第9話 復路

 キースたちが辺境開拓地の冒険者組合ギルドに帰還した。三十一人衆みそひとしゅうと殺し合いを演じた翌々日の夕方のことであった。

 迷宮で倒れた冒険者たちの亡骸を運ぶときの作法に従って、冒険者組合の弔旗を掲げて、常歩なみあしで馬には幌馬車を牽かせたので、帰還には普段の倍以上の時間がかかってしまった。


 冒険者組合到着後、キースは遺品検査を担当する職員を呼び出して、勇者一党の亡骸と装備一式を引き渡そうとしたのだが、あっさりと断られてしまった。職員からは、遺品は検めるが引き取りは出来ない、以後の指示は受付のモモに確認して欲しいと告げられた。


 ——嫌な予感しかしない。


 戸惑いの表情を隠す間もなく、キースは再びギルドの正面玄関の扉を抜け、受付窓口のモモの前に立つと、回収依頼サルベージ・クエストの完遂の署名を貰うべく、依頼受領書を差し出した。


「お帰りなさい。完遂ですね。本件に関する追加依頼エクストラ・クエストを預かってます。組合長マスターからのご指名です」


 ——追加依頼。まあ、予測はつくけどな……


 モモは、キースの戸惑いの表情も素敵とばかりに彼の顔をじっくりと眺めた後、依頼の受領書を受け取り、完遂確認の欄に署名した。そして、白金貨が詰まった皮袋を差し出す。


「取り敢えず、報酬をお受け取りください」


 モモは莞爾と笑みを見せている。この張り付いたような笑顔営業スマイルには恐怖にも似た感情を掻き立てる力がある。

 キースは、ずっしりと重い皮袋を受け取り、雑嚢に収めた。普段なら報酬の重さに応じて、大きな達成感に浸ることができるのだが、今回は、皮袋の重さの分だけ、心が重くなるだけだった。


 左右に気配を感じる。カネヒラとジェフリーが側にきていた。両人ともに不満げな表情を浮かべていた。キースが纏った雰囲気で事態を察してのことだ。

 モモは、カネヒラに一瞥をくれるが、気に留めた様子もなく、新しい依頼書を受付卓に置いた。

 

「そして、こちらが追加の依頼書です」


 キースは依頼書に視線を向けずに、モモの瞳をじっと見つめる。モモも見つめ返す。彼女は、キースの不満表明の視線がとても素敵だと思うだけで、視線による抗議は意味をなさない。

 暫しの間。焦れたカネヒラがキースの肩をぽんぽんと叩き、話を進めるように促す。渋々、依頼書を取り上げて、内容を確認すると、それは遺体の届け先と受取人の名称が書かれているだけの簡単なものであった。


『勇者一党を故郷に送り届けること。帰るまでがだろ?』


 組合長アデレイドの伝言が走り書きのように残されていた。横から覗き込んでいたカネヒラが口を開く。


「遠足ってなんだ?」


「さあ……なんだろうね」


 もはや諦め顔のキース。困惑するカネヒラ。無表情のジェフリー。組合長アデレイドのやり口がどの様なものであるのか、よくよく身に染みているジェフリーは、無心であることを心がけている。


「で、組合長ギルマスは何処にいるんだ?ちょいとオハナシなどさせて欲しいのだが……」とカネヒラ。


「今朝に転送陣を使用して、王都のお偉いさん副本部長のところに出向いています」とモモ。カネヒラの諦めの悪さにニマニマとしている。


「モモ。D.E.ディーが帰って来るまで待って貰えないか?」


 追加依頼書に記載された報酬金額も書類を作成した者の正気を疑う程には高額であった。冒険者組合が報酬を弾むのはいいが、正教会の暗部との殺し合いにならない保証は何処にもない。割に合わないのだ。それならば、辺境の冒険者組合の中でも、最大火力を保有する妖精族の術者であるD.E.を同伴させたい、と思うのは当然であろう。


「出発がいつになるのか、わからないじゃないですか——」


 それに——と付け加えながら、カウンターから少し身を乗り出し、カネヒラの耳元に口を近づけて、長らく生きてきた獣人族の例に漏れず、妖艶な笑みを浮かべ、他には聞こえないように囁いた。


