第6話


 この子が犯人だ。

 桐生北斗がそう思ったのに、特に根拠はなかった。早坂雄一郎の事件について説明を受けている鏡花を見て、ただ、そんな気がしただけだ。結局のところ、桐生北斗が「名探偵」というどこかばかばかしい揶揄いも込めたあだ名で呼ばれるようになったのは、論理的思考が優れているとかではなく、単に勘がいいからだった。誰が犯人なのか、わかる。そこに理屈はないのだ。理屈はあとからついてくる。

 須藤鏡花。事務所に突然やってきた。北斗にとっては懐かしい大学の同期の少女。もうとっくに成人している女性なのだが、今でも少女という言葉のほうが似合う。頬の豊かな可愛らしい童顔。白いゆったりしたブラウスに色の薄いデニム。ベージュの布製のスニーカー。すこし癖のある茶色の髪は確か地毛で、肩にかかる程度の長さ。化粧はほぼしていないのだろう。アクセサリーもなし。飾り気のない、自然で可愛らしい雰囲気。だが向き合うとどことなくひねくれた、自分自身にも周囲にも不満を抱えているようなアンバランスさがある。反抗期の苛立った子供のような。どういう人間か定義されるのを嫌がり、実際、定義するのが難しい。どうにか彼女の解釈をまとめてひとつのところに収めておこうとすると、すぐにそこから出ていって、こちらの思考を休ませてくれない。北斗は職業柄、そしてその嗜好上多くの人間を意識的に観察してきたが、須藤鏡花に似た人間を見たことがない。鏡花は誰にも似ていたくないのだ。それだけなら珍しくない。鬱屈した内面も、常に他人を嘲笑う隙を狙っているようなところも。彼女が珍しいのは、実際に誰もしないことをすることだった。十三歳で小説の新人賞をとる。そのままベストセラー作家になる。名探偵の取材のためにさほど親しくない相手のもとに押し掛ける。彼女は暗い思索家であり、同時に浅はかな実践家でもある。行動する他人を嘲笑いながら、自分でもやってみせる。

 それなら、人だって殺せるだろう。

 何の根拠もない。本当に、ただの直感だ。早坂雄一郎。写真で見る限り、痩せたにこやかな中年男性だ。鏡花の言うような感じの悪さは読みとれない。鏡花は人をすぐに悪く言う。まるで誰かを肯定することがその相手へ屈服することであるかのように。だが、彼女の言う早坂の評判が誇張されたものだとも思えなかった。そういう部分を見誤ることを鏡花は恐れている。早坂が界隈で一切の悪評がなく好人物として受け入れられていたのなら、鏡花はそれは認めたうえで「でも自分は嫌い」と評するだろう。おそらく実際早坂雄一郎は鏡花周辺の若手作家には煙たがられていたのだろう。そして、彼女の言う通り、煙たがられてはいるが憎まれるほどのトラブルは起こしていない。では鏡花の動機は何か?

 人殺す話が書きたいなら、本当に人殺したほうがいいに決まってるじゃん。

 彼女が言ったこと。ただの誇張表現だと思っていた。だがそうとは限らない。何もかもを軽視して嘲笑うことに腐心している鏡花だが、小説に関して、あるいは小説家であることに関してだけは別だった。彼女はそこに全てを賭けている。そのことを隠しもしない。他の全てはどうでもいい。

 例えば早坂雄一郎。気に入らない先輩作家の命。その他気に入らない人間の命。

 まさか。

 否定しようとする。だが、うまくいかなかった。それは本当に、いかにも彼女のやりそうなことだったから。小説のために人を殺す。まさか、というのはまさかそんな人間が、という常識のレベルの発想でしかなく、物事の基準を須藤鏡花にすると、どこにも違和感がない。彼女の大人しそうな小さな体に詰まっている悪意の片鱗を、かつて北斗は見たことがあった。彼女なら、きっとやる。

 他の遺体が見つかったという一報を受け、御堂が署に戻るというので一度解散をした。鏡花はほとんど無言で帰った。北斗は書店に寄り、早坂雄一郎の本を一冊買って、小さなアパートで冷凍食品を食べながら読んだ。思いのほか読みやすく、日付が変わる前に読み終わった。推理小説を特別好むわけではない、さらにいうなら小説自体にそこまで感心のない北斗には、楽しみ方がよくわからなかったが、落ち着いた筆致には好感を持った。これを書いた男を鏡花が殺した。さらに他の人間も、と想像するとなかなか眠れなかった。翌日のことを考え無理やりに目をつむった。そうして見た夢のなかで、鏡花が硬いものを、誰かに振りかぶっていた。必死に止めようとしているうちに目が覚めた。

