第9話 自己暗示

 甘い香りが部屋中に香る。

 暖房が効いているせいか、少し暑い。


「軍服のままじゃ、暑いんじゃない?脱げば?」

 ヒイラギは自分の荷物をしまいながら、僕に声をかける。


「そうだな。。ん?」

 僕も自分の荷物をと思ったが、すべて列車に置いてきたことを思い出す。

 はぁ。と頭を抱えながらも、とりあえず上着を脱いで、シャツ一枚になる。


 あまりやることが無かった。

 そう思って、つい視線が下がる。


 軍服の上からだと分からなかった身体の曲線が見えて、僕はつい目を逸らす。

「えっと、ご飯は。。」

 僕がそうつぶやくと、ヒイラギがテーブルの上に置いてあると言って指を指す。


「ご飯は、備え付けで用意してあるの。あなたの分も温めておいたから」

「あ、ありがとう。」

 僕はそう言って、学習机が邪魔だと思いつつも、組み立て式の丸テーブルを挟んで、座る。


 しばらくすると、片付け終わったのか、ヒイラギも向かい側に座った。

「ほら。スプーン無いでしょ?」

「あ、うん」

 僕は、そう言ってスプーンを受取り、普段より露出の多い胸元に気を取られつつも、食べ物に視線を移す。


 カレーだった。


「おぉ。」

 思わず、声を漏らしながら、プラスチックの蓋を開ける。

 カレースパイスの香りが甘い香りを塗り替える。


「なに?好きなの?」

「うん。いや。結構、好き。」

 僕は、早口でつい喋ってしまう。


「ふふ。なに、どっちよ?」

 僕の表情を見てヒイラギが笑う。

 いただきます。と声がして、ヒイラギがスプーンでカレーを口まで運んでいた。


 その様子を見て、僕もカレーを食べ始める。


 なんか。良いな。

 僕は、ついそう思ってしまった。


 ご飯も美味しくて、近くには美味しそうに食べている人がいて。


 僕の今まで繰り返してきた食事を考えると、大きな違いだった。

 アリスとご飯を食べたときも、似たようなことを感じた。


 生きて帰れるかもわからないのに。

 そんな遠い未来のことを考えるのは、違うかもしれないけど。


 僕は、ふとそう感じてしまった。



「外、もう暗いよね?慣れないかもしれないけど、北の地域は日照時間が短いんだって。地球の自転軸が傾いてるのが原因だった気がする。」


「よく知ってるね。」

「うん、昔、お父さんが教えてくれたの。」

 僕が返事をすると、ヒイラギがつぶやく。


「私、ご飯食べたら、もう寝るから。あとは好きにして。

 ちなみに、あなたはベッドの2段目ね。私は1段目が良い。」

「わかった。」

 あとから、来たんだから選ぶ権利なんて無いか。

 まぁ、どちらでも良いんだけど。


「寝相悪いのか?」


「うるせえっ」



 そうして、食べたあとの食器用プラスチックをゴミ箱に捨てる。

「なぁ。どうして、プラスチックはまだこうして使われているんだ?」


「便利だからでしょう。そんなことどうでも良いから。電気消すよ」

 そう言われて、僕は急いで、備え付けられた口内洗浄液で口の中をゆすいで、ベッドの2段目に登る。


 古いことと新しいことが同居している。

 先程の歯磨きを歯ブラシで磨く人もいれば、僕のように口内洗浄液で済ませる者もいる。


 そんな今、役に立たないどうでもよいことを考えながら、僕は無色の天井を眺める。

 月明かりが部屋に差し込む。

 青白く輝いた視界の先には何も写り込んでいない。


 天からの光線が降り注いだ瞬間、ミサさんの姿を確認することができなかった。

 僕の声は乗客の発狂に紛れ込み、声が伝わることはなかった。

 身体のあちこちを貫かれる乗客を確認しながら、僕の足元は列車から切り離された。


 普通なら、吐き気を模様してもおかしくない。

 血だけではない。脳水がはじけ飛び、人とは判別できないような肉片が崩れ落ちていく。

 静止したままの者もいれば、身を伏せた状態のまま、わけも分からずに命を落とした者も多いだろう。

 そんな非現実的な状態で、正気を保てる人は多くはない。


