転生チート特典なしヒロイン攻略RTA

龍流@世救二巻発売中

転生チート特典なしヒロイン攻略RTA

 童貞を捨てたらしい。


 起きた時にまず感じたのは「あー、やっちまったな」という開放感だった。

 ここ一週間は己の息子を大切にしていたので、俺は排泄とお風呂の時以外、股関には触れていなかった。つまり自らを慰めることをしてこなかったわけで、有り体に言えばそこそこ溜まっている状態だった。つまりゾウさんがびんびんだったのである。びんびんだった。過去形ですね。

 問題はまだある。なぜか俺はベッドに寝ておらず、安っぽいカーペットの上でタオルケットにくるまっていた。夏の気配が感じられるようになった6月下旬とはいえど、理由なくカーペットの上で寝るわけがない。ベッドで寝なかったことには、明確な理由がある。


「あ、起きた。おはよ」


 俺のベッドには、女が寝ていた。


「ああ、うん。どうも」

「よく寝れた?」

「それなりに」

「結構結構」


 横暴な態度だった。人のベッドでゴロゴロしながら、スマホをいじっているのだ。しかも横持ちだから、多分ゲームのデイリーを回している。くつろいでいるとか、そういうレベルではない。横暴を極めている。


「佐藤くん、このイベント回った?」

「あー、昨日飲みに行く前に終わらせた」

「さっすがー。私、これ絶対終わらん」


 彼女の手元を見なくても、スマホの画面を見なくても、なんのゲームをやっているのかわかる程度には、俺たちは仲が良い。

 佐藤、というのは俺の名前だ。


「いつまでだっけ?」

「あー、たしか明日の12時」

「だよねー。やっぱ無理かぁ」

「今日なんかあんの?」

「バイト、夜シフト」

「あー、なるほど理解」


 我ながら、あーあー言っててキモいなと思う。


「じゃ、私二限だからそろそろ行くね」

「えっ。マジ? もうそんな時間?」

「もうそんな時間なんですよ」


 思わず時計を見ると、時刻は九時半を過ぎようとしていた。大学まで徒歩10分の我が家でも、二限から講義に出るならそろそろ準備しなければ間に合わない。

 ベッドの上から彼女が起き上がって、自然と見上げる形になる。多分平均よりちょっと太いくらいのももに、普通にでかいおっぱいがついていた。

 この角度で女の子を見るのは、人生ではじめてだ。


「洗面所使うけど大丈夫?」

「あ、うん。汚いけど」

「そう? 男子大学生にしてはきれいな方だと思うよ。感心感心」


 俺の体をまたぎながら、彼女は横持ちのスマホを重力に任せて落とした。


「うおっ?」

「周回しといてくれるとうれしい」

「俺、寝起きなんですけど」

「良い目覚ましになるでしょ?」


 薄いピンク色のパンツがドアの奥に消えて、閉まった。


「……ふぅ」


 起き上がって、冷蔵庫から麦茶を取り出した。おそらく昨日から洗ってないコップに注いで、一気に飲み干す。アルコールの風味がうっすらとしたのは、多分コップの底に酒が残っていたからだろう。


 こういう流れで関係を持つのが大人になるってことなんだろうか? 


 シャワーの音を聞きながら、なんとなく考える。あまり時間がないのか、水が流れるその音はすぐに止まって、ドライヤーの爆音が響き始めた。それと同時に、彼女のスマホからだろう。軽快なミュージックがそこそこの音量でドライヤーと合奏を始める。

 女の子は、朝からいろいろ準備があって大変だ。とても一般的な男性目線の感想を抱きながら、彼女が朝の準備をする時に音楽を流すタイプだと知れたのは、おれの今後の人生にとってどうプラスに働くだろうか、と。少し哲学的な思考に耽る。


「佐藤くーん」

「なに?」

「そっちに、私の下着ある?」

「……あるよ」

「取って〜」

「……はい」

「ありがとう〜」


 哲学ふっとんだわ。


「はぁ」


 なんかもう、これ以上ため息を吐くと幸せを逃がすイタリア人になりそうだったので、今度は清潔なカップにコーヒーを淹れる。

 本当にわりと急いでいたのか、彼女は20分程度で身支度を整えて、洗面所から出てきた。


「じゃあ、先に行くね」

「あいよ」


 コーヒーを飲みながら彼女を見送る。これは中々、ハードボイルドなシチュエーションではないだろうか? 


