time 9
久音の家は梅田から北に10分ほど行った古いマンションの一室だった。
大学入学を機に一人暮らしを始めたのだった。
実家は兵庫県西宮市で、大学まで通えないことは全然なかった。
それでも、家賃を払ってもらえる事になり、彼は逃げるように家を出た。
別に親子仲は悪くない。
しかし、久音は女に全く興味がない自分の性癖を親には内緒にしている。
いくらLGBTQの認知が進んでも、普通の両親に同性愛を語ることなぞ、とてもじゃないができはしない。勇気がなかった。
別に友達で通せば良かったが、社会人になって一緒に住むとなれば怪しまれるかも知れない。
それなら最初から離れている方がいい。
まあ、振られてしまったので落ち込むのも1人でよかったと思う。
部屋には元恋人の物も既にない。
スマホのロック画面に2人の写真を入れていたが、振られた次の日に他のと一緒に削除した。
駐輪場に着いてエンジンを止めると脱力感が半端なかった。無事に着いた。腹に眼を向ける。
ショウはまだしがみついていた。
「着いたで、降りてや」「ん」
ようやく降りた途端によろめいた。
久音はあーあとボヤきながら彼を支え、入り口のエレベーターを目指す。
「ホンマに病院行かんでよかったんか?」
「ダイジョブ、アスになれば」
「もう、日付変わってんのやけど?」
「朝になれば」ショウは言い直した。
ようやく家に辿り着き、玄関を入ってすぐショウを床に下ろした。
「疲れた」と心から言った。
玄関からリビングへ抜ける廊下は、人1人がやっと通れる幅なので脇をすり抜けて上る。
「ありがとう。野垂れ死にせんで済んだわ」
項垂れて座り込んだまま礼を言われ、
「靴脱いで入りーや。取り敢えず落ち着こ!」
靴をだらしなく脱ぎ、這いながらやってきた。
玄関から狭い流しと洗面所とトイレが一緒のユニットバスの扉の間を通り、ベッドと小さな真四角のテーブルまでやってくると、その上に被さるように手を伸ばして止まった。
今日のショウは本当に別人のようだった。
初めて会った時の落ち着いた感じが無い。
「俺、レトルトのカレー食うつもりやけど、ショウもいる?」
「結構です」
ふざけてるのか?でも、あまり余裕がありそうに見えない。
「じゃあ、ベッドで寝てろ。邪魔!」
ちょっと邪険に言い過ぎたかもと反省して
「家狭いしや」付け足した。
「はい、すみません。そうさせてもらいます」
文字通り倒れ込んだ。
久音が温めたレトルトカレーをバックのご飯にかけつつ食べながら(皿を洗いたくないので)、ショウの様子を見ていたが、しばらくするとこちらに体を向けた。
「食うか?」と聞いたけど首を横に振られた。
穴の開くほど久音とその後ろ上を凝視している。
「どうしたんや?」
「あのさ」
ショウは部屋の角を指さした。
「なんかあっこに変なんおる」
「はあぁ?!」
久音は立ち上がってショウの袖を掴んだ。
食べたばかりのカレーが逆流しそうになった。
「何言いだすねん!俺怖がりなんやで!」
恐怖を誤魔化すために怒鳴った。
「でもね、黒くて細いくにゃくにゃとしたモンがー」
全然堪えないショウに、久音はガバッと彼の口を手で塞いだ。
「もう何も言うな」
「はい」と口を押さえられつつ言った。
ちゅっと音が押さえてた手からして、ぞくっとした。
見ると今度は彼の舌が手のひらをぺろりと舐めた。
くすぐったいのと、動揺で瞬時に手を離した。手のひらの真ん中に涎が光っていた。
「お前、ほんま、なに?」
声が震える。
おもむろにコートのポケットから何か出した。
はい、と渡された久音は中身を確かめて眼を見開いた。
派手な色の錠剤だった。
「知り合いに飲まされて、どっか連れて行こうとするから逃げてきた」
麻薬?これ?落ち着け!ショウがおかしいの、これのせいや!
「幻覚やと思うんやけど、これがなかなかきついわ。身体もフラフラやし。あのクニャクニャ本当にいないん?」
はあーっと久音は深い溜息をついた。どおりで救急車を嫌がる筈だ。
「何やってんだ」
「僕が悪いんか?」
「そういう奴と付き合う時点でな」
「向こうが勝手に来るんやから。逃げれてよかった」
「元恋人とか?」
「男だよ!」
「な・ん・で・や!」
「監禁したいて、会うと、いつも、言う」
しつこいねん、と顔をうつ伏せにしてため息を吐き出した。
「そいつ演劇やってて、チケット貰いに会っただけやのに」
片手をひらひら振っている。
「こっち来んなー、気持ち悪っ!」
「クニャクニャか?しょうがないやん。幻覚いつ冷めんねん」
「怖いから一緒に寝よ!な?」
「嫌だよ、ショウ何するか分からんやん」
「僕は言う事聞いてあげたのに」拗ねたように言う。
ち、と軽く舌打ちして
「そら非常事態やったから」
「今もそうそう!」しれっと言う。
とてつもなく面倒くさい。
「先寝とけ。シャワー浴びてくる」
立ち上がって食事のゴミを片付けると備え付けのロッカーから着替えを出した。
「一緒にはい
「居・ろ!」威圧を込めた。
ショウは眼を閉じた。
久音はシャワー中もショウが気になって上の空で体を洗った。
取り敢えず急いで終わらせて体を拭くのもいい加減にショウの様子を見に行った。
ショウはベッドの布団に入っていた。服が床の上に乱雑に脱ぎ捨てられていた。コート、セーター、靴下、長袖Tシャツ、ジーンズ。
あれ、今こいつ何着てんの?素肌の肩が布団からはみ出ている。
ショウ?
眼を閉じていたが、眉間に皺が寄って眠っていない。
かがみ込むとショウの頬に水滴が落ちた。自分の髪の毛をちゃんと拭いてないからだ。
ガシガシと乱暴にタオルでこする。
「まだ変なんおるんか?」
「目瞑ったら大丈夫。でも身体がグラグラして服が絡み付くみたいで。
パンツは我慢して履いてるから」と眼を閉じたまま言った。
「服片しといて、適当に。もう出られん」
やれやれと自分もトランクスだけだが、もうどうでもよかった。
急に眠気が襲ってきて歯磨きはしたものの、髪の毛をドライヤーで乾かす気力がなくなった。
「今度は俺が抱っこしたるさかい、もうちょっと向こうへ詰めてえな」
強引にショウを押しつつ布団に入った。
ショウは久音の肩に額を当てて抱きしめてきた。素肌同士でしっとりとした感触。
息が直にかかる。
また、ゾクっと背筋が寒くなった。
自分が抱きしめてみると、ショウの身体はすごく細くて肩も頼りなげだった。
俺はなんでコイツを抱いてるんやろう?
ショウはゆっくり顔を上げた。
くおん、と呼んでからおもむろに彼の両頬を掴み、
キスをした。
拒めなかった。
それどころか、自分から、もっと深いキスを返した。
おかしい。ショウは薬のせいでおかしい。でも、ともかく、俺は何もラリってない。まともな筈なんや。
どうして…俺は
「ショウ、ガ、ホシイ」
上から押さえつけている?
なんで?
何言っとるねん。
「これ以上は駄目やよ」ショウは久音の両手首をそれぞれ掴んだ。
「どうして?」
我慢できずにもう一度そっとキスして
「そっちが誘ったんちゃうの?」
「僕のこと気味が悪いと思うから」
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