 ヒイラギが列車の爆撃の件について、ルーカス兵長に抗議したのも気持ちでは理解できる。

 気持ちでは理解できるんだ。


 あのとき、どうして僕も一緒に抗議しなかったのだろう。

 今になって悔い悩む。

 どうしてヒイラギとともに一歩踏み出すことができなかったのだろう。


 あんなに悲惨な事件があったのに、ヒイラギのように僕の心が動いていない。

 もしかしたら、大切な人が亡くなっているかもしれないのに、心が動いていない。


 冷たくなった指先で、自分の首に手を当てる。

 喉仏が当たり、唾を飲み込むと動く感触がする。


 悔しかった。

 なぜ、平然とこうして寝ていられるのだ。

 なぜ、ノウノウと自堕落に息を吸っていられるのだ。


 ひょっとして


 僕は、あそこで働いている機械と一緒なんじゃないか?

 なにも考えずに、ただただ身体を動かしているだけなんじゃないのか?


 僕の心はすでに死んでしまったのだろうか?



 そう考えると、急に自分の行く末が怖くなった。

 本当に、僕の求めているものが戦場にあるのだろうか?



「お前は、いつも不器用だ」

 父の言葉が頭の中を反復する。


 冷たい食器とフォークがぶつかり合う音が頭の中に響く。

「どうして、そんな危ない場所に自ら進んでいこうとするんだ?理解できない。」


「私達があなたのことを、ここまで育て上げたのに、それを意図も簡単に無かったことにするつもり?」

 母親は、僕の顔を見つめて、銀色の食器皿に視線を移した。


「ちゃんとしろ。どうするべきか、お前なら分かるだろ?」

 兄はこちらの様子も見ずに、パスタを口に運んでいた。


 僕はゆっくりと深呼吸する。


 あのときは何も言い返すことができなかった。

 いざ、訓練が始まると、誰よりも認められるように全力で目の前のことに集中した。

 学生時代に勉強した医療の知識を利用しながら、戦闘も支援もできるように最大限努力した。


 求められるように、自分の身体を動かせば、自分の心を満たせると思っていた。

 鉄の仮面が促すように銃弾を込め、照準を定め、引き金を引く。

 そうしていれば、誰からも咎められることはなかった。


 鍛えられた身体で、歯向かってきた奴は力でねじ伏せれば良いと思っていた。

 どこまでも自分勝手に、自分さえ生き永らえれば良いと思っていた。



 でも、この空虚な気持ちは。

 今まで以上に、僕のことを苦しめた。


 虚ろな心に、数日前の光景が思い浮かぶ。


「懺悔って、何をするの?」

 星空の下を走り抜ける列車の木目調の室内で、僕はミサさんに訪ねた。


 彼女は、しばらく悩んでこう答えた。

「うーん。今みたいに、話を聞いてもらうだけかな?私が言葉に発することで、気分を解消するのが目的かな」


「じゃあ、少しは、楽になってもらえたかな?」

 僕は、彼女に笑いかけた。


「うん。もちろん。ありがとう」

 そう、僕に返事をする彼女は、いつもどおりの笑顔に戻りかかっていた。


 僕は、その表情を見て、たしかに安堵した。


 震えていた彼女の手が温まりかけていた。

「どうしたら、この気持ちが伝わるかわからないけど、マサトくんとの距離が少しでも縮まれば良いなって。思ったの」

 彼女は、恥ずかしそうに、そう僕に答えてくれた。


 もう一度、ちゃんと会って、話がしたい。

 そう思ったときに、別れ際の無事が確認できなかったことに、胸が傷んだ。



 **************************************


 部屋に取り付けられた秒針が動く音が聞こえる。


 さっきから考え事を始めてから数時間経ったのだろうか。

 時間感覚は無かった。

 時計を確認しても良かったのだが、そんな気力もなかった。

 僕はため息をつく。


 あと3日。

 その時間がとても愛おしいがために、潜在的な感情が僕の眠りを妨げているのだろうか。

 しかし、そんな疑心暗鬼な感情は杞憂で終わる。

 何故かって?


