暁の町

縹まとい

暁の町

 夜明けの空。

 深い紺と藍と青。

 ……そして、白。

 時が経つにつれ、やがて白の下に黄やだいだいが加わる。

 色に挟まれた、白。

 私は今まで白はとても気高い色で、何者にも染まらない美しさだと思っていた。

 花の白、雲の白、雪の白。

 何者にも侵されない気高い、白。

 しかし、いま私の目の前にある空の白は、色に挟まれ……まるで己を失うのを恐れている様に見える。

 色に染まり、消える、白。

 私は町を離れ、最も夜明けが美しく見える場所に来ていた。私の後ろで、まだ薄暗い町は静まり返り、ひっそりとしている。

 そして────…………もう二度と息を吹き返すことはない。

 死んだ町。

 私が殺した町。

 広い荒野に、高くそびえ立つ断崖に囲まれた稀有な町。

 どうしてそのような地形になったのかは誰も知らない。ただ知っているのは、この町に入るには、一本の断崖に張り付いた道を通る以外はないと云うこと。

 四方全てが何処の陸地とも繋がらない、伝え聞いた海に浮かぶ島と同じ。

 町の人々は全て善良で、笑顔が絶えない優しい人たちだった。他でもない、私も彼ら同様に毎日を笑顔で暮らしていた。


 あの日までは。


 遠く離れた地に、交易に行っていた者達が突然帰らなくなった。その後も、旅立った者達が帰ってくる事はなかった。

 町の住民は皆、不思議がった。

 何故なのだろう? どうしてなのだろう?

 我らが作った細工物で、薬やその他、この地では手に入らない物を持って帰って来る筈の者達が、何の連絡もなく突然帰らなくなるなど、あるのだろうか?

 そしてある日、ただ一人、帰ってきた者が居た。

 全身が酷く血塗れで、足が片方動かなくなっていた。

 男は言った。

「皆、殺された……」

 涙を流して、言葉を続ける。

「もう直ぐ此処も襲われる。奴らは我々を交易相手などと思っていなかった……。我々を油断させて、此処を侵略する気だったんだっ……!!」

 この町は兵を持たない。

「……奴らはそれを知りたかったんだよ!」

 男はそう最後まで言い切ると、意識を失った。

 自衛手段を持たない、赤子の様に無防備で美しい町。

 その夜、町の長老たちが集まった。

 男の話は本当なのか? もしそうならば、我々はどうするべきなのか?

 今まで、他者を一切受け付けなかった陸の孤島。

 恐らく男がここに辿り着いたのならば、この町の存在は奴らに既に見つかっているという事。

 長老たちの決断は早かった。

 町中に知らせが走る。

 この町を消し去る、と。

 男たちは皆、家族を集めて今の状況を包み隠さず話す。子供も老人もどの年齢も、どの立場の者も皆大人しく話を聞く。

 その後、皆お互いに強く抱き締め合う。

 再び神の国で会おうと。

 我らの信じる神は自殺を禁じていた。

 自ら命を絶つ事は、他者を殺めるより重い罪。その魂の行く先には必ず地獄が待っている。

 ならば、どうするのか?

 遠い昔、この地に移り住んだ先祖たちは、どの様に我ら子孫が最後を遂げるか決めていた。

 残虐な他所者の手に、町の住人の命を奪わせたりしない。女子供をむざむざくれてやるような真似はしない。

 町の命は、町の者の手で終わらせる。

だが、地獄に落ちるのは一人でいい。

 ならばそれをどのように決めるのか?

 女、子供、老人は力が弱い。やはり、力のある若い男、もしくは一家の長が相応しい。

 その者が家族を全て、自らの手で殺すのだ。

 穏やかな顔で無抵抗に死を受け入れる家族を苦しませない様、出来るだけ心を砕く。

 涙が溢れそうになるのを必死に堪え、一思いに刃物を滑らす。

 まずは小さな子供から。次は妻や姉や妹、両親、年老いた者。

 若ければ若いほど、この運命を受け入れるのは困難だ。しかし、年を経れば物の道理も大人の都合もすんなりと受け入れる事が出来るから。

 幼く澄んだ瞳は、疑いもなく神の国へと思いを馳せる。

「お父さん、神様の国でまた会おうね」

 言葉無く、私は頷いた。

 そして、幼い我が子の首へ鋭いナイフを走らせる。ただただ、苦しまないように祈りながら。

 知らずと自分の喉の奥がキュウと鳴った。そしてその痛みに、一瞬顔を引き攣らせる。

 一人が終わればまた次の一人。どんどんと地に伏していく。

 その時の私の顔は一体どんなだっただろうか?

 無表情?

 悲しそう?

 苦しそう?

 悪魔の様?

