another time 3
僕は自分の身体の性に囚われて、ずっと人間関係を構築できなかった。
転機になったのは、高校の時、唯一絡んできた
友達がいない事に危機感を持っていた僕は雅詣の歪んだ性格を知らずに、喜んで承知したのだった。
入部して間もなく、雅詣の目的が分かった。
彼は小説よりも劇の脚本が書きたかったそうで、僕を見てインスピレーションが沸いたとかで、数本の脚本を仕上げた。
仕上げただけなら良かったのだが、演劇部に渡すと思っていたそれを、雅詣は文化祭で上演すると宣言した。
当たり前だが周りは一様に驚いた。おとなしい人見知りな人間が多かったからだ。
赤面症の生徒、
「幾ら部長でも横暴や!僕は演劇部に入った覚え無い!そんなんするんやったらクラブ辞めや!」
「でもぅ、お前、声がよう通るもんなあ。大丈夫ぅ、舞台の上やと遠いからタナの顔色まではわからへんてぇ」
能天気な雅詣の物言いに、棚中の空いた口が塞がらない。
「それにぃ、演劇の内容はぁ、あの憧れの太宰治を主人公にしたんやぁ。ほならぁ、文芸部っぽいやんかぁ」
あ、コイツこの頃から語尾伸ばす喋り方やったなあ。
「太宰に絡む役頼むわぁ」雅詣は顔を近付けて真剣な様子で頼んだ。
棚中の顔色が変わった、「何やと⁈太宰先生に絡む⁈」その言葉に棚中は今度は目を見開いて固まった。
彼は文芸部に席を置くだけあって、特に太宰の大ファンだ。桜桃忌には必ず家の仏壇に線香とお供えをすると言ってた。
東京まで行かれへんから、代わりにご先祖様から宜しゅう言ってもらうんやと、よく分からんことを宣ってた。
ちなみに桜桃忌とは、太宰が愛人の山崎富栄と玉川で心中して遺体が見つかった日だ。
僕から言わしたら「怖がりか。1人で死ね」なんやが。
タナには絶対言われへん。
雅詣は他の部員達は大道具と照明係でえーから!と頼み込んでいる。
しかし、彼は僕の方へ向いてうっすら微笑みながら言った。
「
「はあ?」
思ってもみいへんかった一言に、一気に身体中の血液が頭に昇ってからすぐに足先までザザッと降りたような気がした。
「祥一郎君!君にぴったりの役や思うて書き上げたんや!君以外考えられへん。その為に文芸部へ入ってもろたんやからぁ」
「だから、なんで文芸部なんだよ」
「君ぃ、演劇部やったら入らんかったやろ?」
た、確かに。納得した。
雅詣はぐるりと皆の方へ身体を回して役者になるやつを指差す。
「俺は一緒に心中する愛人、棚中は太宰の恋人その1で、
「何決めてんねん。断る!しかもお前と心中するなんて、死んでも嫌や!」と僕は危機を最大限感じて即答した。
「お、お、俺も、ちゃんとい、い、言われん、し、知っとうやろ!」
珠州も必死に言った。普段そのせいで無口なのだが、この時ばかりは黙っていられない。
「スズはどもりの役やからそんままでええよぉ」
「いやいや、そそそういう問題や、無いて、か、勘弁しぃてえや」悲鳴に近い声だった。
そんなに喋っているの初めて聞いた。必死やな。
「アホか!3人ともタナと同じ理由や!演劇経験0やし!」
僕は必死に口に出す珠州の分も猛烈に抗議した。
しかし、既に棚中は『太宰治』の単語で腑抜けになってしまった。ムフムフと変な笑いをしている。駄目だ、あれは。
「ふふふ、それについても大丈夫や。演劇指導頼んでん!俺の入ってる劇団の座長に!」
僕は天を仰いで溜め息を付いた。
入部の時から、ホンマに最初から、雅詣に仕組まれた事だったのかと。
「ま、15分程度の短い劇にするから!すーぐ終わるよってどうってことないよぉ」
これで僕らの夏休みは雅詣によって大変な夏になった。
たかが、15分、されど15分。
僕は何回も台本と、元になった小説を読み返した。半分ノイローゼになっていたと思う。
雅詣に上手い事誘導されたんだろうが、ちゃんと演じなければならないと思い込んでいた。
『人間失格』
タイトルを聞いた時から僕の心は穏やかに居られなかった。
僕の身体を指している、そんな気持ちになった。
雅詣は僕をイメージして脚本を書いた、と言うのも不安になった。
彼は僕の身体の事は知らない筈だ。
なのに、雅詣に全てを知られているような、見透かされているような気分になった。
実際、劇内で雅詣はよくベタベタ僕の身体を触ってきた。役柄というには何か欲情を込めた手つきに、動揺を隠せなかった。
「なんか、古川くんは色っぽいよなあ。男やけど。でも好きやわぁ」
「お前、そっちの気があるんや、近寄んな」しっしっと彼の手を払う。
「ペットとして飼いたい」
「何言うとんねん!ホンマ怒るで」
体質のせいか声変わりがほとんどなかったが、なるべく低い声で言ってみた。
雅詣は
「ホンマにそう思うてまうねん」
と意味深な微笑を浮かべるのだった。
あれ、この頃から飼いたい言われとったんか。やれやれ。何でこんな変態とつるんでたんやろ?
