第五幕

 

 

 村山は、その後無事に新選組へ戻ったようだった。

 あれきり村山とは顔を合わせることがなかったが、伊織は一つ肩の荷が降り、安堵していた。

 あとは、自分が脱けるのみだ。

 だが、今の状況では容易に脱けられそうもない。

 その最大の枷は慎太郎である。

 おまけに"握り飯"以来、誠一郎もかなり重たい枷となっていた。

 入隊時にあれだけの担架を切っていては、よほどの理由を付けなければ脱退は叶わないだろう。

 だからといって脱走しても、慎太郎や誠一郎は必ず伊織を探すに違いない。

(そして、出来るならこの人を助けてやりたいっていうのが……実は一番の枷だったりして)

 十月下旬のある朝、慎太郎の身支度を手伝いながら、伊織はぼんやりと考える。

「今日はちくと近江屋まで一緒に来てくれんがか?」

 ぎくり、と息を呑む。

 が、まだその日ではないと思い直して、平静を取り戻した。

 近江屋に刺客が乱入するのは、まだ先だ。

「近江屋で、何事かあるんですか?」

 日頃、堅苦しい会合の場には、伊織をあまり同席させない慎太郎である。

 それも彼なりの配慮なのだろうが、自分が完全に慎太郎の私情に分類されている事が、いささか引っかかっていた。

「あぁ、大した用事じゃあないきに。龍馬もおまんに会いたがっちゅうぜよ」

 そういえば、酒宴の日以来一度も会っていない。

「はぁ、そうですか」

 何ということもなく答えたのだが、慎太郎は急に不機嫌そうに眉根を寄せた。

「ほんまは、龍馬のほうが好きがじゃろう」

「へぇ?」

 ぽかんと口を開けて、慎太郎を見上げる。

「今、嬉しそうな顔しちょった」

「何ですか、唐突に」

 嬉しそうにしたつもりはないし、むしろ伊織にとって龍馬はあまり関わりたくない存在であった。

 なかなか鋭い洞察力で、女であると見抜かれた上に間者とまで見破られてはたまらない。

「龍馬は女子に人気があるからの」

「へー、そうなんですかぁ。別に私は興味ありませんね」

 おざなりに返すと、慎太郎はニッと笑う。

「……何です?」

 あまり良い予感はしないが、一応尋ねる。

「やぁっぱり伊織は俺んとこ愛しちゅう」

「朝から寝言を言わないでください」

 慎太郎のあしらい方も、ますます露骨である。

 対する慎太郎は、しゅんと俯いていじけている。まさに百面相だ。

「んー、けど、あれからちぃーっとも夜に仲良うしてくれんがじゃろ? とうに結ばれた仲じゃゆうがのに……」

 慎太郎の衣紋を整える手を握られる。

「寂しいぜよ~」

「騙されませんよ! あの朝、私はちゃんと着物を着ていましたからねぇ!!」

 伊織が不本意にも顔を赤らめて言うと、慎太郎は口を尖らせた。

「ちぇーっ、気付いちょったがか。……ま、これから結ばれるんじゃ。同じことぜよ」

 もう恥ずかしいのと腹立たしいのとで、伊織はさらに赤面する。

「ふふん、今夜が楽しみぜよ」

 意地悪く、慎太郎は言う。

(……そろそろ潮時か)

 伊織がそう思ったのは、操のことだったか、或いは間者業のことだったか――。


 ***


 その午後、伊織は慎太郎に付いて、河原町の近江屋を訪れた。

 通された二階の一室には、龍馬が一人待っていた。

「おっ! 来ちゅうな! 中岡夫妻!」

「はっはっは! いやぁ、照れるがじゃろ~」

「いい加減にしてください……」

 げんなりと気落ちする伊織をよそに、龍馬は改まって二人を部屋に招き入れた。

「実は今日、御陵衛士の連中が会いに来るっちゅうんでの」

「えっ!?」

 伊織はつい油断していたことに気付き、歯噛みした。

 御陵衛士。

 元新選組参謀、伊東甲子太郎の一派である。

 顔を見られるのはもちろん、高宮伊織の名を出されただけでも、それと知られてしまうだろう。

 伊東が来る前に、この場を去らねばなるまい。

「どうかしたがか、伊織?」

 慎太郎も龍馬も、伊織を見ていた。

「あ、いいえ。御陵衛士というのは、確か新選組から分離したものでしたね」

「よう知っちょうにゃー。その通りぜよ! わしはどうも信用ならんと思うちゅうがの」

「それが何の用なんじゃ?」

 二人の傍らで、伊織は生きた心地がしなかった。

 何か理由をつけて窮地を逃れようにも、二人をごまかせる理由を思いつけない。

 こういう時に限って、と伊織は己のうかつさを呪う。

(万事休す、か──)

