Ep.02 部活潰しと穀潰し

 翌朝、泉美と一緒に登校した美海は、2年B組の教室で八千代に「おはよう」と声をかけて、近寄った。

 八千代の長い黒髪が、窓から差し込む陽射しを受けて、シルクのような光沢を放っている。涼やかな目元は、彼女の聡明さを象徴するようで、テストで上位成績を修めるのも当然といった印象を与えている。だからこそ美海には、彼女が部活潰しとの勝負を受けたことが信じられなかった。


「ヤチヨちゃん、女子バレー部のこと、噂できいたんだけど……」美海は声をひそめていった。

「ああ、それなら本当だよ。女子バレーは解散することにした」

「でも、どうして……」

「うーん、どうしてといわれると難しいなぁ」

 理由を聞こうとした美海に、八千代は困ったように眉をさげただけだった。

「ミウちゃん、イズちゃん。一応二人にはいっておくけれど、部活潰しはA組の日比井ひびい星南せなって子。新しく作る部活の部員を、既存の部からごっそり引き抜こうとしてるみたいで、狙ってるのは女バレだけじゃないはず。二人ともキャプテンだし、巻き込まれたくないなら相手にしないことだ」

 そういった八千代の手元、ノートの下敷きになっていたプリントに「解散届」の文字が見えた。

 八千代がなぜ彼女との勝負を受けたのか、その理由はわからなかったけれど、真面目で思慮深いはずの八千代に、部の廃止を決断させたのだから、日比井という生徒は、ただ面白半分に部活を潰しているだけ、というわけではなさそうだった。


 その日の放課後、掃除当番にあたっていた美海と泉美が、少し遅れて部室棟にむかうと、女子バスケ部の部室前に二人の女子生徒が立っていた。

 ルーズに崩したツインの三つ編みにしているのが飯田いいだ裕子ゆうこ、立て巻きのツインテールにしているのが相田あいだ佳弥子かやこだ。二人とも女子バスケットボール部の一年生だ。

「ユッコ、かやちゃん。どうしたの、今日の練習は体育館よ?」

「イズ先輩、ちょっと……」


 ほんの少し、美海を気にするように視線を送ってから、裕子は泉美に顔を寄せ耳打ちした。その様子から、美海にはなんとなく状況の想像がついた。


「イズ、もしかして」

「ええ、部活潰しガール、ウチに来たみたい。ユッコ、着替えてすぐに行くわ」

 しかし、部活潰しについては、今朝、八千代から相手をするなと警告されたばかりだ。

「ヤチヨちゃんがいってたでしょ? まともに取り合う必要ないよ、イズ」

「たしかに。でも、これはただの勘だけど、部活潰しガールはあたしたちが勝負を受けるまで、何度でも来るんじゃないかしら? あの真面目なヤチが勝負をうけたってことは、よっぽどしつこいか、それとも相当の策士か……」

「イズ先輩、まさか勝負するつもりなんですか?」佳弥子がきく。

「とにかく彼女と一度、話をしてみる。だけど、女バレは彼女との勝負に負けて、解散することになっているわ。もしかしたら、女バスがそうなる可能性もなくはない」

「ちょっと待ってください!」裕子が声を荒げて抗議をする。「アタシたちは、バスケがやりたくて、部活しているんですよ? 部活潰しが何者か知らないですけど、好き勝手にやられて、アタシたちに黙って従えっていうんですか⁉」

「だから、話をする。でも、それで決着がつかないなら、その子と勝負するしかないかもしれない。大丈夫、勝てば問題ないんだし」


 泉美はそういうと、二人を体育館にむかわせて、自分は着替えのために部室に入った。美海もテニスウェアに着替えてテニスコートに行こうとしたが、部活潰しのことが気になってしまい、結局、体育館へとむかった。

 体育館はネットによって中央で二分割されており、奥側のコートでは男子バスケットボール部員たちが、パス練習を繰り返していた。一方、手前のコートでは、制服姿の女子生徒が一人、バスケットボールを手にこちらを睨みつけるようにして立っている。

