第7話:神の国

 牙門軍との小戦闘のあと、九鬼軍は岩屋戸川の岩場から離れた所で宿営することになった。

 わずか一刻ほどの戦闘。敵もごく少数であったが、九鬼軍の戦死者は百を超えた。全軍合わせても四千五百しかいない九鬼軍にとって、これは大きな痛手であった。

 軍議を済ませたあと、影虎は配下を連れて、戦傷者が集められた場所に足を運んだ。

 身の毛もよだつようなうめき声がそこかしこから聞こえてくる。

 横たえられた戦傷者には刀傷がほとんどなかったが、体中が痣のように腫れ上がっていた。いずれもが白装束を着ている。

「恐らくは、肉体の限界を超えた動きを続けたことで、骨や筋肉がズタズタになってしまったのでしょう」治療にあたっていた軍医が、力なく告げる。「こんなことは私も初めてで、正直どうしてよいのやら……すでに半数ほどが死んでしまいました」

 ここに横たわるのは、九鬼軍を苦しめた、鬼面の兵――牙門が神兵と呼ぶ者たちであった。

 死んでも獰猛に動き続ける神兵を生け捕りにすることは、ほぼ不可能なはずであったが、影狼が『止水ノ太刀』で無力化した者だけは戦闘後に意識を取り戻した。太鼓の音がないからなのか、獰猛さもなくなっていた。面を外してみれば、彼らは普通の人間だったのである。

「話せる奴はいるか?」と、影虎。

「意識のある者はおりますが、とても話せる状態では…………なにやら、ミシャグジ様が来たなどと、よく分からぬことを申しておりまして……」

「ミシャグジ様……?」

 影虎は筵に横たわる男のそばに腰を下ろし、声をかけてみた。

「九鬼軍総大将の影虎だ。昼間のことは覚えているか?」

 男はうめき声こそ上げていなかったものの、目はうつろで、顔は生気が吸い取られたかのようにげっそりと痩せこけている。

「ミシャグジ様は……恐ろしい神じゃ……」

「?」

 男はまだ若いはずであったが、声は老爺のように皺枯れていた。

「まつろわぬ者に祟りをなす……恐ろしい神じゃ…………逆ろうてはならぬ……ならぬ……」

「神……だと?」

「我らは神のしもべ……神威しんい現世うつしよに示す……者……」

 そこまで言うと、男は目を剝き、口から血を噴き出してしまった。

 慌てて軍医が駆け寄るが、すでに男に息はない。

「酷い……」

 影虎に同伴していた影狼は、思わずそうつぶやいた。

 妖派にいた頃でも、これほど残酷な妖術は見たことがない。

『止水ノ太刀』で動きを止めた者ですらこの有様である。無力化されずに牙門の陣営に戻った者たちは、恐らく死に絶えてしまっただろう。

 一心不乱に太鼓を打ち続ける子供たちの姿が、頭に浮かぶ。

 そして『止水ノ太刀』を受け止めた、白装束の若い男――

 あの者たちが術者なのだろうか。

 神兵とやらいう者たちは、牙門の側の人間のはずだ。それを、体が引きちぎれるほどに、命尽きるまで戦わせる――一体、どんな気持ちでそんな恐ろしい術を使っているのだろうか。

「クソッ……一体どうなってやがんだ。そもそも、なんで妖怪と無縁なこの伊勢に妖術使いがいる? まさか東国同盟め……牙門と裏で手を組んでるんじゃないだろうな」

 あらぬ疑いを抱き始める影虎。不可解な出来事が続いたことで、なにも信じられなくなったようだ。

「殿、そのことについて、少し気になることが……」万次郎が言った。「志摩を発つ前に平山から聞いた話ですが、どうやら牙門家は、あの天照大神宮てんしょうだいじんぐうの祭主を代々務めてきた一族らしいのです」

「なに!? あいつが……?」

 天照大神宮――それは日ノ本全国の神社の頂点に君臨する神社である。

 皇帝一族――天羽あもうの祖とされる太陽神アマテラスが祀られ、徳川の時代に入ってからはおかげ参りと呼ばれる大規模な集団参詣も起こるようになった。宝永の戦乱が起こる以前は、全国から集まる参宮者は年間数十万人にも上ったと言われる。

 日ノ本で知らぬ者はいないであろう神社だが、祭主が話題に上がることはほとんどなく、影虎も誰が祭主であるかは把握していなかった。

「天照大神宮は皇帝一族とも深い縁があります。この八年間、皇国が牙門家に手を出さなかったのは、恐らくこのためでしょう。そしてここからが、私が気に掛かっていることなのですが……」