「今度は間違わない」

 目を覚まして、汗に濡れた北斗は、夢と現実の区別があいまいなまま呟いた。起き上がり、それまで見ていた夢を夢だとはっきり認識してから、もう一度呟いた。

「今度は間違わない」 


 結局遺体は五つ見つかった。女性が三人。男性が二人。年代は二十代から四十代。どれも白骨化していて、いつ頃埋められたのかも不明。死因は、頭蓋骨が陥没していたものが二体。三体は不明。服は身に着けていたが、身元のわかるものはなかった。

「早坂雄一郎の件と関係があるのかも今のところわかりません。どうしても無関係とは思えませんが」

 御堂が言う。また北斗の事務所に集まっている。昨日と同じスーツだなと北斗は思った。鏡花は今日も来ており、オフホワイトのブラウスに黒のスカート、茶色の皮の靴を合わせている。少し行儀のいいカジュアルという感じだ。化粧はほとんどしていない。北斗はいつもと同じ、黒いデニムに白いシャツ。服について考えるのが面倒なので、似たようなものを何枚も持っている。

「死体が勝手に集まってくる場所なの?」

 北斗が何か質問する前に、鏡花が口を開いた。

「それがわからなくて……裏の森……と言ってもかなりの広さがあって、固まって埋められていたわけではないんです」

 御堂は紙を取り出した。早坂雄一郎の別荘周辺の簡単な地図だ。警察の誰かが作って配布したのだろう。手書きで、遺体の見つかった場所にはそれぞれ×印がついている。「早坂雄一郎」「不明1。女性」「不明2。男性」……。埋まっていた場所を繋いで何か図形になるわけでもないし、それぞれが結構離れている。五百メートルの円にはすべて収まるだろうが、遺体を動かすことを考えると決して近いとは言えないだろう。

「穴の深さは?」

「それもまちまちですね。二メートル近く掘られていたのもあれば、五十センチ程度のものもあって」

「早坂雄一郎は?」

「五十センチ程度ですかね。おそらく穴を掘るのに別荘にあったシャベルを使ったんだろうと思われますが」

「シャベルなんかあるんだ」

「何も植えてないとは言え庭があるので、小さな物置にシャベルやバケツなんかが置いてありました」

「結構大変だよね? そんな穴掘るのも」

「人力なら結構な労力だと思いますね」

「複数犯?」

「その可能性もあると思いますね。というか、遺体が複数見つかったことでそちらに傾いています。組織的な犯罪の可能性もあります」

「そしきてき」

 鏡花は繰り返した。そして、何かをごまかすように小さく首を振った。北斗の目にはその一瞬前、彼女が笑っているのが見えた。ほっとしたように、笑っていた。

「ええとたとえばあの付近で組織的な犯罪が行われてて、早坂がそれに気づいたから殺された……みたいなこと?」

「そういう意見もあります。あのあたり、別荘と言っても空き家も多いんです。やっぱり不景気ですからね。治安が悪いとは言いませんが、なにかの組織的な犯罪が行われている可能性はあります」

「薬物とか臓器売買とか?」

「そういう可能性もありますが……ただ、そう大掛かりな組織とも思えないんですよね。手口がいまいち素人くさいというか」

「暴力団なら殺人ももっとうまいことやる?」

 御堂はうなずいた。

「それこそ死体の処分ならもっといい方法がいくらでもありますから」

「DIY殺人なんだ」

 御堂と北斗は同時に吹き出した。鏡花は顔を顰めた。得意げな顔をするのが恥ずかしいのだろうと北斗は思った。そういうところがある。そういうところが、攻撃的な性格にも関わらず、不思議に他人を惹きつける。御堂は疲労のせいか妙にツボにはまって、しばらく笑っていた。

