一、彼女が先輩と浮気してました(4)

 だがそんな俺を見て、燈子先輩はすぐに慌てた様子で両手を振った。

「いや、今のは『浮気をする』って意味じゃないから! さっき一色君が言ったような事をするとしたら今じゃないって意味で。誤解しないで!」

 そう言って赤い顔をしながら前言を否定する。

 なんだ、たとえ話か。

 燈子先輩でもこんな風に興奮して口走る時ってあるんだな。

「ともかく今は様子を見ましょう。哲也とカレンさんが浮気してるにしろ、してないにしろ、まずは確証を掴まないと」

「様子を見るって、具体的にはどうするんですか? このまま二人を放置するって事ですか?」

 俺はまだ半信半疑のまま、そう尋ねた。

 今のままじゃ、俺の心が持ちそうもない。

「放っておく訳じゃないわ。最初は騒いだり相手を問い詰めたりせずに、二人を観察するの。まずは確実な浮気の証拠を押さえることが先決だわ」

「燈子先輩の言う『確実な浮気の証拠』って何ですか?」

 既にあのSNSのやり取りだけで十分な証拠だと思えるが?

「そうね、一般的に『浮気』と裁判で認定される証拠は、二人でホテルに入ったとか、独身の異性の家で二人だけで一晩過ごしたとか……」

 俺は少し考えてから口を開いた。

「それなら二人の浮気場所は、鴨倉先輩のアパートに決定じゃないですか? 俺たちは自宅から通っているけど、鴨倉先輩は確か都内にアパートを借りていますよね?」

「それはないと思うわ」燈子先輩は即座に否定した。

「哲也は社会人のお兄さんと一緒に部屋を借りているの。だから簡単に女の子を連れ込むことは出来ないわ。それにアパートに女の子を連れ込むなんて、私にバレる可能性がある事を哲也がするとは思えない」

 なるほど、鴨倉の彼女である燈子先輩がそう言うのなら間違いないだろう。

「だとすると二人はどこか外で会っているって事ですよね」

「そうね。それだと浮気現場を押さえるのは難しいでしょうね」

「あの二人って、どのくらい前から続いてるんだろう」

 俺がタメ息交じりにそう言うと、燈子先輩は意外そうに視線を上げた。

「二人のSNSのやり取りを見たんじゃないの?」

「『浮気のやり取り』なんて、そんなに冷静に見てられないですよ!」

 俺が吐き捨てるように言うと、彼女は「心が弱いのね」とポツリと言った。

 ムッとした俺を見ずに、彼女は先を続けた。

「さっき一色君が見せてくれたSNSの内容。あれを見ると三回から四回程度じゃないかしら? だとすると夏休みが明けてからって事になるのかな」

「どうしてそう思ったんですか?」

「あの中で『週イチで』っていう発言があったでしょ。それで二人が会ったと思われる日付を見てみると、月曜か木曜の夜だった。その日は確かに私は哲也と会っていないわ」

「俺もです。二人が会っていたらしい日は、俺もカレンに会っていません」

「月曜と木曜は、私が実験と実習の授業がある日なの。だから講義が終わるのは遅くなる時が多いわ。一色君も月曜や木曜は外せない予定があるんじゃない?」

 言われてみるとその通りだ。俺も月曜と木曜は五限目まで必修の授業がある。

 それに対し、カレンは文学部だから元々授業のコマ自体が少ないし、鴨倉は三年生だからある程度は授業の調整がつくのだろう。

「だけど私が月曜と木曜が遅くなったのは夏休み明けからよ。だから二人が浮気まで進んだのは、まだ三回程度じゃないかって考えたの」

「でも二人が夏休み中に浮気してた可能性もありますよね。時間はタップリあるんだから」

 俺の疑問に対し、燈子先輩は小首をかしげた。

「どうかな。私はその可能性は薄いんじゃないかと思った。二人は土日には会ってないでしょ。つまり現時点で本命の彼氏彼女である私達を優先しているのよね。それに休みの日に出かけていたとなったら、普通の恋人はそれを知れば『今日はどこか行っていたの?』って聞くでしょ。その危険を避けているんじゃないかな」

