれるようになって、お母さん、嬉しくってつい……」


「…………」


「お母さんたちのことは許せなくてもいいの……でもファリスは悪くないから……」


「…………る……」


「え……?」


 布団の中でくぐもった、小さな声に聞き返す。


「きっとファリス、怒ってる……!」


 ばっと、布団を跳ね除けてシスカが顔を出す。その顔は涙に濡れて歪んでいた。


「わた、わたし……ファリスにひどいこと言った……お父さまの子にふさわしくない、なんて……っ……」


「……シスカ」


 ヘレナはシスカそっと抱き寄せて、その頭を撫でる。


「大丈夫、ファリスはそんなことで怒らないわ。もし怒ってても、謝れば絶対に許してくれる」


「で、でも……」


「知ってる? ファリスってシスカといる時が一番楽しそうなの」


「……え……?」


「ファリス、私やローガンと話すときはなんだか遠慮していて……ちょっと辛そうなの。でもね、シスカといる時は……まあちょっとだけ大変そうな時もあるけれど、すごく生き生きしてる」


「……本当?」


「ええ、本当。きっとファリス、悲しんでる。だからね、ちゃんとファリスと仲直りしましょう?」


「……うん……」


 

 その後、しばらくして泣きつかれたのか眠ってしまったシスカに布団を掛けたヘレナは、最後にその頭を一撫でして部屋を後にした。

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