「あー……すみません。でも……そうですね。組織が関与していたとしても少人数か、経験……経験って言い方もあれですが、殺人には慣れていない組織だと思います」

「早坂自身が犯罪に関与している可能性はないの?」

「仲間割れ……ってことですか?」

「そう。羽振りよかったみたいだし、わざわざ軽井沢に別荘買ったの早坂でしょ? 監視カメラも切ってたし」

 鏡花は何かひたむきな様子でそう言い募るが、御堂の反応は芳しくない。

「羽振りがいい……と言っても不自然な現金の流れがある様子はないですよ。私にはわかりませんが、おそらく作家業で稼いだ金でしょう」

「うーん」

「別荘にも怪しいところはありませんでした。ないとは言い切れませんが、感覚的に早坂氏が組織的な犯罪に関与しているとは思いにくいですね」

「うーん。じゃあ早坂以外の遺体は? 年齢もばらばらで身元がわかんなくて白骨化してるから顔もわかんないんだっけ」

「そうですね」

「でも服は着てたんでしょ? 写真ある?」

 御堂は眉を寄せた。

「……見るんですか?」

「あるなら見せてよ」

「私も見たい」

 北斗は口を開いた。御堂が北斗を見る。鏡花に見せてもいいのか、と、目で問いかけている。とっくに成人した、自分と同じ年の相手。それも架空とは言え殺人事件を扱う職業についているし、遺体の写真ぐらいは見たことがあるはずだろう。だが鏡花には強気な発言と裏腹な、妙な脆さがある。北斗も、彼女に見せてもいいのかつい心配してしまっていた。だが同時に、写真を見る彼女を確認したかった。彼女が彼らを知っているのか。きっと自分なら反応を見ればわかる。

 北斗は御堂に小さくうなずいた。御堂は頷き返し、ローテーブルに五枚の写真を広げた。

 半そでのブラウスとジーンズの女性、ネルシャツにチノパンの男性、タートルネックのセーターにロングスカートの女性、半そでのシャツにジーンズの男性、長袖のシャツワンピースを着た女性。判別できるのはその程度だった。五体とも、完全に骨になっていた。服も土で汚れ破れ色がわからない。鏡花はじっとそれを見つめていた。その顔を、北斗は眺めた。鏡花の唇は色をなくし、頼りなく唇が開いている。見開いていた目に涙が浮かび、慌ててそれを恥じるように俯いて、指先で拭った。ちいさくため息をつくと、もう写真から目を背けていた。

 覚えがある。

 北斗はそれを、直感した。

「……なんか……統一感がないメンバーだね……」

 動揺を誤魔化すように言う。御堂は素早く写真をまとめて、北斗に渡した。たった五枚の写真を、北斗はひどく重く感じた。鏡花は、この写真の人物たちを、知っている。直感が、確信に近くなる。

「そうですね。季節も雰囲気もバラバラなんです。それなりにフォーマルな服装の方もいれば、カジュアルな格好の方も」

「殺された時期もばらばらってこと?」

「そうでしょうね。服のブランドも調べていますが、どうも価格帯もばらばらなようです」

「なんだろう……無差別?」

「身元がわからないことには本当になんとも言えません。付近の行方不明者と照会していますが、どうも芳しくない」

「うーん」

 鏡花は首を傾げた。その拍子に、頭がぐらりと揺れて、額を指で押さえる。

「大丈夫ですか?」

「うん……うん……」

 息を整える。ショックを受けている。自分が殺しておいてショックを受けることはないだろう、という考え方もあるだろうが、自分のしたことをこういう形で目の当たりにして動揺するということも十分あり得る。浅はかではあるが、そういう浅はかさは殺人という罪にあっている。思慮深く、自分がやっていることを理解している人間は、そうそうそんな重い罪は犯さない。そして、その浅はかさは、北斗の知る須藤鏡花という人間にもあてはまった。

「ちょっと……刺激が強かった……大丈夫……」

「いえ、そうでしょう。大丈夫ですよ」

「水飲む? 大丈夫?」

 北斗が尋ねると、首を小さく振った。

「大丈夫……うん……」

 その動揺は嘘ではないように見える。彼女が六人も殺したのか? 本当に? 信じたくない。信じたくないので、目が曇って、事件の道筋をはっきり見ることができない。これまで関わってきた事件ではどれも、立証はともかく誰が殺したのかはっきりとわかったのに。もともと、北斗は須藤鏡花という人間に倫理を期待してはいない。彼女には自分と共有できる倫理がない。そういう期待は大学時代にもうやめた。それでもさすがに六人も殺したとは思いたくない。

 ふと思い出して、北斗は口を開いた。

「須藤、君、三年前って、留学してた時期だよね?」

「え? うん。そうだね。ちょうどその時期だけど」

 鏡花は姿勢を正し、ぱちぱちと瞬きをした。あからさまではないが喜んでいる、と北斗は思った。鏡花が自分から話そうとしていたが、北斗が話題に出したことで機会をうかがう必要がなくなった。