 膝で握った掌に、気持ちの悪い汗が溜まる。

 顔を上げることは出来なかった。

 きっと、青ざめているに違いなかった。


 ***


 間もなくして、伊東は現れた。

 それも、元八番隊長の藤堂平助をともなって。

 慎太郎の背後に控える伊織に、やはり伊東も藤堂も気付いたらしかった。

 が、どういうわけか、それには触れずに挨拶を経て、当たり障りのない談笑に移る。

 藤堂のほうはちらちらと伊織を気にしている様子だが、伊東がなにも言わないせいか、それ以上何をするわけでもない。

「藤堂君。何をさっきから落ち着かない? そんなに先方のお小姓さんをじろじろと見ては、失礼でしょう」

 伊東に諫められて、藤堂は恐縮した。

「あ、……失礼を致しました」

 藤堂の視線が離れるのと入れ替わりに、伊東の視線が伊織に向けられる。

(言うか、伊東……)

 伊織は、露見することを覚悟した。

「やぁ、これは可愛らしいお小姓さんだ。藤堂君が思わず目を奪われてしまうのも頷ける」

(!?)

 伊東は、その端正な顔立ちを綻ばせた。

「はっはっはっ、こいつは俺専属の小姓がです。ほれ、伊織。せっかくじゃき、ご挨拶せにゃいかんがよ」

 伊東の見え透いた世辞にも気付かず、気を良くした慎太郎が伊織を自らの隣に促す。

(なぜ、言わない……?)

 訝しみながら、伊織は膝を進めた。

「陸援隊隊長付小姓を相勤めております、高宮伊織にございます」

 簡潔に言って、軽く頭を下げる。

「初めまして。伊東甲子太郎と申します」

 伊東の魂胆を探りかねた。

 今、伊織が新選組の間者だと明かせば、伊東は坂本・中岡両名の信頼を少なからず得られる。

 伊織をかばっても、伊東の利になることは何もないではないか。

 伊東は、伊織から目を逸らした。

「僕も可愛い伊織君の姿を見ていたいのですが、この先は申し訳ないが、三人でお話ししたいのです」

 そう言って、伊東は藤堂にも席を外すように言った。


 ***


 伊織は藤堂と二人で退室し、別室に控えた。

「驚いたな。こんなところで会うとは」

 藤堂の口調は静かだった。

 御陵衛士分離前には、かなり仲良くしていたのだが、その頃の空気は今はもうない。

「どうして伊東さんは、何も言わなかったんでしょう?」

「──さぁ。優しい人だからなぁ、伊東先生は」

 伊織はゆっくり息を吐き出した。

「土方さんは、あんたにまでこんなことをさせているのか。敵陣の中枢に送り込むなんて……、いつ死んでもおかしくない仕事を」

「私が、自分で来たんですよ。命令されたわけじゃない」

 暫しの沈黙が流れた。

 目を合わせることなど、互いに出来ずにいる。

「あんたがどういうつもりでいようと、これだけは言っておくぞ」

「……何です?」

「今のままじゃ、あんたは死ぬぞ」

「………」

 藤堂は、やっと伊織を見た。その視線を受けて、伊織も顔を向ける。

「新選組に戻るな。このまま中岡さんの側に置いてもらえよ。伊東先生はバラすような人じゃないから…。あんな、人殺しの中に、戻るなよ」

 藤堂の声が、耳に痛かった。

「人殺し……ですか。──ははっ」

 伊織は、困ったように笑って返すほか、仕方なかった。

 一刻ほど密談を交わした後、伊東と藤堂は近江屋を出た。

 最後まで伊東は初対面を装っていた。

 それを見送り、伊織は再び龍馬と慎太郎の元へと呼び戻された。

 結局、伊東は何も言わなかったようだった。

「慎太郎、どう思うちゅう?」

「まぁ、気に留めちょっても損はないがじゃろー」

 龍馬の質問に、慎太郎はいともあっさりと答える。

 伊東はやはり、新選組と見廻組とが二人を狙っていることを忠告し、この近江屋から藩邸に移るよう助言したらしい。

 伊東のこの忠告を一顧だにしなかったがために、この二人が後に暗殺されることは、伊織は重々承知している。

(今日がその忠告の日だったか……)