転移門ゲートは使わずに済ませて欲しい、というのが組合長マスターのご要望です」


「……」


 カネヒラの表情が険しくなる。日頃、締まりのない表情と戯けた態度の彼には珍しい反応であった。


 モモは、姿勢を戻して、すまし顔になる。カネヒラの渋面に満足したのか、僅かながら口元がわらっているように見える。そもそも猫人族は、男女問わず、優しげで明るい雰囲気を醸しだしていて、多くの人々に何時も笑顔であると印象付けている。この場合は、悪戯が上手くいった、という笑顔であった。


 モモは、手持ち無沙汰なキースに再び張り付いたような笑顔営業スマイルを向ける。


「迷宮内の時間の流れとは違います。急いでくださいね」


 ——確かにそうだな。


 キースが頷く。


「ああ、綺麗な姿のままで還してやらないとな……」


 キースは、年若い勇者に対する憐れみもあるのだろうが、追加依頼の報酬も破格であり、気持ちは晴れないが、金になるならまあ我慢するか、となったようだ。

 カネヒラはため息を漏らすと、一歩引いて、ジェフリーに視線を送ると、それに応えるようにジェフリーが頷く。


「三十一人衆のことは心配するな。先走った下人衆がやらかしただけだ。上人衆が組合長ギルマスと事を構えたいとは思うまい」


 キースにしても、ジェフリーにしても荒事への対処には、多少なりとも心得がある。余程の達人が相手でない限り、大勢と敵対したとしても打ち勝つ自信があった。一般人に近いカネヒラにしてみれば、この追加依頼は迷惑この上ないのだが、仕事仲間が受けるというのであれば、致し方なしと諦めるしかない。


「変なのが混ざっているけど、あれも届けないとダメか?」とカネヒラ。


「ダメです」とモモ。


 完全防腐処理された物体が一つ紛れている。棺の中でこーこーこーと音を立てる残念な物体。どうやら其れも一緒に運ばなければならないらしい。

 残された者たちに訃報を届けるという役目というのは、誰にとっても心苦しいものだ。遺体の状態がどうあれ、たとえ棺の中が空であっても、嫌な役回りである。それなりの理由をつけて、断れるのであれば断りたい。しかし組合長アデレイドからの指名依頼だけに断れない。キースたちは気の重くなる追加依頼を受けることになった。



 南部の辺境開拓地から北東の方角、街道をジェフリーの幌

 馬車——急げば日に七〇粁ほど進むことができる——で三日ほどの距離にある小さな町。王領と公爵領の境界。ここが勇者と聖女の出身地。この町の修道院が組合長アデレイドに届け先として指定された場所の一つだ。

 道中、公営の駅馬車とすれ違う時に巻き上がる砂埃、御者同士で交わされる挨拶。それ以外は特にこれと言った変化はない。馬の蹄や車軸の音が聞こえて来るだけで、平坦で単調な道が続く。


 今回のでは、万が一に備えるため、“例の車箱”は牽引していない。お陰で野営の際に厠の設営が必要であった。カネヒラがついでとばかりに、“嘗て賢者だった何かあれ”を何度も埋めようとするのを、キースが呆れながら止めていた。

 カネヒラの暴挙の理由を尋ねれば、漏れ出ている呪文詠唱が耳障りで眠れない、というものであった。尤もなことではある。だが通常の人間には聞こえない類のものだ。キースは、カネヒラも“自分に近い存在”であることが確認でき、僅かではあるが嬉しさを覚えた。


 そうこうしているうちに三日目の朝が来た。彼らは予定通り目的地の近くまで何事もなく幌馬車を進めることができた。

 遠方に二つの鐘楼が高く聳える、赤い屋根の赤煉瓦作りの古めかしい修道院が前方に見えてきた。広々とした向日葵畑に囲まれ、何処か隔絶した雰囲気を漂わせている。秋の訪れにはまだ早い。抜けるような青空の下、満開の向日葵の黄色が映える。時折、クロツグミやビタキに似た夏鳥が、南へ向かって飛び去る姿が視界に入る。


「大司教様の庇護下ということだが、柵ぐらいは作った方がよくないか?」


 カネヒラの指摘は一般論としては正しい。この世界は魔物だけでなく盗賊や不正規兵が跋扈している。堀も柵もなく、ただ畑に囲まれている町外れの建物というのは、見ているだけで不安感を誘う。


