六章四話

 その日、王宮の中は忙しなかった。仰々しくはないものの友好国である牙月帝国の皇弟・白苑の来訪があったからだ。女王と皇弟は白く長い机を挟んで相対し、愛想良く話し合った。白苑は藍色の衣服に身を包み、銀糸の刺繍が施された白い帯を締めている。本人の華やかな顔立ちも相まって、気品を失わない絢爛な美しさが目を引いた。

 アルンはその場に陸軍近衛兵とともに控え、その成り行きを見守る。本来ならユーギャスの尋問があったが、回ってきた仕事はこなさねばならない。時折関わった者としての意見を求められるかと身構えていたが話の内容は海軍の協力を得たいということであり、女王の護衛のためにいる天竜乗りに話がふられることは無かった。

 アルンが部屋を退出したのは昼食時のことであった。他の天竜乗りと交代して部屋を出ると前方から歩いて来る四人の男を黄昏色の目が捉える。その先頭にいるのは王配の暁遼だった。周囲にいるのは彼の側近だ。恐らく暁遼は白苑に挨拶するために来たのだろう。アルンが道を譲ると、暁遼の目がアルンに向けられた。

「いつぞやの天竜乗りか。また会ったな」

「殿下におかれましては……」

 王族に対しての挨拶の型は決まっている。それをそのまま読み上げるように話し出したアルンに暁遼は首を横に振った。

「堅苦しい挨拶はいらぬ。聞きたいことがあって声をかけた」

「は、失礼致しました」

「兄上はどちらにいらっしゃる? ご挨拶申し上げようと思ったのだが」

「白苑殿下は陛下とお話をされている最中です。後ほどお伺いした方がお時間があるかと思われますが」

「そうか。ならば出直すとしよう」

 そう言って背を向けた暁遼はふと思い出したようにアルンを見る。濃い緋色の目が、アルンをがっちりと捉えていた。

「天竜乗り」

「は、何か?」

「相変わらず縁起の良い髪をしているな。大事にするが良い。いつの日かそなたに幸運を運んでくれようぞ」

 その一言にアルンは黙って頭を下げた。暁遼が立ち去ってから髪に片手で触れ、軽く唇の端を噛んだ。

 天竜乗りの住処に帰ったアルンが水場で手を洗っていると、尋問室からヴァローとその部下数名が出て来た。彼らは真っ先に水場に向かって来る。近寄って来た一団に軽く一礼するとヴァローは鷹揚に頷いた。

「陛下の警護は問題ないな?」

「一切問題なく進んでおります」

「なら構わん」

「……テーカンの尋問の方は、大変順調なご様子で。さすがの腕前ですね」

 アルンはヴァローの部下達の手を見てその言葉を投げかけた。彼らの手はいずれも血で染まっている。テーカンに情報を吐かせるための尋問が難航し、その結果並大抵でない暴力が伴われている証拠だ。逆に言えば暴力を伴わねば、欲しい情報の一つも引き出せないということである。

 すると、言葉の真意に気がついたらしい部下の一人がアルンに向かって拳を振り下ろした。それをかわしたアルンは拳の持ち主の首根っこを掴み、水の入った桶に顔を叩き込んでやる。残りの部下がアルンを殴打して手を離させようとするが、アルンの手は離れない。

「止めよ」

 ヴァローの平坦な一言で部下達は動きを止める。彼はアルンの前に進み出ると冷徹な目で若い天竜乗りを見た。

「お前にも言った」

 するとアルンは迷いなく首から手を離し、一歩下がる。幼い頃からヴァローに教え込まれた圧倒的な力関係の前に反抗の意思は無い。

「嫌味をぶつけて仕掛けたのはお前だ。次に同じことをしたら良くて懲罰房だぞ。肝に銘じろ」

 アルンは去り際に部下達に肩をどつかれ、足を踏まれる。異端の血が、という悪口を聞き流し、彼らの蔑むような目線を睨んで弾き返した。黄昏の目に怖気づいたのか目線はあっさりとそらされる。その意気地の無い様を鼻で笑う。

