第27話 真島探偵事務所 その9

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 真島はしばらくドアの前で立ち尽くしていたが、やがて奥のドアに向かって声をかけた。


「と、いうわけだ」


 恵理子が階段を降りるのを待っていたらしい。

 奥のドアが勢いよく開かれ、琴美と川中島が飛び出してきた。


「もお、泣けるじゃないのよ。父親を思うゆえの悲しくつらい決断! あたし感動したわ! 協力する!」

「感動したのはあの人の気持ちにじゃなくて、報酬額にだろ」

「っさいわねえ! こういうのはねえ、シチュエーションなの、シチュエーション。せっかく、こう、のってきてるんだから水差さないでよね」

「お前が頼まれたわけじゃねえだろうが」

「いいじゃない、ねえ、檜山くん」


 真島に言っても無理と判断したのか、琴美は檜山の方に振ってきた。いつものパターンだ。

 吸い込まれそうな瞳が檜山を見つめる。


 まずいなあ――。

 琴美は賞金稼ぎバウンティハンターでもなければここの事務員でもない。来たって何をするわけでもない。せいぜい真島を踏みつけ、檜山を使い走りに使うぐらいだ。

 いてもらっていいことなど皆無である。


 美人が身近にいるのはいいが、それが琴美となれば話は別だ。呼びもしないのに頻繁に顔を出すのは、この事務所が〝面白そうなことが転がりこんでくる確率が一番高いところだから〟なのだそうである。


 実際、今日も転がりこんできた。

 できれば琴美のいないときに恵理子が来てくれればよかったのだが……。

 聞かれてしまった以上、彼女の介入は不可避である。

 目の前では琴美が微笑んでいる。

 檜山に琴美の要求を断れるほどの勇気はない。


 もちろんですよ――弱々しい声でそう答えた。


「ああ――それ、わしも加えてもらえないかのォ」


 奥にいた善次郎が控えめに言った。

「えーっ! 善ちゃんも入るの!」


 あからさまな非難をこめて琴美が吠えた。頭の中ではすでに報酬額の分け前が計算されているに違いない。

 射すくめるような彼女の視線に川中島はあわててかぶりを振った。


「いや、わしはただあの屋敷の中にある石を取り戻したいだけなのじゃ」

「いくら欲しいのよ」

「報酬などいらん」

「OK! いいわ、入れてあげる」


 無報酬と聞くや否や琴美は快諾した。いつの間にか今回の件を仕切っている。


「あ、あの、琴美さんはおいくらぐらい……」


 檜山がおそるおそる訊いてみる。


「あたし? 三百でいいわ」

「三百?」


 意外な答えだった。てっきり三分の二ぐらいは要求するのではないかと思っていただけにこの金額は意外である。琴美がその程度の取り分でいいなどとは。

 思わず聞き返した檜山に彼女は唇を尖らした。


「なによぉ」

「え? いや、三百でいいんですか?」

「やあねえ、檜山くん。人を金の亡者みたいに」


 なおも信じられないという表情の檜山を、琴美はそう言って笑い飛ばした。

 檜山はほっと胸を撫で下ろす。


 よく考えてみれば琴美の狙いはもともと高元コレクションなわけで、三百万というのはいわば参加費である。頼んでもいないのに勝手に参加されて、なおかつ三百万取られるのはやはりひどい話には違いない。

 もっとも、気がついたところで文句を言えるわけでもないのだが。


 檜山は気を取り直して真島を見た。

 彼はソファーに寄りかかり、ぼんやりとテーブルの上のコーヒーカップを眺めていた。


「真島さん、何ボケーっとしてるんですか」


 顔を上げた真島はぽつりと言った。


「檜山、俺、今回降りるわ」

「ええっ! どうしてですか!」

「どうしてって言われてもなあ……なんかノんないんだよなあ」

「何なんですか、気分が乗らないからって――」

「おい檜山、そうムキになんなって」


 事務所の存亡がかかっているのだ。ムキにもなると言うものだ。


「真島さん! どうしてそういいかげんなんですか! もうちょっと真剣に考えてくださいよ!」

「わかった、わかった、悪かったよ」


 檜山の一本気な性格を知っている真島は素直に謝った。

 それでも檜山は視線を外さない。

 真島が仕事を受けると言うまでは離す気はなかった。

 真島は大きなため息をついた。


「……しょうがねえなあ。本当の理由を教えてやるよ」

「本当の理由?」

「いいか檜山。今回の件はある程度アウトラインが決まってるだろ。お前がソロデビューするのはちょうどいいんじゃねえかと思ったんだよ。そうすりゃ、お前もひとまわり成長するってもんだろ」


 照れくさくなったのか、真島はそこで視線を外した。


「……だから降りようと思ったんだよ。まあ、なんだ、これでも信用してんだぜ」


 最後はあえてぶっきらぼうな口調で締めた。


「ま、真島さん……そこまで俺のことを……」


 檜山の中で熱いものがこみ上げてくる。

 真島と組んで一年半。よくやってきたとは思う。しかし、やはり檜山はアシスタントであった。経験の差はどうしようもないが、一緒に組む以上は、アシスタントよりパートナー、助手よりは相棒と呼ばれたい。


 あの自分以外には無頓着な真島が、自分のことを考えてくれていたということがうれしかった。

 真島はチッと舌打ちすると、だから言いたくなかったんだよとぼやいたが、すぐにいつものぼんやりした口調に戻って、まあ、そういうわけだ檜山、と続けた。


「はい! 檜山進一郎、必ずや期待に添えるべくがんばります!」

「おう、その意気だ。がんばれよ、檜山」

「はい!」


 居心地が悪くなったのか、真島は


「んじゃ、俺ちょっと出てくるわ」


 と言い残し、どこかへ出掛けてしまった。


「そうか……真島さん、僕のことちゃんと考えてくれてたんだ……」


 真島の出ていったドアを見ながら檜山は喜びをかみ締めるようにつぶやいた。

 檜山を見守る川中島も相好を崩す。


「真島殿……いい方ですなあ」

「甘い」


 ただひとり場の雰囲気に馴染まず、冷めた態度をとっていた琴美だ。その表情はつまらない茶番に付き合わされるのはもうたくさんと言っている。


「どういうことじゃ」


 せっかく気分に浸っている檜山を思ってか、琴美は川中島にようやく届くぐらいの声で言った。

「あんなの嘘に決まってんじゃない」

「何と?」

「もっともらしいことをペラペラ言ってたけど、あんなの真っ赤な嘘。全部口からでまかせよ」

「そうかのォ。じゃあ、どうして真島殿は今回降りるなどと言ったのじゃろう」

「できないからよ」


 琴美が当然じゃないという顔で見る。川中島にはさっぱりわからない。


「できない?」

中継ライブが」

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