第8話 北半球ゴリドア山脈・紛争撲滅部隊

 ずっと水槽の中にいるようだ。

 あらゆる音が、遅れて自分の耳に届いてくる。

 しかも、その音色は本来の音より、周波数を下げて、ボヤけて届いてくるのだ。


 鈍い音が響いたとき、地面に着陸したことを認識した。

 遅れて、水面を伝達するようにメッセージが飛んでくる。

「キャビネットを開閉します」


 とろい操縦チャットボットの動きに、おもわずため息が出そうになる。

 吐く息もないのでその行為は実現しないために、心の奥にしまうことにする。

 今、僕の身体の中には、酸素が水溶液中に含まれた液体の中に浸かっている。

 身体の穴という穴に入り込み、酸素を供給していく。

 口元から器官を通り、肺に入り込んでいるそうなのだが、頭の中では理解しづらい。


 それは、溺死するのでは?と思いそうになるのだが、どうやらしないらしい。

 この水槽の外に出ると、この特殊水溶液は揮発する。

 ある一定温度以上になると、揮発するそうだ。

 ガソリンのようなものを想像しそうになるが、引火性はない。

 この無人浮遊器官は、恒温動物のような機体担っている。

 動いている細胞群が温度を一定に保ちながら、稼働を行っているために、この特殊水溶液も揮発することなく、運用が可能になるということだ。


 キャビネットが開き、青空が見えてくる。

 ブクブク音を立てながら、外気に晒された液体が揮発していく。

 ゆったりと流れる雲を見つめながら、口を開けて、特殊水溶液を放出する。

 若干、塩水とキビヤックが混じった味に舌が拒絶反応を示す。


 ようやく外の音が聞こえ始めた頃、一足先に着陸していたのか、コツコツと足音が近づいてきたことがわかった。


 キャビネットの外枠から頭より先に、少し膨らんだ胸が視界に入ってくる。

「ねぇ。いつまで寝てるの?」

 そのまま腰もかがめず、僕を見下ろすヒイラギがいた。



 **************************************



「うぇ、口の中しょっぱ」

 ヒイラギが真っ直ぐな廊下の地面をかかとで蹴りながらボヤく。

 白い息はそのまま、宙を漂う。

 人が通れるほどのダクトのような様相の通路は、まるで自分たちに圧迫感を与えているようだった。


 せめて、もう少し綺麗めな基地が良かった。

 そう思っていたら、通路の隅っこの部分に、ねずみの死体が転がっていた。

「うわっ。。最悪だわぁ。ねえ、えんがちょっ」

「あー。はいはい」

 どうやら、僕より先に、ネズミの死体を見つけたようだ。

 ヒイラギがこちらに振り向いて、両手の人差し指をくっつけて差し出してくる。

 僕は求めに応じてヒイラギのくっつけた指を片手でチョップする。


「ありがとっ」

 ヒイラギは珍しく、僕に向かって笑顔を向ける。

 こんな表情するのかと、感じながらも僕はその気持ちの高揚に注目せずに進むべき方向に目を向ける。

「ほら、行くわよ。ルーカス兵長が呼んでる。」


 暗がりの矩形の通路の奥に、光が差し込んでいる地点があった。

 ドアを完全に締め切っていなかったのか。

 隙間から誰かの声が漏れている。


 天井に設置された死角を作らないように張り巡らされている監視カメラは、声のする方向へ視点を合わせていた。


「鉄道の状況はどうなっている?」

「散々ですよ。かなり派手にやられましたね。」

「復旧はできそうなのか?」

「最善を尽くしているそうですよ。いよいよ始まるんですかね。」

「タバコを吸う暇もないな」

「環境に悪いですよ」

「おいおい、俺の心配より、環境の心配か?」


