第17話 エピローグ
「うわっなに?」
翌日の早朝、緑の塔から出ると白銅の自動機械がゴリドア山脈に向かって花道を作っていた。
「戦闘はどうなったの?」
ヒイラギは恐る恐る歩き始める。
「終わったんじゃないのか?」
僕は周囲を見渡す。
緑色の粘体と血がそこら中の砂利や岩にこびりついている。白銅の自動機械はまるでゴミが転がるかのように、そこら中に転がっていた。
人間の死体の山があると思ったが、すべて運ばれた後なのだろう。
君の悪いハイエナと目が合って、僕は急いで目を逸らす。
いくら敵意がないとはいえ、先程まで戦っていた相手と直ぐには仲直りできそうにない。
花道も終点に近づき、まだまだゴリドア山脈を超える必要があることを自覚するとため息が出る。
僕もヒイラギも疲労困憊だ。
緑の塔を出た時に右足の添え木は直したが、杖をついて歩く必要があった。
右足は止血はしているが、おそらくもう治ることはないだろう。
ところどころ大岩があり、上り下りが困難な部分はヒイラギの助けを借りる。
「ありがとう」僕がその度にお礼を言うと、「もう何十回も聞いてるから、もう良いから」
とヒイラギは面倒くさそうにあしらった。
幸い気候は緩やかで、登る苦労はそれほど多くなかった。
しかし来るときは何日もかけて進軍した道、さすがに山の8合目付近で日が暮れ、僕らは野宿することにした。
夜が深まり、焚き火を囲む。
寒い。8合目で野宿をして正解だった。
おそらく標高が上がれば上がるほど、この寒さは増すだろう。
ヒイラギは体育座りをして、暖を取っていた。
口をポカンと開け、何もしゃべらない。
戦闘が終わり、疲労している様子。外の敵に注意しなくてもよいこの状況は僕らを落ち着かせてくれていた。
眠くなる。
ヒイラギも眠そうな目をこすっている。
「ヒイラギ。僕が見張り役しているから、寝てていいよ」
「うん?あぁ。」
間抜けそうなあくびをしている。
思えば、こんなリラックスした表情をエルブルース駐屯基地でも見たことはなかった。
彼女も長年の呪縛から解放されたのだろうか。
そのまま岩を背もたれにしたまま、首を傾けた。
獣の鳴き声が聞こえる。
進軍をしているときも聞こえていたのかもしれないが、敵の物音のみに集中していたせいか、どんな鳴き方をしているか?まで注意が向かなかった。
意外と間抜けな声をしているもんだ。
僕は思わずクスっと笑う。
北方の大陸を走る列車に乗った時から、自然と笑わなくなっていったのは自覚していた。その先に待ち受ける戦地のことを思えばこそだが、ここまで神経質になるとは想像つかなかった。
僕はぐぐっと伸びをする。
表面上の傷は医療キットで直せるとはいえ、あちこちに筋肉痛のような疲労感がある。
腹部のあたりの痛みは白銅の自動機械に殴られた時のものだ。
腹部のあたりを触った後、胸元に手をかける。
ミサさんから貰ったペンダントの凹凸を手の表面に感じる。
僕は胸元のボタンを少し外して、ペンダントを取り出し眺めた。
角張った形状を味わうようにそっと撫でる。
ミサさんは僕の帰りを待っているのだろうか。
出兵の際に訪問したミサさんの家を思い出す。
暖炉でくつろぐミサさんの姿が浮かぶ。
そして別れを告げた際のことを振り返った。
「私の心はあなたを求めて寂しがるの。」
そう言われた。
つまりそれって。
僕の視界は急に晴れて、思考が回りだす。
付き合いたいってことなのか?