「あ、そういえば」


 わりと踵が高い靴を手早く履きながら、彼女はこちらを振り返った。


「佐藤くん、寝る時に体丸めるタイプなんだね」

「あー、意識したことないけど、たしかにそうかも」


 薄く朱色がのった唇が、かわいらしい歪み方をした。


「あまえんぼうらしいよ。そういう寝方する人」

「へぇ」

「知らなかった?」

「うん」


 きみが、そういう笑い方をするタイプだとは、知らなかった。






「佐藤、昨日ヤッたの?」


 大学生の会話は、趣味三割、講義三割、下半身事情四割で構成される。

 とはいえ、人目のある場所で真っ昼間から下ネタを連発するデリカシーのない人間は、男からも女からも距離を置かれるのが常なので、我々は普段、六割のスペックで表面的な会話を回している。アルコールを入れてバカ騒ぎするならともかく、下半身事情のお話をするためには、秘密を聞かれない環境ときちんとした信頼関係が必要だ。


「それ、誰から聞いた?」


 講義が始まる30分前の空き教室には、イヤホンをして鞄を枕に英気を養っている他学部の人間しかいなかったし、俺の目の前でニヤニヤしているイケメンの友人は、一年生の頃から腐れ縁のお付き合いが続いていたので、話を始めるための条件は十分に満たしていた。


「いや、普通に昨日、お前んとこ最初の顔合わせでゼミ飲みだったっていうのは聞いてたし。で、女子が何人かお前の噂してたら、そりゃ気になるでしょう、親友としては」

「まじかー」


 大学生の興味は、趣味三割、講義三割、下半身事情四割で構成される。


「多分、ヤッた」

「やるじゃん」

「でも、記憶にない」

「最低じゃん」

「言うなよ」


 それは一番、俺が思ってる。


「その後はどうなの? 彼女と、何か話したの?」

「いや、なんも。シャワー借りて出てった」

「さっぱりしてんなー。経験豊富か?」

「いやわからん。マジで昨日の記憶がない」

「佐藤、結構酒強いのにな」


 そう。俺はわりと酒が強い、はずなのだが。

 昨日の醜態を踏まえると、もう口が裂けても酒が強いなんて言えなくなってしまった。


「佐藤、普通に遊ばれたんじゃないの? あの子、たしか一浪してて一個上でしょ」

「うーん」


 たしかに彼女は俺たちより年が一個上だが、それを特別、意識したことはなかった。というか、大学なんて油断してたら同学年だと思ってたやつが四個上だったりするので、マジでそれは関係ない。


「あー、くそっ」


 呻きながら、机に頭を埋める。


「どうした?」

「自己嫌悪」

「なるほどね。いや、でも生きていればそういうこともあるでしょ」

「きらいなんだよ。ノリと勢いでそういう関係になっちゃうの」


 酒の勢いでそういうことをしてしまった、というのもいやだし、彼女がそういうことに応じるタイプだった、というのもなんとなくいやだった。後半は、完全に俺のわがままだ。


「ボーイミーツガール症候群だな」

「なにそれ」

「恋愛心理の用語の一つだよ。お前、ボーイミーツガールの意味知ってるか?」

「少年と少女が、出会う?」

「直訳じゃねぇか」

「英語は得意じゃない」


 こちとらバリバリの日本人だぞ。


「恋愛のはじまりに、劇的な出会いを求めてるヤツ。女性とのお付き合いに夢ばっか見てる人間をそう呼ぶのだよ、佐藤くん」

「素人質問で恐縮なのですが、教授」

「どうぞ」

「女性とのお付き合いは夢に溢れているべきではないのですか?」

「現実みろカス」


 イケメンはモテていいよなぁ、と。決り文句のように言う人間は結構いるけれど、基本的に男という生き物はイケメンなだけではモテない。身長が高くて運動部で顔が良ければモテるのは高校生までで、大学生になると気遣いがマメでコミュニケーションをきちんと取れる人間が、自然と一番人気になる。

 そういう意味では、このイケメンは完璧だった。


「女性とのお付き合いはドリームじゃなくてリアルだ。経験値積んでこなれたヤツが勝つ。スポーツやゲームと一緒なの」


 コイツは知り合いがとても多い。

 クラスという強制的なコミュニティがあった小中高学校とは違って、大学は自分から交友関係を広げていかなければ、基本的にどこまでも一人きりだ。だから大学では知り合いがたくさんいるヤツが強いし、そういうコミュ力が高い人間の方が魅力的に見える。


「だからたくさんキスしてたくさん抱いたヤツが、最終的に人生の勝者になる」


 あまりにも暴論だが、一理ないことはない


「……と、俺も昨日まで思ってました」


 ん? 