 ラフにカットされた黒髪のベリーショート、身長はバスケ部員たちと並ぶと少し小さくみえる。彼女が部活潰しこと、日比井星南だろう。

 小柄ではあるが華奢ではなく、少なくともある程度のスポーツ経験はあるように見えた。そして、その刺すような鋭い視線に、美海は鬼気迫るものを感じ背筋がぞっとした。


「あなたが日比井さんね。あたしは女子バスケットボール部キャプテンの椎名泉美よ」

「で、答えは? 勝負するの、しないの?」

「そう焦らずに、少し話をしよう」

 泉美はいつものように目を三日月型に曲げて、笑ってみせた。意識的に、友好的な雰囲気を作っているようだ。

「あたしたち、単にバスケ部として活動したいだけなの。そこに、いきなり乗り込んできて勝負して、負けたら部活を解散しろっていうのは、少々乱暴じゃない? もう少し、あなたの考えを聞かせてくれないかしら? どうして、あたしたちが部を解散しなきゃいけないのか、とかさ」

「別に、今それについて話す必要はない。そもそも、この学校は五人以下の部を認めていない」

「だけど、次の四月に新入生が入って五人以上になれば、継続は認められるわ。三年生は退部しているわけじゃないから」

「それまで公式戦にすら出られない。それで部活をしてるつもり?」

 憤るでもなく、嘲るでもない、感情のない声色と、今もなお鋭く睨みつける視線は、ますます彼女を未知の存在にしていく。


「うーん、なにも試合に出ることが部活の目的じゃないでしょ? ほら、みんなで楽しく活動して……」

「その考えがふざけているって話。それなら、部活動じゃなく適当にどこかの公園でやればいい。部活動のために、学校は予算も人員も、時間も割いている。思い出作りするだけなら、部活なんてしないほうが学校のためよ」

「それで部活を潰しているってわけ⁉ アンタ何様のつもり!」

 泉美の背後から、裕子がつかみかかる勢いで身を乗り出して叫んだ。泉美が腕を出して彼女を押しとどめ、星南にむきなおった。

「つまりあなたは、公式戦にすら出られない部が予算や時間をつかってまで活動するのは認められない、と。で、あなたはその弱小の部を潰してどうするつもり? あちこちから部員を寄せ集めて、頭数だけそろえた弱小部をまた作るの? それって本末転倒っていわない?」

「違う。わたしは、少なくとも全国で戦える部を作る」

「へえ、何の競技で?」

「今いう必要はない。で、どうするの? 部としての要件すら満たしていない存在価値のない女子バスケ部、勝負するの、しないの?」

「偉そうにいうな! この部活潰し!」


 裕子が叫ぶと、星南はほんの少しだけ口元を吊り上げた。笑ったのだ。


「わたしが部活潰しなら、そっちはさしずめ、穀潰しってとこね。この体育館だって、四人で半分を使うには広すぎる。バスケしたいなら、その辺の公園で遊んでたら? まあ、四人じゃ3オン3にもならないけれど」

「待って!」


 美海が星南と女子バスケ部の会話に割って入る。


「もし、あと一人部員が入れば部としては成立するし、公式戦にも出られる。努力次第でいい成績だって残せるかもしれないでしょ! 私、昨日一人見かけたの。ここの部員じゃないけど、バスケをやってる子を!」


 昨日の夕方、青花漁港の公園で見た人影。もし、あの子がバスケ部に入ってくれたら、部の存続も公式戦の出場もできる。つまり、星南が部を潰す根拠はなくなるのだ。

 しかし、なんとか事態を回避させようとした美海に、星南は冷たくいい放った。


「それは無理よ。それとも、穀潰しが四人集まったところで、一人に勝つのは無理だから、勝負はできませんとでも?」

「いってくれるわね……わかった、勝負するわ。その代わり、あなたが負けたらあたしたちの部に入ってもらうわよ。そうすれば公式戦に出場できるんだから」

「イズ先輩⁉」裕子が目を見開いて泉美を見た。

「あの子がどの程度の腕前か知らないけれど、結局は多勢に無勢でしょ。こっちが有利なのは変わらないわ。だいたい、あそこまでコケにされて黙っていられる? 要は勝てばいいのよ。で、日比井さん、勝負はもちろんバスケでやるのよね? フリースロー対決、それとも1オン1?」

