七章二話

 翌日、イーケンは錦晴の部下である近衛衆達と初めて顔を合わせた。青と黒のみで統一された衣服に身を包む彼らはいずれも若い。最も若い者は十五や十四ではなかろうかと見間違う顔つきだった。今まではあまり顔を見なかったがこの屋敷の警備をしている者達とはまた別のようで、その佇まいからして別格である。

 イーケンが率いる予定の数人と動きの確認、基本情報の共有、使用する武器の話を済ませた後になって、相手が互いに実力を知っておきたいから軽く手合わせをしたいと申し出た。イーケンとしても悪い話ではないので快く応じる。

 正午過ぎになってアルンが屋敷に戻って来た。いつもどおり青灰色の外套を羽織っている姿を見かけたイーケンは声をかけようとしたが、彼女は脇目も振らずに白苑と史門を探してどこかに行ってしまった。邪魔をするわけにもいかないので、何をしていたのかは後で聞くことにした。

 それから少し経ってから午前中に手合わせをした慶封とその部下と大部屋で食事をしているイーケンのところへ、アルンが真っ直ぐ向かって来る。イーケンを見つけると彼の隣にかがみ込んだ。

「以前耳飾りと一緒に見せた紙を覚えていますか?」

「ああ、あの汰羽羅産の?」

 とりあえず水くらい飲んだらどうだと付け足して器を渡すと、アルンは一息に中身を飲み干す。空になった陶器の器を片手にアルンは言った。

「やはり売却されて高値で取引されていたのですが、経路を辿ったところ、出どころは軍務卿の部下、海軍監察官でした」

 イーケンは水の入った器を片手に硬直する。軍務卿はこの国の軍務の全てを管轄する官僚を指す言葉だ。軍務卿の下には海軍監察課と陸軍監察課があり、それぞれに海軍監察官と陸軍監察官がいる。そして海軍監察官は文字通り海軍を監察する立場の官僚である。

「それはつまり……」

「河野の魔の手は国の中枢にまで及んでいたということです」

 カッと頭に血が上った。だが必死で奥歯を噛み締めて押さえ、アルンに話の続きを促す。今は怒っている場合ではない。知るべきなのは今の状況だった。

「港を封鎖する話は軍務卿にも通してあります。情報がその監察官に渡っていたうえに、河野にも伝わっているようです。なので計画変更です。今から動きます」

 アルンが言い終えたところで部屋に錦晴と朱真が飛び込んで来た。朱真が声を張り上げる。

「予定変更だ! とりあえず全員軽装で裏門に集合しろ!」 

 それに弾かれるように皆食事を切り上げた。

 近衛衆の男達は揃いの装束の上から籠手を被せた。紐で締め加減を調節してすぐに武器庫に駆け込む。腰に佩いていた曲刀を取り外し、代わりに真っ直ぐで刃長の短いものに取り替えた。靴はそれまでの浅いものからふくらはぎの半ばまでを覆う長靴に履き替える。彼らは簡単な身支度を終えると裏門に向かった。

 イーケンが彼らを追って裏門に行くと、幌を被せた荷馬車が五台用意されていた。近衛衆と同じような格好の朱真と錦晴が彼に向かって手招きし、二人と同じ荷馬車に乗り込む。二人の手の中には海図と地図が収まっていた。

「なあ、これ読めるだろ? 俺達には読み方が分からねえから頼みたい」

 朱真に渡された海図は王都セレースティナの目の前に広がる海を範囲としている。イーケンには朱真と錦晴がどういう動きをするのか想像がつかなかったが、いつの間にか乗り込んでいたアルンが突然話し出した。

「港の封鎖は出来なくなりましたが、他の天竜乗りが船を突き止めました。黒い船体に赤い帆に、白で三日月の紋様が描かれているようです。さらに監察官から情報を得た河野が動く時間も早くなっていると考えるべきです。よって今からこちらも海に出ます」