 私の足元には、家族全ての屍が転がっていた。皆、眠るように穏やかな顔をしている。私は改めて一箇所に皆を仰向けに寝かせると、一人一人の頬にキスをした。

 寒くない様に、皆に薄布を上から掛ける。

 暫く呆然と佇み、己の手とナイフを見詰めていた。すると突然、隣から火の手が上がった。炎で赤々と室内が照らし出される。

 私は黙って部屋に食用油を撒き、家を出た。隣の火の手は、間もなく我が家にも到達するだろう。

 知らない者の手に掛かって家族が汚される位ならば、このまま燃えたほうがいいのかも知れない……と、私は思った。

 近所の者たちが皆、たった一人で己の家の前に佇む。そして、誰が言うとも無く、お互いに顔を見合わせて小さな広場に集まった。

 泣く者、怒りに震える者、穏やかに微笑む者、無表情に固まる者。皆それぞれがその家族を背負ってこの場に集まっている。

 やがて年長の者が人数分の木の切れ端を用意した。先が赤く塗ってある物が一本だけあると云う。

 それを引いた者が、この場の全員の命とその家族の命を背負う事になる。

 一人、また一人と切れ端を引いていく。

 次々と白い先端が現れる。

 皆、自分が赤を引かないように必死に祈って棒を引く。

 果たして、誰が引き当てるのか。

 震える手が現実の過酷さを背負っている。そう、最も若年の私がその印を引き当てたのだ。

 小さなどよめきが起こる。

 皆、安堵の溜め息を吐く。

 幼い頃より見知った顔ばかり。私は否応なくその命を終わらせなくてはならない。

「済まない……」

 皆、口々にそう私に告げる。

 しかし本心はどうだろう? “自分じゃなくて良かった”と、思っているのではないだろうか?

 私はその考えを押し殺し、全ての命を終わらせる。ナイフがだんだんと切れなくなってきた。

 町のあちらこちらから火の手が上がり始める。

 私は町の中央広場に足を向けた。

 そこには数人の男たちが既に佇んでいた。皆、顔が青く、それ故に全身に浴びた返り血が異様に生々しく見える。

 やはり皆、無言だった。

 この町には何十箇所と小さな広場があり、その場所だけの人数がこの中心である大広場に集まっていた。

 誰ともなく、再び木の切れ端が用意される。

 そしてまた、一本だけある赤い印。

 私は今度こそ引かないように祈りながら一本引き抜く。

 果たして……。

 そこにあったのは、残酷にも赤い印。

 思わず、涙ではなく自嘲的な笑みが零れた。どうやら、私は神に嫌われているらしい。

 私は心の中で我が子に詫びた。

 済まない、父さんはお前や母さんの居る所へは行けない様だ。

 …………約束を、守れなくてごめん。

 ここに居る者達はたくさんの命を背負っている。それだけ、刃物は使えなくなっているという事でもある。

 皆の持ち寄った物は全て、殆んど使い物にならない。その分だけ、死を迎えるまでの苦痛が長引く。

 一度切っただけでは死に切れない。二度、三度、吹き出す血飛沫ちしぶきは周囲の者を濡らして行く。

 私はとうとう、刃物を捨てた。誰の物を使おうとも、相手に酷い苦痛を与えるだけだ。ならば、痛みは最小限に……。

 私は町の男たちの首を己の腕で締め上げた。息の詰まる苦しさに、皆、私の腕へと指を食い込ませる。

 一人……また、一人。

 全身で人の断末魔の叫びを感じ取る。

 時間の感覚はとうに失い、最後の一人が息絶えたときですら、私はまだ実感が湧かなかった。

 町が死んだ、と。

 町は二人や三人では成り立たない。ましてや、一人でなどあり得はしない。

 静まり返った街角。けれど今にも建物の影から、誰かが笑いながら歩いて来そうだ。

 だが、もう既にそれは現実では起こり得ない事。

 町のあちらこちらで赤い炎が上がり、天を焦がす。

 私はぼんやりとその光を見詰めながら、広場の屍をきちんと手を組ませて並べる。中には生前とても親しくしていた人も居た。

 良く酒を飲んだり、盤上のゲームに興じた。

 私は一人、町を後にする。

 ふと虚ろに見開いた目を空に向けた。

 洪水のように溢れ返る満天の星空に、軽い眩暈と虚脱感を感じる。キラキラと輝く美しさは、地上のこの残酷な光景をどう映し出すのだろうか?

 空に輝く白銀の星々。地平線の先に現れた、太陽の白い帯。

 それは息を呑むほどに美しい光景。



 



 けれど、もう二度と私の心を満たしはしない。

 あれほど気高く美しかった、白、はもう存在しない。

 何故、人は他者を同じ色に染めたがるのだろうか?

 自分と同じ色……それは同じ文化、同じ考え、同じ顔、同じ言葉、同じ神。

 何故、違ってはならないのだろうか?

 違う色の存在が互いに引き立て合うからこそ、この世界は美しいと云うのに。

 何故、その存在を認めようとしないのか?

 一色のみの世界などに、どれ程の価値が在ると云うのか?

 だから、私たちはその色に染められる前に、自らの存在をこの世から消し去る道を選んだ。他者に存在を消されるのではなく、自らの存在を世界に残して消える。

 傍から見たら、それはどんなにか滑稽な事だろう。

 けれど。

 そうしなくては自身の存在を残す事が出来なかった。これに何の意味があるかと問われれば、きちんと質問に似合った答えを出す事は出来ないかも知れない。

 しかし、自身を受け入れてくれない存在をどうして受け入れる事が出来ようか?

 私はまだ見えない奴らに向かって、届かない声を出す。せめて、我らの心が届くようにと。

「我々は名もない小さな町の住人だった!! ちっぽけで、自衛の手段すら持たない町だった!! けれど、お前らには決して屈しない!! お前らになど、侵されたりしない!! 我々は誇り高き白の民!! 我らの心を思いを知るがいい!!」

 私は町の断崖から外へと飛び出した。

 さぁ、見つけるがいい。

 お前らの探している町は、お前らの手に渡りはしない。

 お前らの手に入れる物は、名もない男の屍唯一つ。



 そして、暁の町は永遠に眠り続ける────────。

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暁の町 縹まとい @mato-i28

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