Ep.43 約束と誓い

「ミウ先輩、練習に来なくなって今日で三日目ですね」


 落ち着かない様子で佳弥子がいう。隣では円華が一人で黙々とクロスワークをこなしている。

 五分間の休憩を与えられ、一年生はコートサイドに置いたウォーターボトルで水分を補給していた。

 シュートドリルをこなしたばかりだが、正直いって、今のチームには以前のような覇気はなく、ただ、漫然とボールを扱っているようにしか見えない。


 星南の葬儀にラクロス部で参列したあと、選手たちの精神状態の安定をはかるために、友美は翌日の練習を休みにした。

 とはいえ、全国大会を二週間後に控え、このまま無為に時間を浪費するわけにもいかない。須賀と友美、そして泉美の三人が話し合い、三日間だけ練習は自主参加にすることにしたのだが、結局、美海だけがその三日間、一度も練習に来なかった。


「なんやかんやで、キャプテンと一番仲良かったの、ミウ先輩やったもんなぁ」

「そうだけど……」


 英子の言葉に、裕子は目を伏せた。

 あの夏合宿の夜、美海の口から直接「実は私も、星南のことが好き」と聞かされた裕子には、星南がいなくなったことの意味が、ただ単純にチームの柱を失ったことだけに留まらないことが、嫌でもわかってしまう。

 もしも今、自分にとって泉美という存在が永遠に失われてしまったら、きっと正気ではいられない。考えただけでも、心の奥が抉られたみたいに苦しくなるのに、今の美海が抱える喪失感をどう推し量れるというのだろう。


「……今は、待つしかないわよ」

「もし、ミウ先輩が来なかったら?」


 楓がいう。

 彼女は、中学時代に上級生のボイコットのせいで、試合に出ることができなかった過去がある。チーム全員でようやく手にした全国大会への権利も、それまで積み重ねてきた努力も、たった一人の欠員ですべてが水の泡となってしまうことを、楓は身をもって経験している。

 誰も、楓の問いに答えられずに黙り込んでいると、後ろからコツンと頭を叩かれた。

 振り返ると、泉美が優しく微笑んでいた。


「ミウなら、きっと大丈夫。だから、信じていよう。ミウが自分の意思で、自分の足でこのグラウンドに帰ってくるって」


 泉美がむける視線の先、低く垂れこめた鉛色の雲を横切って飛行機が降下していく。少し遅れて、ターボプロップの唸るような低音がグラウンドにも届く。

 信じて待つことしかできないもどかしさは、泉美だってきっと同じだ。それでも、星南が不在となった今、チームをまとめるために泉美は、不安も悲しさも全部、自分の奥底に押し込んでいるに違いない。

 だったら、自分たちも考えても仕方がないことを考えるよりも、今できることをやろう。


「みんな、練習しよう。ミウ先輩が帰ってきたときに、こんなあたしたちを見たら、余計に心配させるわ」

 裕子はウォーターボトルを置いて、グラウンドに駆けだした。

「ですね」

「せやな」

 裕子に続いて一年生たちはグラウンドに駆け戻り、シュートドリルを再開した。


 南の島でも冬は日が落ちるのが早い。五時半を過ぎると、あたりはしんしんと静かに闇が積もってゆく。練習の最後に泉美がチームメイトを招集したとき、誰かが「あっ」と短い悲鳴のような声をあげた。


「ミウ先輩っ!」


 暮色に溶けたグラウンドの入り口に制服姿の美海が立っていた。チームメイトたちが美海に駆け寄って取り囲む。美海は静かに首を垂れる。

 

「みんな、三日間も練習を休んでごめんなさい」

「それで、ミウはもう大丈夫……なの?」泉美がきく。

 美海はゆっくりと頷いて、いった。

「私、東京の青松大付属高校に行ってきたの」


 その言葉で、チームに一瞬ざわついた空気が流れた。




 飛行機から見た東京の街は、美海にとってまるで異世界だった。どこまでも広い平野に、無機質な建物がひしめき合い、その隙間を縫うように道路が張り巡らされていた。

 都心にむかうモノレールに乗るのにも一苦労だった。周りの人はみんな改札に触れるだけで、どんどん通過していくのに、美海が券売機で購入した切符を改札に触れさせて通過しようとしたら、ゲートが閉まって「切符を入れてください」と、改札機に怒られてしまった。