 アルンの存在が天竜乗り達に知られたのは父の愚行が原因だったと聞かされた。街中での行動を不審に思われて尾行され、その行き先にアルンとアルンの母親がいたのだという。最終的に父は処刑され、母も殺された。不審に思われるような行動をとり、尾行に気がつけず、そして何より禁忌を破った名も顔も知らぬ父が憎い。だがそれ以上に憎いのはヴァローだ。子に罪は無いと主張し、アルンを天竜乗りに仕立てれば良いと進言したあの男が許せない。彼によって生かされさえしなければこんな思いはせずに済んだ、と恨んだ夜は既に千を超えただろう。

「お前は誰より優れた天竜乗りにならねばならない」

 馬鹿の一つ覚えのように、呪詛のように、呪縛のように彼はそう繰り返した。

「道を間違えるな。お前はただ従順で優れた天竜乗りになれば良いのだ。掟に従い、禁忌を破ることのない、良き天竜乗りとなれ」

 毎日毎日ヴァローはアルンの顔を見るたびにそう言った。訓練で重傷を負って瀕死のときも、怪我の痛みに耐えているときも、毒の調合をしているときも、食事の最中でも、寝起きでも、寝る直前でも、顔を見ればまず一番に。

 死こそが救いだと思っているアルンからすれば、ヴァローは恐ろしく邪魔な枷だった。天竜乗りになれば掟により自死は許されない。だが選択肢は与えられることなく天竜乗りになることを強要された。そして気がつけば笛を下賜されて、とうとう正式に天竜乗りになってしまったのである。

 立ち去るヴァローとその部下の背中を見ながら、アルンは自身の声帯を震わせた。

「幸運、ねえ……」

 運べるもんなら今すぐ運んでみやがれ、と思ったことは誰も知らない。

 白苑とソウリィの間で話がまとまったのはその日の午後であった。海軍と陸軍をまとめて統括する軍務卿が謁見の間に呼び出されたことで、王宮のことは全て知っている天竜乗り達に情報が回った。

「牙月の汰羽羅攻めに戦力を投入することが正式決定したらしい。それも二年前の倍の規模だそうだ」

「そうなると本部の艦隊は総動員だろうな。各司令部から本部に戦力が回されるのか?」

「本部を丸裸にするわけにもいかないでしょうし、そうなんじゃないでしょうか」

 ユーギャスの尋問から得た情報をまとめていたアルンは、窓越しに聞こえる会話で時間の経過を理解した。共有されていたテーカンの尋問から得られた情報を全て自分の持っている紙に書き写し、筆記用具を片付けて必要最低限のものをまとめ、馬屋へ走る。空いている馬に鞍を乗せて午後の日差しの中へと飛び出した。


 王都・セレースティナの最西端に白苑の屋敷はある。アルンからユーギャスの尋問で情報を得たという一報を受けたイーケンは、アルンに続いて屋敷に辿り着いた。案内役に通された部屋には白苑と史門、汎要、珊瑛、朱真とアルンが顔を揃えている。

「……失礼ですが、何をしておられるでしょうか?」

 イーケンは部屋の様子を見て一番にそう問うた。風通しの良い部屋の中では、アルンが医者と思しき者に手当されていたからだ。薬湯の癖の強い臭いが鼻をつく。慣れない臭いにイーケンは思わず顔をしかめたが牙月の者達にとっては慣れたもののようで、史門は乾酪を口の中に放り込んでいた。

「この若い天竜乗りが怪我をしていたので、手当させている」

 汎要は短く応じてから薄い茶碗に注がれた茶を飲む。

「大した怪我ではないのですが……」

 顔に薬湯の染み込んだ布を当てられているアルンは、不満そうにそう言った。それを遮るように史門が口を開く。

「我が国では明るい銀髪を持つ者は幸運をもたらすとして丁重に扱う習わしがあるのだ。それに白い肌に青い痣や赤い傷痕やらは不健康に見えてたまらんと、殿下が仰せになられた。ゆえに手当させている」

