第31話 試験機づくり

初夏の日差しに新緑が映える頃、ミユは、舞や他のカート部員たちと、試験機であるアポロ号に取り付ける空気噴射システムの開発に取りかかっていた。


ハイドロプレーニング現象対策のための空気噴射システムの開発は、メカトロ研の一件で中断していたが、舞が正式に参加できるようになったことで再開することができた。


アポロ号はもともとどこかのテーマパークの二人乗りの電動ゴーカートだったのだけれど、エンジンを搭載したり、減速機を追加したりして魔改造を施していたので重量が大会規定に近く、試験機として最適だった。しかし、あくまでも測定データを集めてシステムを試験するための試験機なので、大会では使用しないつもりだ。大会で走るマシンは、これから自作する必要があるため、開発や試験はできるだけ早く終わらせたかった。


案が固まったところで、早速、空気噴射システムの取付準備が始まった。必要な物をホワイトボードに書き出していく。


まず、大前提として圧縮空気を作るコンプレッサーが必要になる。空気噴射システムは、スリップの原因となる路面の水を、圧縮空気の噴射で弾き飛ばすことでスリップを防ぐ装置なので、圧縮空気供給源のコンプレッサーを搭載しなければならない。コンプレッサーは、内部のモーターでポンプを動かして空気を圧縮する仕組みになっている。


次に、コンプレッサーで作られた圧縮空気を貯蔵するエアタンク、圧縮空気を分配する分配器、空気を誘導する耐圧ホース、空気の噴射を調整する電磁制御弁、噴射ノズルなどといった基本的な部品から、それらを車体に取り付けるためのブラケットや金具など、細かい物を合わせるとかなりの点数に上り、列挙すればきりがなかった。


「バッテリー駆動のコンプレッサーは、ありますか?」

舞が涼に尋ねる。

「いや、手持ちのコンプレッサーは一〇〇ボルトの家庭電源用だから、車載バッテリでも駆動できるように一二ボルト用のコンプレッサーを用意しないといけないね」


「そうなると、どこかから調達する必要があるか」とカート部員。

「買うとなると、予算が足りないし」

「そうすると、さすがに先生に頼るしかなんじゃない?」

「空気圧系の研究室に行って、一二ボルトのコンプレッサーを借りてくるってこと?」

「うん。だれかそこの研究室の人いた?」

「私、隣の研究室だから行ってくるよ」

竹安たけやすという三年生の学生が立候補する。

「お願いしていい?」

「うん」

「ついでに他に使えそうな物で貸してくれる物があったらそれも貸してもらおう」

「分かった。でもそうなると一人で運ぶのは大変だから、何人か一緒に来てよ」


カート部の先輩達が出ていき、三〇分ほど経った頃、荷物を抱えて戻ってきた。どうやら首尾良くいったようだった。確認したところ、主要な部品は揃っているようだ。


「各部品は調達できたけど、さすがに、取付ブラケットは専用の物を自作するしかないね」

部品を車体に取り付けるブラケットの形状は、その取付箇所に適合する必要があるけれど、そんな都合のよい既製品はないからだ。


「手が空いてるなら、テンテンは加工場の鍵を機械工学科の先生から借りてきてもらえる?」

「加工場?」

「ああ、一年はまだ、加工場なんて知らないか」

「金属加工場は、フライス盤とか溶接機なんかの一通りの加工機械があって、実習や部活で何度もお世話になる工場だよ。講習を受けて資格のある学生なら誰でも使うことができるんだけど、一年だけだと鍵は貸してくれないから、私も一緒に行くよ」


