第2話 丸墓山古墳の頂きから忍城を望んでの述懐



 そんなわたくしが、あるとき、フィールドワークに出かけたと思し召しあそばせ。

 あらやだ、気取ってカタカナ語なんか遣っちゃったけど、平たく言えば取材よね。


 ね、お分かりでしょう? 自称(くどい!)モノ書きとしては、執筆にとりかかる前にまず現地に触れておきたいわけですの。とりわけ長編を志す場合は、既存の資料を頼りに机上で創作するのと、わが足で現場を踏み、わが目と耳で空気感や距離感、風土感を味わうのとでは、仕上がりのリアリティに差が生じるのでございますのよ。


 デジタル全盛だの何だのかんだの申しましても、いざとなったら、やっぱり五感がモノを言うんですのよねえ。だって、わたくしたち、人間なんですもの。(*´▽`*)



     ☆☆☆☆



 さて、おしゃべりはこの辺にして、そろそろ本題に入らせていただきましょうか。


 そうね、現代の殿方に例えれば、イチローさんですかしらねえ、野球選手の……。

 シュッとしていて、クールで、ストイックで、ビューティフル&チャーミングで、メジャーリーグへの挑戦で渡米したころの、触れれば切れそうな感じの……。⚾



 ――石田治部少輔三成いしだじぶしょうゆうみつなり。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



 健康オタクで細マッチョ好き、ムエタイのラウンドハウスキック(あ、まわし蹴りでございますわね)アレをば得技といたすわたくしの、ずばり、タイプなんでございますのよ、佐吉さんこと三成さん! タヌキ親父の家康など、とてもとても。(笑)


       *


 その三成さんがですよ、430年前、いまわたくしが踏んでいる、まさにこの地に立っておられた……そう思うと、どうにも武者ぶるいが止まらないのでございます。


 はい、さようでございます、ゆるやかな起伏の打ちつづく武蔵野に、11個の古墳&小円墳群を擁する『さきたま古墳公園』、なかでも最大の丸墓山古墳でございます。


 急勾配の木道を登りきった頂きに四方に開けた広場が設けられておりまして、近代以降は足袋の産地として知られる行田市全域が望めますが、北方1キロほどの市街地に、豊臣秀吉の水攻めの標的にされた忍城おしじょうの復元城郭が真っ白に輝いて見えます。


 つい先刻、そこを訪ねたとき、天守の代わりに三階櫓と呼ばれる櫓があるだけの、城と呼ぶにはあまりにも小さな規模に胸を突かれたばかりでございましたので、何万もの大軍が、あの小さな城を……少しもの悲しい思いに駆られたりもいたしました。


 といって、三成さん贔屓に多少でも翳がさしたかと申せば、決してさようなことはございません。勝者が自分に都合よく編纂した“正史”なるものでは、小田原城が陥落したのちも支城・忍城の水攻めをやめようとしなかった三成さんを無能呼ばわりしているようでございますが(怒)、それこそ、とんでもない事実誤認でございますよ。忍城の水攻めの貫徹は、関白秀吉、その人の絶対命令だったのでございますから!


 ま、それはともかくといたしまして、三成さんが陣を張った丸墓山古墳の頂きから1キロ北方の窪地の、現在は乾いた市街地の一画に過ぎませんが、当時は水に浮かぶ深い森に見えたという忍城は、攻守の立場によって「あんなに遠く」とも「こんなに近く」とも真逆の感懐を抱いたであろうことが容易に推察されるのでございました。


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