「当たり前でしょう。地球あっての我々なのですから。」

「ふん。冷たいやつだ。。とにかく、頼んだぞ。」


「ええ、任せてください」

 ドアの前で立ちながら、先客の用が済むのを待っていると、ドアがゆっくり開き先程の声の主であろう白衣を着た人物が僕らの前を通り過ぎた。


 すれ違いざまに僕と目を合わせ、前に垂れ下がった髪をかき分け、ウインクしながら通り過ぎていった。

 若々しく、いかにも自信があるような素振りにヒイラギが思い出したかのように呟く。


「あぁ。出来損ないか。」


 僕はその言葉の意味がわからず首を傾げていると、心の準備をする間もなくヒイラギがドアをノックする音が鳴り響く。


「失礼します」

 入っていいぞ。との応答を待ち、ゆっくりとドアを開け、僕らは入室する。


 正面にルーカス兵長と思われる声の主が、執務席に座っている。


「あの列車の地点から、この基地まで飛んできたとなると外は結構寒かっただろう?」

 ルーカス兵長は、気さくな声のトーンで僕たちに話しかける。


「ええ。最悪ですね。肌に悪いです。」

 僕は、すぐさま返事をしたヒイラギのコメントに驚きながらも、ヘリポートに着陸したときのことを思い出す。

 もちろん、あの地点からこの場所まで、どのようにたどり着いたかはわからないが、無人浮遊器官から降りたときに、雪をかぶった山脈がこの施設を取り囲んでいるようだったように思える。


 ルーカス兵長は、窓から差し込む太陽を眺めながら答える。

「この場所は、霧島一等兵が住んでいた場所よりはかなり北上した地点にある。日照時間も短いから、まずは慣れることだな」

 そう言いながら、折角差し込んできた太陽の光を遮るように、遮光カーテンを下ろし、プロジェクターの電源を入れた。

 どうやら、執務席に操作パネルがついているようだった。


 イメージ映像が壁際に投影されたときには、ルーカス兵長が先程まで見せていた口元の笑みが僕の視界の隅で消えていた。


「まずは、訓練所から長旅ご苦労さまだった。ヒイラギ上等兵は特例により、先にこちらの部隊へ配属されていたわけだが、霧島一等兵はまだ詳しくは知らないはずだから、僕の口から詳しく説明しよう


 君たちはこれから三日間、実戦に向けた訓練を行った後、戦場に送られることになる。細かい話をすると、僕達は国連に雇われた職業軍人だ。そして、こんな山岳地帯だから勿論、寮がある。

 詳しい中身については、ヒイラギ上等兵が詳しいと思うので、聞くように。


 それと、北半球ゴリドア山脈・紛争撲滅部隊の組織体制の説明だが、これはこっちのほうがわかりやすいか。」

 ルーカス兵長はそう言うと、仕込まれた別のスイッチを動作させる。


「うぉっ」

 僕より先にヒイラギが声を上げた。


「そうか。ヒイラギ上等兵に見せるのも初めてか。」

 この部屋が白い理由がわかった。

 プロジェクターが全面に展開され、奥行きを持たせたレイアウトに変化する。

 実際は、広くはないのだが、高解像度の描写に僕らの感覚が錯覚を起こしている。

 僕らの横には同じ服装をした兵士たちが一直線に並びに、ある方向を向いている。


 気づけば、ルーカス兵長の頭上に天井からぶら下がっているカメラがこちらを向けて動いているのが確認できた。

 どうやら、リアルタイムで、空間の共有をしているようだ。


 何を映し出すのか、じっとその場で待っていると、僕らが入ってきたドアがゆっくり開き、白い人形が入室するかと思いきや、空間に入るやいなや、誰よりも多く勲章を胸につけた人物に様変わりし、僕らの前を横切りルーカス兵長の横で話し始めた。


