第6話 十四歳の恋煩い2

 ダンさんがあと一週間でいなくなってしまうなんて。本当は中等部の卒業式の時に想いを伝えようと思っていたけれど、今しかないのでは、そんな思いが過る。


(ダンさんも、わたしとの時間が楽しみだったと言ってくれたもの)


 少しは望みがあるんじゃないか。そう思いたい気持ちと、けれど鏡に映る自分の姿はまだダンさんの隣に並んでお似合いと言えるほど大人じゃないことも分かっている。


「はぁ……」

 胸が苦しい。恋をすると夜も眠れなくなるって本当だったのね。

 もう時間は深夜だったけれど、眠れそうになくてわたしは夜風にあたろうと部屋を出た。


 そうして廊下を歩いているとシッティングルームから明かりと微かな声が漏れていることに気が付く。

(こんな時間に誰か起きているの?)

 そっと物音を立てないように近づくと、聞こえてきたのはお兄様とお姉様の声。


「ブライアンお兄様、ちゃんと説明してください!」

「さっきから言っているだろう、食事に行っただけだよ」

 声を荒げて興奮している様子のお姉様を、お兄様が宥めているようだった。

「わたくしこの目で見たのよ! あの女性、学園長の奥さまのキャサリン様だったわ」

「……そうだよ、それがなにか問題なのかな」


「なっ、夫のいる女性と二人で食事なんて。それもあの女、お兄様の腕に抱きついて、いやらしい!! あんなのおかしいわ!!」


(え?)


 キャサリン様といえば、わたしたちが通っている学校の学園長夫人だ。そこで先日聞いたお兄様の想い人の情報が頭に過る。

 お兄様は彼女を困らせてしまうから想いを告げられないと言っていた。そのことからも、なにかあるのではと思っていたけれど。


(まさか、お兄様の想い人は学園長の奥さまなの?)


「はぁ、誤解だよ、ミラベル。あの人とは仕事の打ち合わせで会っていただけだ。秘書だって一緒だったんだよ」

 なんだお仕事関係の知り合いなのね。わたしはそう思ったのだけれど、お姉様はまったく納得していない様子だ。


「でもでも、あんなにくっついて」

「あれは帰り道、少し飲み過ぎてしまった彼女を介抱しただけだよ。断じてやましい関係なんかじゃない」

「でも……」

「オレの事、信じてくれないの?」


 お姉様は信じたいけど信じられない。そんな表情を浮かべていた。

「なら、教えて? お兄様が一番に想っている女性は誰?」

 しばらくの沈黙の後、お姉様は静かに上目遣いでお兄様にそう尋ねた。

「今は仕事を覚えるので精一杯なんだ。そんな余裕ないよ」


「じゃあわたくしの事はどう思っているの?」

 先程までの剣呑な声音とは違い、甘えるような声でお兄様に寄り添うお姉様。

 兄妹なのだからなにもおかしな距離感じゃない気もするけれど、なんだかいつもと雰囲気が違う。


「……もちろん、ミラベルのことは大切な妹だと思っているよ」

「そんな扱い嬉しくない」

「これ以上オレを困らせないで」

「じゃあ……わたくしのことフローラよりも大切? わたくしが一番って言ってくれなくちゃイヤ」


 これ以上立ち聞きするのは憚られる気がして、わたしは静かに物音を立てぬようその場を立ち去ったのだった。






 ダンさんとこれからも会える関係を続けるにはどうしたらいいのか精いっぱい考えたわたしは、我が家の庭師として雇えばいいのではないかと企んだりもした。

 けれど我が家にはもうわたしがこのお家に来るずっと前から庭の手入れをしてくれている方がいるので、その人を追い出すわけにもいかず断念。


 友達にも恋人同士でもないのに、そこまで干渉するのはどうかと止められた。そうよね。ダンさんに恋人がいないことは確認済みだったけれど、わたしのことを恋愛対象として見てくれているかは不明だし……


 そうこう悩んでいるうちに一日が過ぎてしまった。このままじゃ、あっという間にダンさんとお別れの日だ。

「はぁ~」

 今日も眠れないわたしは夜のバルコニーで一人項垂れていた。


「こんな時間に身体を冷やしちゃいけないよ」

「お兄様!」

 夕食の時間にいらっしゃらなかったお兄様は、こんな深夜にお仕事から帰ってきた様子だった。


「おかえりなさい」

「ただいま」

 今晩は会食だったんだとお兄様は少し疲れた顔で教えてくれた。

「毎日大変ね。身体にはくれぐれも気を付けてくださいね」

「ありがとう」


 お兄様は笑いながらわたしの隣までやってくるとバルコニーの格子に寄り掛かる。

「それで?」

「え?」

「オレの可愛いお姫様は元気がないようだけど。どうしたの?」

「……お兄様にはなんでもお見通しなのね」


 わたしはダンさんが来週には学園からいなくなってしまうこと。どうすればお別れしないで済むのか悩んでいたことを、ポツポツとお兄様に話した。


「そうか。それは残念だね」

 でも仕方のないことだと諭され、分かってはいるけれどしゅんとしてしまう。

 それでも、最後まで悪あがきをしたいのが乙女心だ。


「こうなったら学園長に直談判してみようかしら」

「落ち着いて、フローラ」

「だってお兄様。学園長が庭師を変えるなんて言うからこんなことに……」

 そこでふとわたしはあることに気が付いた。


「そういえば、お兄様って学園長の奥さまと顔見知りなのよね?」

「え……どうして、そんなこと」

「奥様から学園長を説得するようにお願いできないかしら! お願い、お兄様!」

「…………」

「お兄様?」


「どこで聞いたのか知らないけれど、オレとキャサリン様は仕事関係の顔見知りなだけで、別に親しい間柄というわけじゃないんだ。そんなことお願いできないよ」

「そう、よね……」

 わたしったら余裕がないからって、無理を言いすぎてしまったみたい。反省……


「それに、学園に残って欲しいという思いはフローラの気持ちでしかない。ダンさんは、それを望んでいるの?」

「それは……分からないわ」

 仕事がなくなったら困るのだから学園に残りたいに決まっていると思っていたけれど、確かにわたしはダンさんの気持ちをちゃんと確認もせずに暴走しようとしていたのね。

 ますます反省です……


「我儘を言ってごめんなさい。少し冷静さが足りなかったみたい」

「分かってくれればいいんだ」

「ええ……もう辞める事は決まってしまったんだもの。どうしようもないんだわ」

「そうだね。今は辛いかもしれないけど、時間が経てば」

「それなら、わたし……やっぱりダンさんに告白する!」

「え」


 本当はもっとダンさんに釣り合う大人の女性になってからと思っていたけれど、時間がないのだ仕方ない。

 伝えないままお別れなんてしたら一生後悔してしまうから。


「考えてみれば、なにも遠い異国の地に行ってしまうわけじゃないもの。これからだって愛をはぐくめるチャンスはあるはずだわ」

「…………」

「そうと決まれば夜更かしはお肌の大敵! おやすみなさい、お兄様!!」

「ああ……おやすみ」


 お兄様は意気込むわたしをいつもと同じ優しい微笑みで見守ってくれていた。

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