二章 始動

二章一話

 アルンとイーケンが足を踏み入れた屋敷は風通しの良さを重視した開放的な造りで、フラッゼではあまり見られない構造だった。そしてその広さは規格外である。イーケンは、士官学校の訓練場が一体いくつ入るのだろうかと考えてしまった。

 汎要の後ろを歩く二人のさらに後ろから、四人ほど男達が歩いて来ている。ここの警備の者なのだろうが、多少物々しい。腰には大ぶりの曲刀、手には槍を持っている。この分ならば袖に暗器を仕込んでいてもおかしくない。

(一体何者なんだ、この屋敷の主は)

 イーケンがそう思っていると、中庭らしきところに出た。中庭の真ん中に数人男達がいる。彼らの中心には馬がいて、どうやら品定めをしているようだ。

「これは良い馬ですな。我が領地にも同じ系統の馬がいますから、ぜひ交配させてみたいものです」

 朗々と響いた声には深みがある。赤銅色の肌の勇ましい、大変な偉丈夫であった。声音からそこそこ歳がいっているのかと思ったが、相好を崩した顔は若い。

史門しもん、そなたはこれ以上馬を増やしてどうするのだ?」

 笑いを含んだ声は若く、尊大な響きを孕んでいた。顔は見えないものの恐らくあれがこの屋敷の主だとイーケンは目星をつける。彼はごく普通の黒い牙月の装束を身につけているが、周囲の男達は身につけていない耳飾りを身につけている。一人だけ異なる服装をする者は立場が違うことが多い。

「もちろん戦に連れて参ります。これだけ馬格の良い馬ならば大きな子が生まれましょう」

「殿下、史門様は並の馬だと乗り潰されておしまいになるのですよ」

 少し高い声が鼓膜を打つ。

「なるほど。それでは銀虎将軍ぎんこしょうぐんも苦労が耐えぬであろうな」

「殿下、今年の春に生まれた子馬の中に殊のほか良いものがおります。見事な黒馬でして、ぜひともいずれ見ていただきとうございます。もしもお気に召したようでしたら献上致しますぞ」

「それは楽しみだ。史門の領地で育った馬はいずれも良馬と聞いておる」

 汎要は話が切れるのを待ち、男達の方へと近寄って行く。

「殿下」

 声をかけると、殿下と呼ばれた男はアルンを見た。

「来たか、天竜乗り。待っておったぞ」

 男は小麦色の肌に快活そうな表情を乗せ、そう言う。牙月人らしい切れ長の目は見事な若草色である。アルンは相手に向かって膝をついて礼をした。フラッゼにおいては最上級の貴人に対する礼法だ。

「お待たせ致しました、白苑はくえん殿下」

 その名に、イーケンは思わず動きを止めた。

(まさか、現牙月帝国皇帝の実弟か?)

 白苑は、現在の牙月皇帝の弟にして先帝の第二皇子である。フラッゼ神王国女王ソウリィの王配である暁遼ぎょうりょうは先帝の第三皇子だったため、彼にとっては白苑は実兄に当たる。騎馬民族国家の牙月随一の騎乗射手として名高い、美貌の戦士だ。汰羽羅征服の際も凄まじい戦功を上げたと聞く。

「協力者も連れて来たようだな」

「はい。我が国の海軍士官でございます」

「それでは中に入ろうか。ここでは落ち着かぬ」

 白苑はそう言うと、近くの部屋に足を向けた。その部屋の中にもまた一人男が控えている。赤い柄の槍を抱えたまま絨毯の上で足を投げ出して眠っていた。

朱真しゅしん殿、起きてください」

 少し高めの声の青年が言っても男の目蓋は動かない。呆れ果てたようなため息をついた彼の後ろから、史門が歩み寄る。

「朱真、お前という奴はまた寝ておったのか」

 史門の呆れ気味な言葉に薄っすら目が開く。

「おや、史門様。馬と戯れておられたにしては戻って来るのがお早いではないですかァ」

 不遜な態度に史門は顔をしかめる。先ほどまでの若々しさは消え失せ、厳格な武人の顔が現れる。しかし、朱真はどこ吹く風といった様子で立ち上がった。その態度を受けて声の高い青年が苦言を呈する。

