第三章 恋の盃を情けに酌みしや

第42話 取引

ラナウィは十五歳になった。

成人の祝いは盛大で、高位貴族だけでなく周辺国の王族も呼ばれたものだった。

三日三晩の祝宴は続いた。


さすがに三日目にもなるとラナウィにも疲れが見えてきた。

遠方からくる客にも対応するためという名目だったけれど、それなら初日に合わせてくればいいのだ。それをわざわざ三日も設けたのは、単純に母が着飾ったラナウィを見せびらかしたいという親バカな感情のためだと知っている。


年頃に成長した愛らしい娘は、『魔女王』の後継者の証たる艶やかな翠銀色の髪をふわりと揺らす。動くだけで神々しいなどと口々に誉めそやす。

お披露目と称して、自国の貴族だけでなく他国にも自慢したいと願われた。

親の純粋な願いを叶えるため、結局了承したのは自分だけれど。


豪奢に結いあげられた髪を振って、ラナウィはもう無理、と小さくつぶやいた。

そのまま、こっそりと宴を抜け出て、中庭へと歩を進める。

ここで誰かに呼び止められたら、せっかくの脱走が終わりを告げてしまう。


足早になるラナウィのやや後方から無言でついてくる護衛の存在を確かめながら、散策できる小道を数歩進んで足を止めた。

自身の失敗を悟ったのだ。


「姫、どちらにいかれるのでしょう」


聞いたことのある落ち着いた低い声の持ち主が誰かすぐに思い至る。

振り返れば、夜会の灯りに照らされてこげ茶色の髪色の貴公子が立っていた。榛色の相貌を甘やかに細めている姿はまさに祝宴に相応しい落ち着いた装いであるが、彼の表の顔に騙されるわけもない。

ラウラン公国の第二公子デラアウェは、ゆったりとラナウィに近づいてきた。

一人で中庭に散策に出てきたところだった。こっそりと出てきたはずであるのに、時をそれほどおかずに追いかけられていることに恐怖を覚える。


「本日の主役がこんなところで、どうされました」

「見てわかりませんか、休憩中ですの」


存外にそれ以上近づくなと告げれば、彼は足を止めた。

けれど立ち去るつもりはないようで、榛色の瞳を瞬かせた。


「この度は成人おめでとうございます、姫君においては――」

「それは一日目の際にいただきましたわ。できれば手短にお願いできます?」


こちらに用件はないのだ。

せっかく気分転換に出てきたというのに、まったく気持ちが休まらない相手の対応は勘弁してほしい。


意図を理解したデラアウェは、簡潔に説明した。


「私と取引いたしませんか。貴女の外野はとてもうるさいでしょうし、婚約者候補をいつまでも引き留めておくのも限界でしょう。私にはそれだけの力もある」


成人を迎えたラナウィに、次は婚約者の発表ですねと期待が高まっているのはわかっている。今回の宴が不確かな身分を持つ者はおらず、若い男が多いのもわかっている。母である女王の思惑はわからないけれど、周囲の意図は明らかだ。

これが集団見合いであることなど、わかっていた。

母は単純に娘を自慢したいだけだろうけれど、いくつもの思惑が絡んでいるのだ。

わかっていて、こうして一人で庭園を散策している。


傍にはバルセロンダが控えていて、危険なことなど何もない。

婚約者候補の筆頭はもちろん、ヌイトゥーラとハウテンスではあるが、そこかしこで不穏な噂が出回っていることも知っている。

だからこそ、招待客に若い男が多くなってしまったことも。

それが、大叔父であるエルミ公爵が画策していることもわかっている。彼の娘が次期女王候補の一人でもあるので、不遜な夢を抱いているのだろう。娘のエルゥミは、今回の祝宴にも参加していて、一日目に顔見せにきたけれど盛大な嫌味をおっとりと告げただけで表だって何かを仕掛けてはこなかった。

けれど、ラナウィが三英傑以外の男に惚れるように画策しているのは事実だ。

少しでもラナウィに瑕疵をつけようと必死な姿にはいっそ憐れですらあるけれど、侮って足元をすくわれるような愚は犯せない。


近づいてきた第二公子に、バルセロンダが警戒の視線を向けた。

あからさまではないけれど普段とは異なる硬質な雰囲気に、ラナウィは安心した。

デラアウェが口にした力が何を指そうが、自分には関係ないと言えるから。

これまで裏で動いていた男が、こうして直接やってくる理由は不明だ。その分、不気味に映るが、ただ静かに声を出す。


「必要ありませんね」


そもそもデラアウェは呪術師だ。

何をするかわからないのは、第一回闘技会で証明済である。そんな男が持ち掛けてきた取引など乗る方がどうかしている。


「私には彼らがいてくれますから」

「長らく彼らを選びもしないのは理由があるからでしょう。仲たがいをしているのかな。私の手をとっていただければ、噂のようにそちらの騎士との逢瀬も認めますよ」


ラナウィがいつまでも婚約者を選ばず、『箱庭』を解散させることもないため、様々な噂が飛び交っているのは知っている。

三英傑との不仲説、ラナウィが『箱庭』の騎士との恋仲説、そもそもラナウィが『間女王』の後継者であると疑う声など。それもこれもどれも、『剣闘王』の後継者が現れないため、決めきれないだけなのだが、揃っていないと公表もできず、結局ずるずると現れるのを待っている状態である。

まさかこれほど長く見つからないと考えてもいなかった。

明日には見つかる、一週間後には見つかる、あと少し、もう少し。そんなことばかり言ってもう十年も経ってしまった。今更、実は見つかっていないなんて言えるわけもない。


結局、隠し立てするから怪しく見えるのだ。

ラナウィの地位を脅かす者にとっては、それが隙になるのだろう。

おかげで悪意ある噂ばかりが広まって、無暗に訂正することもできない。どこでぼろがでるかわからないからだ。

一つの嘘を、いくつもの嘘で覆い隠して。一つを正せば、芋づる式にすべてが露見しそうで何も言えない。


息苦しくて、立っているのもやっとだというのに、いつ解放されるのかもわからない。もう『剣闘王』の後継者など待たずに、ヌイトゥーラかハウテンスを選んでしまおうかとも考える。

けれど、それを当の二人が許さないのだから、仕方がない。


第一回の闘技会が終わってすぐの『箱庭』で、サンチュリが遅れてくるように仕向けた時に、三人で今後のことを話し合った。

二人に甘えている現状に申し訳なくても、謝罪はいらないなんて言われている。


『女王陛下にも言ったけれど、ラナウィを惚れさせられない僕たちに原因があるんだよ。な、ヌイト』

『そうだねえ、むしろ不甲斐ない英傑の後継者でごめんね。時間はまだあるんだから、僕たちはラーナの想いを尊重するよ。昔から決めてるんだ』


二人は婚約者も作れないし、いつまでもラーナに付き合うことになるというのに。

恨み言も怒りもぶつけてこない。

泣くのは違う。

それは知っているけれど。


恋とは違う胸の痛みに、己の不甲斐なさに、ただ頭を下げた。

そんな彼らの思いを踏みにじるようなデラアウェの取引に乗ると思われた時点で、馬鹿にするなと言いたかった。

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