七章三話

 イーケン隊と共にアルンが船に乗り込んで数時間が過ぎた。ついには昇っていた日が傾き始める刻限が迫った頃、特徴の一致する船を沿岸警備隊の水兵が確認した。その報告を受けた沿岸警備隊の少佐が指示を出す。

「船首を軸に左へ回頭! 対象を囲い込め!」

 アルンが東側を見るともう一隻も同じ動きに出ている。ザザザザと波を掻き分ける音が鳴り響き、船が回転した。その途中でアルンの目が対象の船の甲板に設置された大きな何かを捉える。距離はあったものの、訓練された天竜乗りにはその何かがよく判別できた。

(何らかの兵器……? いや、まさか、あれは)

 形状を視認したアルンは階段を駆け上がり、操舵手に駆け寄る。そのまま彼の肩を掴んだ。

「向こうの甲板に床弩らしきものが設置されています。今すぐに距離を取るべきです」

「床弩?! 攻城兵器じゃないか! そんなもん船に積むか?!」

「汰羽羅では船に床弩を積載します。二年前の南方遠征では多数の死傷者を出したと報告書にありました。一時的に距離を!」

 そう主張したアルンだったが後ろにいた尉官が声を張った。

「最高速度で接近せよ! 元帥閣下よりいかなる犠牲も惜しむなと御命令を頂いている!」

「は! 接近します!」

 操舵手はそう言って舵を切った。船の方向が変化するのを感じているアルンの服の襟首をイーケンが掴み、操舵台から引きずり下ろしてそのまま物陰に放り込む。積んであった木箱に背中が激突したが両者ともに顔色一つ変えない。むしろ周囲にいた近衛衆の者達が驚いていた。その後アルンの隣に屈んだイーケンはアルンに諭すように言う。

「遠距離攻撃の出来る武器を持っているからと距離など取っては、その後いつまで経っても近寄れなくなる。今必要なのは接近してあの床弩を無効化することだ。船と船の戦闘は沿岸警備隊に任せ、万一に備えて身を隠しておけ」

 意外と知らないこともあるのかとイーケンは内心驚いていたが、天竜乗りの性質上必要がないのだろうと勝手に結論づけた。アルンは屈んだままイーケンに問い返す。

「しかし、この人達は沿岸警備隊なのでは?」

「やり方はいくらでもある。国の盾は俺のような戦艦乗りだけじゃない。上を見ろ」

 頭上を見上げたアルンは、そこでようやく船の帆が張り詰めていることに気がついた。屈んでいるから分からないだけで、忙しなく立ち働いている水兵達の髪は風で乱されている。波を掻き分ける音が鼓膜を揺さぶる中で、イーケンも同じように空を見上げながら淡々と続けた。

「この船は何よりも機動力を重視した構造になっている。そしてその速さを生かして接近し、敵船に接近するのが沿岸警備隊の作法だ。相手が警戒して防備を固める暇など与えん」

 と言い切った瞬間に、船が急に方向転換する。膝立ちになったイーケンは近くの壁にかけられていた単眼鏡を掴み、物陰から顔だけを出して敵船の甲板を見た。両舷に大きな弓のようなものが確認できる。ついでに船の上を観察するが、河野らしき男の姿は見えない。それから単眼鏡をアルンに押し付けて近衛衆に向かって声をかけた。

「敵船甲板には確かに床弩が積載されている。乗船後は直ちに床弩を無力化する」

「破壊すべきか?」

 慶封と名乗る男の問いかけにイーケンは頷く。

「それが最善だと思うが、どうだ?」

「こちらも異存は無い」

 その横で単眼鏡を受け取ったアルンも河野を探していたが、甲板には姿が見つからなかった。小さく舌打ちして単眼鏡を壁にかけ直す。

 アルンとしては河野との戦闘はどうにかして避けたいと思っている。そのためにも居場所を事前に掴みたかったがそうもいかないらしい。しかし天竜乗りの本分は情報収集であり、自分の命以外の何を犠牲にしても王のために情報を持ち帰るのが天竜乗りだ。アルンが死んでも河野が殺されても任務は完遂されたことにはならない。

 アルンが単眼鏡を壁にかけ直したあたりで敵船が動き出した。南下しようとしているが進行方向をもう一隻が塞ぐ。船体が大きいせいか動きが鈍く、もたつく間に二隻の船が強引に接舷した。接舷の衝撃が乗員の身体に伝わったがイーケンはその場に立ち上がって腰の刀を抜く。同時に近衛衆の男達も立ち上がり、右舷側にズラリと並んだ。敵船の甲板の方がわずかに位置が高いが問題無く飛び移れるだろう。イーケンは鞘から抜いた刀身を大上段に構え、一気に振り下ろした。

「総員突撃!」

 彼の号令が響いた数秒後、敵船の甲板に最も早く到達したのは銀髪の人影だった。跳躍の勢いを生かして床弩の射手二名の目の前に降り立ち、両手に握った短剣を同時に二名の首筋に突き立てる。引き抜くと二人分の血飛沫が噴き上がった。アルンは首の関節を鳴らしながら甲板で呆然としている男達に目線をやり、背後のイーケンに声を投げつける。