「ようこそ。北半球ゴリドア山脈・紛争撲滅部隊へ。」

 メッセージが流れ始めたとき、ルーカス兵長が総統からのメッセージだ。と小声で合図する。


 総統が自分の前に両手でお椀を作ると、宙に浮く地球が立体として表現され、次第に拡大され、僕達の前で回転を始める。

「歴史の授業で習ったかと思うが、この数世紀で地球に存在する人類の総人口90億人に迫ってから、80億人に下がり、現在は一定値を保つことができている。

 90億人に迫ったとき、食料の奪い合いによる大国同士の戦争や国家の中でも独立勢力による紛争が多発した。

 この状態の想像は誰もが、生物として当然に認識していたことだった。事態は起こるべくして起きたことだった。」


 アフリカや中東、ヨーロッパ、アメリカ、日本、中国、ロシアなど、各地で戦火の大小はあれど、漏れずに表現される。

 地球が赤く染まりながらも、その地点が時系列を追うごとに鎮火され、その国の頭上には一基の衛星が配備される。


「道のりは長かった。PKO活動として難民キャンプに趣き、血液検査を通して、殺人遺伝子を調査することを始めた。ヒトゲノム計画は1953年から始まり、全塩基配列の解明が進んだが、その塩基一つ一つが問題であるわけでは無かった。

 遺伝子がDNAを活用して複製される。その過程で出てくる突発的な遺伝変異。

 このパターンが問題ということが分かった。兆候があるものは、ある組成パターンが形成された。現在は、わかりやすく殺人遺伝子αアルファと呼称しているが。


 この殺人遺伝子αアルファは、血液中にマイクロロボットを投入することで、日々の状態監視を行っている。

 難民キャンプでは、血液調査とともに、マイクロロボットを摂取させ。比較的状態が良好なものは、母国への帰還。良好ではないものは施設への隔離を一人ひとり念入りに進めていった。

 国連加盟国にもロビー活動を行い、この仕組みが治安維持に役立つことを特徴とし、赤字国債を発行していた先進国の財政縮小を背景とした公務削減をきっかけに、

 テクノロジーによる夜警国家への転換を促した。」


 地球上の赤く染まった国家が、国連のマークに置き換わり、地球の周囲を監視衛星が包み込んだ。


「各国の熱圏にある衛星は、感情のモニタリングをしている。

 君たちが現在装着している網膜センサーは、各国が家庭に配布したものだが、それ単体で動いているわけではない。

 国によっては、何も説明がなく、自宅に支給され、使い方に迷っただろうが、正確には、衛星からデータを受け取っている。

 身の回りで事件が起きれば、データが飛んでくる。抑制効果による見えない規律は人々の生活に新たな規範を生み出した。

 ミシェル・フーコーがジェレミー・ベンサムのパノプティコンを用いて、規律権力について説明をしていたが、今世紀でそれが実現したということだ。


 平和の実現は語るのは簡単だが、こうやって実現させる技術や頑健な基盤を整えていくのはとても難しい。

 しかし、地球を囲む衛星群によって、それを実現することができた。

 核爆弾のスイッチを押すことなく、これを実現にした大変な成果だ。」


 自信を持って成果を強調するとともに、総統は顔を歪める。

 そして、今まで全体や地図を表していた映像は、一気に一点だけ残った北方にあるゴリドア山脈の向こう側に焦点を当て、拡大して映し出す。


「厄介なのは、最後の紛争地帯が、未だ遺伝子調査の進んでいない地域ということだ。

 普段なら、衛星からターゲットの位置が特定され、鎮圧行動を行い。

 無駄に君たちが血を流す必要はないのだが、あいにく、そういった支援はできない。


 紛争地帯ということは、既に何者かが争っているということだ。

 しかし、争っていると言っても、ほぼテロ行為に近い。

 散発的に、戦闘行為が発生している。


 確認されている兵器は、無人のガトリングを装備した4脚ロボット。爆撃ドローン。そして、兵士の死体を刈り取る刃物を有した人間輸送機だ。


 現在、首謀者の情報は少ない。

 しかし、いずれは四方を囲まれたこの山脈を超え、人類社会に混沌をもたらすことは分かっている。

 君たちは、実戦に向けて、しっかり準備しておくように。」

 総統のメッセージが終わり、プロジェクションマッピングが途切れたところで、ルーカス兵長は、遮光カーテンを持ち上げる。

「あれ、組織体制の説明無かったな」

 僕達に聞こえるか、聞こえないかの声でそうつぶやくと、僕達の方を眺める。


「さっきの地図であったとおり、この山脈は天然の要塞だ。トンネルを介した向こう側は敵の本拠地があり、その本拠地を抜けると存在するのは北極海だ。

 山脈上に、10師団分の小隊に別れている。僕達は第4師団だ。情報は総統が管轄している司令部から直接伝達される。従来の軍隊のヒエラルキー型の組織より、俊敏性を重視したフラットな組織体制になっている。

