第15話 喫茶店エルミタージュにて その1

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 喫茶店『エルミタージュ』の店内はおおむね暇だった。

 待ち合わせだろうか、窓に面した席で学生風の男がぼんやり外を眺めながらコーヒーを飲んでいる以外に客の姿はない。


 日曜日の午前十時、しかも繁華街からちょっと住宅地よりの喫茶店である。

 客がいるだけマシというものだ。

 茶色を基調にした落ち着いた店内はテーブル席が六つ、奥にカウンター席が五つほど並んでいる。まだ席を増やすスペースは十分あるのだが店の主にその気はないらしい。もともと商売っ気がないのだ。


 カウンターの中に陣取って、スポーツ新聞を眺めている白髪の目立ちはじめた中年男。彼がこの店のマスター、羽佐間猛雄はざま たけおだ。 


 中年には不釣合いな愛嬌のあるつぶらな瞳と鼻の下のちょびヒゲが彼のトレードマークだ。このヒゲは、喫茶店のマスターたるものヒゲがなくては格好がつかんと言って伸ばし始めたものである。初めはずいぶん笑われたが、見慣れたせいかだいぶ様になってきたように思う。浅黒く日焼けしているのは、店をさぼって出かけている釣りのせいだ。


「物騒な世の中だなあ……」


 羽佐間はコーヒーを啜りながら新聞の社会面に目を落とした。


 昨日銀行で起こった人質立てこもり事件や最近続発する爆破事件が紙面をにぎわしている。人質たてこもり事件は、犯人側と警察側が睨み合い、膠着状態が続くなか、不意をついて突入した賞金稼ぎバウンティハンター二名の活躍で犯人グループ三名を逮捕、人質三十九名は事件発生からニ時間半後に無事開放されたということが書かれていた。怪我人が出なかったのは幸いだったが、爆破事件の方は負傷者が二十二名出ている。


 狙われたのは汚職事件がらみでよく紙面をにぎわす某代議士の事務所が入っているビルだった。

 恨みがあるなら直接本人を狙えばいいだろうに、大勢の負傷者のなかには肝心の代議士の名前はなかった。


「憎まれっ子世にはばかる、ってやつだなぁ」


 最近の爆破事件は凶悪性を強めており、爆弾自体の殺傷能力も上がっているようだ。軍用の兵器類が流れ込んでいるという噂もあり、事実今回の事件の現場からもアメリカ軍で使用している部品とよく似た部品が発見されている。


 カランカラン――。

 入口のドアに吊るしてあるカウベルが鳴った。


「いらっ――」

「あぁっ、またさぼってる!」


 羽佐間の挨拶を遮るように声が飛んできた。

 出前から帰ってきた羽佐間の娘、深雪みゆきがポットと袋を両手にぶら下げ、ふくれっ面で立っている。

 茶色く染めた髪をうしろで束ね、父親譲りのくるくるとよく動く大きな目は、目下のところ目の前の父親兼怠慢店主を睨みつけている。


「さぼってないよ。今日は釣りにも行かずにちゃんと店番してるじゃないか」


 弁解しても勝てるはずはないのだが、わかっていてもつい弁解してしまう。


「新聞読んでたくせに」

「暇なんだもの、しょうがないじゃないか」

「暇なら暇なりに何かやることがあるでしょ」



 娘にバッサリ斬って捨てられた羽佐間は、口うるさいところはだんだん死んだ女房に似てきたなぁとぼやきながらレンジに鍋をかけ、お湯を沸かし始めた。

 冷蔵庫を開けて卵を取り出す。サンドウィッチ用のゆで卵がなくなっていたはずだ。

 高校三年生にこき使われる四十八歳。これではどちらが経営者で親だかわからない。


「おとうさぁん、シロップ頼んでくれた?」

「シロップ?」


 不覚にも疑問符をつけてしまった。


「あ、忘れてたでしょ! もぉ、信じられない!」

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