第13話 帰省

「ちょっと、ミユ。帰ってきてるならフウタの散歩でもしててちょうだい。ゴロゴロしてちゃ、いつまでも掃除ができないでしょ」

スウェット姿のままソファにだらしなく転がったミユに、母親があきれたようにいう。


「せっかくゆっくりしようと思ったのに」

「いつもゆっくりしてるじゃない」

「分かりました。散歩に行けば良いんでしょ」


不満を口にしながらも、ソファから起きあがり、勝手口から靴を履いてフウタのリードを手にとる。フウタというのはミユの実家で飼っている柴犬だ。すぐにリードを首輪から外してやった。


ミユの家は山の中にあるので、人はまず通らないし、車も滅多には通らない。それでもフウタは、走ってどこかへ行ったりせずに、おとなしくミユの横をぴったり付いて歩く。


フウタと遊んでやるつもりで、ミユは全速力で駆けだす。突然走り始めた飼い主を、フウタは嬉々として追いかける。犬は人間を軽々と追い越し、何度も振り返りながら、飼い主が付いて来ているか確認して、人間の速さに合わせているようだ。


突然、ミユはきびすを返して、逆方向へダッシュすると、フウタは慌てて止まって、ミユを追いかけた。

ミユは息が切れたところで立ち止まる。


山ではまだ山桜が咲いているけれど、道路沿いの桜は散り、淡い花びらが道路の上を舞う。初夏の景色だ。

ふいに、寮の洗濯部屋で会った池田のことを思い出した。


それと同時に、一つのインタビュー記事の記憶がミユの頭を掠める。昔読んだ雑誌のインタビュー記事、それをまだ捨てずに取っているはずだった。押し入れの中にしまいっぱなしの雑誌を確認せずにはいられなくなり、急いで家に帰る。フウタは、まだ遊びたいようだったが、おとなしく付いてきた。


「もう帰ってきたの?」

掃除機を片手に母が言う。

「また夕方に散歩するから」


ミユは自室に戻り、押し入れから段ボール箱を引っ張りだす。捨てずに残しておいたカートレース雑誌の背表紙から、見当を付けて巻をいくつか抜き出す。

索引で確認して、難なくお目当ての記事を見つけることができた。


金メダルを掛けた女の子が、トロフィーを抱いている写真が目に入る。

「やっぱり、池田まゆちゃんだったんだ」

それは七年前、当時小学六年生だった池田繭が中学生も参加するカートレースの大会で三連覇を成し遂げたときの記事だった。

幼いが、面影はある。


小学四年生の時に突如現れ、以降少年の部のカートレースを無敗のまま勝ち進み、三連覇を達成して忽然と消えた選手、それが池田繭だった。

ミユがカートを始めたのは、すでに池田選手が表舞台から消えた後だったので、いつかどこかで逢えると思っていたが、結局それは叶わないまま、ミユも中学でカートに乗るのを辞め、今に至る。


将来を約束されていた人があまりに突然消えたので、親の都合で海外にでも引っ越したと思っていたが、まさか、高専の洗濯室で会うことになるとは夢にも思っていなかった。


その出会いに運命的なものを感じ、部屋を飛び出した。

「お母さん、私のヘルメットどこ?」

「ヘルメット? あんたがいらないって言うから、離れにしまったと思うけど。またカートに乗るの?」

「そうだよ。離れの鍵、開いてる?」

「開いてるわよ」


離れの木戸を開け、棚からヘルメットの箱を引っ張り出す。

ほこりを被った蓋を開けると、2年前に買って試着しただけの真新しい白いヘルメットが姿を現した。中学に入ったあと、カートに対するモチベーションが下がり、ヘルメットを新調したものの結局被ることのなかったものだ。母親からはもったいないと言われ、かといってカートに乗る気にもならず、処分するのは尚もったいないので宙ぶらりんのままここに死蔵されていた。


箱は汚かったので捨て、中身だけ掴んで、試しに被るとサイズはぴったりだった。成長することを考えてほんの少し大きいのを選んだのが功を奏したようだ。


「よし、まだいける」

ヘルメットを小脇に抱え、玄関脇に置くと、犬の散歩を再開すべく、フウタの小屋へ向かった。

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