おそらく。
彼なら、僕の身体の事を知っても平然と受け入れてくれると確信しとったからやろう。
文芸部の連中にも、勿論言うてないし、そのつもりはない。
だが、雅詣にならいつか教えてもええかな、教えても大丈夫と思わせる何かがあった。
後年本当に教えてしまったのやが、大丈夫どころか結果彼の変態性に拍車を掛けてしまったのは誤算やった…違う意味で激しく後悔した。
雅詣版『人間失格』は同性愛に悩む太宰が、わざと女の愛人を作って直そうとしてうまくいかず、男の恋人達が同じように悩んだ末に自殺すると、罪悪感に耐えきれず自身も自殺未遂を繰り返す、というあらすじだった。
雅詣は女の愛人、タナとスズは太宰の隠れた男の恋人。僕は不本意ながら、本当に不本意ながら太宰を演じた。
太宰が同性愛者と知った愛人が軽蔑して別れようとしたのを無理やり引き込んで心中して終わる、全く救いの無い物語だった。
「何よ、馬鹿にして!気持ち悪いのよ、触んないで!」
太宰は最後に愛人を川へ連れて行って、同性愛者だと打ち明ける。
彼女は今迄の態度を一変し激しく嫌悪し、問答無用で去って行こうとした。
しかし、あらかじめこっそりと睡眠薬を飲まされていた彼女は酩酊する。
最後の場面は今でもありありと思い出せる。
僕は嫌がる彼女(雅詣)を後ろから抱きしめて(2人とも正面を向いている)抵抗が弱くなったところで
「ねぇ、お願いだ!僕を受け入れて!僕は僕なんだよ!」
と、観客に向かって叫ぶ。
これだけは僕の心からの叫びと同じやった。
「お願いや!僕を受け入れてーや!僕は僕なんや!」
親に、友達に、世間に、性別を男と欺いている自分自身に、心からずっと訴えていた。
誰にも言えない、僕の望み!
そのまま、2人して飛び上がってからしゃがむ。川へ飛び込んだという合図だ。水音と共に暗転。
これもタイミングが合わなくて何度もやり直した。
大道具係だった残りの部員が横たわる僕と愛人のそばに立つ場面になってカーテンが閉まって終わる。
雅詣は自身の脚本を一本渡す約束で(後に演出家として介入)頼み込んで演劇部の前座として入れてもらったが、意外と好評だった。
まあ、座長の熱血指導の賜物だ。最初は恥ずかしくて声が出なかった。勿論棒読み。根気よく、一から教えてもらったズブの素人の僕達は本当に手間をかけさせてしもうた。
タナは普段もすぐ赤らんで恥ずかしがるのが幸いして本当に恋人同士のようやったし、スズの言う台詞は全てつっかえつっかえだったが、そんな様子にタナを失って傷心の太宰が、スズに庇護欲を掻き立てられて恋人になる、と言う演出も全く不自然にならんかった。
この時は、雅詣の人間観察と劇にかける執念はホンマに凄いと思うたよ。
しかし、僕は同性愛者ではあらへんし、普通に人を愛する感情もわからなかったから苦戦した。
台詞は完璧に言わなあかんし、周囲の人間に対する、裏に含む思いを出せとか大概無茶振りが多かった。
発表の日はわざわざ座長も観に来てくれて、絶賛して感涙していた。教え子を送り出した先生の境地だったそうだ。
あの時はやり切った感で生まれて初めての達成感に浸った。
しかし、僕とタナとスズはすっかりホモやと思われて、腐女子と言う女の子達からサインと写真を度々頼まれるようになった。
劇は漫画・イラスト部の腐女子達に2次創作され、僕達ははこれ誰?という美化された美少年にされて、やられたい放題やった。漫画を読ませてもろうたが、余りに過激な内容に寒気がして最後まで見れへんかった。
その漫画は彼女らの部室の鍵付きの本棚にしまわれて大切に受け継がれ、しかもコミケで売られたらしい。謝礼にとバレンタインデーにチョコを大量に貰った。
タナは以前は棚中を田中とよく間違えられる程存在が薄かったのに、注目されて散々男女問わず話しかけられて赤面してる暇がなくなったと言ってた。いや、意中の女子から可愛いと言われて舞い上がり、別の意味で赤面していた。
スズはどもっても誰もが温かく見守ってくれて、同じく女子達にいじらしい、母性をくすぐるとか言われて、否定する返事しかしていなかったのに、そのうち無口だったのが嘘のようによく喋るようになった。
雅詣は劇の宣伝で演劇の衣装でもある遊郭の女の赤い着物を着て、プラカードを上げて文化祭の一日目に校舎を練り歩いたので女装趣味のある変な男と認識された。
そして、雅詣への仕返しに運動会のクラブ対抗リレーで女装(有りがちやけどメイド)でアンカーを走らせた。
ついに同級生に雅詣と言えば女装姿が浮かぶくらい定着してしまった。
本人は何とも思っとらんようだったが。
僕は、男からホモだと打ち明けられて告白されたり、性の悩みを相談されたりしたけど、その結果僕は自分の性も少しは受け入れられるようになったと思う。
これは、今までの僕の共通の思い出。
まあ、前々回以前の事は殆ど覚えてないんやけど。
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