いや考えすぎで。
寝台列車でアリス越しにミサさんと目が合ったことを思い出す。
確かにあの時もよい感じの雰囲気ではあった。
ん。まてまて。それは時系列がおかしいじゃないか。
ミサさん。
そういえば、誰もいない静かな寝台列車と客席をつなげるための木目調の空間で頬に口づけをされた。
いやでもあの時は、御礼だと言われた。
僕が首をかしげて唸っていると、ヒイラギの不機嫌そうな声が聞こえた。
「ちょっと、うるさいんだけど。なに?獣の真似でもしてる?」
「私、少し寝れたからさ交代する?」
「あ。いや。寝れそうにないから僕が見張ってるよ」
「まだ帰り道あるんだからぶっ倒れられても困るから、寝てくんないかな?」
ヒイラギは目を細めて僕に言った。
仕方なく、僕は目をつむり岩陰に腰を掛けることにする。
先ほど考えていたことも、これまで考えた経験もなく、結論が出ないことなので思考の隅に追いやり、眠ることに集中した。
数十分たっただろうか。
肩にもたれかかった感触でぼんやりと意識が戻ってくる。
ヒイラギが僕の肩に頭をのせて寝ていた。
僕がヒイラギのほうに視線を落とすと、その気配に気づいたのかヒイラギが「ただの御礼よ」といった。
なんなんだよ。御礼って。
そのせいで、ぼくは一晩中頭を悩ませた。
もちろん、知らないうちに眠りについていたが。
翌朝、目を覚ますとヒイラギが猫のように伸びていた。
安心してほしい。猫になったわけではない。
引き続き僕たちは山頂を目指して歩いた。
下山への折り返し地点で、数日過ごしていた野営テントを張った地点も寄ったが、きれいに撤収されていた。
置いて行かれたのだと悟った。
「ねぇ。そういえばあんた。この後どうするつもりなの?
つまり、兵士を辞めた後なにするとか考えているの?」
ヒイラギが歩きながら僕に問いかけた。
「いや、まだ何も具体的には考えていないよ。
いつ終わるかわからない紛争が昨日、急に終わったんだ。まだそこまで考えられていないさ。」
「そう。そうよね」
ヒイラギはそりゃそうだ。というような話のトーンで会話を進める。
「故郷に帰るの?」
「そうだね。従軍者には生活費が支給されることになっていると思うから、故郷に一度戻ることにはなると思う。足もこんな状態だしね」
僕はそういって頷いた。
「そう。そうよね」
ヒイラギはなんだか煮え切れない返事を繰り返した。
「ヒイラギは?」
僕は代わりに問いかけた。
「私は、、故郷と呼べるところはないし、まずは一旦、兵舎にもどって仕事をしつつ、次を考えるかな。。」
ヒイラギはそこまで話し、それっきり黙り込んでしまった。
僕は下山をしながらアリスについて考える。
元気にしているだろうか。
数年経ったわけではないからそこまで身長は伸びていないはずだが、これから生活する基盤は必要であろう。
アリスは孤児院に行くことになるのだろうか。
戦場に向かう途中で出会ったものに別れを告げて、故郷で新しい生活を始めるということも選択肢に入るかもしれないが、できることなら苦楽を共にした関係性をアッサリ終わりにしたくない。
アリスは養子にしよう。
その答えがふいに沸いたのだった。
しかし意外だった。昨夜から旅の最中には思いもつかなかった答えが次々と湧いてくるようになった。
旅の途中では、いずれ自分が戦地に向かうからと自分の責任とそれ以外のことで悩み、答えが出なかった。
まるで魂がある執着から開放されると、未来のやりたいことが次々浮かぶことを実感した瞬間だったように思える。
せっかく生き延びたのだから、まずは僕の望むように生きてみたい。
そう思えたのかもしれない。
そして自然と市街地へ向かう足取りが軽くなったのだった。
***
たくさんの家屋が燃え、焼け野原になった地帯に食料配給の列ができていた。
食料を受け取った住民は自分の住む場所へと次々と戻っていく。
ここには来ていないようだ。
市街地にたどり着き、真っ先に向かったのは一度招待してもらったミサの家だったが、焼けた家屋に人影は見えず、食料配給地点も探しに来たのだが、それらしき見た目の人物は居なかった。
先程まで明るい未来を考えていたから余計に不安になった。