「というと?」

「昨日、きみが盛り上がってる間に俺は愛しの彼女とわかれました」

「ぴえんじゃん」

「お前はいいよな。ゾウさんがぱおんぱおんしてたんだろ?」

「最低だよ」


 コイツをヤリチンだという人間はそれなりにいるけど、大学三年間できれいに一年ずつ三人の彼女をローテーションさせているので、逆に几帳面だという説が俺の中では有力だ。多分すぐに四人目が見つかる。

 それでも、イケメンは世を憂う表情で深く溜め息を吐いた。


「もしも現実がギャルゲーだったとしたら、ヒロインの攻略完了の目安は、ヤレたかヤレないかだと思うんだよな」

「最低だよ」


 この男、本当に最低のことしか言わない。


「でもまぁ、そんな自己嫌悪のループにハマるくらいだったら、さっさと関係はっきりさせた方がいいぞ。ゲームと違って、人の好感度は見えないんだから」


 そのくせ、出してくるアドバイスはいちいち的確なので、たちが悪い。

 これが恋愛経験の差か。良い友達だと思う。俺が女だったらコイツとは絶対に付き合わないけど。






「昨日のことなんだけどさ」


 俺は宿題を必ず夏休みの最終日まで貯めるタイプだったが、今回ばかりは人生がかかっている、というよりも他人に迷惑をかけてしまっているので、すぐに動いた。


「うん。なに? あ、もしかして忘れ物してた?」

「いや、忘れ物はしてないけど」

「なんだ残念」


 残念ってなんだよ。もう一回ウチに来てもいいってことかよ、とか。

 そういうことを考えてしまう時点で、本当にダメだ。


「佐藤くん、進路とか決まってるの?」

「え、ああ、うん。一応」

「そっか。いいね」


 俯くと、顔に髪がかかって、影ができた。


「私、今やってる勉強は楽しいけど、やりたい仕事とか全然見つからなくてさ。就活とかマジ無理って感じ」

「意外だなぁ」

「そう?」

「うん。もっとしっかりしてるイメージだったから」

「本当にしっかりしてる女は浪人なんてしないよ」


 自虐するのも意外だった。

 なんというか、昨日からこの子の知らなかった一面を少しずつ覗けて、嬉しい。


「男女平等、なんて言うけどさ。私はべつに男女平等じゃなくてもいいとおもうんだよね」

「というと?」

「だって、男女平等になりたい女の人って、男と同じ地位とか、力とか、そういうのを得たいってことでしょ」

「力は言葉選びがパワフル過ぎる」

「私、べつにマッチョになりたいわけじゃないもん」

「語尾に「もん」ってつける女は、自分がかわいいことを自覚してるタイプらしいよ」

「うっせぇわ」


 こういう会話も、わりと楽しい。

 そんな風に考えてしまっている時点で、俺はきっとこの子のことが好きなのだろう。


「あのさ」

「うん」

「昨日、家行ったじゃん」

「来たね」

「ああいう時、本当に要領が良くて、付き合い方がうまい女の子は、家にわざと忘れものするらしいよ」

「へえ。また家に行けるように?」

「そう」

「なるほどね」


 こういう時、人の心を覗く機械が欲しいなと思う。もしも開発できたら、ノーベル賞を10回分あげたい。


「私は要領よくないから、忘れものできなかったな、って」

「……なるほどね」

「佐藤くんってさ、相槌しか打てないの?」

「…………うむ」

「いや、武士になれとは言ってない」


 ツッコミのキレがいい。なんでも切れそうだ。

 話すことがなくなって、しばらく沈黙が続く。

 沈黙が続くのは良くない、場が冷めている、しらけている、と。日本人は口数が減ることをマイナスに捉えがちだけど、俺はそうは思わない。むしろ、沈黙が続いてもその空気感が楽しめる相手が、本当に仲が良い人だと感じる。