「多分、必要ないかな……」とキースが気の無い返事を返す。


 キースは、例の首飾りから地肌に伝わる温もりを感じていた。“聖女の結界”が修道院やそこに併設された孤児院を守っていることは間違いなかった。勿論、今や棺に収められている聖女のではない。直感的に別人が起こした奇跡だと判る。首飾りから伝わってくる感触に、柔らかさが足りていないのだ。


「結界だな」と比較的大きな声でジェフリーが御者台からキースに確認する。


「うん。結界。三条みすじの滝のとは質が違うけどね……」とキース。


「なるほどね」とカネヒラ。


 暫くの後、ジェフリーは、馬たちに駈歩かけあしから速歩はやあしに変えて進むように指示を出した。修道院の玄関口が見えてくる。

 ジェフリーがそこに三人の聖職者の姿を認めた。偶々、薬草園に薬草を取りに玄関から出てきた訳でも、野良仕事を終えて戻るところでもない。彼女たちは明らかに客人を迎えるためにそこに立っている。


「出迎えのようだが……」


 ジェフリーは、幌馬車を減速させる。馬たちは常足で幌馬車を牽く。それに合わせてカネヒラが御者台に上がる。彼は弩に矢弾を番えて、周囲を警戒する。


冒険者組合ギルドが気を遣ったか?」とカネヒラ。


「モモならありえるけど……」とキースはカネヒラに答えるように呟き、幌馬車の中、オレンジ色の照明を見つめながら考える。


 ——秘匿優先だもの、事前連絡とかあり得ない。


 己の迂闊さに苛ついたのか、キースの表情が険しくなる。双剣の柄を握り、首飾りに意識を向けて、敵対者の存在を確かめるが、周囲一五〇〇歩調アラク(二四〇〇メートル)以内に反応は無かった。杞憂であったのは良いことではある。だが、キースはこのところ注意力が散漫というべきか、目立って油断が多い。


「敵影なし!」


 キースが大声で断言すると、カネヒラもジェフリーも警戒を解く。そのままジェフリーが幌馬車を修道院の玄関口に寄せた。制動器を引いて留める。

 馬たちの低い嘶き。矢弾が外された弩を背に背負ったカネヒラが御者台から降りて、馬たちを労う。水を寄越せと前掻きしつつ鼻を鳴らす二頭の馬。その様子に気がついたジェフリーが、馬の相手と積荷の番は自分に任せて、キースについてやれ、とカネヒラに向けて手信号を送る。カネヒラが右手を上げて応えて、馬車の後方に移動する。


 キースは幌馬車の後部から勿体ぶったようにゆっくりと降りる。


 ——気が重い。


 修道院の玄関口には妙齢の女性。一瞥して直ぐに高位の聖職者と判る。その後方、二人の年配の修道女が控えている。此処の女子修道院長とその補佐であろう。

 高位の聖職者は、憂を帯び、覚悟を決めた瞳でキースを見つめている。彼は、胸に手を当て、狩人帽を取り、優美に一礼する。顔を上げて、口上を述べようとするが、言葉が出なかった。

 キースは、息を呑んで、高位聖職者の顔をまじまじと見つめた。枢機卿の階位を示した司教冠に精緻な刺繍の拝礼用の幄衣。司教冠に大部分が隠れているが特徴的な緑色の艶やかな髪に深い緑色の瞳。見覚えがある。


 ——ヒルデ様じゃないかッ!?


 内心穏やかではいられなかった。王都で駆け出しの冒険者をやっていた頃、キースがとても世話になったのが教区長のヒルデであった。そのヒルデが枢機卿の衣装を身に纏い、目の前に立っている。今回のクエストの依頼主は、南方統括の大司教のヒルデガルド。キースが知っているヒルデは、歴史的価値のある聖遺物と聖人の挿話にしか興味を示さない、口下手で冴えない教区長。正教会権力の中枢を占める程に出世するような人物とは思ってもみなかった。そもそもヒルデという名前は大して珍しくもない。同一人物であるとは予想外。


 ——あの頃と全く変わらない……衣装は豪華だけど。


 動揺を隠しつつ、何とか口を開く。

 

