第24話 寮にて

ひとまず舞が帰ってくるのを寮で待っていたら夕食の時間になり、部活をしていた学生達がぞろぞろと帰ってきた。ミユは舞や彗と合流して食堂に向かう。


「へえ、彗ちゃんは、サイクリングサークルにするんだ」

コロッケを箸で切りながら舞が言った。今日の夕食のメニューは、蟹クリームコロッケとコンソメスープ、サラダだ。

「はい。速さを競うだけじゃない楽しみ方もありそうなので。それに風を切って走るのがやっぱり楽しいんです」


「分かるよ。私もスクーター乗ってるからね。前輪が二つもある変わったヤツだけど」

今日の放課後、前輪が二つある変なスクーターを見たのをミユは思い出した。

「えっ!? あの駐輪場に停めてある三輪車って舞さんのだったんですか?」

「そうだよ。三輪車じゃなくてトライクって言って欲しいな」

「トライク?」と彗。

「そう。トライサイクルの略語。意味は三輪車だけど、英語にすれば三輪車っていうよりはかっこいいでしょ」

「確かに。でもどうして、その、トライクに乗ってるんですか?」


「本当はバイクに乗りたかったんだけど、雨の日に危ないからって理由で親に反対されちゃってね。それで色々と調べたら、前輪が二輪になってる安全なバイクがあるって聞いて、なんとか親を説得して許してもらえたの」

「やっぱり、バイクって危ないんですか?」

「うん。バイクだと雨の日は、マンホールや白線の上はものすごく滑りやすいからね。でも、前輪が二輪だとかなり安定するから、今にして思えばトライクにして良かったと思うよ。とはいえ過信は禁物だけど」


ミユはカート部での会議のメモを思い出した。それによれば、舞にESCのことを聞くことになっていた。

「あの、舞先輩、一つ質問して良いですか?」

「なに?」

「車のESCって知ってますか?」

「ESC? ETCじゃなくて?」

「ETCじゃなくて、ESCです」


「ああ、もしかしてESCって、スリップを制御する、あのESCのこと?」

「そうです。そのESCです。私も詳しくは分からないんですが、実は今度、カート部でそれを作るかもってことになってて、それで相談を――」

「ちょっと待って。話が長くなりそうだから、今日の夜に聞かせて。夕食が終わったらすぐにメカトロ研に戻らないといけないし、難しい話は多分、遥さんがいた方が良さそう」

「遥さんですか?」


ミユは意外そうに尋ねた。同室の遥は、いつも寝ているか麻雀をしているかなので、あまり頼りになりそうになかったからだ。

「うん。遥さんって、ああ見えて学年で一番勉強の成績が良いんだよ。意外と面倒見も良いしね。聞けば色々と教えてくれると思う」

「え~、そうなんですか」と横で聞いていた彗も意外な事実に驚きを隠せない。

「うん。じゃあ、私は部活に行くから、また夜にね」


舞は食器を載せたトレーを片付けて食堂から出て行った。

「お二人さん、ここよろしいですか?」

舞が離れたあと、そう声をかけてきたのは同じクラスの栞だ。トレーをテーブルに置き、舞の抜けた席に座る。

「今日も合唱部忙しかったよ」と栞。

「おつかれさま」

「練習どうだった?」

「今日からコンクールの練習曲になって、覚えることが多いんだけど、すっごく楽しいよ」


栞は歌うことが好きなのと、それなりに男子もいるからという理由で合唱部に入った。毎日、夕方まで練習して、練習後は夕飯の時間まで音楽室で自主練しているそうだ。

教室で顔を合わせている三人だけれど、集まれば、部活のこと、中学のこと、家族のことなど、話題は尽きなかった。


ミユと彗は自室に戻り、明日の授業の準備をしたり、おしゃべりをしたりして夜も遅くなったころ、舞が部活から帰ってきた。疲れているところに申し訳ないと思いながらも早速ミユは、ESCの相談を始める。


大体の話を聞き終えた舞は、「なるほどね。事情は分かった」と頷き、「技術的には難しくはないよ。話を聞く限り、必要なのはESCじゃなくて、横滑り角を推定するオブザーバーだけで良さそうだし」と言った。

「その、オブザーバーって、なんですか?」

ミユは聞き慣れない言葉の意味を尋ねた。


「簡単に言うと、車体がどれくらい横滑りしているかを推定する装置だね」

「推定するってどういうことですか? 測定じゃないんですか?」

「良い質問だね。ドリフトを想像すると分かりやすいけど、車がコーナーに入ったとき、車体が向いている方向と、実際に車体が進む方向とはズレがあって、そのズレを横滑り角っていうのは知ってるよね?」

「もちろん知ってます」


「さすがカート経験者。でも、横滑り角を測定できるセンサーってのはなくて、GPSや、速度センサー、加速度センサーなんかで測定した値を使って、計算してその推定値を求めるんだよ。ESCはその推定値をもとにして、それぞれのタイヤのブレーキを独立制御をするんだけど、想定を上回る横滑り角を検出したときに空気を噴射するだけなら、複雑なブレーキ制御は必要ないと思う」

「詳しいですね」

「うん。昔、ハワイで親父に……じゃなかった、メカトロ研で車両制御を少しかじったからね」


舞の説明は、ドリフトを想像すると感覚的には分かるのだけれど、頭ではあまり理解できなかった。ただ、現時点で完全に理解する必要はないようで、舞はそれ以上は詳しく説明しなかった。

「要約すると、そんなにむずかしいわけじゃないから、みんなでやれば数週間でできると思うよ」

「本当ですか?」

「うん。ただテンテンは、制御工学に必要な数学と、物理の勉強をしないといけないと思うけど」

「任せてください! 理系科目は得意なんです」

「頼もしいね。教えてあげたいんだけど、私もロボコンがあるから、あまり時間がとれないと思うんだよね」

「そうですよね。舞さん、いつも遅くまで部活してますもんね」

「だから数学の座学は、遥さんにお願いするといいよ」

そう言って遥のベッドの方を見る。遥は麻雀をしているのだろう。ベッドにはいなかった。


「制御工学の教科書はこれを使って」

現代制御工学の教科書を手渡された。何カ所も折り目が付いて、表紙も日焼けや擦れて薄くなっていた。

「ずいぶんと年季が入ってますね」

「先輩からのもらい物だから。それが終わったら、実際に制御用の微分方程式を作って、プログラミングを書いていこうか」

「ずいぶんと要領が良いというか、手慣れてる感じですね」

「うん。メカトロ研で、鍛えられてるから」

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