第25話 オブザーバ

翌日、遥に数学の勉強を教えて欲しいと頼むと、二つ返事で了承してくれた。なんでも、遥は見た目のせいか、人から相談されたり頼られたりすることがないらしく、今回こうして後輩に頼りにされていることが凄くうれしいとのことだった。


舞に渡された制御工学の教科書を遥に見せた。それをめくって内容を確認すると、遥は、数学Ⅲと物理の教科書を棚から取り出し、微分積分と力学の勉強が始まった。


舞の言うとおり、遥の説明は分かりやすかった。難しい問題もグラフやパソコンのCGを使って分かりやすく示してくれた。難しいことを説明するために、理解しやすい喩え話を持ち出して、かえって誤った認識を与えることがあるけれども、そういった陥穽にはまらないように視覚的な情報を交えながら丁寧にかみ砕いて教えてくれた。


そうやって四日が過ぎる頃には、最低限の数学と物理の知識は得たものの、座学の連続にミユのモチベーションは下がり、学習効率が落ち始めた。遥は、その頃合いを見計らったようにお手製のテストをミユに受けさせ、理解の曖昧なところをあぶり出して、復習を促してモチベーションの回復に努めた。


その甲斐もあって、一週間が経つころには、基礎的な学習はほぼ完了した。そこからは、専攻科の学生によるカートの運動力学の講義が始まった。高専は五年生までだけれども、希望すればそこから専攻科に進むことができ、さらに二年間の高等教育を受けることができる。専攻科二年の田村というカート部の先輩が、カートの運動力学の講義を開いてくれることになった。ずいぶんと酔狂な先輩だと思ったけれど、本人にはなにやら切羽詰まった事情があるらしい。カート部の数人の部員も聴講したいと言うので、カートの運動力学の講義はカート部の部室で行うことになった。舞も、このために毎日放課後に一時間の時間を割いて参加してくれた。


志願するだけあってカート部員の聴講態度は真剣そのものだった。

それもそのはずで、カートの運動力学は、主にカートのコーナーでの旋回時にタイヤにかかる力(コーナリングフォース)や、カートの重心の角速度の計算など、どれも今まで感覚的になんとなく理解していたことに、理論という客観的な形を与えるものだったから、砂が水を吸収するように知識を吸収していった。


通常であれば、何週間もかかりそうなカリキュラムも、学習範囲がコーナーでのハイドロプレーニング現象を防止するという極めて限定的なものだったこともあり、学習は滞りなく進んだ。


そうしてカートの運動力学講座が終わり、三年生を中心としてコーナーでの旋回時におけるカートの運動方程式の連立常微分方程式を作製した。この方程式は、レーシングカートが、コーナーを曲がるときに、カートの進行方向と、カートの向きにどれくらいのズレが生じているのかを推定することができる。実際、ドリフト時には、カートの進行方向と、カートの向きには大きくズレが生じて、スリップしているのが視覚的にわかる。次に、これをコンピュータでシミュレーションできるように、プログラムに置き換える作業が始まった。プログラミングは舞の得意分野だったため、舞が中心となって指導してくれた。


このプログラムは、カートがコーナーに突入した時に、カートがどの程度スリップしているかを推定し、想定値よりも大きくスリップしている場合、カートが水の上を滑るハイドロプレーニング現象が起こっていると判定する一連の動作をシミュレーションする重要なものだ。


一から全部プログラミングするとなると膨大な時間が必要になるけれど、すでにソフトウェアのパッケージが用意され、AIの支援も受けられるので、モジュールを組み合わせるだけで早々に完成した。


「思ったより早かったですね。プログラミングって自分で作るからもっと大変かと思いました」

「うん。そういう意味では、自作とは言いながら、既製のパーツを組み合わせて作る自作パソコンに似てるよね。作るというよりは組み立てるだけだから」と、舞。


とはいうものの、舞自身もこんなに早く終わるとは思っていなかった。高専生という普段から技術に親しんだ集団だからできたことだろうと思う。


「それじゃあ次は、完成したシミュレーションモデルが想定通りに動作するかを確かめよう。実際にカートにGPSやいろんなセンサーを取り付けてシミュレーション用のデータを取らないとね。GPSとか、ジャイロセンサーみたいな慣性センサはありますか?」

舞は徳弘涼に尋ねる。


「GPSは、たしかRTKのヤツが二階にあったはず」

「RTKって何ですか?」とミユ。

「RTKってのは、高精度のGPSだよ。測定誤差が数センチしかないから、レースの走行軌跡を記録するのに最適なんだ。あと、電磁ピックアップ式の速度センサも有ると思う。でもジャイロセンサーは見たことないなあ」


舞は必要な物をリスト化して、ある物とない物を確認したあと、ふらりとどこかに行き、しばらくした後、段ボール箱を抱えて帰ってきた。


箱の中には、いろいろな測定機器が入っていた。

「これ、何ですか?」

ミユはその中の一つを取って舞に尋ねる。

「それ? ジャイロセンサーだよ。メカトロ研で余ってたやつをナイショで持ってきちゃった」

ジャイロセンサーにはメカトロ研と書かれたテプラが貼り付けられていた。

「いいんですか?」

「もう使ってないやつだから大丈夫だよ、多分だけど。さて、どのカートに取り付けようか? テスト用に使って良さそうなのはありそう?」

「そうだ、心当たりがあります」

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