弐.恋人の呪文

 私は砂浜に体操座りをしながら、物語の事を思いだしていた。

「これも、私が書いたあの忌々いまいましい作品の中だとすれば、海に関連する作品は確か二つ……」

 先ほど起きたあの事件について気になっていたので、久しぶりに読んでみようと思っていた。

 だが、山田との電話が長引いてしまったせいで、またもこんな事になってしまった。

「実は……山田が黒幕で、私を異世界召喚させるラスボス的なやつ⁇」

 こんな時でも山田の事かよと、私はため息をつきながら砂浜に寝転がった。

 だいぶ陽は海に沈んでおり、目の前はもう夜ですと言わんばかりの暗さになっていた。

 まだ夏が終わったくらいで暑くもなく肌寒くもない空気に、このまま寝てもいい気がした。


「あーっ海がー私を―包んでーくれまいっかぁーおぉーっ」

 どうせここは異世界……つまりは夢と同じだから、どんなに大声で歌おうが恥ずかしがる必要はない。

 まだ寒くないが、もう普通の人が入らないような時期の海に入って走っても問題ない。

 いつもならば、人がいないのを確認して独り言を喋るが今は関係ない。

「あー思いだせん」

 当時に書いた恨みの話どころか何を書いたかも思いだせないので、今回はお手上げかもしれない。

 ただ、私が覚えている限り何かしら行動をしたり、男性と一緒にいない限りは酷い目に遭わない。

 ここでボーッとしていたら、物語に弾き飛ばされて家に戻される可能性が高いと思う。

 私は波の音を聞きながら、羊を数え始めた。

「羊が一匹、柵を超えた……羊が二匹、柵を超えた……」


 ふと目を開けると、空は真っ暗になっていた。

「わっつ⁇」

 持っていたスマホの時間を確認すると、時間はもう深夜の十二時を過ぎていた。

 私は羊を数えたまま寝てしまったようだ。

「……何匹まで数えたんかな」

 そんな事を考えつつ、ふと頭の後ろ側を見ると岬が見えた。

 じっと見ていると、崖のところに白っぽい何かが見えた。

 目を凝らしてもそれが何なのかわからなかった。


「あいたん、ここであってる⁇」

「うん、多分ここら辺のはず……ゆーくん、寒いね」

 突然、自分のいる場所の後ろ側から男女の声が聞こえてきた。

 リア充かよとイライラした時、この物語を思いだした。


 某海岸の傍にある岬……深夜にそこで恋人と呪文を唱えると、二人は永遠の愛を手に入れられるという噂話があった。

 そこはカップル岬として呼ばれていたが、実際にそこに行った人はいない。

 その噂話を知った彼女は彼氏にお願いをして、深夜デートでカップル岬に向かった。

 岬の辿り着いた時、崖のところに白っぽい大きな岩が見えた。

 彼女はその岩を見た時、何とも言えない恐怖感に襲われて動けなくなった

 だが彼氏に手を引かれ、岩の傍に連れて行かれた。


 そこで、二人は岩に手を付けながら呪文を唱える。

 お互いの手を握り占めながら……何も起こらない事に二人は笑いあった。

 あの恐怖感は嘘だったのだと思い二人は帰ったのだが、気付いていなかったのだ。

 その呪文は成功しており、岬に囚われた悪霊を呼び出した事に……


 その日から、彼女は誰かの視線を感じる事が増えた。

 冷蔵庫から飲み物を取る時、お風呂に入っている時など……一人でいる時に感じるのだ。

 誰かの視線を感じるが、辺りを見回しても誰もいないので、気のせいだ言い聞かせるしかなかった。

 ある夜、もう冬なのかというくらい寒い日があった。

 布団の中で身体を縮めこんでいると、足に何かが引っかかった。

 恐る恐る布団の中……足元を見ると無数の髪の毛が足に絡まっていた。

 彼女は驚いて布団を弾き飛ばすと、目の前に黒い影が見えた。

 黒い影は彼女の首の周りにザラザラとした何かを絡み付け、そのままゆっくりと首を絞めてきたのだ。

 恐怖のあまり目を見開いていると、影から少しずつ白い何かが出てきた。

 それが顔だと理解するのに時間がかかってしまい、気付いた時には目の前に顔が現れた後だった。

 白い肌には血管のような無数の黒い線、鼻は折れ曲がり口は裂けたように大きくボロボロの歯が見えた。

 目はどこまでが瞳なのかわからないほど真っ黒で、目の周りは血が垂れているように真っ赤だ。

 長い髪にボロボロの黒いワンピースを着ている何かは、ニヤリとした顔で私を見つめていた。

 首を絞めていたのは岩のようにザラザラしていて締め付けるたびに首に傷がついて血が出ている……人の手だ。


『アトフツカ……』


 そう言うと、更に大きな口は横に大きく広がった。

 意識を失いかけた瞬間、首を絞めていたものがスッと消えた。

 咳き込みながら辺りを見回してもそこには誰もいなかった。

 夢を見ていただけと安心させようにも首から流れ出る血に、先ほどまで何かがいた場所は黒い水が残っており、足には未だに絡まっている髪の塊があった。


 その日、彼氏に連絡するも返事がない。

 友人達に連絡したところ、彼氏は交通事故に遭い入院していると聞いた。

 病院へ行くと、昏睡こんすい状態の彼氏がいた。

 深夜に信号無視をして車にかれたのだという。

 運転手いわく、何かから逃げるように後ろを見ながら飛び出してきたらしい。

 泣きながら彼氏の手を握ると、彼女の腕を布団から何かがつかんだ。

 悲鳴を上げて倒れた際、布団から無数の髪の毛が彼女に向かって降ってきた。

 彼女はあの岬の出来事が関係していると考え、図書館へ行って岬について調べた。

 ある記事で、昔そこで入水自殺があったという情報があった。

 その人は両親の葬儀後に行方をくらまし、見つかったのはその次の日だったらしい。

 ネットでは、自殺ではなく他殺ではないかという情報も出ていたが、それ以上詳しい話は出てこなかった。

 もしかしたら、あれは呪いの言葉だったのかもしれない。

 あの岩が今までの奇怪な現象に関係するかもしれないと結論付け、彼女はあの岩を破壊しに岬へ向かった。


 タクシーに乗るが、突如として右に曲がり車とぶつかりそうになったり、車の故障が起きて徒歩で行く事になった。

 歩いている時もバイクがひき逃げをするような速度で突っ込んできたり、突然上から物が降ってきたりもした。

 命からがら岬へたどり着いた彼女は、あの崖にある岩に近づいていく。

 近づけば近づくほど、何かわからない恐怖心に襲われる。

 全身が震える状態でゆっくりと岩に手を付け押そうとした時、彼氏の声が聞こえたのだ。

 驚いて振り返ると誰もいない。


 ただ、足が宙を浮き、身体はゆっくりと海に向かって倒れていくのだ。


 ゆっくり、ゆっくりと崖から身体が落ちていき、崖の上から何かが覗くように見えた。


 白っぽい、何か……それはあの岩なのか、私を殺そうとしていた何かかわからなかった。


 それが何かわかった時、首は大きな音を立てて岩にぶつかり、そのまま身体は海に引きずられていった。

 辺り一面、彼女の血が付いたが、波で綺麗に消し去り彼女の行方も隠してしまったのだ。

 彼女がいなくなったと同時に、彼氏はゆっくりと目を覚ます。


 天井を見ながら、不気味な笑みを浮かべて……

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