「上甲板には目視出来るだけで六十人前後の人間がいます。床弩は両舷に一台ずつです。大尉、ご武運を!」

 アルンはそれだけ言い残して上甲板を駆け抜け、下に降りるための階段に飛び込んだ。その背中を追うようにして上甲板に飛び移ったイーケンの目の前を、朱真と錦晴、その指揮下にある近衛衆が走って行く。

「床弩を破壊しろ!」

「反対側にもある! 何人かついて来い!」

 イーケンの周囲で牙月語の怒号が飛び交っていた。上甲板をぐるりと見回すと、牙月風の服を着た男しかいない。服装は牙月のものだが顔立ちは汰羽羅の人間である。彼らの多くはしばし呆然としていたが、ようやく状況を理解したのか各々得物を構え始める。イーケンは右側から襲いかかって来た青年を一太刀で斬り伏せ、上甲板中央部に鎮座する建物のような場所へ足を向けた。そこだけひときわ高くなっていて嫌でも目線を誘われる。とは言えその最中にも襲われるので、大したことのない距離でも時間がかかる。

 自分の心配をしつつ近衛衆の様子を一瞬だけ伺うが、さすがに牙月帝国皇帝とその一族の守護者。単独の状態で複数人に襲われても上手くいなしている。それを見てやはり自分の心配だけしておこうと考え直したとき、真正面に壮年の男が現れた。汰羽羅の言葉で何かを叫んで斬りかかってくるのを、イーケンは間一髪でかわす。左足を軸に回転し、背後に回って豪快に斬りつけた。崩れ落ちた身体を捕まえて盾のように自分の身体の前を歩かせる。

 軍服が血で汚れるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。瀕死の同胞にとどめを刺すことは躊躇われるのか、イーケンの周囲を囲んでいた六人の男達は刀を片手に足を止めた。さすがにこれは分が悪いと思ったその時に、青と黒の装束が二人分飛び込んで来る。直刃が薄闇と人の身体を切り裂いた。

「ここは近衛衆が預かった!」

 先に飛び込んで来た男の言葉とともに血液と内臓が甲板を汚す。

「瀕死のその男もここに置いて行け! 他とまとめて膾切りにしてやる!」

 もう片方の男はイーケンの手から死にかけの男を奪い取った。力無く崩れた足には血が伝っている。目には戦意も光も無い。最早、息をしているだけの肉塊だった。

「一応、盾代わりにしていたんだが」

「迫り来る敵など斬り伏せれば済む話。盾はあるだけ動きを鈍らせる。いらんものは置いて行け」

 からからと笑い飛ばす彼の服には血痕が飛散していた。彼の背後には倒れた人間の身体が積み上がっている。イーケンは黙って頷き、刃の血脂を甲板に落ちていた布で軽く拭った。

 その直後、無謀にも目の前に突っ込んできた青年の一撃を避ける。体重が前方に寄っていたせいで彼の身体は大きく揺らいだところを狙い、鳩尾に膝を叩き込んだ。白目を剥いて倒れた彼を放置してイーケンはそのまま歩き続ける。恐らく牙月の男達が勝手に殺すだろうから、イーケンは動けないようにしておくだけでいい。下手に刃を消耗させることだけは避けたかった。

 それと言うのも、特に根拠は無いが近くに河野がいるような気がしているからである。もしも出会ったならば今度こそ決着をつけねばならない。ぎ、と奥歯が擦れて嫌な音が鳴る。河野がただ薬をばら撒いただけなら、まだ穏やかな心持ちでいられただろう。

 だが彼は、今やイーケンにとって唯一の拠り所たる神王国海軍に手を出したのだ。国を根底から揺らがすようなものを撒き散らし、彼の憧れを潰した。ただで済ませるにはあまりに罪状が多すぎる。力強く一歩を踏み出すイーケンの頭上の空は、橙色に染まっていた。

 迫り来る敵を排除して辿り着いた上甲板中央部は気味が悪いほど静かだった。足元からは刃物が擦れ合う音や断末魔が聞こえるので妙な気分である。

 意を決したイーケンが目の前の扉を開くと、その途端に白刃が目の前に迫って来た。間一髪でかわしたが、軍服の胸元が僅かに裂ける。そのまま後ずさって構えたところにゆらりと河野が現れた。

「いつかの軍人か。また会うとは思わなんだ」

 乾いた声は波音に掻き消されそうだった。河野の黒い着物が空の色に馴染み、空と河野の境目がぼやけている。

「結構な挨拶をしてもらったところ悪いが、とりあえずその刀を構えてもらおう。こちらとやり合わずに情報を全てくれるというのなら、話は別だがな」

 望みは無いだろうとイーケンは分かっていた。分かっていて、あえて問いかけた。考えられる可能性を捨てる必要はない。だが河野は予想通りの答えを寄越す。

「断る」

 二人の間に潮風が吹き抜けた。河野は右手に持った打刀を構え直す。滲んだ墨絵のような河野の中心に白い刀身が光を与えた。イーケンも同じように構え、互いを見据えたまま距離を変えない。初めに仕掛けたのはイーケンだった。

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