「勝負はワンプレイ。わたしがオフェンス、そっちは四人で守っていいわ。わたしが得点すればわたしの勝ち、わたしからボールを奪ったらそっちの勝ちってことでどう?」

「いいわ、それでやりましょう」


 星南の挑発に乗せられたのか、泉美の声にいつもの明朗さはなく、静かな怒気をはらんでいる。思わず美海は彼女の前に進み出ていた。


「ちょっと待って。この勝負、私も入れて五人との対戦にしてもらえない?」

「テニス部の山栄美海。どういうつもり?」

「私も今、部活は一人だけ。あなたのいう穀潰しよ」

「でも、山栄は一人でも公式戦に出られるし、この前の九州大会でも入賞している。女バスとは違う」

「日比井さんは新しい部に部員が必要だから、他の部とも同じように勝負するつもりでしょ? いずれ勝負するなら、バスケ部の勝率をあげるために、五対一であなたと勝負するほうがいい。もちろん、負ければテニス部を辞めて、バスケ部と一緒にあなたの部活に入るわ」

「ちょっと、ミウ。なにいって……」

「だって、イズに助けられてばかりじゃ、嫌だから」


 美海の目には強い決意が宿っていて、引きとめようとした泉美も、それ以上なにもいい返せなかった。


「山栄がそれでいいなら、わたしは五対一でも構わない」

「ありがとう、日比井さん」

 美海はそういって星南に頭を下げる。女子バスケ部四人が心配そうに見つめる中、美海は彼女たちにいった。

「このルールなら、日比井さんに得点されなければ負けない。だったら、私が日比井さんに張りついて、外からのシュートを防ぐから、あの子が中に入ろうとしたところで、みんなでボールを奪うのはどう? 四人でゴール下を守れば簡単にはシュートも打てないはず」

「確かに、ミウがいうとおりね」

 ほんの少し考えた泉美は部員たちに視線を送り「それでいこう、いいよね」と確認をとった。


 ダン、ダンとセンターサークル内で星南がボールをつく音が、一定間隔で繰り返されている。フォームを見る限り、全くの未経験という感じではないが、だからといって特別な何かを感じるものではなかった。


「じゃあ、始めるわよ」

「いつでもどうぞ」

 泉美がそういうと、彼女はドリブルを続けたまま、ゆっくりとセンターサークルから前進する。

 ゴール下は泉美と副キャプテンの瀬戸が守り、フリースローラインの両側を裕子と佳弥子が固めている。あのディフェンスを素人が簡単に突破できるとは思えない。

 だとしたらきっと……

 美海が星南のマークにつこうとしたその瞬間、彼女は一直線に美海にむかってきた。

 ほとんど、キスをするくらいの距離まで一気に詰めた星南は、美海とまっすぐに見つめ合ったかと思えば、一瞬で視界から消えていた。背後で「えっ⁉」と短い驚嘆の声が聞こえた。

 星南は美海の真正面から、瞬時に切り返して右にステップしていた。

 美海は無意識にステップを踏んで彼女を追う。しかし、星南はスリーポイントラインの遥か手前の位置でぐっと沈み込み、そのままシュートを放った。その軌跡は、虹のように美しい放物線を描いて、ゴールリングに吸い込まれていった。


 美海の耳にトン、トン、とボールがバウンドする音だけが聞こえていた。

 その静寂を破るように星南はいった。

「じゃあ、約束通り女バスとテニス部は解散して」

 誰もが唖然として声すらも出せない中、泉美が静かに答えた。

「……わかった。約束だものね。でも、ひとつだけ教えて。あなた、何の部活を作るつもりなの。あなたの作る部に入るんだから、あたしたちは知る権利があるわよね」

 あの刺すような視線を泉美にむけたまま、星南はほんの数瞬の間をおいて答えた。

「ラクロス」

 RPGゲームの魔法使いが唱える呪文のような短い言葉を残し、彼女は体育館を後にした。 

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