別次元の領域(2021年版)

草茅危言

第零章 荒脛巾(アラハバキ)皇国(おうこく)編

第1話 秋葉原(アキハバラ)から、荒脛巾(アラハバキ)へ。

 時は2000年代後半の12月下旬、場所は秋葉原アキハバラ


 黒い頭巾フード付きの外套コートを着た青年が、ビルの中へと入っていった。青年の名前は、郡山俊英。彼は、物理学を専攻している。「俊英としひで」という名前は、「俊英しゅんえい」とも読むが、その名前の通り、成績は上位である。

 しかし、周囲からは、いつも黒い頭巾フード付きの外套コートを着ているので、まるで蝙蝠の様だ、ということで、彼の名字にちなんで、「蝙蝠山卿」と呼ばれている。


 さて、彼の在籍している物理学科には、成績上位者の社交場とでも形容すべき、「勉強会」があり、彼も所属している。そこでは、数学・化学・プログラミング等、毎回の主題を決めて、構成員達の間で情報交換が行われている。


 次回の主題は電子回路だったな、とビル内の書店にて、理工書の棚を漁っていると「量子力學・壱」の古書が安くなっていたので、購入しておく。


 帰りに、エレベーターが来たので乗る。中には、誰も乗っていないようだ……。エレベーターの扉が閉まり、動き始めた直後、地震の様な揺れとともに、照明が消え、エレベーターは途中の階で止まってしまう。


 突然背後に気配を感じたので、振り返ると、自分と似たような黒い頭巾フード付きの外套コートを着た何者かが至近距離にいた。先程までは誰も乗っていなかったはずなのに。どこから入ってきた?


 その同乗者は頭巾フード目深まぶかかぶっており、黒い手袋で覆われた右手で青年の喉を掴み、エレベーターの壁を擦りながら、片手で持ち上げてしまった。そして、さらに強い握力で首を絞め始めた……。


 青年の方も当然抵抗する。左足でエレベーターの壁を蹴り、体勢を崩そうとするが、襲撃者は微動だにしない。

 右足で、襲撃者の脇腹に蹴りを放つも、大地を踏みしめていない足で放つ蹴りの感触は、分厚いゴム膜を蹴っているかの如きもので、当然威力など期待できない。

 万力の如く絞め上げてくる相手に為す術もなく、遂に青年は意識を手放すのであった……。


――――――――――――――――――――――――――――――


 次に目覚めたとき、青年は寝台ベッドに寝かされていた。その横には、襲撃者と同様の黒い頭巾フード付きの外套コートを着た、老人が椅子に座って、青年の目覚めを待っていた。


 暗い部屋にて。襲撃者と思しき老人と対峙する。


「ここはどこだ。貴様は誰だ。」


 老人は、長身にして痩身、厳格そうな強面の相貌を持ち、歳月とともに刻まれた皺には、何かを喪った怒りか、或いは、憎悪とでも形容すべき何かが刻まれているようだった。

 その意味で、郡山青年には、黒い頭巾フード付きの外套コートを着ているこの老人は、自分と酷似する何かを持っている気がした。


 監禁された被害者が犯人との間に心理的なつながりを感じるという、「ストックホルム症候群」かも知れない。


 ここは、一度冷静になって状況を観察してみよう。


 襲撃者がこの老人であることは、まず間違いあるまい。だが、この老人にあの万力の如き力を出せるのだろうか。それでも、郡山青年には、何らかの不可知の力が作用しているのではないかという直観があった。だからこそ、今は争わずに冷静に対処する方が望ましいだろう。


 老人は重々しく話し始めた。


「まずは、手荒な真似をしたことを詫びよう。しかしながら、事は急を要した。君は政府の暗部に狙われていた。私は可及的速やかに君を保護する必要があった。」


「……。俺が政府の暗部とやらに狙われていたって?全く身に覚えがないのですが、何故?」


「君の論文には、物理学の未解決問題に言及し、世界に多大なる影響を及ぼす可能性があった。」


 郡山青年は、まだ研究室に属してはいない。故に、論文など書いてはいない。

 勉強会の構成員達は各々が自分のウェブサイトを持ち、そこに記事を投稿していたが、そもそもどの記事に対して?

 しかも、いずれの記事であろうと、査読もされていないものだ。そのような記事に対して、それは、過剰評価というものだろう。


 そう告げたのだが、老人曰く、


「私もかつて同じ分野を研究していたが、今の君ぐらいの年齢の頃、政府が私の才能に気付き、その芽を摘もうと、暗殺者を送って寄越した。勿論撃退したがな。それが今から120年以上前の話だ。」


「今から120年以上前に俺ぐらいの年齢なら、アンタ150歳近い計算になるけど?」


 この爺さんは妄想癖があるのかも知れない。


「私の年齢は確かにそのぐらいになるだろうな。私の祖国は当時のプロイセンの統治下にあったから、丁度、日本政府が科学技術を教える、お雇い外国人を募集していたので、それに紛れ込んで、極東へと脱出することに成功した。君は私が誰かと聞いたが、そういう理由だから、当時の戸籍はないし、本名を名乗る意味もあるまい。しかし、呼び名がないのは不便だからな。我が名は、【クネヒト・ループレヒト】。取り敢えず、そう名乗っておこう。」


 【クネヒト・ループレヒト】、それは独逸ドイツの黒いサンタクロースであり、日本でいえば、「なまはげ」に近い。

 プレゼントをくれるどころか、現在進行形で拉致・監禁している、この爺にこれ以上相応しい名前もそうあるまい。


 【クネヒト・ループレヒト】と名乗る老爺の話は続く。


「今の話だけでは、150歳近く生きていることの説明になっていないな。」


 郡山青年の鋭い指摘をかわして、老爺はわらう。


「気付いたか。それこそが君のもう一つの質問にも関わってくる。君は『ここはどこだ。』とも問うたな。君を保護したと言っただろう。ここは、既に君の知る表の日本ではない。裏の日本、正確には、国名は【荒脛巾アラハバキ皇国おうこく】。ここは、その首都、【荒脛巾アラハバキ】。2600年前に神武東征にあらがい、地下へと逃れたアラハバキの民達が建国した国だよ。その歴史に比べれば、私の150年程度の歴史など、大したことはあるまい?」


「要するに、死後の世界だとでも言うつもりか?」


「私としては、大いなる才能を持った君には、まだ死んでもらうわけにはいかないのだがね。」


「自分で殺しておいて、よくもそんなことが言えるものだな。」


「君は死んでなどいないよ。これは【転生】ではなく、【転移】だからね。」


「では、誘拐されて、拉致・監禁ってところか?」


「君の転移元の世界の時間軸と、この世界の時間軸とは垂直でね。両者の世界の時間経過は無関係だから、そこは心配しなくても構わないよ。私が150歳近く生きていることこそ、その証左ではないかね。」


 表の日本と裏の日本という並行世界の間にある、ポテンシャル障壁に対し、何らかの「巨視的トンネル効果」を及ぼすのだろうか。


 秋葉原アキハバラから、荒脛巾アラハバキへ。ちなみに両者はアナグラムの関係にある。

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