 実践まで、一週間無いからって、焦るなよ。君たちは訓練時代を生き抜いたはずだ。

 自信を持て。」

 ひと通り話し終わると、ルーカス兵長は咳払いをして、天井を眺める。


「あと、なんか話してないことあったか?

 同じ寮に同じ師団のメンバーもいると思うから、仲良くなっとけよ?

 戦場では意外と、恩義の積み重ねで生きるか死ぬか決まる。

 ん?まてよ。でも君たちは従来の兵士と違う戦い方をするんだったな。

 まぁ。精一杯戦え。指示は的確に出してやるから」


「ルーカス兵長。先程の列車の爆撃の件ですが、あれはどこによる攻撃だっ」

 ヒイラギがルーカス兵長の言葉を確認し終わったあとに、話を切り出そうとすると、ルーカス兵長は手を前に出して、それ以上の言葉を制止させた。


「それのことは。。そうだな。運が悪かったな」

「は?」

 唐突な答えにヒイラギの視線は一点に定まらない。

「どういうことでしょうか?」

 ヒイラギは震える唇をかみしめて、奥歯に力を入れて食ってかかる。


「運が悪かった。それ以上のことは、僕からは言えない」

「あんたっどれだけの人が亡くなったと思って」


「ちょっ、ヒイラギっ!!」

 僕が気づいたときには、ヒイラギはルーカス兵長との距離を縮め、胸ぐらをつかみ拳を振り上げていた。


 ヒイラギの呼吸音が静かなこの部屋に鳴り響く。

 虫の音さえ、張り詰めた緊張をほどくことはできない。

 僕の口の中に溜まった少量の唾液を飲むことをすら、できない状態だった。


 もし、一歩踏み出せば、何かが起こる。そう思わせる雰囲気だった。


 視線のみルーカス兵長の状態を確認するために動かす。


 先程まで黒かったルーカス兵長の瞳孔が赤く点滅していた。

 鋭い眼差しでヒイラギを睨みつける。

「拳を降ろせ、ヒイラギ上等兵。俺はいつでも君たちを感情が傾いたものとして処分できる。」

 ルーカス兵長は、振り上げられた拳の反対方向の腕からヒイラギの側頭部に向かって拳銃を突きつけていた。


 動きが見えなかった。

 僕の額からは汗が流れる。


 僕はヒイラギの動きに目を向ける。

「くっ」

 ヒイラギはルーカス兵長を睨んだまま、胸ぐらをつかんだ手を離し、拳をおろした。

 おろした拳が震えていた。


 何も言わずに僕の方へ一歩下がったヒイラギにルーカス兵長は話し出す。

「まぁ、確かにわかるよ。僕にも納得いかない理由も。」


 でもそれより。とルーカス兵長は口ずさむと、そのままヒイラギのことを見据える。


「そんな簡単に感情を動かしちゃだめでしょ。君、確か、戦闘部隊の所属希望だったよね?」


「それは」

 ヒイラギは何か嫌な気を察したのか、弁明しようと言葉を発する。


「ヒイラギ上等兵。君は、霧島一等兵と同じ後方の医療支援部隊に配属転換してもらう。」


「なっなぜですか。」


「自分でもわかるだろう?そんな感情が揺れていたら戦闘の邪魔だ。一晩寝て考えるといい」


 一瞬の出来事だった。

 ヒイラギはルーカス兵長にその資質を見抜かれ、希望の部隊では使えないと判断された。


 ヒイラギはぐったりと肩を落とす。

 その様子を見て、ルーカス兵長はプロファイルリストを読んで内容を確認する。

「たしか、教育担当はグレーボヴィチ教官か。チッあの老いぼれ。。」

 言葉を発したあとに、ルーカス兵長は僕の表情を確認する。


「うん。君は大丈夫そうだね。

 ヒイラギ上等兵。彼の案内よろしく」

 ルーカス兵長は視線を合わせると僕にそう告げた。



 そうして僕達は、兵長の執務室を後にした。

 ヒイラギは表情は崩さないものの、少し足取りが早くなっていた。


 帰り際、また白衣を着た人物が向かいから歩いてきた。

 ルーカス兵長に連絡に来たのかと、思いながら通り過ぎようかとしたとき、白衣を着た人物がヒイラギの行く手を遮るように立ち止まった。


「さっき、すれ違いざまに出来損ないって言ったよね?あの言葉、忘れないから」

 言いたいことを言い終わると、白衣を着た人物は通り過ぎていく。


 横からヒイラギの舌打ちが聞こえた。

「なんなんだよ」


