一章四話

 着替えさせられたイーケンを伴い、アルンは王宮の裏手から馬で飛び出した。どちらの馬もかなり立派な馬格の持ち主でよくしつけられている。艷やかな毛並みが陽射しにさらされ、見事な光沢を放った。

「ところで、なぜ地下道にいたんです?」

「夜間警備の指揮交代が終わった後、自宅に帰ろうとしていた。だが倉庫の方から荷車の音がした。戦時以外には開かれない倉庫で、非戦時に開くとしても定期点検のときだけだ。真夜中に物音がするのは異常事態だと思った」

 馬の蹄が舗装された道を蹴る度に軽快な音がする。横で馬を走らせるアルンの黄昏色の瞳は前だけを見つめていた。

「妙だと思って後をつけたらあの地下道に辿り着き、様子を伺っている間に気を取られて後ろから殴られた。情けない話だ」

 苦い表情を見せ、彼は唇を噛んだ。歪む横顔を見てアルンは言う。

「そもそも大尉のような軍人は隠密行動に不向きなんだと思いますよ」

「何?」

 イーケンは眉を寄せて問い返す。アルンは淡々と応じた。

「天竜乗りは幼い頃から隠密行動の基本を叩き込まれます。極意は目立たないことです。一目で所属の分かるものを身につけるのは良くない。もし大尉があの場に軍服以外の格好でいたなら、また違った結末だったと思います」

 そう語るアルンの格好はどこにでもあるような若者の着る服だ。頭巾付きの薄手の外套を羽織ってはいるが、陽射しの強いこの国では全く珍しい装いではない。

「なるほど、そういうものか」

「恐らくそう言った教育も受けていないものと思っていますが」

「そうだな。基本的には習わん」

「何一つ知らないことを上手くやれ、というのは無理です。あまり気に病む必要は無いかと思いますよ」

 言い切ったアルンは突然街中の角で曲がった。それを見てイーケンは驚いて馬を止める。不愉快そうにいななく馬を落ち着かせながらアルンに向かって叫ぶ。

「どうしてそっちに行くんだ! 商人組合の本部は反対側だぞ?」

 慌てて馬を止めたイーケンを振り返り、アルンも馬を止める。人通りの多い道で止まったせいで周囲に迷惑そうな顔をされた。

「どうして我らがこのことについて知っていたと思います?」

 馬上で問われ、イーケンは首を傾げた。

「さるお方にお会いしに行きます。こちらへ」

 その背を追いながらイーケンは密かに舌打ちする。

(天竜乗りは事前に連絡するということを知らんのか!)

 人にぶつからぬよう馬を走らせて、真っ青な海を横目に街の東側へと向かった。

 馬を走らせる道すがら、後方から

「誰かそこのガキを捕まえてくれ! うちの薬を盗んだ!」

 と叫ぶ声が聞こえた。イーケンが目線をやると人混みをかき分けて逃げようとする少年の姿が目に入る。イーケンは咄嗟に馬を下りた。走ってその子どもの進行方向を塞ぎ、慌てて踵を返して反対方向に走ろうとする子どもの襟首を掴んでグイッと引き寄せる。