 伊織は、余計なことは口にするまいと自らを律した。

「それより、伊織! さっきの藤堂っちゅうモンに何もされんかったじゃろうな!?」

「はぁ?」

 突然話を切り替えた慎太郎に、伊織はきょとんと目を丸くした。

 事は暗殺の忠告だというのに、いくら何でも気にしなさ過ぎである。

「ぶはっはっはっ! 伊織のことになると、なっさけないのう、慎太郎!」

「やかまし! 伊織に何ぞあったら、どないしちゅうがよ!」

「ただのヤキモチがじゃろうに」

「女子じゃゆうんがバレたらいかん思うちゅうだけじゃき!」

 他愛もないやりとりを遠くに聞きつつ、伊織は目を伏せた。

(新選組に戻ろう──)

 本来の目的は済んだ。

 そろそろ限界だろう。

 己を抑制できるうちに、離れてしまわなければ。

 そうして二度と、慎太郎には会うまい。


 ***


 その夜、伊織は陸援隊の屯所を抜け出した。

 脱走である。

 慎太郎が湯を使うと言ったので、その隙に手早く荷をまとめ、こっそりと屯所を出た。

 元々荷などは最小限で片手に持てる程度であったし、普段から人の少ない経路を把握していたために、脱出は造作もなかった。

 しかし、今夜は月もある。

 慎太郎もすぐに部屋へ戻るであろう。

 なるべく建物の影に入りながら、伊織は先を急ぐ。

 陸援隊を離れるのは、正直なところ辛い。

 助けたい、死なせたくないと思いながら、何一つとして力になってやることの出来ぬ我が身が、口惜しかった。

 藤堂に戻るなと言われた新選組でも、局長はじめ多くの仲間が伊織の帰隊を待っている。

 土方だとて、あと数日のうちには江戸を発って帰ってくるだろう。

(私の居るべき場所は、新選組のほかにはない)

 小路を出る直前、伊織の前に人影が立ちはだかった。

「!」

 とっさに身を引いて、柄に手を掛けた。

「高宮。俺ぜよ」

 伊織は青ざめた。

 誠一郎である。

 ゆっくりと距離を詰めてくる誠一郎に対し、伊織は一歩後じさり、踏みとどまる。

「私を、処断しますか」

 荷をまとめたこの現状で、もはや言い逃れは出来ない。

 いざ勝負となったら、まず勝てなさそうな相手だが、こうなっては致し方もなかった。

「──おまんも知っちょろう? もう、中岡隊長にとって、おまんは不可欠じゃき。今脱けられちゃあ、かなわんがよ」

 誠一郎に、いつもの穏やかさはない。

 表情に緊張の色が濃い。

 身構えたまま、伊織は問い返した。

「──どういう意味です」

「そのまんまの意味じゃ。おまんが中岡隊長の側におらんで、どうするゆうがよ。新選組に帰すわけにはいかん。おまんが敵とわかったら隊長はどうなる! あん人におまんは斬れん!」

 伊織は驚愕した。

「っ、誠一郎さん。知っていたんですか」

「もう一人は見逃したが、おまんは行かせられん」

 もう一人、とは村山のことであろう。

「おまんは隊長の支えじゃ。敵にまわすわけにはいかん。間者として潜入したがじゃろうが、おまんが機密を流しちゅうところは一度も見ちょらん。このまま、新選組とは手を切るがよ!」