 ヒイラギの歩く速さは、先程よりも早くなった。


 そのせいかあっという間に、寮の玄関にたどり着くと、横一列に並ぶ部屋の前で会う予定の人物が居ると思われる手前から3番目の部屋をノックした。


「んげっ。ヒイラギか」

 前髪のパーマがかかりっぱなしの女性が眠たそうな顔から、煙たそうな顔へと表情を変える。

 そして、ヒイラギに向かって口を開く。


「同居人、殴ったらしいな?」

「いつの話?終わった話でしょ?」


「不向きなんじゃない?早く帰ったほうが良いと思うけど。」

 女性は、前髪のパーマから視線を覗かせると、悪態をつく。


「チッ。いいから、部屋割り教えなさい。セシル」


「208号室。この上の階よ。そこにいる霧島一等兵と同室よ」

「はぁ。どうして?男よコイツ」

 ヒイラギは思いのまま、セシルと呼ばれた寮長に食って掛かる。


「さっき、ルーカス兵長から伝言をもらったけど、3日間しか時間がないんだから、少しでも仲良くなっておけってさ。ふふっ」

 セシル寮長は、嫌味ったらしく、ヒイラギの唖然とした顔を見て笑う。


「どうして、トップランカーの腕前のルーカス兵長に手を上げたのよ?あなたが敵うわけないのに。」


「あなたでしょ」

 ヒイラギは負けじと言い返す。


「っとにかく、そういうことだから。せいぜい仲良くね」

 そう言われて、部屋から締め出されて、しばらく沈黙が流れた。


 防音が聞いているのか、部屋の中の音は漏れてこない。

 項垂れるヒイラギに目をやると、振り返ったときに目が合った。

 薄い茶色の瞳がじっと僕を見つめる。


 眉毛がピクリと動く。

 お前のせいだ。そう有りもしない怒りを僕になすりつけ、ヒイラギはそのまま姿勢を正して2階へ向かった。


 208号室は奥の方に位置していたらしく、しばらく歩いていると、ヒトを担架に載せた防護服姿の医療班が奥から自分たちの前を通り過ぎた。


「もしかして、近くで感染が起こったのかな?」

 そうヒイラギがつぶやいていると、ココよ。と首を振って208号室の位置を知らせる。


「ヒイラギ。さっきの担架は?」

 僕がそう尋ねると、ヒイラギが寮の外側を指差す。


 指差す方向には、先程運ばれた担架と医療班が敷地内の十字架のマークが描かれた病棟へと運んでいる様子が確認できた。

 よく目を凝らすと、医療班の隊員の足元が白銅の義足のように見えた。


「適切に処置をすれば、それ以上広がらない病気ということはわかっているの。」

 病棟周辺の衛生活動をしている人員に目を向けると、全て白銅の自動機械が仕事をしていた。


 列車が襲撃されたあと、目撃した旧式の銃を保持していた白銅と同じ色をしていた。

「緑斑症。っていうの。悪化すると、緑色のアザが全身を覆うの。」

 そう言葉を発したとき、ヒイラギは208号室の玄関の中で壁に寄りかかり、おもむろに軍服にしまってあるポケットの中に手をつっこみ何かを探していた。


「それは?」

 僕は、ヒイラギの様子を見て声をかける。


「ただの精神安定剤よ。」

 ヒイラギはそう言って、水を飲まずにそのままいくつかの錠剤を飲み干す。

 慣れた手つきだった。


「寝れているのか?」

「もちろん。。なに?心配してくれるの?」

 ヒイラギは僕の顔を見て、せせら笑う。



「もう3日しか無いんだよね」

 そして、僕の方へ歩いてきて、空を見上げる。


「ここの駐屯基地から、山脈が見えるでしょう?

 私たちもあともう少しで、あそこに行くのよ。

 同期にいたランベルトって覚えてる?

 ほら、あなたが、訓練時代にペアを組んでいた同僚。」


 そう言われて、僕はあの言葉を思い出す。

 ”じゃあ、君の本当に好きなことってなんだよ?”

 そう、僕に告げた同僚の名前だった。


「ランベルトは、私なんかより早く、先行部隊として、すぐに配属されたわ。何があるんでしょうね?

 分厚い山脈の壁のせいで、砲弾の音すら聞こえない。


 ここにいると、本当に山脈の向こう側で戦闘が行われているのか?

 そんな実感湧かないよね。


 山脈の上にある雲がずっと晴れないんだ。

 