「なんだ?」

「牙門はかねてより、天照大神宮所縁の地を探し求めていたそうです。そしてそれは伊勢と志摩の国境にあり、牙門が志摩に攻め込んだ理由の一つであったというのです」

「……なんていう場所だ?」

天岩戸あめのいわとです」

「天岩戸……?」

 分からないといった風に影虎が呟くと、そばにいた紋舞蘭が口を開いた。

「聞いたことはあります。太陽神アマテラスが洞窟に隠れ、世界が暗闇に包まれたという伝説の――確か、そのアマテラスが隠れたという洞窟の名が、天岩戸でした」

「バカバカしい」蘭が言い終わらないうちに、影虎は吐き捨てた。「所詮作り話だろ? 牙門はそんな下らないことのためにオレの親父を殺したったのか?」

 影虎は気に食わなかった。

 復讐の意志は揺るがないが、影虎は牙門がどんな理由で父を殺したのかを知りたいとも思っていた。そこから父の死に意味を見出すことまでが、弔いなのである。

 それだけに……神話などというあやふやな理由は許せなかった。それでは、父は単なる気まぐれのために殺されたというのか。意味もなく死んだというのか。

 そんな影虎の胸中を思い遣りつつ、万次郎は話を続けた。

「私も、最初は信じませんでした。そんな理由で、長年良好な関係にあった隣国を攻め滅ぼすだろうかと。もちろん、倒幕の名目もあったのでしょうが……」

 それから万次郎は息絶えた神兵を見つめ、

「しかし、今日の戦で考えが変わりました。この神懸かりの兵……そして岩屋戸川というこの地……とても偶然とは思えないのです」

「岩屋戸川……岩屋戸…………あっ!」

 ここに来て、影虎もようやく気付いた。

「牙門は、伝説の地を探し当てたことによって、妖術のような尋常ならざる力を手にしたのではないでしょうか」

 万次郎がそう言うと、陣幕の中は沈黙に包まれた。

 あまりにも強大な敵を相手にしてしまったことに、絶望せずにはいられなかったのだ。

 ふと、深刻な顔で口を閉ざす影狼の心の中に、幸成の声が流れ込んできた。

『影狼……今、やっと分かった』

「? 分かったって……なにが?」

『あれは妖術じゃない。オレたちが使うのと同じ……仙刀術――仙術の類いだ』


     *  *  *


 月の光を浴びて薄青く光る岩屋戸川に、そろりそろりと入っていく者たちがあった。

 白装束を着たままで、腰までゆっくりと川に浸かる。それから両手ですくい上げた水を、頭の上からかぶり、全身を濡らしていく。はしゃぐこともなく、ただ黙々と……

 二十一人の少年――太鼓で神兵を操っていたと思われる者たちであった。

 その様子を河原から見守るのは、これまた白装束の若い男。

 男の名は諏方すわ照雲しょううんといった。

 伊勢国に古くから存在する諏方神社の大祝おおほうり(最高位の神職)で、現人神あらひとがみ(この世に人の姿で現れた神)として崇められる人物でもある。

 ふと、照雲は人の気配を感じ、背後を振り返った。

「気持ちよさそうだな。こんな時間になにをしているのだ?」

 岩陰から現れたのは牙門松蔭であった。川に浸かる神使たちを興味深げに見つめている。

みそぎでございますよ。我が君」照雲は言った。「多くの血が流れた戦のあとには、どうしても穢れがまとわりつくものです。穢れある者に神の力は宿りませぬ。ゆえにこうして、清らかな水で洗い流しておく必要があるのです」

「手間のかかる術だ。神使や神宿りの面を揃えるだけでも大変だったというのに。そもそも、なぜ精神の未熟な幼子なんぞを神使にしたのだ?」

「未熟だからこそ、従順な神の僕となるに相応しいのです。善悪を知らない子供たちは、たとえ自らの奏でる太鼓の音が死の嵐を呼ぶことになろうとも、その意味を理解しません。心を乱すこともありません。ゆえに戦場の真っ只中にあっても、ただ神の言葉に従い、無邪気に太鼓を打ち鳴らし続けることができるのです。ここまで育て上げるには長い修業期間を要しましたが……」

「従順な僕か……クク……」

 その言葉に満足したのか、牙門はニヤリと口元を歪めた。

「覚えているか? そなたが私に神託をくれた日のことを」

「はい」

「私の望むものが志摩にあると、そなたは言った。果たしてその通りになったな。ついに見つけたぞ……伝説の地を」

 牙門は川の上流の岩場に視線を送る。

 その先には巨大な洞窟が見えた。間口は半町約五十五メートルほどだろうか。アマテラスの神話に登場する天岩戸を彷彿とさせる威容であった。

 日ノ本神話が伝える天岩戸の伝説はこうである。

 太陽神アマテラスには、スサノオという弟がいた。これがなかなかの乱暴者で、ある時、あまりにも酷い弟の乱暴に心を痛めたアマテラスは、天岩戸と呼ばれる洞窟に引きこもってしまった。

 太陽神が隠れたために、世界は漆黒の闇に包まれてしまったという。

 その後、神々の協力によりアマテラスは外の世界に引っ張り出され、世界は光を取り戻したわけであるが――

「太陽神アマテラスが閉じこもった天岩戸には神気が満ち溢れ、そこから様々な神が生まれました」

 と、照雲は語る。

「我が社が祀るミシャグジ神もその一つです」

御石神ミシャグジ……石の神か」

 牙門の言葉に照雲がうなずく。

「天岩戸は……私の求めていた地でもあります。この地に宿る神気によって、ミシャグジ神はかつての力を取り戻しました」

「その力で、私は天下を取れるのだな?」

「神の名に懸けて、お約束いたします」

 そこへ、禊を終えた二十一人の神使たちがやって来た。

 誰からともなく牙門に向けて跪き、神に祈るように手を合わせる。

「今の天羽はもはや大隈おおくまの傀儡……かつての力はありませぬ。ならば天羽の血を引き、神宮の祭主でもあらせられる貴方様こそが、この日ノ本を治めるに相応しい」

 照雲も膝をつき、牙門に向けて礼をした。

「共に築き上げましょう。神の国を――」

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