 とはいえ、俺はこの子と仲が良くても、意識していないわけではないので……むしろ心臓バクバクなので、ずっとサイレントでいるには限界がある。


 勇気を出して、口を開いた。



「「あのさ」」



 被った。


「……」

「……」

「お先にどうぞ?」

「レディファーストって知ってる?」

「私、男の子を立てるタイプだよ?」


 うむ。じゃあ先に言うか。



「結婚しない?」



 ぽかん。

 また、はじめて知る表情に彼女がなった。


「……佐藤くん、冗談とか好きだっけ?」

「ジョークは人生を豊かにするものだとは思う」

「でも、冗談下手だよね」

「これから上手くなっていければいいなって思う」

「今、練習中?」

「いや、プロポーズの本番中」

「……」


 唇を噛み締める顔が、なんともかわいらしい。

 よし。今度は俺が勝ったな。


「……理由を、聞いても、いいですか?」


 たっぷり10秒くらい時間をかけて、そんな質問が帰ってきた。


「……理由かぁ」

「え、なに? そこで悩むの?」

「いや、ちょっといろいろありすぎて。少しまってね。今、整理するから」


 まかせてくれ。プレゼンは得意なんだ。


「俺と結婚したら、まず進路に悩まなくていい」

「うん?」

「だから、専業主婦になれる。これは間違いなく、結婚の一つの利点だと思う」

「はあ? なるほど……?」

「だって、働きたくないでしょ?」

「働きたくないでござる!」

「いや、武士になれとは言ってないんだけど」


 ちょっと彼女の調子が戻ってきたでござるよ。


「う、ううーん……私はね」

「はいはい」

「今、付き合わない?って。言おうとしたんだよ」

「うん」

「だからその、なんというか」

「なんというか?」

「いきなり結婚って言われるのは……」

「いや?」

「いや、ではないけど……」

「けど?」


 まかせてくれ。相槌は得意だ。


「……とりあえず、一緒に住んでみよっか」

「うむ」


 俺は武士っぽく頷いて、ガッツポーズをした。





 同棲をはじめると、お互いのいやな部分が、嫌でも見えるようになるという。だから、本当に結婚を考えている相手とは、何年か同棲生活をして、一緒になるかどうか、考えた方がいいらしい。

 三年一緒に住んでみたが、特に不満はなかった。むしろ楽しい。


「こういうのって、意外と相性がよかった、って言うべきなのかな」

「どうなんだろ」


 向かい合って洗濯物を畳みながら、考える。

 料理をするのは、互いにそこそこ好き。しかし俺には仕事があるので、基本的には彼女に作ってもらって、早く帰れる日には俺が作る。

 洗い物は、俺の方が好き。なので、食事のあとの片付けは俺がする。残業でマジで死にそうな時には「食器洗い代行カード」を使用して彼女を召喚できる。これは月に一枚発行され、高めのスイーツなどで追加購入も可能だ。

 洗濯物を畳むのは、お互いに嫌い。なので、こうして向かい合って完全に分担して干す。完璧だ。パーフェクトだ。


「専業主婦なのに仕事しなさすぎって言われそう」

「いや、そんなことはないと思うけど。ていうか、主婦も仕事でしょ」

「お掃除は好きだからね」


 彼女はきれい好きだった。そこは、完全に甘えてしまっている。


「なんか、他の友達で同棲してる子の話とか聞くとさ」

「うん」

「結構、小さいことで揉めたりしてるんだよね」

「ほうほう」

「だからそういうのを聞いてると、わりと思っちゃうわけですよ。コイツも彼氏も、人間としての器がちっちぇなって」

「これは手厳しい」

「だってそうじゃない? 相手とちゃんと会話して、自分の気持ちを伝えれば、ケンカすることもないのにさ」

「それは、相手の気持ちを受け止める度量があるかどうかにもよるでしょ」

「つまり私の器が大きいってことでいいですか?」

「そういうことですよ、奥さん」

「ふふっ。照れますね、旦那さん」

「じゃあ、そんなすてきな奥さんにはプレゼントをあげましょう」


 洗濯物は小物を隠しておくには結構便利だということを、俺はこの時、人生ではじめて知った。


「え」


 開いたケースと、その指輪に。

 三年間一緒にいてもまったく見飽きない顔が、固まる。


「え!?」


 うわ。せっかく畳んだのに、洗濯物が崩れた。


「え、なんで今……もっとこう、タイミングとか!?」

「いやですか?」

「いやじゃないけど!」

「これは勝手な俺ルールなんだけど、ひっそり決めてたんだよね」

「なにを?」

「俺が「奥さん」って言って「旦那さん」って返してくれたら、結婚指輪渡そうって」

「ば」

「ば?」

「バカぁ」


 俺をバカにしたのは、きみなんだよなぁ。

 結婚式は小さめでひっそりと、ということになったけど、せっかくなので例のイケメンは呼んでやった。めちゃくちゃ泣いていたので、やっぱアイツはなんだかんだいいヤツである。





 子どもができた。小学校に入学することになった。


「雑巾は!?」

「ある」

「筆箱は?」

「あるよ」

「上履きは!?」

「あるよー」

「雑巾は!?」

「おとうさん、ぞうきん二回目」


 うるせぇなぁ! 何回確認してもいいだろ! 

