Ep.03 ラクロスとセナ

「結局、イズちゃんまで部活潰しにやられたのか?」

 驚きとも呆れともつかない声で八千代がいった。普段は宝塚歌劇団の男役のような落ち着いた低いトーンで話すのに、この時ばかりはワントーン高かった。泉美は肩をすくめる。

「部活潰しに『穀潰し』なんていわれて、ついね。でも、ミウを巻き込んじゃったのは完全にミスだった。ミウは九州大会に出られる実力があるんだから、日比井さんがテニスでまともに勝負して勝てるとは思えないし」

「まともに勝負すれば、だけどね。わたしたちの場合は、あの子がサーブをしたボールを打ち返して、レシーブされたら負けっていうルールだったんだ。そうしたらあの子、無回転サーブを打ってきたんだ。で、レシーブ崩されて、結局返すのが精いっぱい。多分、あの子はそうなるってわかっていたから、レシーブしたら勝ちなんていうルールにしたんだろう」

「あたしたちも、ボールを奪えば勝ちっていうことに気をとられていた。ボールを奪うためにディフェンス固めたら、外からスリーポイント。完全にしてやられたって感じ」

「ごめんね、イズ。わたしがあの子をマークするはずだったのに……」


 美海が心底、申し訳なさそうにいうと、泉美はいつものように、目を細めて笑いながら、手をぱたぱたと左右に振った。


「あんな位置からシュートを打って入るなんて、誰も思ってなかったんだから。それにね、あの子がいうこともわかるんだ。時間もお金もつぎ込んで、それでも勝つことすらできない部活やって、本当にそれでいいのかって」

「確かに、今まで面と向かっていわれたことはなかったからね。部活を三年間頑張って、仲間ができて、そういう時間が大切だって思っていたけれど……」

「それにしても、あの日比井って子、一体何者なのかしら。一年のときにあんな子いた?」

「二年生で転入してきた移住者らしい。クラスでもあまり交流がなくて、住んでいるのは青花地区らしいんだけれど、詳しいことは誰も知らないらしい」

「そっか。どちらにしても、部の解散の手続きをしなきゃいけないと思うと、気が重いなぁ」


 昼休み、早々に弁当を食べ終えると、美海はテニス部の顧問をしている森に会うために職員室に出向いた。

 泉美や八千代に比べれば、ましだとは思うけれど、たった一人の部員でキャプテンでもある自分がいきなり辞めるといえば、顧問は嫌な顔の一つでもするだろう。そう思うと、足取りは重くなるし、お腹の奥がキリキリと痛んだ。

 アルファベットのHの形になっている校舎は右側が一般教室、左側に職員室をはじめとした事務室と特別教室が集中していて、渡り廊下からはテニスコートのある中庭が見下ろせた。

 五月の穏やかな日差しに、テニスコート脇のモチノキが青々とした若葉を茂らせている。もう、あのコートでラケットを振うこともないのだと思うと、一抹の寂しさがこみ上げてくる。

 顧問の森とは、用具倉庫の鍵を借りるために毎日顔を合わせているので、いまさら改まって話すような間柄でもない。だったら、軽いノリで「私、部活辞めまーす」くらいいえそうなものだが、根が真面目なせいで、結局「先生、お話があるんですが……」と、切り出すしかできなかった。


「おお、山栄か。どうした?」

「実は、テニス部を辞めたいと思いまして」

 そういって、退部届を差し出すと、彼は「おお、そうか」と、まるでそれが当たり前であるかのように受け取ったため、思わず美海のほうが面食らった。

「あの……いいんでしょうか?」

「だって、ラクロスやるんだろ? 日比井と」

「え?」

「いいよなぁ、ラクロス。ちょうど俺たちがまだ高校生くらいのときにさ、ドラマでやってたんだよ。深山アリスちゃんが女子大生の役でさ、こう小さな網がついたスティックみたいなのを持って、それで相手のゴールにボールをシュートするんだよ。ユニフォームがポロシャツにタータンチェックのミニスカートで、それがまた可愛かったんだよなぁ……」

 妄想にうっとりとする森に、美海がたずねた。

「日比井さんがやろうとしているラクロスというのは、つまりそういう競技ってことなんでしょうか?」

「あれ、知らないの?」

「はい。ラクロスどころか、まだ日比井さんのこともよく知らないままで……」

 美海がいうと、森は余計なことをいってしまったとばかりに、気まずそうに頭を掻いた。

「まあ、いずれわかることだし、別にいいか。あいつは元々東京の青松大学付属中学ラクロス部で、全国大会で優勝したこともあるんだよ」

「全国大会で優勝?」

「山栄はテニスの才能はあるし、おれなんかより全然うまい。でも、九州には山栄より上手いヤツは山ほどいる。俺が山栄を連れて行けるのは九州地区大会で精いっぱいだ。だけど、日比井とラクロスをやれば、お前ならもっと上を目指せるかもしれん」


 そういえば、星南はあのとき「全国の高校生たちと戦える部を作る」といっていた。でも、初心者の寄せ集めで、果たして全国を目指すなんて可能なのだろうか。

 森は続けていう。


「ラクロスはカレッジスポーツのイメージが強いから、大学生になって初めてラクロスをプレイしたって選手も少なくない。高校生から始めれば、大学では大きなアドバンテージになる。そういう意味でも、今よりもっと上を目指せるスポーツかもな」