そもそも僕らは偶然出会った関係であり、当然のようにもう一度、出会えると思っていた。
連絡先も知らない。
ミサは当然のように家で待っていて、会えるものだと思っていた。
いない。
いくら探し回ってもいなかった。
ヒイラギに肩を借り、できる限り探したが会えなかった。
ヒイラギと僕はひとまず崩れたレンガの上に腰を掛ける。
言葉が出なかった。
もしかしてと瓦礫の下を覗きこむ。
嫌な想像は止まらなかった。
ヒイラギは隣で何も喋らなかったが黙って人探しを手伝ってくれた。
通りかかった近所の人から目撃情報を探したが、なにもそれらしき情報は得られなかった。
不安になったと同時に、生きて帰ってこれたのにも関わらず、くだされた不運な仕打ちに何を恨めばよいか分からなかった。
「霧島……なんて言えばよいか分からないけど。
もしかしたら、違うところに避難してるかもしれない。えっと……そうね。」
ヒイラギはなにか言葉を続けようとしていたが、項垂れた僕の様子を見て口をつぐんだ。
「紛争が終われば会えると思っていたんだ。
笑顔で迎えてくれるって思っていたんだ。」
ミサやアリスの笑った表情が脳裏に浮かぶ。
もう会えないのか。
この手で抱きしめることはできないのか。
嫌だ。
そんなこと信じることはできなかった。
「僕はこのまま探すことにするよ。」
この街が襲撃にあったのは数日前と聞いたが、それでも簡単に諦めることはできなかった。
「そう……私はひとまず司令部と連絡を取るよ。あんまり気負いしないようにね」
ヒイラギはそう言って、立ち去った。
それから、僕は生存の可能性を信じて思い出の場所を巡った。
もしかしたら、僕と巡った場所の何処かに逃げているかもしれない。そう思ったからだ。
特に集合場所だなんて決めていなかったし、お互いの連絡先すら知らなかった。
その方法しかないと言えば、そうなるが、それでも全て見てからではないと納得できない自分がいた。
同じような人影を見たという声があれば、一ヶ月ほどその周辺を捜索し、もう一駅移動するといった日々が続いた。
髭も剃らずに、ただ行動し、ひたすら信じて探し回った。
「はぁはぁ。」
僕は気づけば旅の開始地点に辿り着いていた。
見慣れたインターホン。
自分の震える手を見て、どうしたら良いのか、頭が真っ白になった。
涙があふれる。
悔しかった。
奥歯を噛みしめる。
大切な人を亡くした。
二度と戻ってくるつもりは無かった。
新しい新天地で暮らす。そんな夢もつい果てた。
情けなかった。
ドアがガラリと開く。
「
久しぶりに聞こえた母の声に思わず背を向ける。
「
声の主は玄関から数歩出て、僕のそばに近づく気配がする。
「違う。二度と帰ってこないつもりだったんだ」
僕は重い口を開いてそう言った。
「それでも良い。それでも良いから。家の中に入っておいで。そんなところにいたら、風邪をひくよ。」
母はそう言って、僕を家の中に招き入れた。
涙をぬぐう母を見て、家を出る前とは違う何かを感じる。
「母さんも泣いたりするんだね」
「
「そんな。。僕は何も」
リビングを向かう際に、見知った背中が振り返る。
父親だった。
父親は無言で僕のほうを見つめ、ため息をついて、よくやったな。と声をかけてくれた。
「紛争が終わったニュースが流れて、お父さんは喜んでいたよ。遂にやったのかってね。」
それから僕は久しぶりに家族とご飯を食べた。
兄の姿はなかったが、お互い久しぶりの会話に花が咲いた。
初めての体験だった。
口元を緩めて、口角をあげて、優しい眼差しでお互いを見つめる。
僕たちは知らないうちに、わだかまりが無かったかのように打ち解けていった。
表情やしぐさ一つで会話のテンポが変わる。
不思議だった。
案の定。夕食時に流れてきたニュースには、世界中の自動機械による反乱が描かれていた。
母曰く、数日前からこんな調子のようだ。
バイト先でも労働回帰のような現象が起こり、接客だけではなくキッチンの仕事もやるようになったそうだ。
当然、自宅で働いていた自動機械はバラバラに分解したと父が言っていた。
これで人類は一歩後退したな。と父は皮肉っていた。