「は、離せよ!」

「貴様が何と言おうと止めん。あの薬屋から薬を盗んだな?」

 ジタバタと暴れる子どもの首を手で掴み、顔を地面に押しつける。膝を背中に乗せて体重をかければもう逃げ出せない。周囲に人が集まり、イーケンと少年を見ていた。

「盗みは罪だから貴様は憲兵隊に引き渡す。その薬は店主に返せ。それは本来金を払って買うものだ」

「し、仕方ねえだろ! うちには金が無いんだから!」

 そう叫んだ少年の身体は貧相なもので、その言葉は真実だろうとイーケンは踏んだ。しかし彼は容赦なく言い放つ。

「子どもだろうが家に金が無かろうが窃盗は罪だと法律で定められている」

「姉ちゃんが病気なんだ! でも俺は読み書き計算ができねえからまともな仕事がねえし水兵だった父ちゃんは二年前の戦争で死んじまったんだよ!」

 水兵という単語にイーケンは片眉を上げた。

「父親は水兵だったのか? 戦死者の遺族にはある程度の額の金が支払われるはずだ。それは使い切ったのか?」

「金? そんなの聞いたことねえ! 姉ちゃんも言ってなかった!」

 その返答を受けたイーケンは冷静に問いかける。

「父親の名前と当時の所属艦隊、階級は分かるか?」

「レ、レテン・バクス。確か第五艦隊で……、階級は……、三等何とか……」

 それを聞いたイーケンはいつの間にか背後にいたアルンに声をかける。

「筆記用具を持っていたら貸してくれ。それとこの子どもが逃げ出さぬように押さえてろ。その間に一筆書く」

 アルンから受け取った紙と鉛筆を持って、近くの家具屋の店主に軒先の机を貸してくれと頼む。店主は不思議そうな顔で頷いた。イーケンは紙に子どもの父親の名前と所属艦隊、階級と自分の名前と所属、階級を書く。するとアルンが押さえている子どもの前に膝をついてかがみ込んでヒラヒラと紙を振って見せた。

「書いたことを音読してやるからよく聞いていろ。二年前の南方遠征で戦死した元第五艦隊所属のレテン・バクス三等兵の遺族への支払いが未払いの可能性あり。早急に調査し、未払いの場合は遺族へと支払われたし。……意味は分かるか?」

「つまり……、うちの家族に金が払われてないかもしれないから調べろってこと?」

「そのとおりだ。二年前の南方遠征は戦死者が多く、海軍では遺族への支払いのための事務作業が追いつかずに未払いのままの場合もある。特に第五艦隊は戦死者が多かった艦隊だ。その可能性は捨てきれない」

 呆然とした少年の目の前にイーケンは立ち上がり、服についた砂埃を払う。それから腕を組んで宣告した。

「だが貴様は盗みを働いたから憲兵隊に引き渡す」

「結局捕まえるのかよ!」

 非難するような少年の声にイーケンは毅然とした態度を取った。

「この国では罪を犯した人間は法に基づいて裁かれると決まっている。子どもだからと言って見逃すほど法は甘くない。厳正なる司法の裁きを受けて罪を償え」

「でも俺が捕まってる間に姉ちゃんが死んじまったらどうすんだ!」

「貴様の姉のことなど知らん。死に目に会えなかったとしても元はと言えば盗んだ貴様が悪い。未払いであれば金が払われるだろうし、そうなれば薬を買ったり医者にかかるくらいは出来る。それだけの金額だ」

 無慈悲な理論と固い口調に押されて少年は黙り込んだ。

「獄中では基本的な読み書き計算の指導を受けられる。金を払う必要もない。文字が読めて簡単な計算が出来ればまともな働き口もあろう。それともここで脱走しようとして殺される方がいいか?」

「は?」

「俺は今武器を携行している。脱走しようとして俺に切り殺されるか、罪を認めて償うか、今この場で決めろ」

 極端な選択肢に誰もがあ然とした。アルンは呆れて物が言えない。周囲に集まった人々は互いに顔を見合わせてヒソヒソと囁き合っている。だがイーケンの態度は揺るがない。薄青と焦げ茶の瞳は冷然と少年を見下ろしていた。そのときに憲兵隊の軍靴の足音が聞こえ、気がついたアルンが目線を向けると武装した憲兵が数名走って来ていた。

 少年は憲兵隊に引き渡された。イーケンは憲兵の一人に声をかけて紙を海軍本部に届けてくれと頼むと、その場を離れる。強い陽射しに照らされた灰色の石畳が光を跳ね返していた。