 学校の最寄りの渋谷駅なんて、美海が普通に歩けるような場所じゃなかった。信号が一回変わるだけで、遊路島の全島民が集まったみたいな人混みだ。何度も道に迷ってたどり着いた青松大付属高校のグラウンドで、美海はようやく目当ての人物を見つけた。


 ネレイデスのキャプテン桜ノ宮美玲は、美海を見つけると自分の練習を中断して駆け寄ってきた。


「君、確か日比井の友達の……」

「山栄美海です。その節はいろいろとありがとうございました。その上、今日は急に押しかけてすみません」

 美海は深々と頭を下げる。

「それは構わないけれど……よく一人でこれたね」美玲が苦笑いでいう。

「スマホでは空港から一時間で来れるはずが、倍以上かかってしまいました」

「それで、今日はどうしたの?」

「……セナから伝言を預かってきました。『絶対に、あなたたちを倒して、日本一になります』って」

「なるほど。で、当の日比井はどうしたの?」

「……セナは、先日亡くなりました」

「そう……それは、本当に残念でならないわ」


 美玲は悲しそうに目を伏せた。二人の間に重い沈黙が居座る。でも、どうしても大会前に、聞いておかなければならないことがある。美海は意を決するように、短く息を吸うと、まっすぐ美玲を見据えた。


「どうして桜ノ宮先輩は、セナがラクロスを続けることを、意味のないことだっていったんですか?」

「ラクロスを続けることを無意味といったんじゃない。日比井が命を削ってまでラクロスを続けることに、意味がないといったの。ラクロスは日本では知名度のないマイナースポーツよ。プロリーグがあるわけでもないし、企業がクラブチームを持っているわけでもない。日比井が病を押してラクロスを続けても、行きつく先は所詮アマチュアでしかない。私は、日比井にはもっと命を大切にしてほしかった、生きてほしかった、だから……」

「よかったです………」

 美海は呟く。

 美玲が思わず「え?」と返す。

「桜ノ宮先輩にとってラクロスは、競技でしかなかったんですね。でも、セナは違いました。ラクロスは、彼女にとって人生でした。彼女は自分の人生を、自分の意思で切り拓いて、そして、何もない私たちの島にラクロスという道を与えてくれた。そんなセナのラクロスが、ただの競技でしかないラクロスに負けるはずがありません。桜ノ宮先輩、改めてお伝えします。これは、私の……私たちアクルクスの言葉として、『絶対にあなたたちを倒して、日本一になります』。今年は無理かもしれない。でも、いつか必ず、セナが切り拓いてくれた道を、私たちが日本一まで導きます!」


 美玲は一瞬驚いた表情を浮かべて、そしてふわりと緩める。

 はめていたグローブを外し、その手を美海の前に差し出した。


「私たちは高校生王者として、日本中の高校生ラクロッサーから挑戦状を叩きつけられる立場にいる。アクルクスの挑戦、確かに受け取ったわ」


 美海と美玲はしっかりと握手を交わす。

 

「そうだ、せっかく足を運んでくれたんだし、一緒に練習をしていかない?」

「でも、全国大会前に他校の選手に練習を見せるのって……」

「山栄さんの言葉にはっとさせられたの。ラクロスはただの競技じゃない。私たちラクロッサーにとって、ラクロスは絆そのもの。だけど、全国王者であり続けることに固執するあまり、大切なことを忘れてしまっていたのかもしれないわね」


 美玲はチームメイトたちが駆けまわるフィールドを見遣ると、楽しそうに笑った。


「私たちも、心からラクロスを愛している」




 美海は深く頭を下げ、チームメイトたちに「勝手なことをしてごめんなさい」と謝りつつも、決意を込めた強い視線をむけて続けた。


「でも、セナとの約束も、私の想いも全部ぶちまけてきた。それに私、約束したの。あすなたちの想いも連れて、全国で戦うって。だから行こう、日本一を目指そう」

「行こう!」泉美が手を差し出す。

 それを見てチームメイトたちが次々と手を重ねていく。

「ミウ」

 泉美が呼ぶ。最後に一番上に手を重ねた美海がぐるりとみんなを見渡す。

 星南が残してくれたこの宝物を、私たちは全国に届ける。

 そしてアクルクスを、日本一のチームにする。

 その願いと決意を込めて美海は、腹の底から声を出して叫んだ。


「勝利を目指して翔べっ!」

「アクルクス!!」

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