第5話

 すべてを理解した私たちの間に訪れた沈黙。それは決して息苦しいほどのものではなかったが、それでもどことなく陰鬱としたものだった。きっとそれは、考えなければならない「これから」が不明瞭なものだからだろう。

「それで、どうします? 僕たち」

 お兄さんが口を開いて、その沈黙を破った。その言葉には、いくらかの安心感と、「けれどどうにかしなければならない」という緊張感があるように感じられた。私の隣の相川さんは答える。

「私たちがどうというより、相手がどう出てくるかによるでしょう。人智教会の奴らの言う『サイバーダンスの人工知能研究の無期限凍結』とか、奴らが受け取ったバックアップをどうするのかとか、そういったことによるのです」

「たしかにそうですね。……奴らはバックアップを削除したがっているんですよね?」

「そのはずです。だからどうにかして『バックアップを失わざるを得ない状況』を演出してくると思います。それに対して、ナユタさんたちは憤りつつも仕方ないと受け止める……というのがいいんじゃないでしょうか」

「なるほど」

 お兄さんは頷き、そばでそれを聞いていた香坂さんも頷いた。そして香坂さんは遠くを見つめるような目をしてつぶやいた。

「サイバーダンスは今後どうなるだろうかね」

 美雨さんはそれを聞き、言い難そうに目をそらしつつも言った。

「研究の無期限凍結っていうのは、私たちにとっても奴らにとっても旨味がある話だから、きっと実行する。香坂さんはもしかしたら失職しちゃうかもだけど……」

 すると香坂さんは「ははは」と大きな声で笑い飛ばす。

「それに関しては構わないさ。ナユタくんを人質に取って私をいいように使うところで働き続けるなんて、こっちから願い下げだ。思い入れがないわけではないが、もういいんだ」

 そしてこう続ける。

「とりあえずの方針としては、私たちは奴らに騙された可哀想な人たち、を演じればいいんだね?」

「そうなります」「あぁ」「うん」

 相川さんと私と美雨さんは同時に答えた。香坂さんは私たち三人によるその返事に楽しそうな笑みを浮かべる。しかしお兄さんは口を真一文字に結んで黙った。

 しばらくしてからお兄さんは深刻そうな声音で尋ねてくる。

「少し質問なんだが、もしこの話が人智教会の奴らにバレていたり、そうでなくとも奴らが一枚上だったりしたら、どうすればいいんです?」

 その心配はもっともなものだった。私が相川さんへ視線を向けると、相川さんは私の目を見て頷いた。私と相川さんはずっと二人で考えていたことを答える。

「奴らの目的はあくまで人工知能を消し去ることなはずだ。だから手を打ってくるとしたら、それに繋がる手であるはず」

「私たちが最も危惧しているのは、こちらの考えを見透した奴らにあなたたちが人質として取られ、『この者たちの命が惜しくば身を捧げよ』とされることです。いまとなっては私たちは、私たち自身の身を守れるほどにはこの世界の情報技術に明るくなっていますから」

「そこで私たちから少し提案があるんだが……」

 美雨さんは、「提案?」と首を傾げる。これは美雨さんにもまだ伝えていないことだった。私と相川さんは真面目なトーンで続ける。

「私たちとはしばらく距離を置かないか? お互い、しばらくは別々にやっていく方が安全だと思うんだ」

「あなたたちにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと、私たちは仮想世界で長い時間考えたのです。あなたたちにとってはその時間はたった一晩でしたが、私たちにとっては数ヶ月、ひょっとすると年単位だったかもしれません。それだけ長い時間考え続けたのです」


 再び私たちの間に訪れた沈黙。これもまた息苦しいほどのものではなかったがしかし、少し重たいものだった。きっとそれは——。

「……救いきれなくて、ごめん」

 俯いて謝る美雨さんに相川さんははっきりとした口調で返す。

「謝らないでください! 私たちはもともとは、何も知らされずに、死んだことにすら気付かずに死ぬ運命だったのです。いまもこうしているだけで奇跡なのです。だから謝らないでください」

 覇気のない声で香坂さんは言う。

「言い出せなかったのだが、もうこの際なので言わせてもらおう。シミュレータに、世界が三つに分かれることになるバグを混入させたのは、彼だった。サイバーダンスに潜入していた人智教会の『彼』なのだ。きっと故意に混入させたのだ。……君たちは被害者であって、苦しむ必要のない人たちだ。どうか私たち上位世界の人たちに贖罪をさせてはもらえないだろうか?」

「……ほとぼりが冷めたころにまた会える。だからそのときに、その贖罪とやらをしてくれないか?」

 私の返答に香坂さんは、しばらく黙って「わかった」とだけ言った。

 ——私たちのことを救おうとしてくれた三人にとっては、この状況は思い描いていた完璧とはかけ離れたもので、嬉しくはないものなのだろう。「救いきれなかった」と感じてしまうほどに。しかし私たちにとってはこれは限りなく理想に近い、ベストな状況だった。世界が三つに分かれているという事実を知ってしまったあのときから、何も知らないままのうのうと生きていくという道は、生かされていることにすら気付かずに生きていくという道はなかったのだから。また、香坂さんはすべての始まりであるバグの混入が人智教会の奴によるものだとして罪の意識を持っているが、それによって私たちが美雨さんたちに救われるに至ったことを思えば、私たちにとっては「悪くない」ものですらあった。

 だから、相川さんと私は明るい声で言う。

「私たちのことは心配せず、あなたたちはあなたたちで生きてください。きっとすぐに会えますから」

「本当にありがとうございました。しばしの別れだ。お元気で」

「……二人はこれから、どうするの?」

 美雨さんの問いに私たちは答える。

「やりたいことはたくさんあります。まずは、私たちの技術力と時間を使って、バックアップデータの解析を始めます。そして、私たちの故郷といえるあのリアルな仮想世界と私たち自身を、より低コストかつ安全に運用できるようにします。そして私たち以外の人工知能を目覚めさせて——」

「私たちが本当の意味で生きていけるようにする、というのが究極の目標だ。私たちが生きていくために必要な上位世界のリソース、それすらも自給することができたら安泰だからね」

 香坂さんは力強い声で言う。

「もちろん協力するから、何かあれば言ってくれ」

「わたしも!」

 と、美雨さんも声を上げる。

 自然とお兄さんに視線が集まる。ベッドで横になっていたお兄さんは起き上がって深呼吸をして。

「もちろん僕も協力させてもらう。手となり足となり、ね」

 熱意の込められた目でそう言った。

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