確かにそうかもしれない。と僕は思ったが、それでも何が進歩かわからないままに進んでいたころに比べればマシに思えた。
そして、僕はテレビを見たまま立ち上がった。
「
ミサの声だった。
ニュースで世界各国で自動機械が暴走しているのが報じられ、国連本部にて陣頭指揮を取っているのは総統の娘とされるミサの姿だった。
「生きていたんだ。そうか。生きていたんだね」
僕はあふれてくる涙をこらえながら、そうつぶやいた。
そして、新しい場所で活躍している彼女の姿を見て、不思議と今の状況に納得した自分がいた。彼女は自分の役割を全うしている。
きっと、このままがいいんだと。
しばらくすると、手持ちの通信機が鳴り始める。
「おい。霧島。見たか?ニュース。見てないならすぐ見ろ。
いたよ。ミサ・レスター。」
ヒイラギの声だった。
「あぁ。見たよ」
僕は鼻声交じりでそう答える。
「私も国連本部に掛け合ってみるから、お前もすぐこっちへ来い」
「いや。でも」
僕が先ほど考えていたことを口にしようとすると、ヒイラギが口をはさむ。
「ッチ。戦地離れて、心もナヨナヨになったの?そういうあんたに構ってるの凄いめんどくさい。どうせ、考えても考えても結論は変わらないんだから、さっさと会いに行けッ。いいか?今すぐだ」
ヒイラギからの通信が切れた。
僕は家族のほうを見渡す。
父は通信機の音声が漏れていたためか、笑っていた。
母は納得したかのように安堵の表情を見せる。
「行ってくる」
僕は両親に挨拶をして、家の外へ出た。
今度は黙って出ていかずに。
***
一度は乗り込んだことのあるゴリドア山脈行きの列車に乗るためのバスに乗り込もうとした矢先、ちょうど勢いよく下車した少女が目のまえで躓いた。
「大丈夫?」
僕が声をかけると、少女はお礼をして顔を上げる。
ふいに目が合った。
あっ、僕の驚いた表情を見せるよりも先に、少女は僕に抱きついた。
「マサトぉ。ずっと探してたんだよ。」
アリスは少し背が伸びていた。僕のことを懐かしむように嬉しそうに胸に顔をこすりつけた。
そしてアリス越しにバス停付近に立っている見知った女性と目が合った。
茶色い髪は肩の部分で切りそろえ、防寒用に暖かそうなマフラーを身に着けていた。
彼女はその場で驚いたように立ち尽くしていた。
一歩ずつ、おそるおそる彼女は僕に近づき、存在を確かめるかのように頬を撫でる。
「会いたかった。あなたに会いたかった。」
ミサはそう言って、僕のことを思いきり抱き締めた。
優しい香りがする。
僕はこの瞬間をずっと待っていたのだと自覚した。
心臓の鼓動が高鳴り、頭が真っ白になりながらも、僕もあなたに会えてうれしい。と辛うじて返事をした。
緊張しているせいか、ぎこちない。
しかし今はそんな沈黙の間も愛おしかった。
ミサは自身の肩を微かに震わす。泣いていた。
涙をたくさん瞳に浮かべて、僕のことを見つめていた。
「もう会えないと思ったから、とても嬉しいの。
あなたのこともっと理解していればよかったって、すっごく後悔してた。
ごめんなさい。」
ミサは僕に懺悔するように想いを伝えた。
「僕もだよ。当然のようにまた会えるんだろうと思って、君への気持ちを先延ばしにしていた。こんなにも君のこと大切に想っているのに僕は君に何もしてあげられなかった。」
ずっと会いたいと焦がれていた彼女と再び目が合う。
「ミサさんさえ良ければ、この先もずっと傍にいて欲しい」
「もちろんだよ。マサトくん」
彼女はそう言って、僕に微笑みかけた。
僕は高揚した感情の勢いのまま抱きしめると彼女は自身の肩を震わせていた。
「ミサ。駄目だよ。泣いちゃ。感情が傾いちゃう」
アリスが必死にミサの背中を撫でる。
しかし僕はアリスの手を取って微笑みかけた。
「良いんだよ。アリス。もう泣いても笑っても良いんだ。」
アリスは驚いていた表情を浮かべていたが、二人の様子を見渡して少し考え込むと、こう結論付けた。
「じゃあ、私も泣こう!」
アリスは笑った。
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