「はあ……」

 思わず気の抜けた返事をしたイーケンは顔と同様に布を当てられたアルンの足に目を向け、その布を持ち上げる。足の方は擦り傷になっているらしく、布の下から赤くなった肌が顔を出した。不満げな顔で手当されているアルンは普段よりも雰囲気が幼い。その様子を見ながらイーケンは適当な場所に腰を下ろす。それから帯びていた刀を剣帯から取り外し、珊瑛が差し出された茶器を受け取ってアルンに問いかけた。

「それで、肝心の情報は一体何なんだ?」

「河野が薬を商船用の港のどこに運び込むのかという情報と、船と受け渡し時間の詳細です。それから海軍内部の他の協力者の名前も全て吐かせました。これで一網打尽にできます」

 とは言え、とアルンは付け足す。

「ユーギャス・ルオレが全てを正直に吐いているかどうかが問題です。気持ち悪いくらいあっさりと情報を渡したので、実は一部は虚偽のものではないかと疑っています」

「だが現状、閣下……」

 イーケンは途中で口をつぐんだ。気まずそうな顔を見せてから眉間を押さえる。

「ユーギャス・ルオレが告げた情報しか頼れるものは無いのだろう?」

「あの屋敷からは書状の一通も出なかったわけだし、それしかねえよな、天竜乗り」

 途中から割り込んで来た朱真はそう言い、皿に乗った軽食に手を伸ばした。アルンは薄い陶磁器の茶器を傾けて平坦な表情のまま話す。

「明後日の夕方に入港する、赤い帆の牙月の大型商船に積み込む手はずとなっているそうです。ユーギャス・ルオレは港湾警備の兵に伝達し、その船は積荷検査をさせないように動かすつもりだったと」

「海軍大将の権力があれば出来るだろうな」

 イーケンは苦い表情で頷いて見せる。

「船は商船用の港の最東端に停泊させるそうです」

「でもよ、河野が一足先に動いたら逃げられちまうんじゃねえのか?」

 朱真のもっともな質問にアルンは首を横に振った。

「既に天竜乗りが明後日の夜中から明々後日の朝にかけて一隻たりとも出入り出来ないよう、港を封鎖する手はずを整えています」

「袋のネズミになったとこをぶっ叩くってわけか。いいな、分かりやすい」

「ですが港湾警備隊は内通者がいる危険性を考慮すると動かせません。第三艦隊の関係者も危ない。そこで私は、白苑殿下のお力添えをいただけないかと考えているのですが……」

「私の手勢を使うのか?」

 黒い茶器を傾けていた白苑は目線をアルンにやる。アルンは淡々と考えを述べた。

「先ほど申し上げましたように、今フラッゼの者は誰が信頼出来るのか分かりません。ユーギャス・ルオレの内通者に関する情報が全て正しいとも限らない状況でもあります。かくなる上は、と考えた次第でございます」

「構わんが大した数は連れておらんぞ? せいぜい五十名だ」

「商船用の港は入り組んでおります。賊が入り込んだ折に捕らえやすくするための工夫です。むしろ多すぎないくらいがちょうど良いかと」

「良かろう。私が鍛えた精鋭五十名、好きに使え」

「ご高配に感謝致します」

 敷物に腰を下ろしたままアルンは深く頭を下げる。それを見ながら白苑はさらに問いを重ねた。

「戦略の立案は史門、汎要、珊瑛に任せる。牙月の武人として恥ずかしくない働きを見せよ」

 その場で解散と指示を受けた史門、汎要、珊瑛は足早に部屋を後にする。何事かを牙月語で話す彼らの背中にイーケンが追いついて話しかけた。

「その立案に加えていただけませんか?」

 振り向いた三人は互いに顔を見合わせる。彼らの後ろにはフラッゼの二人組が立っていた。

「商船用の港についてはあらゆる裏道、水路を知り尽くしています。地の利を味方につけるのは勝利のための第一歩。それにこの件は自分の元上官の裏切りが原因です。ぜひとも関わらせていただけないでしょうか」