「暇さえあれば寝るくせを何とかしたほうがいいんじゃないですか?」

珊瑛さんえい、俺に口出し出来る立場かな?」

 珊瑛、と呼ばれた方は口をつぐむ。男は史門を見て首を傾げた。

「史門様、俺の仕事ぶりに文句があるってんなら配置を変えてくださいよ。屋内で貴人の警護なんて、そもそもガラじゃあねえんだ。所詮俺ァ戦以外じゃ使い物にはならんのですわ」

 長椅子に靴を履いたままの足を乗せ、カカカと笑う。その容貌は凶暴で、目の中にはギラつく光があった。

「俺は使い方次第では良い武器になる。良い武器になっていないなら、それは使う側が悪いんだ」

 イーケンはそのやり取りを見ている間、驚いて口が開きっぱなしになりそうだった。もし自分が同じことを上官相手にやったら、間違いなくとんでもないことになる。

「そんじゃあ俺は失礼しますよ。小難しい話の気配がするんでね」

 胴を締める青い帯の残像を残し、朱真はその場を後にしようとする。それを史門が捕まえた。

「ここにいろ。貴様も必要な話だ」

「はあ〜、そいつは参ったな」

 白苑はそれを無視して、部屋の敷物に腰を下ろす。アルンとイーケンにも同じようにしろと、少し離れたところの敷物を示した。アルンはためらいなくその通りにする。戸惑うイーケンにアルンは声をかけた。

「大尉、牙月では床の敷物の上に座るのです」

 馴染みの無い文化に戸惑いながらもその通りにする。その様子を見ながら白苑は茶器を持ち上げて唇を湿らせた。

「さて、改めて名乗ろうか」

 白苑はあぐらをかいて、茶器をおろす。真っ直ぐ伸びた背筋もそのままにイーケンの顔を見た。

「私は白苑。この国の王配である暁遼の兄で、現皇帝の弟になる。今回の件の協力を仰いだ張本人だ。牙月国内では既に薬が出回り、各地から重大な被害が下層の貧しい者を中心に広がっていると報告が上がっている。それと、昨日本国から新たに情報が入った」

 近くの机から持って来させた紙をアルンが受け取り、目を通す。隣のイーケンも身を乗り出して文章を読んだ。牙月の言葉ではあるが、友好国の言葉は士官学校でみっちり詰め込まれた。読み書きと簡単な会話ならば困らない。

「幻覚、幻聴が見られ、泡を吹く。味覚、平衡感覚に支障をきたす。どれも間違い無く薬によるものですね。流通経路の特定はいかがですか?」

「恐らく密輸入であろうな。我らは輸入品を厳しく管理しているが、その網を掻い潜るだけの何かを向こうが持っているようだ。捕まえたと思っても末端の末端で、結局主犯格を捕らえるには至らぬらしい」

「しかし、汰羽羅が中心だとは分かっているのだ」

 突然史門が声を発した。その隣の朱真も黙って頷く。

「元々あのあたりには優れた製薬の技術があった。薬のもととなる動植物も豊富だと本国の学者が言っている」

「さらに言えば、計画を立てている中心人物も目星はついている」

 汎要がそう言い、アルンとイーケンは顔を見合わせた。

「そこまで分かっているなら、早く制裁を下せばよろしいのではありませんか?」

 イーケンが問うと、牙月の男達は困った顔をした。

「それが出来るなら今頃汰羽羅は滅ぼしている。お国の海軍から原料が横流しされているから安易には動けないのだ」

「どういうことです?」

 イーケンの問いに、彼は言いにくそうに口を開く。若草色の瞳には怖がるような色があった。

「これはあくまでも推測だが、横流しを仕切るのは軍の上層部だと我らは考えている。しかしお国の海軍とは深い繋がりがある。我らとしては不必要な疑いをかけて関係に亀裂を入れたくはない」

