第21話 読書の秋

 夜の零時過ぎ、僕がベッドに寝っ転がりながらスマホをいじっていると通話アプリで僕にメッセージが来た。


「ゆーくん(涙)」


 ついこの間まで元気だったにもかかわらず、夏も終わるとここのところの姉は体力も気力も落ち込んでしまい、僕にだけは今まで見せたこともない弱気な面も珍しく見せるようになっていた。


 僕は急いで姉の部屋に行く。姉はベッドの上で横になっていた。


「どうしたの、姉さん」


「ん、寝れなくて」


 姉は天井をぼんやり見つめたまま僕の方を見ずに呟く。


「薬飲んだんでしょ」


「効かないみたい」


 薬を飲んで、それでも効かなくて、眠れぬまま姉は一体何を考えていたのだろう。今の姉の表情を見ればわかる。未来ある明るい世界について考えていたとはとても思えない。それを思うと僕の気持ちにも暗い影が差す。それを払しょくするように僕は努めて明るく言った。


「じゃ、何する? ゲームしよっか」


「ゲームしてたらゆーくん寝不足になっちゃう」


 力ないほほ笑みを見せてこっちを向く姉。


「いいんだよ、どうせ明日は日曜日だし」


「明日、日曜日だっけ?」


「そうそう」


「そっか…… もう曜日もわかんなくなっちゃったんだね姉ちゃん」


 姉の声がさみし気に室内に響く。


「ま、まあよくあることだって、僕だって金曜の夜にまた金曜の準備とかしちゃうし…… そうそう、今年のお年玉で買ったやつ、まだ二回くらいしかやったことなかったんじゃない?」


「ううん、ゲームじゃなくて、本読んでもらおうかな」


 本? 姉がそんなに本を読むとは知らなかったぞ。昔は漫画ならよく読んでたみたいだけど。


「そのベッドのわきに置いた箱に……」


 僕はピンク色の紙の箱から大きくて薄い一冊の本を引っ張り出す。


「ガリとガラ」


 それはひょうきんな二匹のネズミの挿絵が描かれた絵本だった。


 姉はクスッと笑って言った。


「ああそれは違うや、その隣の? 水色の箱」


 その水色の紙の箱を開けてみると十冊くらいの文庫本が入っている。


「その中の『流星の子』って言うのがあるでしょ。それ読んで欲しいな」


「う、うん……」


 しかしいつから姉は小説を読むようになったのかな。意外だ。僕の知らなかった一面を発見して僕は少し驚いていた。姉のことなら何でも知ってると思っていた僕にはすこし意外だった。


 気を取り直して僕はベッドの傍らに座ってその本を読み始めた。現代小説の短編集みたいだ。


「『孝治たかはるは空を見上げた。空には幾百筋もの流星の尾が夏の夜空にくっきりと刻み込まれている。日中にもなればその夜空に刻まれた傷跡のような姿は』……そっ、そう……」


蒼穹そうきゅう


「『そっ蒼穹そうきゅうのあっ、あおさに隠され、うかがい知ることはできない――』」


 このお話は、主人公の孝治たかはるの恋人が登山中に亡くなったところから始まっている。そしてその後世界中には謎の流星雨が降り始める。孝治の恋人はその原因を知っていた。そう確信した孝治は彼女の周辺を調べ始めるのだが。


 僕にとって意外だったのは人の死を扱った小説を姉が読んでいることだった。普通だったらそう言ったものは敬遠するだろうに。それとも本であればそんなことは気にしないで読めるものなんだろうか。


 ふと姉の方を見ると、寝る気配もなくこっちをじっと見ている。


「寝ろよ」


 僕がつっけんどんに言うと、


「寝るよ」


 と姉もつっけんどんに言ってからクスッと笑って目を閉じた。


 一時間近くも読んでいただろうか。結局この短編は全部読み終わってしまった。最終的に流星雨は地球にニアミスした彗星のちりから生まれたガスによる集団幻覚で、主人公が恋人の遺志を継いでこれを解消する。しかし謎が残る。登場人物の「磯村」たちの組織「流星の子」ってなんだったんだ。謎だ。


 そこでふとベッドを見てみると姉はようやくすやすやと小さな寝息を立てていた。


 ほっとして僕はずれた姉の布団を直してやる。姉の顔と僕の顔がニアミスした。地球と彗星のように。


 僕は耐え難い衝動を覚えた。僕はまるで姉と言う地球の重力に負けて落下する彗星のようだった。


 しかし、それはどのような災いをもたらすのか。きっと地球も彗星も砕け散ってしまうだろう。そう思うと僕は恐怖を覚えゆっくりと姉から顔を離した。


 僕はもう一度「流星の子」を読み返す。


 途中での「磯村」のせりふ、「我々は常に良き行いも悪しき行いもつぶさに観察されている」に僕は少しゾッとした。僕は今までに良き行いも悪しき行いもしている。それのすべてが誰かに観察されているだなんて気分のいいものではない。ましてや僕は幾度となく悪しき行いをしているのだから。僕は自分の唇の感触を思い出して手で拭う。


 落ち着かない気分のまま僕は本を閉じて箱にしまい、物音を立てないようにして姉の部屋を出た。


 そして自室のベッドに潜って考えた。僕の悪しき行いは一体誰によって観察され、いったい誰によって裁かれるのだろうか、と。

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