「船はどうする? そう簡単には手配出来ないだろう」

「私の上官が海軍の沿岸警備隊に協力を要請しました。話は既についています」

 アルンの言葉にイーケンはその手があったかとハッとする。そこに錦晴が口を挟んだ。

「その沿岸警備隊ってのは何なんだ? また誰かが裏切っていたら今度こそ手がつけられないぞ」

「沿岸警備隊は海軍の管轄だが、なぜか昔から元帥直属だ。そしてその元帥閣下は確実にこちらに味方してくださる。それだけは間違いない」

 イーケンの即答に錦晴は苦笑いする。

「……その言葉、信じるぞ。こんな場所で死ぬわけにはいかないんだ」

「ああ、ぜひとも信じてくれ」

 苦笑いに対して、イーケンは真顔で頷いたのであった。

 荷馬車は全て軍港を素通りし、沿岸警備隊の船が停泊している小規模な区画を目指す。石畳を蹄が蹴飛ばす硬い音だけがイーケンの鼓膜を打っていた。馬がいなないて足を止めたところで皆荷台から飛び降りる。すると隣にいたアルンが小さな声で、あ、と言った。彼女の目線を辿ると女王との謁見の際に顔を合わせた男がいる。初めて日の下で顔を見たが、実に夏の青空が似合わない陰鬱さがあった。目一杯雨を溜め込んだ雨雲か、大時化の海の方が似合うだろう。

 ヴァローはアルンのところまで歩いて来ると低い声を発した。

「無事に着いたようで何よりだ」

「荷馬車の手配、ありがとうございました」

「まさか町中で行軍の真似事をさせるわけにもいくまい。それはともかく、奥の二隻を使わせてもらえるらしい。水夫は既に揃っている。後は乗り込むだけだ」

 イーケンはその奥の二隻とやらに目を向ける。停泊していたのは小回りの利く巡視用の船であった。大砲を始めとした火器の類は全く装備されておらず、何よりも機動力の高さにこだわった仕様だ。船体が軽く、さらに水や風の抵抗を減らす構造になっていることで速度を得ている。それを見ていたイーケンに朱真が声をかけた。

「それで、どうやるんだ? 俺達は海の戦いには疎いから説明が無いと想像すらつかん」

 その隣で錦晴も首を縦に振る。イーケンはその必要があったことをすっかり忘れていた。

「対象の船が入港し出港したのを確認したら二隻の船で囲い込み、船同士を接舷させて乗り移って殲滅するのが良いでしょう。船の動きの細かい指示は共に乗船する軍人に任せてください。操船の技術や実戦経験に関しては問題ありません」

 ヴァローと話を終えたアルンが小走りでイーケン、朱真、錦晴のところへ戻って来る。彼女は隊を率いる彼ら自分の周りにを集めると、そのまま淡々と話し出した。

「我々が殲滅、河野の捕縛を対象とするのは白い三日月の描かれた赤い帆を持つ、牙月の大型商船です。それを前提として受け持ち場所の話を済ませましょう。大尉には上甲板、朱真殿、錦晴殿にはその下の第二層を担当していただきます」

「お前は?」

 錦晴の問いかけにアルンは腕を組んで答える。

「第三層は私が受け持ちます。恐らく積み荷はそこの倉庫にあるはずですから、ついでにそちらも確認します」

「河野にはどう対処する?」

 朱真が自分の籠手をいじりつつ聞く。

「情報を引き出すために必ず生け捕りにしてください。半殺しも無しです。汰羽羅の武士は隙あらば自害しようとしますが、それを許してはなりません。口に布を噛ませ、両手足を拘束し、武器になるものは全て奪う必要があります」

 アルンの表情と声はいつになく固い。彼女の厳命に男達は首を縦に振るが錦晴は不服らしく、渋い顔のままアルンに突っかかるように言った。

「俺の部下は河野に首を晒され、死体は海に放り込まれた。牙月の男にとっては屈辱的な死だ。そんな仕打ちをした輩を他の連中が生かしておくとは思えない」

 錦晴の目にはぎらぎらとした光がちらついている。彼自身も耐えがたい憎悪を秘めているのを隠し通せていなかった。アルンは呆れたように付け足す。

「手足を折る程度なら構いませんがそれ以上は禁じます」

「分かった。そう伝えておく」

「それでは分乗しましょう」

 話をまとめたアルンは、まだ何かあるのか自分の上官のもとへ走って行った。

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