「冒険者組合長アデレイドの名代として御前に控えしは、冒険者のキースと申します」


「お待ちいたしておりました」


 大司教ヒルデガルドが返礼すると、キースの横にいたカネヒラも恐縮した様子で頭を下げた。


「こちらへどうぞ」


 キースたちは、三人の聖職者の後に従って、音を立てないように静かに歩く。案内される先には、小さな礼拝堂があった。左右に神々の像が居並ぶ中を進み、正面の祭壇までくると、大司教ヒルデガルドと修道女二人は、跪いて、神々に感謝の祈りを捧げる。

 その間、キースたちは冒険者流義で胸に右手を当て、最敬礼の姿勢で、大司教ヒルデガルドたちが祈り終えるのを待った。自分達が祀ろわぬ者と憐れみや蔑みを向けられるだけとはいえ、わざわざ不遜な態度で、信仰の篤い者たちを不快にさせることもない。それに目の前にいるのは、駆け出しの頃に世話になっただ。


 大司教ヒルデガルドは、祈り終えると振り返り、悲しげな表情で語り始めた。


「今朝のお勤めの際、生死を司る女神様からの託宣がありました。勇者様と聖女様の訃報を齎す者が訪れる。その者は神々の奇跡とは無縁であると……」


 本日、使者が到着することを神様が事前告知した、という事らしいが、態々、その使者が“祀ろわぬ者”であることを嫌味っぽく強調する辺りが、実にこの世界の神様らしい。

 キースとカネヒラは、居並ぶ神々の彫像に呆れたような視線を向けた。二人の不敬な視線を咎めることなく、大司教ヒルデガルドは続ける。


「神々の言葉を疑うわけではありませんが、奇跡と無縁な者が、勇者様と聖女様を救いだせるとは計り知れないことです」


 一体どんな持ち上げ方フォローなのだと、キースとカネヒラは頭を捻った。現実は真逆である。奇跡を行使する者では迷宮の理を越えることなど叶わない。迷宮に囚われたものを救い出すことなど実現不能だ。神々から隔絶させた祀ろわぬ者だけが迷宮の理を易々として超えて、迷宮で遭難ロストした者たちを救い出せるのだ。

 彼女は、歴史の学徒ではあるが、世界の理を探る者ではない。


「神託を受ける側が神々の言葉を歪めることは珍しいことではありません。歴史書ばかりにかまけている私は修行が不足しているのでしょう」


 カネヒラは、この深緑の大司教様が、正教会の教義には真っ直ぐに向き合っているお人好しであることはよく分かった、と納得した表情を浮かべている。キースは、今も昔と同じ様に歴史書に埋もれているであろうことに安堵した。


 ——ああ、歴史好きは変わらないんだ。


 扉が開かれ音が背後からキースの耳に届く。六人の修道女が二つの棺を伴って、礼拝堂に入ってきた。棺は神々しく輝きながら浮き上がり、移動している。その後ろに大柄なジェフリー。大きな歩幅だが音を立てることもなく、静かに棺の後をついてきていた。

 流石、王都近郊の修道院である。どの修道女も容易に奇跡を行使する。能力は高い。王都教会で贅沢三昧の似非とは一味違う。重い棺を奇跡を行使して浮遊させて安易と運んでいる。奇跡の無駄遣いのようにも思えるが、力仕事を担う下男がいるわけでもない。奇跡を便利使いすることですら神々を讃えることとして、正教会から認められた行為である。


 大司教ヒルデガルドは、勇者と聖女の棺が祭壇に安置されるのを悲痛な表情で見つめていた。


「この子たちが勇者として、また聖女として、選ばれたときの最後の言葉を、その響きを忘れることができません」


 勇者と聖女が旅立つ日——


『立派に勤めを果たして参ります。生きてお会いすることはもはや叶わないかもしれません。先生には、いつまでもご壮健であられますよう、神々にお祈りいたします』


 ——聖女が大司教ヒルデガルドにそう言って、別れを告げた。


「わたしは、二人を止めることができたのに、止められなかった」


 大司教ヒルデガルドの視線はジェフリーに向けられていた。キースは悔恨に悩まされるような大司教ヒルデガルドに何と声をかければ良いかわからず。ただ彼女の様子を不安げに見守っていた。

 カネヒラは背後のジェフリーを気にするように一瞬視線を動かしたが、大司教ヒルデガルドに不可解極まり無いという表情を向ける。何故、役儀を後悔しているのか、理解の範疇を超えているからだ。