 伊織は、何だかおかしかった。

 誠一郎は全てを知っていて、その上で伊織を見逃していたのだ。

 伊織は柄から手を離し、笑った。

「ははっ! いやだなぁ、こういう選択は。新選組か陸援隊か、どちらを選んでも私は死ぬわけだ。隊長が私を斬れずとも、あなたは斬れるでしょう?」

「陸援隊を選べ。そうすりゃあ、このことは忘れちゃる。……もっとも、ハナから連れ戻す気ィじゃき」

 誠一郎の目は真っ向から伊織の姿を捕らえたままだ。

 本気で言っているのだと解る。

「新選組ではね、脱走は切腹なんです。かといってここで新選組に戻ろうとすれば、あなたに斬られる――。やれやれ、死の選択ですか」

 言い終わるや否や、伊織は誠一郎に肩を押し掴まれた。

「新選組からは、俺が守っちゃらぁ!!」

 誠一郎の口調には、危機迫るものがあった。

 普段の様子からはまるで想像もつかなかった迫力に圧倒され、伊織は言葉をなくした。

 呆然と見上げる伊織に、誠一郎はさらに言い寄った。

「早うに、まっこと中岡隊長のもんになれ! したら、おまんの気持ちも固まるがよ!!」

「……なッ!?」

 不謹慎にも、赤面してしまった。

 一体どこまで知っているのか、侮り難い人物である。

「俺に話しちょった、隊長への気持ちが嘘じゃあないがやったら、俺と一緒に帰るがよ! 今ごろ隊長も、おまんがおらんのに気付いちゅう」

 伊織は迷っていた。

 辛さを振り切って脱走を決意したのだ。

 今戻って、もう一度その決心をしなければならないのは御免だと思った。

「荷を貸せ! 担ぐぜよ!」

 業を煮やして、誠一郎は有無を言わせず伊織をかつぎ上げた。

「あっ!? ちょっ、誠一郎さんッ!」

 降りようと暴れるも、一見優男な外見に似合わず、意外に力は人並み以上な誠一郎にはかなわない。

 そのまま誠一郎は屯所へと引き返しはじめた。

「荷は俺がこっそり戻しとくきに、おまんはうまくごまかせ! 得意がじゃろう!?」

「私はまだ戻るとは……!」

「しゃべると舌を噛むぜよ!」

 誠一郎は駆けだしていた。


 ***


 屯所の入り口で伊織は降ろされたが、誠一郎は無言のまま先に中へと入ってしまった。

(あーぁ、荷物、持ってっちゃったよ、あの人……)

 荷を取られては、もう一度取り返しに行かねばならない。

 間者が物証を残しては何かと不都合である。

 誠一郎は、恐らくそこまで計算した上で荷を取り上げたのであろう。

 なかなか抜け目のない男だ。

(仕方がない……。次の機会を待つしかないか)

 がっくりと肩を落として、屯所内へと入った。

 そこで、なにやら尋常でない人物に出会した。

 髷を解いた洗い髪は濡れたまま、着物のはだけ方も甚だしい。

「……隊長。何ですか、その格好は」

「!! ──伊織っ!!」

 慎太郎は伊織の姿を見るなり、速度を最速に切り替えて突進し、抱きついた。

 その勢いで、伊織は後ろに尻餅をつく。

「どこに行っちょったがよーーーッ!!? 部屋に戻ったら、おまんの姿が見えんどころか荷まで消えちゅう!! なんで黙って出ていくがよ!? どんだけ心配したと思っちょるんじゃ!!」

