再生

今日は紗奈のバレエ教室の日だった。

紗菜は姉であるリリィに付いてスケートをやりたがらなかったが、バレエとピアノには精を出している。


車に揺られながら


「練習行かないの?」


と聞いてくる。


「……うーん……」


どういうわけか曖昧な返事しか出来ない。


「昨日試合だったから休憩よ。紗菜も発表会の次の日は休みでしょ」


と母がフォローを入れる。

すると紗菜は納得したようでこれ以上は何も言わなかった。


でもリリィの胸にはどこか雑音のようなものが残った。



紗奈がバレエレッスンを受けている間、母について行って買い物へ行く。

スーパーなんてほとんど来たことがなかった。こんなにも近所なのに。


一日のうち最もスーパーが混む時間なのだろう。人混みに揉まれながら母になんとかついていく。


人混みに飲まれながら、先ほど感じた妙な感覚がまた胸の辺りに現れた。


なにかが胸につっかえているような、しかし吐き気の類ではない。

かといって心臓が異常に早く動いているわけでもない。


それがスケートを意図的に休んでいることへの罪悪感だと気付くにはそんなに掛からなかった。


いっそ熱でも出てくれれば諦めもつくのだろうか、胸の奥に時間毎に大きくなるゾワゾワとしたものが「リンクに戻れ」と話し掛け続ける。


戻らないといけない。強くそう思った。


スーパーから出た辺りで


「お母さん、練習行く」


と告げる。


「そう?スケートに持ってくバッグは家?」

「うん…」

「まあ一旦帰るし、送ってくよ」


と家に着いてから指一本触れなかったスケートのバッグを取りに行った。

手に取ろうとした時、一瞬躊躇した。


それでもやはり、戻らないといけない。


(戻るんだよ、リリィ......)


自分に何とか言い聞かせ、バッグを手に取り家を再び出た。




安村先生に怒られるだろうな…と思っていたが、安村コーチはリリィを見るなり笑顔になった。


「よく来たわね、さぁはやくしなさい!」


とリリィの背中をロッカールームの方向へ押す。


むしろ怒られた方が良かった...と感じる程の罪悪感が胸を満たす。


「遅刻いけないんだ。なに?腹でも壊した?」


と背後から聞き覚えのある声。


「壊してないし!」


と振り向くと銀河がイタズラをした時のような笑顔でこちらを見ていた。


銀河は今回の試合で本当にノーミスをし、優勝して全日本ノービスへの出場が決まった。


「...リリィ、よくなってんじゃねーか。昨日見てたけど」


そう言われた瞬間だった。

突如涙が溢れ出して止まらなくなった。


銀河は明らかに動揺する。


「お前そこで泣くなよ、俺が泣かしたみたいじゃん!ねぇ先生〜!」


と銀河は叫ぶ。


事情を聞いた安村コーチは一度笑い飛ばし


「…リリィちゃん、ブロック大会には頑張れば来年も出られるのよ」


と話す。

何が言いたいのかは分かるが、安村先生の次の言葉を待つ。


「つまり、来年いきなりジュニアの全日本に出ることが出来るかも知れないしその結果次第でシニアの全日本だって行けるのよ」


まるで簡単なことのように聞こえるが、今年ここまで頑張っても無理だったことを来年可能にするには、もう今年が終わらないうちから来年にすべてを賭けるしか無いということ。


先が見えなさすぎて、不安しか出てこない。

でも、うなずく。


「わかった…来年こそ、ダメだったら引退するつもりでやる」


今後一生、金輪際スケートに関わらないで生きていくことにする。

それぐらいの決意がなければ、きっとただ時間とお金を無駄にするだけになってしまう。


「それに、俺一昨日お前のおかげでノーミスしてんだ。助けられるとこは助けるからよ。…ところで面白い話聞けてねえぞ」


朝折れた心が治っていく。

今日が始まった頃には考えられないほど晴れやかな心で氷に上がった。

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