 無人飛行機も、あの雲に突っ込むと戻ってこない。


 まるで片道切符みたい。



 ねぇ、あなたはどうして、軍隊に志願したの?」

 ヒイラギは僕の表情を覗き込む。


 山脈から風が吹いたのか、ヒイラギの後ろ髪がなびく。



 この山脈の向こう側の世界など想像がつかない。

 しかし、あの列車の惨劇以上のことが起こっていると考えると、

 たしかに気が重くなった。


「世界が平和になっていると、本当にそう思うか?」

「なによ、急に。私はそんなことを聞きたいんじゃないわ。あなたの志願の動機が聞きたいのよ。

 世界は間違いなく平和になっているはずよ。じゃないと、、私たちがなんのために犠牲を払っているのか分からないわ。」

 ヒイラギはため息をつく。


「ごめん。なんか変な空気にして、なんかいろんなことがありすぎて、ナーバスになっているのかも。

 急な質問過ぎた。君がそこまで私に話す必要なんてないもんね。ははっ」

 そう言って、立ち去ろうとしたヒイラギに僕は話しかける。


「もちろん、戦争は無くなった。僕たちは、地球、最後の紛争をしている。」

 僕は視線を落として、医療班が通り過ぎたときに踏み潰された蟻ん子を見つめる。


「虚無なのかな。

 たしかに住みやすい世界になったけど、僕には窮屈に感じるんだ。

 君もきっと、同じ列車を使って、この場所に来たと思うんだけど、すごく長旅だよね。

 僕は、なんだか肩の荷が降りたような気がしたんだ。


 父や母、兄の視線から離れて、気分が楽になった。

 僕は、家の中では、使えないやつだと思われていたから」

 僕がそう言うと、ヒイラギは笑う。

「へぇ。意外」


「さっきも言ったけど、たぶん、君みたいに激しい動機は僕には無い。軍隊に志願したのは、きっと僕のことを必要としてくれたから。」


「ふーん。変わっているのね。必要としてくれるからっていう理由だけで、命を投げ出すなんて、私には理解できないけど。

 それがあなたの信じていることなんでしょうね?」


「ヒイラギは。ヒイラギはどうなの?家族とか。反対はしなかったの?」


「私は、家族とかそういうのは、気にしてないよ。もともと、あって無いようなものだし。でも、気持ちはすごくわかるよ。無いようなものでも私にはかけがえのない存在。

 ちなみに、この仕事が終わったら、何がしたいとか無いの?」


「そうだね。明日を生きることにこだわりはない。こうして、君と話せてれば良いなって思う。」

 僕がそうつぶやくと、ふいにヒイラギと視線が合う。


 ヒイラギは耳を赤くして、火照ったことに気づいたのか、自分の耳を触って、違う。

 そういう意味じゃない。と否定する。


「虚勢よ。私達は正直、変人の集まりだと思うわ。だって、街中の人たちのように、何も心配せずに、生きる道を捨ててきたんだから。

 つまり、何も考えず、ノウノウと生きていれば良かったのに。それじゃ耐えられなかった人たちでしょ?」

 ヒイラギは笑う


「虚無と虚勢か。」


「そう。ずっと受験前日みたいな気分で、ゲロ吐きそうなくらいな私と、慣れてしまってピクリとしか表情を動かさない貴方。