「子ども相手にかなり強引でしたね」

 アルンに言われて彼は当然と言わんばかりに頷いた。その動作の堂々たる様子には自分自身の振る舞いに何一つ疑問を持っていないことがよく分かる。

「人の道から外れた子どもは誰かが戻してやらねばそのまま大人になってしまう。それが最も良くない」

「最も良くないとおっしゃいますと?」

 アルンに問われたイーケンはその問いに硬い口調で淡々と答えた。

「結論から言うと国の益にならんから良くない。軍人である俺にとって最も重要なことは、この国を守れるかどうかだ。己の行動がこの国を守れるかどうかが軍人の中での正しさの基準であるべきだと考えている。だがそう考えて行動し、いくら外側からの脅威を打ち払ったところでこの国の中で生きる人間が駄目では話にならん。盗みを当たり前とする者、理不尽な暴力を容認する者など様々だが、とにかく世間一般で悪とされる行為を俺は許さない」

 男は凛々しい眉の間に峡谷を刻み、青と焦げ茶の瞳に炎を宿していた。よほど許せない事情があるのか、それともただ正義感が強いだけなのかはアルンには分からない。だが一字一句つっかえることなく言い切ったということは常日頃から考えていることなのだろうと若い天竜乗りは思った。

「ところで大尉、本当に逃げ出したらどうするつもりだったんです?」

 銀髪を揺らした彼女の問いかけにイーケンは平然と言ってのける。一歩踏み出すと革靴が石畳を強く踏みつけた。

「天竜乗りが強いことは見ていれば何となく分かる。そんなものに押さえつけられて動ける子どもがいたら俺は軍を辞めてやる」

「そうですか。それはともかく大尉、これ以降、目立つような行動は控えてください」

「それはすまなかった。謝る」

 それを最後に二人の間に沈黙が流れた。

 海を横目にやって来たのはやたら大きな屋敷である。その屋敷の周囲にはほとんど何も無い。遮蔽物の無い高台に堂々と立っていた。黒い壁と屋根に差し色で赤が入っており、門のところには屈強な男が数名いる。フラッゼの服装をしてはいるが、着こなしに多少違和感がある。その屋敷の門から見える母屋の外壁に獅子の紋様が目に入る。アルンが門前で頭巾を取った。

「以前こちらにお邪魔した者です。お通し願いたい」

 その顔を見ると男達は黙って道を譲る。敷地内に入ろうとしたそのとき、誰かが待ったをかけた。屋敷の奥から現れた男に目線を向け、アルンは悠然とした態度で問いかける。

「何か不都合でもございますか? 汎要はんよう殿」

「不都合どころではない。後ろの男は誰だ? それを聞くまではこちらも通せぬぞ」

 その男の出で立ちを見てイーケンは瞠目する。男は牙月がげつの装束をまとっていたのだ。鮮やかな緑で統一された衣服のいたる所に刺繍が施され、男の身分の高さを物語っている。同時に腰に帯びた大ぶりの曲刀にも目が行く。

(あの手の剣に斬られると、切り傷だけではなく打ち身もひどそうだな)

 そう思いつつ、さらに観察を続ける。元々騎馬民族であった牙月人は優れた騎兵集団であり、大陸東南部の平原では剛強無双と呼ばれて恐れられる軍団だ。彼らは乗馬の妨げにならない、ぴったりとした格好を好む。汎要と呼ばれた男の衣服も下半身はあまり布が余る作りではない。アルンは面倒くさいと言わんばかりの声音でイーケンに言う。

「大尉、お手数ですが名乗って差し上げてください」

 イーケンは馬から下りて汎要に歩み寄った。汎要と呼ばれた男はイーケンに棘のある視線を向けている。

「フラッゼ神王国海軍本部第三艦隊海兵隊所属の大尉、イーケン・トランシアルと申します。突然の訪問にも関わらず、こちらから名乗らなかった非礼をお許し下さい」

 所属と名前を伝えて深く腰を折る。こんなことならやはり軍服は着ておいた方が良かったのではないかと、アルンを責めたい気持ちだ。

「いや……、こちらこそご無礼致した」

 突如うやうやしく腰を折った男に驚いたのか、汎要はたじろぐ。彼の混乱具合を見て、アルンは一瞬唇を緩めた。

「汎要殿、これでよろしゅうございますか?」

 汎要は渋々と言った体で頷いた。

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