「何ですって?」

 思わず立ち上がろうとしたイーケンをアルンが押さえる。

「落ち着いてください。推測だと仰っていたではありませんか」

「それでもいち軍人として看過出来ん! 俺が見た荷を動かしていた兵士は三等兵の服だった!」

 イーケンの怒鳴り声が部屋に響く。牙月人達は驚いて目を見開いた。

「だから何なんですか!」

 アルンも怒鳴り返し、イーケンの目をしっかりと見つめる。

「恐ろしい数の人間が巻き込まれている可能性があると言いたいんだ! 天竜乗り、貴様には軍の内情から説明してやる!」

 すると、朱真が身を乗り出した。

「詳しく教えてくれ。俺達も知っておくべきことだろう?」

 イーケンはそれに頷いて見せ、腕を組んだ。

「どこの国でもそうですが軍には指揮系統というものがあります。基本的に指令はその指揮系統に従って出され、逸脱することはありません。それは我が国の海軍でも同様です。ゆえに、戦時、非戦時を問わず三等兵に上層部が直接接触することはないのです。指揮系統の頂点は、艦隊を指揮する大将などの将官。そして佐官へ、尉官へ、曹長へと指示が行きます」

 自身の指で空中に木の根のように線を描き、イーケンは続ける。

「三等兵は軍の末端です。普段の生活の中でも指揮の系統は守られるため、もしもあなた方の仮説が正しかったとした場合、両者の間を繋ぐ人間がいるはずなのです」

 すると、汎要が眉を寄せたまま問うた。

「だがその発想の裏をかく可能性は?」

「無い、とは言い切れません。ですが、直に上層部が末端に接触するほうが目立ちます。特にこの街で海軍の高官ともなれば下手な貴族よりも人目を引きます」

「貴族より?」

「国土の南側全てが海に面しているこの国において、海軍の存在は文字通り国の盾なのですよ。海防を疎かにすればたちまち攻め込まれて滅びかけます。歴史上、そういった危機は幾度もありました」

 アルンは淡々と答え、さらに説明を重ねる。

「フラッゼの海軍が大陸最強と呼ばれるのは、そうならざるを得なかったからです。今まで海で大きな戦いが起きるたびに、彼らは多大な犠牲を重ねて祖国を守りました。そのため、海軍の軍人達は国民から絶大な期待と信頼を寄せられています」

「軍の上層部の発言力は国内ではとても大きいのです。重ねた軍功もあいまって、海軍は国もおいそれと手の出せない存在となりました。悔しいことではありますが、内通者を作るにはうってつけの組織です」

 自分でそう言ったイーケンは苦い表情になり、敷物を見つめた。低い声には明らかな不快感が込められていて、彼が義憤にかられていることを伝える。

「だがこんなことは許されない!」

 右手を怒りで震えさせ、勢い良く地面に叩きつけた。厚い肩がわなわなと揺れ、眉間の峡谷はいっそう深くなる。

「天竜旗を掲げる我らは守る側でなければならないのです! それが我らにとっての正義であり、歩むべき正道! 道を外れることだけは許されない!」

 イーケンの低い声が、部屋の空気をビリビリと震わせた。薄青と焦げ茶の瞳に浮かぶ怒りはこの場の誰よりも強い。

「そういうことなら、俺もまともにやりましょうかね」

 朱真が立ち上がり、長身をしならせる。すると珊瑛が驚いたように声を上げた。

「朱真殿、珍しいではないですか!」

「牙月は海防が弱い。その弱点を補ってくれるのがフラッゼ神王国海軍。その組織の粛清のためなら、真面目に手を貸そうということよ。それに、この軍人さんみたいな男は嫌いじゃない」

 片足を投げ出したまま、朱真は己の主君を見た。両腕を大きく広げ、大袈裟な仕草をしてみせる。

「史門様、俺をこの軍人さんと天竜乗りにつけてくれや。何かと危険なこともあるだろうが、この赤狼がついていれば何とも無かろうよ」

 礼が欠けている、と叱られても文句の言えない態度だ。しかし、史門は眉一つ動かさずに応じた。

「そこまで言ったのなら、役に立って帰って来い」

「さすが史門様、分かってらっしゃる!」

 朱真は二人を見ると悪どい顔で笑う。めくれ上がった唇の下から八重歯が覗いた。

「俺は朱真だ。牙月で二番目の将である銀虎将軍の史門様の軍門にいるが、傭兵上がりの槍使いさ。軍功しかない成り上がり者だが、戦わせれば役に立つ。まあ、一つよろしく頼むぜ」

 アルンとイーケンは顔を見合わせ、一瞬呆然とする。

「こちらも使える駒が増えるとなればありがたいです。ぜひご協力いただきたい」

 無礼ともとれるアルンの一言に、朱真は頷いた。

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