「留学していたんですか?」

「え? うん。三カ月とかだけど。アメリカに」

「それっていつ出発したんだった?」

「え? 私のアリバイ?」

 不愉快そうにしても、声に嬉しさが滲んでいる。ようやくこの話ができた、というように。

「一応関係者ですからね。三年前ですか。難しいですね」

「ええー……」

 顔を顰め、鏡花はスマホを手に取った。

「いつだったかな……早坂死んだのいつだったっけ」

 率直なものいいに御堂は笑う。

「二十二日です」

「うーん……三年前でしょ?」

 彼女は嫌そうにスマホのデータを探していた。

「あ、これだ」

 鏡花はつぶやき、北斗にスマホを見せた。そこに写っていたのは航空券だった。成田発の八月二十一日の航空券。これを見せたかったのだ。

「この券残ってるかはわかんないけど、家にはパスポートあるからその日なのは確かだと思うよ」

「じゃあ……君ではないんだ」

 つぶやいた北斗に、鏡花はにっこり笑った。

「当たり前でしょ」

 嘘だ。そう見える。これは絶対に嘘だ。北斗にはそうとしか思えない。それが自分の思い込みにすぎなくとも、北斗にははっきりと見える。嘘であることがわかる。彼女の言葉を聞き取れるぐらいにはっきり、彼女の嘘がそこに見える。理屈ではない。

 鏡花は落ち着いたのか、スマホを見ながら言う。

「でも……実際、それほど確かなアリバイじゃないよね? チャットと原稿? 私なら両方真似できるかもよ」

「できるの?」

 首を傾げた。

「さあ。やったことない。でも……うーん……どうかな」

「実際どうなんですか」

 御堂の問いかけに、鏡花は微笑んでいる。完全に余裕を取り戻し、自分の言葉と、その効果を楽しんでいた。そういうとき、彼女はもう幼く見えない。だが年相応だったり、年より上に見えるわけでもない。何か年齢というものを超越した、得体のしれない何かに見える。それが恐ろしく、そして恐ろしいものは、人を魅了する。

「完全に何にもないところから小説を書けって言われたらできるかもしれない。私はわりと器用な方だし、他の作家も。でも……直しでしょ? どうかな……山崎って多分神保で早坂の小説ずっと担当してた人だし」

「そうなんですか」

「あんま他の作家のこと知らないけど、直し方にも特徴みたいなもの出ると思わない? たとえばここ直してって言われて、本当にそこだけ直すとか、ついでに他の文章もちょっと直すとか。そういうところ含めて「これは早坂雄一郎だ」って長年担当してた人間が思ったわけでしょ」

「あー……なるほど。それは確かに」

「あとチャットのログって残ってるの?」

「残っているそうです。失踪したときに保存しておいたと」

「編集者とかの原稿関係だとそういうふうにやり取りしてたかもしれないけど私は早坂とチャットってしたことないんだよね。だから真似しようにもそもそも早坂のチャットの文の書き方がわからないわけ。他の文章と同じ感じとは思えないし」

「なるほど」

「真似、不可能ではないと思うけど、相当難しいんじゃないかな。チャットの文章を知ってて、直しのやり方を知ってて、かつそれを真似できる人間ってことでしょ?」

「いますかね」

「さあ……でもそこまでやっても得られるアリバイって微妙じゃない? 物証出たら多分警察は無視するでしょ。真似できたってことにして」

「いやまあ……」

 御堂は苦笑する。だが否定はしなかった。

「微妙なアリバイではありますが、二十二日以降に殺害されたと考えるほうが現実的でしょうね」

 うん、と頷いた鏡花は満足げだった。ほっとして、安心しきっている。北斗は思う。何かがあるはずなのだ。何かが。彼女が隠していることが。

「ところで桐生さん。それと須藤さん」

「はい」

「明日早坂夫人のところに話を聞きに行く予定です」

「ついてこないかって?」

 鏡花の言葉にうなずく。

「行きます。君は?」

「鳥井さんか……」

「気が進みませんか?」

 御堂が聞くと、鏡花は慌てたように首を振った。

「ううん。行く。久しぶりに会いたいし」

「同窓会じゃないんだよ」

 そうだね、と、鏡花は言った。その言葉の力のなさが、北斗は妙に気になった。

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