 ヒルデガルドの視線を受け止めているジェフリーは石像のように動かない。その眼差しは空虚感で満たされていた。二人の間に沈黙が降りてくる。わずかな時間ではあるが、その場は、永遠の時の流れを感じさせるような静けさにつつまれた。彼女は、やがて瞑目して、祈りの言葉を口ずさむと、再びキースに目を合わせて言った。


「二人を救い出して下さいましたことに心より感謝を申し上げます」


 大司教が静かに頭を下げる。


 ——仕事を終えよう。


 キースが、返礼し、息苦しさを振り払うように口を開く。よく通る澄んだ声が礼拝堂に響くようだ。


「お二人のご遺体は、冒険者の流儀ではありますが、清めた上で棺に納めさせていただきました。また遺品はこちらの布に包んであります」


 迷宮ダンジョンの穢れは聖水と聖布で綺麗に落としたことを伝えた。そして近くに控えていた修道女に勇者と聖女の遺品を渡した。


「勇者様と聖女の象徴たる装備は棺に納めてあります。ご確認されますか?」


 キースの問いに、大司教ヒルデガルドは頭を振って答えた。


「不要です。存在を感じておりますから……」


 そして一呼吸の後、静かにだが力のある声で言った。


「このことは他言無用ということでお願いいたします」



 向日葵畑の修道院を辞して、街道沿いに幌馬車で更に二日ほど進むと、中央王国最大の商業都市に至った。キースたちは、聖剣などの面倒事を大司教に押し付けることで、多少気が楽になったのか、道中、“嘗て賢者だった何かあれ”が発する音も気にならないくらいには、気分が良くなっていた。


 検問で揉めることもなく通過した後は、街の門から馬車道を真っ直ぐ北に進んで、中央の噴水の手前で、西へと方向を変え、突き当たるまで道なりに進むと目的の場所、賢者と呼ばれていた魔法使いの屋敷前に到着した。

 招き入れるようにゆっくりと門扉が開く。二頭の馬は、耳を伏せて、険しい目つきになる。ジェフリーが何とか宥めて、門扉を潜るが、そこからが長かった。無駄に大きな敷地であった。


 キースたちが警戒しながら、樹木の多い道をしばらく進むと、ふるめかしくも大きな石造の屋敷、どちらかといえば城という表現がふさわしい、建物が現れた。大きな玄関口に女性が三人。華麗で粋な黒のドレスに白い厚手の前掛け、白い縁に襞の付いた帽子モブキャップを被っている。出迎えとして佇んでいた。


 キースは、馬車から降りて、三人の女性の前に立つ。


 背の高い痩身の女性が丁寧なお辞儀をする。他の二人とは風態が少し異なって、袖口に銀糸による刺繍が施されている。おそらくは家事使用人長ハウスキーパーであろう。本来、見事な金髪の長髪であろうが、無造作に後ろにまとめてあり、帽子は繊細な装飾布で作り込まれていた。


「我が主人様は馬車の中ですね」


「はい。傷つかないように丁寧に布で包み、棺に納めました」


 ものは言い様である。鬱陶しさと見苦しさから聖布でぐるぐる巻きにした筈であった。


「ありがとうございます」


 それなり名の通った迷宮遭難救助隊サルベージャーズの気遣いと受け止めて、心を込めたお礼なのだろう。優美なお辞儀である。


 家事使用人長ハウスキーパーは、棺を受け取るよう女使用人メイドたちに指示を出した。音もなく声もなく動き出した女使用人メイドたちが、幌馬車の後ろに近づくと、不意に幕が持ち上がり、棺がひとりでに幌馬車から運び出された。女使用人メイドたちが左右に分かれると、その間に収まるように、ちょうど腰の高さに浮んだ状態で停止した。その様子にキースは感心する。


 ——術者っていうのは実に便利なものだ……


 棺の蓋が開かれる。家事使用人長ハウスキーパーが棺の側まで移動し、中を確かめるように覗き込んで後、呆れたようなため息を漏らした。キースは彼女たちを眺め、主従の関係にもいろいろあるのだろう、と思いながら説明を加えた。


「おそらく、。賢者とまで呼ばれた程のお方ですから、復活のための何らかの手立ては事前に用意されているのではないかと想います」


 家事使用人長ハウスキーパーは、正教会によって禁忌とされる内容を平気で口に出したキースを興味深げに覗き込んだ。今しがた棺の側にいたはずである。一瞬、気圧されるが、キースは言葉を続ける。