 同居人・ヒイラギの声が、1段目のベッドから聞こえてくるからだ。

 そう。耳をすませば聞こえてくる程度に、「怖いんだ。」と。

 電話越しに誰かと話しているようだった。


 鼻水をすする音と一緒に、水を飲む音も一緒になって聞こえてくる。


 しかし、何やら一方的に話しかけているようにも思える。


「綠斑症の患者、ロニーが帰ってきたときもそうだった。壊死した緑色の腕を抱えて戻ってきた。

 もちろん、喋れる状態じゃないよ。

 意識不明の状態で、銃弾であちらこちら身体中に穴が空いた状態で戻ってきた。

 現代医療はすごいんだ。気味が悪いほどに。

 瞬時にかさぶたを作り上げる薬品や、縫合技術が人間の見た目をきれいに整える。」


「ううん。違うの。

 理屈的には、脳さえ死んでなければ、連れ戻すことが可能性なの。


 それって、どう思う?確かに兵士にも尊厳がある。

 ちゃんと、故郷へ帰る資格がある。

 でも、そんな状態。私にとっては死んでるものと同じ。

 私だったら、耐えられない。

 そんな状態束縛されているみたいに見える。

 ロニーだって。

 本当はそんな苦しい状態ではなくて、死にたいのかもしれないよ?