三年の先輩と二人で、機械工学の先生の研究室棟へ向かう。

「テンテンって機械工学科だよね? 担任の先生って誰?」

「福本先生です」

「そうなんだ。ちょうど良かった。今年は福本先生が加工場の担当だから。福本先生に鍵を借りに行こう」

「はい」


研究室棟に入り、福本先生の部屋をノックする。何度か来たことのある場所だった。

「どうぞ」

中から返事が聞こえる。先生は在室のようだ。

「失礼します」

「天雲に、脇田か、珍しい組み合わせだな」

「カート部なんで」

「ああ、そうか」

「先生、加工場の鍵、貸してよ」と、脇田。

「何するの?」

「今度、自作のカート大会に出るから、それで色々と作らないといけない物があって」

「そうか、がんばってるね」と言って、福本先生はデスクの抽斗ひきだしを開けた。

「ああ、そうだ。サイクリングサークルが自転車を作るって言って、さっき持っていったんだった」

「じゃあ、もう鍵は開いてるんですか?」

「うん。サイクリングサークルにも言ったけど、加工場は十八時までだから、それまでに施錠して返して」

「分かりました」


先生が抽斗を閉めると、その風圧で、一枚の紙がデスクから滑り落ちた。

「落ちましたよ」

ミユが拾い上げると、そこには大学名は読み取れなかったものの、大学講師の募集要項と書かれていた。

「ありがとう」と言いながら紙を受け取る福本先生は気まずそうだった。


一礼をして、福本先生の研究室から退室し、一旦、カート部の部室に戻ることにした。

「福本先生も、大学の先生になりたい口かあ」

「どういうことですか?」

「テンテンも見たでしょ? 先生の机の上にあった大学の講師の募集要項」

「見ましたけど、どういうことですか?」

「大学の先生に転職したいってことでしょ」

「え?」

「うん。珍しいことじゃないよ。高専って大学に比べて先生たちの研究する時間が少ないらしいから、研究に専念できる大学に移りたい先生は多いんじゃない?」

「そうなんですか……」

ミユは少しショックだった。


「とはいえ、福本先生が必ず転職するとも限らないし、何かの間違いかも知れないし、気にしてもしょうがないよ」

その話はそれで打ち切られた。


カート部のガレージに戻り、壁に立てかけていた細長い金属の板をいくつか持って、金属加工場へ向かった。


金属加工場の前には変な自転車がいくつも止まっていて、中には十人ほどの学生が、ああでもない、こうでもないと言いながら自転車のフレームを切断していた。

その中に、環と彗の姿もあった。


「彗ちゃん」

ミユが作業中の彗に声をかけた。

「あれ、テンテンどうしたの?」

「ちょっとカート部で作る物があって」

「何作るの? カート?」

「ううん。パーツの取付金具」

「へえ、そうなんだ」

「そっちは何してるの?」


「三人乗りの自転車を作ってるんだよ。捨てられてる自転車を貰ってきたから、その前と後を切り落として、三台つなげて一台にするの。ほら、見て」

彗が自転車を指さした。

「偶然、全く同じ型の自転車が三台あったんだ」

「そんなことあるんだ」


そう言っているうちに、三台分の自転車フレームの切断が終わって、溶接工程に進んでいく。上級生は慣れているようで作業が早い。

「私は溶接しやすいように、切断面をやすりがけするくらいしかできないんだけどね。またあとで」

手を止めていた彗は、作業を再開する。


自転車の切断作業が終わり、空いた切断機にカート部の部員が集まった。

「テンテン、ワークをこっちに置いてもらえる?」

「ワークって何ですか?」

「今テンテンが持ってるやつ。加工する金属材料のことだよ」


言われるがままにワークの金属板を台にセッティングした。先輩がそれを寸法通りに手早く切断して、別の先輩が切断面の角で手を切らないように切削機で面取りをしていく。そうやって、何枚かの金属片が出来上がった。


「何かできることはないですか?」とミユは尋ねたが、「安全教育を受けていない学生に怪我されても困るし、ここは私たちの腕の見せ所だから」と言われ、ただ見ているだけだった。


それから図面を確認して、プレス機で金属片をL字型やコの字型に折り曲げる。やることのないミユは、先輩が折り曲げた板にドリルで穴を開けているのを横で眺めていた。ドリルとワークの摩擦熱を冷却するための冷却油が流れる様子が面白かった。

そうして三〇分ほどで作業は終わった。


サイクリングサークルの方は、溶接するために、複数台の自転車の軸を合わせてまっすぐに固定するのが難しいようで悪戦苦闘している。

環と彗に挨拶をして、ミユ達は取付金具を持ってカート部のガレージに戻ることにした。


戻ると、テーブルの上に空気圧の部品が並べられ、徳弘がコンプレッサーの動作チェックをしながら、周りの部員と雑談していた。

コンプレッサーがまともに動くことを確認できると、それをアポロ号に取り付ける作業が始まる。


作製したばかりの取付金具を使ってコンプレッサーとエアタンクを据え付ける。スペースの関係からコンプレッサーは、カートの先端に設置することになった。


エアタンクから分配器を通して各タイヤに空気を送って噴射できるように、ホースとノズルを設置して、噴射システムは一応の完成となった。あとは、横すべり角推定システムで、噴射ノズルを制御できるように連携すれば、ハイドロプレーニング現象を防止できるが、時間も遅くなってきたので、連携作業は後日に回すことにした。

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