 慎太郎の身体は、すっかり湯冷めしてしまっていた。

「どうでもいいですが、風邪をひきますよ」

「──もう会えんかと思うたがよッ」

「うわっ、何泣いてんですか! 恥ずかしい!」

「うるさいっ! おまんのせいがじゃろッ!!」

「早くどいてくださいよ、みんな見てるじゃないですか!」

 騒ぎを聞きつけて集まってきた隊士たちが、そこここから覗いている。

 これにはさすがに慎太郎も我に返ったらしく、慌てて居住まいを正して隊長室に引き返した。

 それでも伊織の腕だけはしっかりと掴んでいたのだが。

 何食わぬ顔をしてはいたが、それがかえって滑稽で、伊織はもちろん覗いていた隊士たちも、吹き出すのを堪えるのに必死だった。


 ***


 隊長室には、しっかりと伊織の荷が戻されていた。

「荷はちゃんとあるじゃないですか」

 慎太郎は納得がいかないように首を傾げたが、やがて伊織の目をじっと見つめて詰め寄った。

「本当は、どこに行っちょった?」

「ちょっと誠一郎さんと立ち話を……」

 なんとなく目をそらしてしまったのを、伊織は後悔した。

「誠一郎と? わざわざ屯所から出て?」

「──いや、だから……誠一郎さんに、呼び出されまして……」

「出ていこうとしちょったわけじゃあない、っちゅうがか?」

「やだなぁ、いくら隊長が性的嫌がらせをするからって、黙って出ていくわけないでしょう」

 このあたり、微妙な本音が混じる。

 日頃の慎太郎の行動は、現代でいうところのセクハラだと、伊織は思うのだ。

 慎太郎は露骨に憮然とした表情になる。

「誠一郎に、何を言われたんじゃ?」

 ふと、誠一郎の言葉がよぎる。

 ──早うに、まっこと中岡隊長のもんになれ!

 思い出すとそればかり耳にまとわりついて、不本意ながら頬が熱くなる。

 そして、慎太郎の眼差しはさらに怪訝そうなものに変化する。

「あー。それは、その……誰にも秘密にして欲しいと、言われましたので!」

 慎太郎の目を見返すことが出来ない。

 ある意味で一番厄介な窮地である。

 こういう状況に免疫のない自分が、非常に恨めしい。

「言え。隊長命令じゃき」

「そりゃ職権濫用ですよ~! 勘弁してください」

「俺に知れちゃあ、まずい話じゃったがか」

「……あ、えーと……はぁ、まぁ」

 だんだん返答も有耶無耶になってしまい、伊織は懸命に逃げ道を探す。

「あの、でも、誠一郎さんは隊長のこと大好きみたいですよ」

「……伊織は?」

「はい?」

「伊織はどうなんじゃ」

 好きですよ、と言いかけて、思いとどまる。

「………」

「俺はもう何度も愛しちゅう言うちょるがよ。おまんは何も言うてくれんがか?」

 苛立った声だ。

 慎太郎のこういう声は、初めて耳にする。

「……女が欲しいなら、たまには祇園にでも行ってみては……」

「誰がそんな話をしちゅう!? いつもそうやって話をそらしよって!!」

 珍しく怒りの込められた声音に、伊織は押し黙る。

 ややあって、伊織は顔をそむけたままに低く、それでもはっきりと言う。

「──私は、女子としてあなたに添いたいとは思わない。私は守られるのではなく、信じるものをこの手で守りたいと思う。そのためなら戦場にも出るし、弾よけにもなる。そうやって死ぬ覚悟は出来ている!」

「……ほんなら、質問を変えちゃる。おまんは、誰の為がやったら死ねる?」

 あまりに直球な問いかけに、伊織は一瞬、呼吸すら忘れてしまった。

 問われて瞼に浮かんだのは、やはり土方の姿だったのだ。

「それは──」

 伊織は、慎太郎の目を見上げる。

「それは、あなたです、隊長」

 咄嗟に出た嘘だった。

 陸援隊の中にいて、土方の名など出せるはずもない。

 慎太郎は眉を寄せた。

「陸援隊長の為がか?」

「……いいえ。中岡慎太郎の為、です」

 慎太郎は、じっと伊織の目を見、伊織もまたそれを見返す。

 端から見たならにらみ合いとも言える緊迫感が、そこにはあった。

 暫時にらみ合った後、不意にそれが和らいだ。

 まず、慎太郎が表情を変える。普段よりも柔らかい笑顔である。

「わかった。伊織がそう言うがじゃったら、俺はそれを信じるぜよ」

 伊織の胸が、ちくりと痛む。

「ただし、おまんは死んだらいかん。生きて、新しい時代を迎えるがよ」

「新しい、時代……」

「そうじゃ。維新後にまで生きて、したら、そん時に女子として俺に添うてくれたらエエきに」

 伊織は俯いた。

 維新後の自分など、考えてみたこともなかった。

「これには返事をもらえるがじゃろう?」

 俯いたままで、伊織は小さく、はい、と答えた。

 答えて、やはり荷など置き去りにして、早々に新選組に戻るべきであったと悔やんだ。



【第六幕へ続く】

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