 一応、脳波を取って、痛みを感じたときに反応する箇所をモニタリングして、インフォームドコンセントっぽいことをするらしいけど。

 死にたいって思ったときに反応するニューロンの位置は知らないんだから。

 なんというか。

 それっぽい理由を並べてるだけだよね。


 結局、現地で何が起こったか、ロニーが語ることはなかった。


 でも、本人のプライバシーを除外すれば、今ある技術では、脳に電極さえ挿せば、何が起こったか本人の代わりに疑似体験できるんだ。


 だから、上の連中は知ってるはずなの。


 ロニーが、いったい。どんな死に方をしたのか。」


 寝返りを打つような、弱々しいベッドが軋む音が聞こえながらも、彼女ははっきりと宣言をする。


「私はそんなの吐き気がする。覗き見られるのなんてゴメンだ。


 だから死なないつもり。

 生き延びる。絶対に。






 ママに会いに行くから。」



 なにか大事なことを盗み聞いているようで、僕は会話の途中でポケットにしまってあった手持ちのイヤホンを耳につけ、睡眠導入を行う。


 ずっと目を開けていたせいか。

 先程より、瞼が重かった。


 記憶と感情は夢で連動する。


 僕は夢の中だけでも、彼女に会えたらとそう期待しながら目を閉じた。



 **************************************

 ベッドの二段目で寝ていたせいか、強烈に窓から光が差し込む。


 無人浮遊器官の離着陸をする音が騒がしく耳に飛び込んでくる。

 その音とともに何やら、軽快な笑い声がどんどん近づいてくる。


 僕が目を開けて、息を吸う間にガラガラと真っ白な引き戸が開く。

「うわっ」

 隣の真っ白なベッドで寝ているヒイラギが間抜けな声を上げたかと思うと、僕の身体にズシっと、体重がかかる。


「マサトッ」

 いつぶりに聞いただろう。

 アリスの声だった。


 僕の表情は思わずほころぶ。

「アリスっ!!げ、元気だったか?身体は、どこも痛くないか??」

 僕はベッドの上で飛び跳ねているアリスの様子を隅々まで確認する。


「なんともない!!へっちゃら」

 その頼りある声に、僕はニヤつきを隠せない。


「良かったぁ」

 今日一番の声が出た気がする。

 それほど嬉しかったのだ。


 僕は、期待の目をアリスに向ける。

 そして、ミサさんはどこ?そう尋ねると、「それが・・」と口を挟むアリスの姿があった。


 何か心に冷たい針が刺さったかと感じたかと思えば、アリスが僕の顔を見てクスクス笑い出す。


「ありっ」

 続きを問いかけようとしたとき、急に僕の視界は冷たい手のひらによって、閉ざされる。


「だ〜れだ?」

 耳元からささやきかけるように、そんな声が聞こえた。

「わからない?」

 くすぐられるような、そんな心がほぐれるような温かい音色だった。


「みっ」

「ミサだよ〜。なんですぐ答えないの。マサト」

 アリスが楽しそうにケラケラ笑っている。


 後ろを振り返ると、あの列車にあった頃のままの姿で胸には印象的な協会の証であるペンダントを下げていた。


「あなたたち、仲良いわね〜」

 ミサさんと一緒に部屋に入室したのか、髪の毛を後ろで束ねた見知らぬ女性の声も聞こえる。


 僕はそれを見て、お世話になってます。と挨拶をする。

「こうやって、会話できるときに話しておくのが一番だ。我々は、邪魔になるから外に出ていようじゃないか」

 グレーボヴィチ教官は、先程の挨拶した女性の肩を叩き、退室を促した。


 ところが、部屋を出ようとしたその時、騒音とともに共振した部屋の窓ガラスが割れた。

「なんだ?」

 警戒する声と共に、部屋中が共振し、金切り音が部屋中に鳴り響く。


 来たっ。

 そうヒイラギの声が聞こえたかと思うと、鉄の仮面を装着し、割れた窓ガラスに向かって、机のそばに立てかけてあったスナイパーライフで部屋の外で襲撃されている兵士の支援を行う。


「一体何がっ」

 僕が問いかける間もなく、また白い光線が僕等がいた部屋の天井に穴を開けている。

 見上げると、幾千の無人浮遊器官が青空を埋め尽くしていた。

 子宮を模して改造された無人浮遊器官の発射ポットからは、ヒトではなく自動機械が次々とパラシュート無しで地上へ着陸していく。


 義足選手のスプリングが効いた脚力を持った自動機械は、腰にアサルトライフルを構え、次々とエルブルース駐屯基地で戦闘準備を勧めていた兵士に奇襲攻撃を行った。


「くそっ先手を打たれたか。霧島マサトっ早くお前も銃を握れ」

 グレーボヴィチ教官が部屋の入り口と廊下の間で、身を隠しながらも、手持ちのアサルトライフルで応戦対応をする。

 僕は急いで、部屋中を見渡し拳銃を探す。

 起きたばかりのせいか、いつもは腰に携帯している拳銃がすぐ見つからない。


「あっ。これ?あったよ。マサト」

「まって、アリス」

 部屋中に声をかき消すような銃声が鳴り響く。

 周囲の障害物を抜けて、自動機械が放った銃弾が何発か着弾した音だった。


 ドスっと鈍い音がなったかと思えば、真っ赤に染まった肩を抑えてミサさんがその場で崩れ落ちる。気づけば足元には大量の血液が流れ続けていた。

「ミサ。そんな。。アリスのせいで。。ごめんなさい。ミサ。。ミサぁぁ」

 アリスは、瞳から涙を流し、瞳孔を赤く点滅させる。


「大丈夫だから、泣かないで。アリス」

 弱々しい声で、ミサがアリスの頭を撫でる。


「とにかく、こっちに伏せて」

 僕はそう言って、二人をベッド近くの診療台に身を潜めさせる。


 どこだ。

 どこに鉄の仮面がある?


 僕は震える手で、身の回りの持ち物を探す。

 形状記憶合金の装備品は、すぐ持てるように普段はポケットに入れているはずが無かった。


 どうして?