 心配なんだよ! 


「おとうさん、しんぱいしすぎ。すこしはおちついて」


 結論から言えば、うちのバカ娘は彼女に似た。つまり、かわいい。かわいいくせに彼女にしっかり教育されてすくすくと育ったので、小学校に入学前にして、かわいげのないしっかり者に育ってしまった。要するにどういうことかって? かわいいです。娘って目に入れても痛くないって本当なんですね。


「ママがいないと、おとうさん、おちつきがない」

「前から思ってたんだけど、なんでパパのことはお父さん呼びなのに、ママのことはママ呼びなんだ?」


 おかしくない? 差別か? 

 これは父親としての権利を声高に主張しても良いのではないか? 


「ママが「パパってよばれてるところみると、おもしろくて笑っちゃうから、ママのためだとおもってパパはやめてほしい」って言ってた」

「り、理不尽……!」


 これが尻に敷かれるということか。あいつ、最近ケツデカくなったしな……


「ただいまぁ」

「ママだ!」


 あ、噂をすれば帰ってきた。

 我が愛しの愛娘は一目散にママの方へ走っていく。こういう扱いの差をまざまざとみせつけられると、やっぱ母親には勝てねぇなって思う。

 娘の後ろについて行きながら、俺も玄関まで出迎える。


「あれ? 奥さん太りました?」

「ええ。お腹がこんなに大きくなっちゃいましたよ」


 背中に手をやると、にこりと彼女は笑った。


「で、どっちだった?」

「どっちだと思う?」

「二択か……ちょっと待って」

「三択かもしれないよ」

「え、まってまって。双子? 双子なんですか?」

「可能性の話をしているだけですね」

「うーん……男の子」

「ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサー」

「ふふっ……正解」


 二人目かぁ。がんばらないとな。






 下の息子が、結婚することになった。


「そういえば、父さんと母さんの馴れ初めってどんな感じだったの?」


 そう聞かれて、俺と彼女は黙って顔を見合わせた。

 そうか、もう息子からそういう質問がくるほど成長したのか……と。感慨深くなるのと同時に、少し困ってしまう。

 勢いとノリで結婚しました、とか言っても親父として格好がつかない。なんかこう、ウィットとユーモアに富んだ返しをしなければ。


「俺はガラスの靴を拾って、持ち主を探してたんだけど」

「父さん、冗談下手だしおもしろくないからやめといた方がいいよ」


 うるせぇなぁ! 


「馴れ初めねぇ……」


 すっかり頭に白いものが混じるようになった彼女が、首を傾げる。


「そんなに劇的じゃなかったわよ、お父さんとお母さんは」

「じゃあ、お父さんが普通に告った感じ?」

「ううん。お父さん、わたしにベタ惚れだったから、いきなり結婚を申し込まれたわ」

「普通とは?」


 否定しようと思ったが、全部本当のことなので、何も言えない。


「プロポーズは?」

「それもお父さんから」

「いつ?」

「洗濯物畳んでる途中に」

「うわ。息子としてどうかと思う」

「うるせぇなぁ」


 もういい年だけど、お父さん拗ねるぞ?


「なんか、俺みたいにドラマチックなエピソードないの?」


 息子は消防士である。火災現場で助けた女の子に一目惚れされて交際がはじまり、この度ゴールインということになった。あまりにも馴れ初めがドラマみたいで、我が息子ながら勝てる気がしない。