 滑稽で笑えるよね。いっそ神でも信じられる脳があれば良かったのに。。。」



「私に残っているのは、か細い信念と死に場所だけってことね。」

 はぁ。ヒイラギがため息をつき、そういえば、と言いかけた矢先、

「お前、その腕、緑斑症だな?おい、腕隠してないで、こっちへ来い」

 と、上の階から管理人と思わしき人物の声が聞こえた。


 ヒイラギは言葉が遮られて苛ついているのか、「さっきも話したけど、最近増えているらしい」と口ずさむ。


「でも、適切に処置すれば、ヒトからヒトへ感染しないことは分かってるの。

 しかし、なぜだか、このエイブルース周辺で、発症者が散見されるようになった。

 緑色だから、公害のようにてっきり、あの自動機械との関連性を連想するかもしれないけど、それは関係ないわ。

 だって、都市近郊でこの症状が発症したことはないもの。


 でも、人は、すぐに不安がるでしょ?謎の病気は怖いもの。

 恐怖は伝染するのよ。」


「治療法は研究されている?」

 僕がそう尋ねると、ヒイラギが返事をする。


「だから、隔離するのよ、ああやって。さっきも見たようにね。

 私達には、関係ないんだから、とりあえず中に入りましょ」

 そう言って、学生寮みたいな窮屈な二段ベッドと学習机が見えたところで、ヒイラギは立ち止まる。


「私、部屋着に着替えるから、外出て待っててもらえる?」

 仕方なく部屋の外に締め出された僕は、寒さを感じて両手をこする。


 日が落ちるのが早い。

 さっきまで見えていた山脈の姿が見えない。

 足音が近くから聞こえ、振り向くと一人の男がサンダル姿で立っていた。


「あ。もしかして、締め出された?」

 男は、歯ブラシを加えながら、僕に話しかける。


「うん?」

 男は何か気づいたように、部屋番号を確認すると、納得がいったように歯ブラシを他に持ち替え喋りだす。


「あぁ。ヒイラギと一緒になったのか?

 あいつ同居人、殴ったらしいから気をつけたほうがいいぞ?

 ハハッおっかねぇ。っておい。」

 初めてあった男に初動なしで殴りかかってしまった。


「お前、眉一つ動いてなかったぞ」

「荒事になる前に、ムカつくからどっか行け。」

 僕がそう言うと、男は嬉しそうな表情を浮かべて立ち去っていった。


 さっきの男、しっかり拳の軌道を読んで避けていた。


 奇しくも目的地のエルブルース駐屯基地に辿り着いてしまった。

 道中、離れ離れになってしまったミサやアリス。グレーボヴィチ教官の様子も気になる。

 どこかで情報を手に入れられれば、良いけど。そう考えていると、ガチャっと先程しまったドアが開く。


「良いよ。入って」

 そう聞こえた頃にこれから自分の入る予定の部屋に目を向けると、パジャマ姿のヒイラギがいた。


「なんか良い香りがする。」

 僕がそうつぶやくと、ヒイラギがニッコリ笑う。


「寒いから、先にシャワー浴びちゃった」

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