「マサトくんっ。マサトくんっ。もう、良いから。戦おうとしないで」

 ミサさんは、起き上がって必死に道具を探す僕の手を止める。


「その状態で、戦うのは無理だよ。お願いだから」

 そう言われた瞬間、さっきまで見えていたはずの左手が見えなくなった。

 身体の重心のバランスが変化し、僕はベッドから床に倒れ込む。


 一体どうなって。

 踏ん張ろうとしたその時、自分の右足もたいして動いていないことに気がついた。


「君を守れなくて。僕は後悔したんだ。もう、おんなじ気持ちになるのは嫌なんだ。」

ミサは僕の問いかけに首を振る。

「君が持っているんだろう?ミサ。僕の仮面を渡してくれ」


「マサトくんがこれ以上、感情を失うことに私は耐えられない。そんなの生きているより、寂しい。」

 ミサは、鉄の仮面を両手で握りしめ、渡すことを拒んでいた。


「おい。霧島!!早くしろ」

 グレーボヴィチ教官の怒号が聞こえる。気づけば、廊下側の戦況も昼間見た機械たちに圧され始めている。

 手持ちの手榴弾を投げつつ、距離を稼いでいるが、隣の髪の毛を後ろで束ねた女性についてはカバーが間に合わなかったのか、腹部を銃で撃たれ、その場で倒れていた。


 銃撃戦は激しさを増す。

 白い床を何人もの血が汚す。

 ミサはアリスを抱いて震えていた。


「おい。霧島ッ!!」

「はいッ」

 僕は、ミサの持っている仮面と拳銃を受け取り、近くにあった松葉杖を残った左腕を使って、グレーボヴィチ教官のフォローに向かう。


「ぬっ」

 素早い脚力で動く4脚ロボットは銃弾を交わしながら、グレーボヴィチ教官に体当たりを行う。

 4脚ロボットは頭の先についた銃口でグレーボヴィチ教官に狙いを定める。

 グレーボヴィチ教官は、アサルトライフルを手放し、犬の首をひねる様に抵抗を試みるが、ビクともしない。


 僕が焦って助けに入ろうとしたとき、グレーボヴィチ教官が倒れたのを好機と見たのか、人形の自動機械が廊下から押し寄せてくる。

 僕は白銀の胴体に穴を開けようと、拳銃の銃口を向けるが、何故か指紋認証が通らずに発泡許可が降りない。鉄の仮面とのリンクが切れていた。

「感情がフラットではないため、周囲に暴発をする恐れがあります。」

 警告音声が骨伝導で告知された。


 仮面を通した灰色の世界は、感情への衝撃を和らげるために、血の色が黒く染まる。

 影響をみなすとされる銃声音すら、シャットアウトされる。


 僕の足元は、知らないうちに黒く染まっていた。


「相手は衛星の情報を利用して逆探知をしている。感情を揺らしているものをターゲットにする。お嬢ちゃんたちを見ろ」

 今にも途切れそうな声で、グレーボヴィチ教官は僕に向かって叫ぶ。


 僕は、こんなものはつけていてはダメだと、視界が暗く変化している仮面を外し、ミサさんとアリスが隠れているベッドの裏に向かう。


「おい、そっちは」

 ヒイラギの声が聞こえたかと思えば、また上空から白い光線が狙いを定めたように降り注ぐ。


 二人の目は、すでに網膜が赤く染まっていた。

 目の前で細い光線が二人の身体を貫いていく。


「うわあああああああ」

 僕の視界が赤く染まっていく。


 空を見上げた。

 血しぶきが空を舞う。


 青空は虫の大群のように何層もの黒体が覆い尽くしていた。

 成すすべがないように感じた。


 こんなの勝てるわけがない。



 僕達はいったい。何と争っているんだ。



 あの日と同じだ。

 感情を揺らしたものが一方的に殺戮される。


 頭上からは自動機械についた白い無垢の仮面が僕を見下ろしていた。

 両手で旧式の剣先の付いた銃口を向け、僕を突き刺すための予備動作に入る。


 一瞬、白い無垢な仮面の表情が変わった気がした。

 人間のような黄ばんだ歯を覗かせて、緑色のよだれを垂らしながら、僕を殺害したのだった。






 **************************************

「たははははは」

 目の前から笑い声が聞こえる。

 ヒイラギは額に手を当てて、仰け反るように笑っていた。


「お、お前。すごい叫んでたぞ。

 うぉぉぉおおおって!