 森は部の廃止手続きについていくつか段取りを伝えたあと、美海にいった。

「いつまでも変わり映えしないこの島では、あまり馴染みはないかもしれんが、何事も、新しいものを作りたいなら、まずは古いものを整理しなきゃならん。スクラップ・アンド・ビルドってやつだ。建物だろうが、組織だろうが、古いものを残したままじゃあ、手間もコストも増える一方だ。だったら、今あるものはぶっ壊して、新しく作るべきだろう。だから、山栄は退部のことを気にするな。ラクロスを始めるなら、リセットしたつもりで精一杯頑張れ! 大丈夫、お前なら、きっとうまくいくさ」

 自分をリセットする。

 そんなことが簡単にできるのだろうか。そう思いながらも、森のあっけらかんとした笑顔に背中を押されるような思いで、美海は深々と一例をして職員室を後にした。


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青松大学付属中学・高等学校 全国大会連覇へ

  

 11月〇日、東京都練馬区総合運動場にて関東中高生女子ラクロス秋季リーグ決勝が開催され、青松大学付属中学・高等学校が8対5で神奈川県立横浜清風館高校を下し、関東代表として、一月に行われる全国中学高等学校女子ラクロス選手権大会への出場権を獲得した。

 青松大中・高校は、大幅にメンバーを刷新し一年生と中等部からの六名もの選手起用を行った。中でも一年生、ミッドフィルダーの桜ノ宮美玲選手と中等部三年生、アタックの日比井星南選手の活躍がめざましく、桜ノ宮選手の圧倒的なドライブ力と日比井選手の高い決定力による見事な連係プレイで、終始、清風館のディフェンス陣を翻弄し続けた。一方、清風館高校は桜ノ宮選手の厳しいチェックを受け、思うようにパスがつながらず、ゴール前でもシュートまで持ち込めない場面が目立った。

 青松大中・高校の8得点中、4得点は日比井選手による得点で、残る4点も、桜ノ宮選手によるアシストによる得点だった。中等部からラクロス部を有する青松大中・高校の選手層の厚さを見せつけられる試合展開であった。

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「で、そのポロシャツにタータンチェックできゃっきゃするスポーツで全国に行ったからなんなの? 所詮マイナースポーツでしょ、アタシは絶対認めません!」


 放課後の視聴覚教室に裕子の声が響く。先日、星南との勝負に敗れた女子バレー部と女子バスケ部、そしてテニス部が、星南に招集されていた。しかし教室内に星南の姿はなく、美海はスマートフォンで青松大学付属中学と日比井星南で検索して、ヒットした記事をみんなに見せていた。

 校内でスマートフォンの利用は原則禁止されているが、もはや有名無実になっていて、授業中でなければ生徒たちは普通にスマートフォンでネット検索をしたり、メッセージを送りあったりしている。


「だいたい、日比井セナが中学から凄かったとして、アタシたちの部を潰してその上、自分がやっていたマイナースポーツを押し付けられても『は?』て感じじゃないですか!? そうでしょ、イズ先輩っ!」

「まあ、そう熱くならないで、ユッコ。あたしも日比井さんのやり方が正しいとは思ってないよ。でも百パーセント間違いかっていうと、そうでもない気もするの」

「確かに、まったく土壌のないところで、新たにマイナースポーツを始めるのに、環境を整えてからでは、いつ始められるかわからない。ならば、多少強引な手を使ってでもメンバーを集めるというのは、一つの手段かもしれないな」

 八千代が、腕組みをしながらいう。裕子はそれでも納得がいかないのか、ふくれっ面でぼやく。

「だったら、なんでアタシたちが標的なのよ。他にも、陸上部でも吹奏楽部でもいいじゃない。そっちのほうが大所帯なんだし」

「多分だけど……」美海はぽつりと口にした。「メンバーが少なくて、大会に出られない部を対象にしたのかも。同じ少人数の部活なのに、テニス部の私との勝負にはあまり乗り気でなかったし」

「なんのために?」

 裕子の問いに、美海の頭の中に、ふと森の言葉がよぎる。スクラップ・アンド・ビルド。古いものを壊して、新しいものを作る。

 そのとき、ガラリと戸が開いて教室に星南が入ってきた。その手にはプリントの束が抱えられている。

 感情の読み取れない目つきで教室の中を見渡して、星南はおもむろにいった。


「入部届を配るから取りに来て」


 泉美が先陣を切った。なにか言葉をかわすのかと思ったが、お互い、一瞬目を合わせただけで、泉美はすぐにプリントを手に戻ってきた。続いて、八千代と美海が席を立つと、他の生徒たちも、不承不承といった様子で立ち上がり、星南からプリントを受け取った。彼女から入部届だと手渡されたプリントは、ノートほども厚みがある束だった。


「プリントの一番上にあるのが入部届よ。部活動名は既に書いてあるわ。全員、自分のクラスと名前を書いて、今日、わたしに提出して」

「で、この夏休みの宿題みたいな束は?」裕子が不満げにいう。

「それは、ラクロスのルールブックのコピー。ラクロスをやるんだから、最低限のルールは覚えて」

「そんなの、やりながら覚えりゃいいじゃない」


 裕子の反論に、相変わらず冷めた視線をしたまま、星南は教室の前方にある昇降式スクリーンを操作して、そこにプロジェクターの映像を写した。


「今からみんなには、今年の一月に行われた全国中学高等学校女子ラクロス選手権大会の決勝戦、『青松大付属高校』対『大阪桃陽高校』の試合映像を見てもらうわ。口で説明するより、見たほうが早いから」

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