第16話 喫茶店エルミタージュにて その2

 萩原琴美が喫茶店『エルミタージュ』のドアを開けたのは、親子ゲンカも佳境に差しかかったあたりだった。


 娘のすさまじい剣幕にカウンターを飛び出してきたマスターが助けを求める。


「ああ、そこの美しいお嬢さん、助けてください」

「何言ってんのよ、マスター。あたしよ」

「え? ああ、琴美ちゃんか。髪染めたんだ。見違えちゃったよ」


 前回来たときは鮮やかなブロンドカラーだったが、今日の琴美の髪はやわらかい栗色になっている。

 ライダースのジャケットにスリムなジーンズ、白っぽいヒールというラフな出で立ちでやってきた琴美であるが、小作りの整った顔立ち、スタイルも抜群の彼女はモデルでも十分通用するだろう。


 実際、雑誌やファッションショーでモデルをしていた時期もある。

 今はしていない。

 つまんないから――というのその理由だ。

 琴美に問題があるとすれば、この奔放な性格こそが唯一にして最大の問題であろう。言い寄る男性も多いと聞くが、剣もほろろに切り捨てられたという話はそれ以上に聞く話である。


「琴美さァん」


 琴美が来たことに気がついた深雪が駆け寄ってきた。キレイで自分の言いたいことをはっきり言う琴美は、姉妹のいない深雪にとって姉のようでもあり、目指している理想の女性像でもある。深雪はちょびヒゲマスターに大きく舌を出し、琴美の腕を掴んでカウンターの方へと連れていってしまった。



 娘の怒りの矛先が琴美の登場のおかげで霧散したことを感じ取った羽佐間は、そこでようやく大きな安堵のため息をついた。

 我ながら情けないと思うが、世の中にはアンタッチャブルは存在するのだ。


 羽佐間はカウンターにいる琴美を見る。

 今日の琴美はなにか大きなストレスを抱えているのは間違いない。背中に炎が入ったあのライダースは、今日は暴れるぞという彼女の意思表示だ。

 案の定、琴美は深雪とひとことふたこと話をすると、奥の出口から外に出た。



 エルミタージュは三階建ての羽佐間の自宅の一階部分を喫茶店にしたものだ。羽佐間たち親子は三階に住んでいる。いままで蓄えていた金に退職金を乗せて建ててみたはいいものの、親ひとり子ひとりにこの自宅はどう考えても無駄の多いものとなってしまった。一、二階を人に貸そうかとも思ったこともあったが、どうせなら退屈しのぎに喫茶店でもやろうかといって開店したのが五年前である。


 喫茶店の上、二階部分は年の離れた友人に貸していた。


 羽佐間は今日も琴美のストレス解消に貢献するであろう友人ことを思って、憐憫れいびんのこもった目を天井に向けた。

 おそらくはまだ眠りの中にいるであろう、真島耕平という男に……。

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