「私も加えてください。天竜乗り側の動きを把握することも必要なはずです」

「天竜乗りは構わないが、軍人の方の貴様が内通しているような三文芝居にはならないと誓えるかな?」

 汎要の鋭い一言に史門と珊瑛が目をむいた。

「汎要……!」

「史門様、この男が潔白であるという確証がどこにあるのです? そんなものただの一つもありませぬ。これでこの男が裏切っていて作戦が失敗すれば何があるか分かったものではありません!」

「汎要、口がすぎるぞ!」

「潔白を証明出来ない相手です。史門様の御身に何かあればこの汎要、永らえることもできません。理解していただきたい」

 向き合って険悪な気配を漂わせ始めた史門と汎要に、珊瑛が恐る恐る声をかける。

「ですが汎要様、この方は濡衣を着せられたのだと……」

「そこから芝居だったらどうするのだ、珊瑛。敵を欺くにはまず味方からと言うではないか。河野ならばその程度考えてもおかしくない。それにこの男、内通者だった元上官へ未練があるようではないか。何か吹き込まれていないとも限らん!」

「それは、そうですが……。そのように仰せにならずともよろしいのでは?」

 珊瑛は汎要の剣幕にも怯まずに挑む。イーケンはその様子を黙って見ていた。

「そう思うのなら黙っていろ。私は貴様ではなく、あの男に問いただしているのだ」

「汎要殿のお疑いもごもっともです」

 割り込んだイーケンに汎要は大きく一歩近寄った。

「ほう? やたらと素直ではないか?」

「しかし先ほど未練と仰せになったことについては多少弁解させていただきたい。ユーギャス・ルオレには数々の恩があったのです。彼の采配によって海兵隊に異動になったからこそ己の真価を発揮出来たと信じております。しかしながら自分は大尉で彼は大将。直に話す機会などほとんど無いまま今日を迎えました。彼に何か吹き込まれたというようなことはありえません」

「これに誓えるかな?」

 トントン、とイーケンの帯びた刀の柄を汎要が指先で叩く。イーケンの眉がピクリと痙攣し、その仕草に珊瑛の背筋が冷えた。フラッゼでは相手の刀剣の柄を突くことはこの上ない無礼とされている。状況によっては決闘の申し込みにもなる仕草を、博識な汎要が知らないはずがない。誰一人動けないまま数秒が過ぎてから、史門が汎要の肩を掴んだ。

「もう良いだろう。しつこい」

「ですが……!」

「私が良いと言った。止めろ」

 厳しい物言いに汎要は無言で頭を下げる。珊瑛はその様子を見てため息をついた。

 汎要は家中の嫌われ役だが好き好んでそうしているわけではなく、同時に誰もがそのことを知っていた。史門は己の武術の腕前に揺るがぬ自信があり、そのおかげであらゆる物事に対してためらいを見せない。そして汎要が彼の身を案じた結果、嫌われ役を買って出るようなことになってしまった。

 史上最年少で銀虎将軍になった史門には戦場での逸話がいくつもある。いずれも素手で男三人の首をねじ切った、槍一本で敵兵五人を串刺しにした、柱に拳を打ち込んでヒビを入れたという代物ばかりだ。最早人の域を出ているような話もあるが、史門が尋常でない腕前を持つことは真実だ。

 彼は数多の首級と戦果を挙げ、十九で当主の座を譲り受けると同時に皇帝の指名を受けて銀虎将軍に就任した。しかし並外れた武人としての腕前は、良くも悪くも彼の周囲を振り回しているのだった。

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