「ボーイミーツガール症候群ねぇ」


 彼女が懐かしい単語を口にした。


「なんだっけ、それ」

「あなたが言ってたじゃない。男女の出会いは、劇的でスリリングでなければならない、ってやつ」

「ああ。言ったかもしれない」

「もうボケたの?」

「俺がボケたらどうする?」

「とりあえず出会いを劇的に捏造する」

「どんな感じに?」

「私は麦わら帽子を被っていて、白いワンピースを着ているんだけど、謎の組織に追われていて、空から落ちてくるのね。で、あなたがそれをキャッチするの」

「ガラスの靴は?」

「履いてる履いてる」

「今のお前が履いたら、ヒール欠けそうだな」


 この十年ちょっとで、彼女はちょっと太った。


「……ふ、普通のヒールは、履けるもん」

「語尾に「もん」って付ける女は」

「自分がかわいいことを自覚してるタイプ、でしょう?」

「記憶力いいね。まだまだボケなさそうだ」


「ふふっ」


 気がつくと、息子は頬杖を突いてニヤニヤとおれ達を眺めていた。

 俺にはあまりに似てないけど、笑い方は彼女に似たな、と思う。


「どうした?」

「いや、俺はやっぱり、二人みたいな夫婦になりたいなって」


 黙って、顔を見合わせる。

 隣の奥さんは目がうるうるしてたので、これはもう、俺が代わりに言ってやるしかないだろう。


「結婚おめでとう」







 春。

 桜並木がきれいだった。

 いつの時代になっても、桜の美しさは変わらないし、どれだけ顔がしわくちゃになっても、桜をきれいだと感じる心はなくしてはいけないと思う。

 二人で黙って、桜を見上げる。

 いつの間にか、そういう小さな時間が、自分の中ですごく大切なものに変わった。

 彼女の横顔を見る。桜の可憐さと、奥さんのかわいさは似ている。この年になって、新たな発見をしてしまった。


「きれいね」

「うん」


 言葉はもう、そんなにいらない。

 昔から、彼女に相槌を打つのは得意だった。







 わりと長生きしたなぁ、と感慨に耽る。

 俺は、ベッドに横になっていた。

 喉に管を繋がれて、声が出せなくなった。自力での呼吸も、もう難しい。

 彼女はベッドの横のイスに座って、目を閉じて手を握ってくれていた。もう力が入らない俺の手を握る彼女の力は、まだそこそこ強い。それがなぜか、とてもうれしかった。


 なんとなく、昔のことを思い出す。


 恋は夢。愛は現実。

 だから、恋に夢を見ることはあっても、愛という現実直視はしなければならない……なんて、これも誰の言葉だったか、忘れた。


 恋は、劇的であるべきだろうか?


 それはそうだと思う。男女の出会いは、突然に、熱に満ちていて、これ以上なく劇的であるべきだ。

 だが、俺が一生をかけて口説き落とした女性との関係は、そこまで劇的なものでもなかった。


 ただ、楽しかった。


 彼女がくれた時間は、ずっと夢のように楽しくて、幸せに満ちていた。


 なんとなく、昔のことを思い出す。


 あまえんぼうらしいよ、と彼女に言われた。

 あまえたくなる人と、一緒になれた。

 最後まで、子どものように手を繋いでもらって、彼女にあまえてしまっている。


 だから俺は多分、とても幸せ者なのだろう。


 そろそろ、幕を下ろそう。

 山も、谷も、何もない。

 これは、ただ単純に、俺と彼女が出会った物語。

 たった一人の女を、人生を賭けて攻略するお話。


 俺が大好きな女の子に出会って、手を繋ぎながら死ぬまでの、惚気話のろけばなしだ。



 ◇



 冴えない男の人だった。

 どこにでもいる苗字の、どこにでもいる名前の男の人。特に顔もかっこよくないし、べつに何か特徴があるわけでもない。

 女の子は、みんな本質的に王子様との出会いを求めている……というけれど、少なくとも彼は王子様には見えなかった。


「あの、これ」


 だから、緊張している大学の入学式の日に、そんな冴えない男に声をかけられて、私はかなりキツめの態度を取ってしまった。


「何か?」

「落としましたよ」


 差し出された学生証を見て、慌てる。


「あ……すいません」

「いえいえ。それがないと、今日大変だろうから、よかった」


 それだけ言って、さっさと歩いてくスーツ姿の背中から目を離せずに、なんとなく追いかける。

 冴えない男の人だった。どこにでもいる苗字の、どこにでもいる名前の男の人。


 やさしい人だな、と思った。


「すいません」

「はい?」

「あの……次の時間のオリエンテーション、一緒に受けませんか?」


 一瞬、ぽかんとした顔がおもしろかった。


「……あー、おれでよければ、喜んで」


 はにかむように笑った顔は、意外と良い男で。


 それが、私の恋の幕開けだった。

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