「この術式は複雑すぎて、私の理解を超えていますが、術理の系統は判ります。必要であれば、お伝えいたしますが、ここから先はお屋敷の方々の領分かと……」とキースは苦笑いを浮かべる。


 対人の距離感が狂っているのか、家事使用人長ハウスキーパーの顔が近い。美女ゆえにそれほど悪い気はしないが、妙な迫力を感じる。


「おや。当世でも貴女のように死霊術にお詳しい方がおいでになるのですね」と家事使用人長ハウスキーパーが応える。


「ん?」


 キースは、自分が女性であると認識されているように感じた。


「まあ……これは失礼いたしました」と怪訝な表情を浮かべるが、納得したのか、先程までの無表情にすぐに戻った。


 キースと家事使用人長ハウスキーパーのやり取りを観ていたカネヒラが不意につぶやいた。


「あ、真祖か……」


 その瞬間、家事使用人長ハウスキーパーの雰囲気がガラリと変わる。彼女の両手の五指先から血のように赤い爪が伸張すると、目にも止まらぬ速さで、カネヒラの首元へと突きつける。その動きに呼応するように、無意識にキースの体が反応して、双剣に手を添え、低い体勢から踏み込もうとする。だがカネヒラが左手の掌を前に軽く出すと、キースと家事使用人長ハウスキーパーの動きを制した。


「物騒だな」とカネヒラがニヤリと笑う。


「軽い挨拶ですよ?」と家事使用人長ハウスキーパーが返す。


「カネヒラ。お客様の素性を口にするのは失礼だぞ」とジェフリー。


 彼はキースを守るように一切の気配もなく瞬時に傍に移動していた。ジェフリーの判断は早かった。三十一人衆の下人とは比べ物にならない程、この家事使用人長ハウスキーパーは圧倒的強者なのだ。


「おお、確かに……失礼いたしました。お詫びいたします」とカネヒラが頭を下げるが、恐れを抱くような素振りはない。


 だが家事使用人長ハウスキーパーの殺気は鋭さを増す。


「何故?」


 家事使用人長ハウスキーパーは自分が真祖であることを、冴えない風態の男にあっさりと見抜かれたことが気に入らないようだ。彼女たちにしてみれば、自然な動きであろうが、一般人からみれば、彼女たちの瞬歩は異常なのだ。賢者以外の人と接する機会が少ない所為もあるだろうが、一般の女使用人メイドとの違いを自覚していないのは、なかなか厄介なことである。


「ま、商売の種は隠す。それが冒険者ってもんだ。種明かしは勘弁してくれ」


 カネヒラは、不死者の真祖バンパイアの要求に対して、左腕を掲げて笑いながら応えた。彼は、左腕に何らかの種を仕込んでいることをあえて示したのだ。百以上の迷宮ダンジョンからを持ち出すことに成功しているのだから、それなりの種はいつでも仕込んである、というわけだ。

 このトレジャーハンターが一般冒険者を自称自認することにはかなり無理がある。とは言え、そもそも特別な力に頼らなくても、あれだけ怪しげな動きを目の前で見せつけられれば、相手が不死者の真祖バンパイアであることくらいは、古参の冒険者なら誰でも予想がつく。

 だがジェフリーの指摘は正しく、顧客の素性を口に出すのは礼儀に欠き、迂闊であることには違いない。

 一方、瞬時に迎撃の態勢をとったキースの方は、カネヒラの指摘を待つまでもなく、すぐにでも正体を見抜き、彼女たちを警戒すべきであった。今回の仕事では、どうにも反省する事が多い。特に魔道具や神代の装備に頼りすぎるのも冒険者としてはかなり拙い。


 ——双剣にも首飾りにも全く反応しなかった。


 キースは姿勢を正すと、攻撃体勢をとったことを詫びるため、不死者の真祖バンパイアに頭を下げた。


 ——血爪には反応したけど……なにか違う。


「魔女の眷属どもはタチが悪い」


 不死者の真祖バンパイアはキースを見つめる。射竦めるような眼差しだ。キースは張り付いたような笑顔営業スマイルで応えた。


「そうかもしれません」

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