 思い返すと確かに、カレンの様子がおかしかったのは九月に入ってからかもしれない。

 そう考えると同時に、俺はこの短い時間で『二人が会っている回数と曜日』まで絞り込んだ燈子先輩の推理力に舌を巻いていた。

「じゃあこれから月曜と木曜は二人の様子を注意して観察して行こう、っていう訳ですね」

「そうね。でもカレンさんを調べるなら十分に注意して。探るようなマネや言動は厳禁よ。私が哲也を調べるより、何十倍も相手に気付かれる危険性が高いんだから」

「そうなんですか?」

「夫婦間の不倫でも、夫は妻の不倫にまず気が付かないけど、妻は夫の浮気を一発で見抜くそうよ。それだけ女は日常生活の変化に敏感なの。ちょっとした仕草や言動の違いで違和感を覚えるのよ」

 そういうもんなのか? だが燈子先輩の冷静な推理を聞いていると、かなりの納得感がある。俺には気付けない着眼点だ。その燈子先輩が言うのだから間違いないのだろう。

「だから君はムリしてカレンさんを調べなくていいわ。『今日は何してた?』なんて絶対に聞いちゃダメよ。ただ彼女の仕草や言動には注意していて。君と行った事のない場所やお店について口にしたり、やけに一緒に行くのを嫌がる場所があったら、それは私に教えてちょうだい」

「わかりました」

「あと、これからは私たちの連絡は、SNSに別アカウントを作りましょう。それから暗号入力付きのクラウド上に共通でアクセスできるフォルダを作って、写真などの証拠はそこに置くように」

「了解です、このカレンのメッセージ画像も、すぐにクラウドのフォルダに置きます」

 燈子先輩と話している内に、なんだか前向きな気持ちになってきた。

 桜島燈子、彼女と一緒なら二人に強烈なカウンターパンチをお見舞いしてやれる気がする。

 だが最後に、彼女は悲しそうな表情でこう言った。

「さっき私は君に偉そうな事を言ったけど、本当は私だってツラくない訳じゃないのよ。本音を言うと『これがウソだったら』『誰かのイタズラだったら』って思ってる。私だって哲也を信じたい。でも、君が見せてくれた証拠も、一概にウソだとは言えない。だからまずは二人が浮気をしているかどうか、それをハッキリこの目で確かめたいの」

 今日、初めて見せた燈子先輩の弱音だ。

 当たり前だ。誰だって恋人の浮気を突きつけられて、動揺しないはずがない。

 今まで恋人が自分に見せてくれていた笑顔、かけてくれた優しい言葉、思いやりのある態度、そして数々の思い出。

 自分だけを愛してくれている、その前提が崩れたら、俺たちは一体何を信じたらいいんだろう。

 それなのに燈子先輩は気丈にもここまで泣き言一つ言わず、取り乱しもしないで、冷静にこれからの行動について説明してくれた。

 男の俺でさえ、こんなに弱くて取り乱しているのに。

 ……こんな素敵な彼女がいるのに、鴨倉のヤツはなんで浮気なんかしたんだ……

 俺は改めて鴨倉哲也に強い怒りを感じた。

 同時に、燈子先輩を支えていきたいとも感じ始めていた。

「燈子先輩、今日はありがとうございます。おかげで俺も目が覚めた気がします。そして、これから共に戦う戦友として、よろしくお願いします」

 俺は右手を差し出した。燈子先輩が顔を上げる。

 その目の縁がかすかに赤らんでいるのは気のせいだろうか?

「『戦友』、いい言葉だね。そうだね、一緒に頑張ろう」

 燈子先輩も右手を差し出し、俺の手を握り締めた。

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