第49話 救出

どこか遠くで、大きな音がしたような気がした。

こちらからの声は聞こえないはずなのに、外の音が聞こえてくるなんて不思議に思うが、ふと意識が浮上してラナウィは目を開けた。


なんだか水球は上に引き上げられている。真っ暗な部屋かと思ったが、どうやら湖に沈んでいたらしい。

なぜそれがわかったのかというと、ばしゃんという音とともに勢いよく湖面から飛び出たからだ。そのままぴたりと止まる。ちょうど宙に浮かんだままの状態だ。


膝を抱えて丸くなっていたラナウィはそのまま目を瞬かせた。

動こうとすると、こちらを茫然と眺めていたハウテンスが叫んだ。


「ラナウィ、動いちゃだめだ!」


寒くて手も足も感覚がない。水の冷たさにすっかり冷やされた体は自由に動かない。だから少し身じろいだだけなのだが。


しかし、ヌイトゥーラたちのやや後方、広がる平原にはいくつもの穴ができている。湖沼地帯ではあるが、不自然な穴ぼこたちには水が一切たまっていない。今日は一日雨が降っていたので自然にできたとしたら水たまり程度には水があるはずなのに。

先程の轟音の原因だろうか。


「ヌイト、あれ、なんとかできないのか!?」

「ちょ、ちょっと待って。なんにも集中できない……」


なぜか真っ赤になった二人に、ラナウィは首を傾げるしかない。


「お前ら、ちょっと冷静になれ。とにかくこっちに降ろすのが先だろ」


剣の腹で肩を叩きながら、バルセロンダが呆れたように息を吐く。

いったい何がどうなってこの三人が湖の前にいるんだろう。バルセロンダが抜き身の剣を手にしている時点で、何かしら戦闘めいたことが起こったに違いない。


探しにきてくれたということでいいのかな、けれどなぜ戦闘になるのだろうと思った瞬間、自分の格好に思い至った。風呂に入っていたら、突然転移させられたのだ。

格好というか、なんの格好でもないというか。

つまり、裸だ。


ラナウィの心からの叫び声が曇天の夜にこだますのだった。


#####


ヌイトゥーラに魔法で体を温めてもらったので、寒くはない。けれど、裸は変わらなかった。バルセロンダが着ていた外套をラナウィに羽織らせてくれたので、しっかりと前を留める。


「よくここがわかったわね」


体が温まったおかげで、すんなりと言葉が出てくる。


「ヌイトが調べてくれた。水を使った転移魔法だってさ。どこから持ってきたのか尋ねて水源を目指しただけだよ。いつ細工されたのかはこれから調べるけれど、離宮の人間なんてわかりやすいことはしないだろうなあ。ここに着いたらちょうど相手と遭遇してバルスとヌイトがあっさりと倒してくれたんだけど、残念ながらすぐに回収されちゃって逃げられたからね。黒幕もはっきりしない。たぶん隣国の仕業だろうけれど」


湖沼地帯のクレーターはヌイトゥーラの魔法のせいだろうか。ラナウィは取り敢えずその件には触れなかった。


「もともとラナウィを回収すれば逃げるつもりだっただろうから、捕まえるほうが難しかったと思うよ。帰還の魔法陣を用意しておくのは魔法士の鉄則だしね」


ハウテンスが悔しそうに唇を噛むが、ヌイトゥーラは首を横に振る。

転移魔法は予め戻る場所を指定して魔方陣を描いておき、呪文を唱えればその場所に戻れる仕組みだ。もしくは対となる魔方陣を予め二ヶ所に描いておけば、その間を往き来できる。どちらにせよ、事前に用意しておくのが常識だ。


なぜかバルセロンダが不思議そうに問いかけた。


「俺の隊は誰もそんなこと言わないが」

「バルス兄の小隊はね、魔法士たちが仕事がないってぼやいてたよ。バフをかけたら感覚が狂うって怒られて、治療魔法使ったら体が鈍る気がするって嫌がられて、転移魔法は鍛錬の邪魔だって言われるんだってね」

「長い間、魔法士不在で魔獣討伐してたから、そうやって小隊が完結したんだろうなあ。今更魔法士派遣したところで邪魔とかほんと規格外な小隊だよ」


ヌイトゥーラの説明に、ハウテンスが苦笑する。


「なるほどな。魔法士もいろいろ役立つことはわかった。ああ、姫様、靴がないんだから、背中におぶされ」

「え、え!?」


バルセロンダが背中を向けてきたので、ラナウィは大いに戸惑った。だが、混乱していてもしっかりと手を伸ばして広い背中にしがみついた。外套を奪ってしまったので隊服を着こんでいるが、鍛えられたしなやかな筋肉を感じる。

こんな機会など二度と訪れないだろう。ぬくもりを堪能すべく首に腕を回して頬を摺り寄せた。バルセロンダはいつも後ろ髪をやや長めに伸ばしている。頬にあたる髪はサラサラで艶やかだ。


けれど、堪能する間もなく、ラナウィは思わず固まってしまった。その際に、視界を掠めた黒に、ひっかかりを覚えたからだ。

髪に隠れて首に小さな黒い線が見える。


バルセロンダはラナウィの戸惑いに気づいた様子もなく、彼女を背負ったまま、ヌイトゥーラに小さく頷いた。


「ようやく魔法士が役立つって実感してくれて嬉しいよ。じゃあ帰ろっか」


そのままヌイトゥーラが短く呪文を唱える。

視界が一瞬で切り替わった。


「姫様っ、ご無事で!!」


ヌイトゥーラの転移先はラナウィが与えられた部屋であったようだ。

目を真っ赤に腫らしたルニアが駆け寄ってくる。


だがラナウィはバルセロンダの背中から降りずに、思案顔になる。


「ひ、姫様……?」


ラナウィのただならぬ様子に、ルニアが顔を曇らせる。

無事ではなかったのかと心配しているのだろう。けれど、正直ラナウィはそれどころではなかった。


「バルセロンダ、これは何?」


バルセロンダの長い襟足の髪をかきあげれば、彼の首の後ろに親指ほどの大きさの紋章がくっきりと現れているのが見えた。

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