 ハハハ。

 嫌な夢でも見たのか?霧島マサトぉ」

 ヒイラギは笑いながら、自分の膝を叩いていた。


 僕はヒイラギの表情を確認して恥ずかしくなる。



 最悪だ。



 背中は汗で濡れ、指先から足先まで湿っていた。

 僕は、周囲を確認して、窓を眺める。


 まだ外は暗い。

 いつもなら、日が出ても良い時間なはずなのに。


 深い眠りと浅い眠りを繰り返していてたせいか、変に夢を俯瞰している自分がいてなんだか吐き気がする。

 いつもなら忘れそうな夢も、いくつか明瞭な部分があり、気分が悪くなる。


 ふぅ。マサトはため息をつく。


 よく考えてみれば、おかしかった。

 ここは、山脈の中腹に位置する基地で、ここへ来たときも、周囲の雪景色を確認したはずだった。

 機密上、この基地は特定の周波数以外は通らないように、妨害電波が発生している。

 仮に破壊されても、立地上、電波が通りにくい場所だ。


 いったいヒイラギは誰と会話していたんだ?


 マサトは様子が気になり、2段ベッドの階段を降りて、1階の様子を除くと、親父座りをして麺をすすってるヒイラギと目があった。


「お前も食べるか?」


 僕はベッドの隣にあった机に腰掛けて、同じく麺をすする。

 カップ麺だった。


「これは?」

 僕が尋ねると、ヒイラギは答える。

 日照時間のせいで、起きる時間が、バラバラだそうだ。

 お腹が空いたとき用に、食堂に備蓄されていると言っていた。


 もちろん、朝礼の時間は決まっている。

 それより早く起きた人の為だ。

 私たちみたいなね。


 すっかり声色は戻っていた。

 昨日とは違う表情の柔らかさに、驚く。


 もう一度、カップ麺からヒイラギの表情へ視線を移すと、澄ました瞳と目が合う。


「何ジロジロ見てるの?食べたら、着替えるから出ていって」


 バタンとドアを閉めた音が聞こえたかと思うと、入っていたはずの部屋から追い出された。


 頭がまだボヤボヤする。


 僕は片手で頭を掻きながら、ため息をつく。

 嫌な夢を見たあとは、気分が悪い。


 ヒイラギの言葉に知らぬうちに僕の感情が引っ張られたのだろうか?


 ヒイラギの乱暴な扱いに悪態を付きながら、人が並んで歩くのがやっとなほどの廊下から外を眺める。


 昨日も、此処から眺めていたっけ。


 地面を見渡すと、また建物の周囲を白銀の白い機械が清掃をしていた。

 真っ白な樹脂製のヒトの顔を模した仮面は笑うことなく、淡々と作業を続けている。


 あの黄ばんだ歯が脳裏をよぎる。

 型が起こされて成形して作られた平たい仮面が途中で形状を変えるはずがないのだ。

 動力は何で動いているのか。

 それは僕が知る余地もないし、そんな知識もない。


 だけど、人間みたいに血が流れているわけはないのだ。

 列車が襲撃されて、ヒイラギと救助を待っていたとき、偶然にもあの白銀の胴体に銃弾で穴を開けた。


 そこから流れている緑色の粘体は、ヒトの血ではなかった。

 あれは、ただの心のない機械なのだ。


 感傷に浸ることもない。涙を流すこともできない人工物なのだ。



 ふいに、列車の中で涙を流すことを必死にこらえていたアリスの姿が思い浮かんだ。

 僕は嫌な記憶と紐付けたくないと思い、忘れようと首を振る。



 それでも違うはずなんだ。



 1階から2階へ上がるための階段が設置されてある方向から、人影が見える。





 あんな不気味な笑みを浮かべる人形と一緒にされては困ると、自分に言い聞かせた。

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