遠くで声が聞こえる

満つる

遠くで声が聞こえる


おかしいな? 今日に限ってタケの声がやけに遠くに聞こえる。


「ダッセーっすよ先輩。ひとりでダウンなんてほんとダサいっす」


うるせぇな。っていうか、なんだ。今日のそのお前の話し方。どうしたんだ? なんか悪いもんでも食ったのか?


「食ってないっすよ、んなもん。それより先輩が食欲ないとかマジ信じられないっす」


それな。寄る年波には勝てない、ってやつかな。


「何、バカなこと言ってるんすか。打ち上げのブッフェランチでひとりでマロンクリームあんなに食べて、2課のマドンナ平田さんにドン引きされてたくせに」


いいだろ、それくらい。若いお前らと違ってオレはふだんスイーツ食いに行く機会なんてないんだから。


「よく言うっすね。知ってるんすよオレ。月に一度あっち帰った時は必ず美咲ちゃんとふたりで甘いモノ食べて、お土産に、ってなおこさんの分も買って帰ってること」


おい、なんでお前がそんなこと知ってるんだよ!


「知らないんすか。30までチェリーだと、ひとの考えが読めるようになるんすよ」


どの面下げてそんなこと言ってるんだ。誰がチェリーだ。この腐れパパイヤが!


「ひっでえな先輩。そんなこと言うと襲っちまいますけど、いいんすか?」


ああああ、あれ? 変だな? なんでタケの顔がこんな近くに……、

と思う間もなく、何か温かいものが口の中に押し込まれた。


おおおお、オレにはそんな趣味ないんだぞ、バカ!

だいたいお前にだってそんな趣味なかったろ!!


「いいからちゃんとゆっくり飲み込んでくださいよ。たまにはオレの言うことも聞いたらどうっすか? ひとりで黙って頑張ってばかりいるからこんなことになるんじゃないっすか」


なななな、なんだ、お前? もしかして泣いてるのか?

どうした? 何かトラブったか? それともまた振られたのか? 今度は誰だ? まさかマドンナに告ったのか? あれはやめとけ、ってあれほどオレが言っ


「……はー。ほんと先輩、いい加減どうにかした方がいいっすよその性格。そんなだからなおこさん心配してオレにLINEしてくるっす。大体なんでオレがなおこさんとLINEしなきゃいけないんすか。ほんとマジ勘弁っす。そんなヒマあるならオレ、結ちゃんとか紗也ちゃんとか緑さんとかとしたいっす。ひとの心配するくらいなら自分のこともっとちゃんとしてくれないと」


うわー。マジか! マジなのか!? もしかしてなおこのやつ、それでオレのこ


「も、先輩バカすぎてガマンできないっす。悪いけど、その口、塞がせてもらいやす」


タケの口が目の前に見えた気がして、オレは思わず目を瞑った。

同時に、柔らかい感触がまた唇に触れて……、





あまりの夢見の悪さに、オレは思わず飛び起きた。

起きてみれば、どんな夢だったかなんてろくに覚えちゃいなかった。

ただ、酷くゾッとした、その気持ちだけが残っている。

身体中、汗まみれだった。べたべたしたパジャマが気色悪い。


──こんなに冷や汗かくくらい悪い夢、ってどんなだよ。


心の中で悪態をつきながら、パジャマをガバッとたくしあげる。頭の上から引っこ抜いたそれをタオル代わりにして、ごしごしと身体を拭う。汗を拭いてようやく人心地ついた所で、ふと我に返った。


──そう言えば、オレはどうしてたんだ?


慌てて枕元に目を向ける。

デジタル時計の数字が『16:38』と表示しているのが見えた。


──は? なんでこんな時間まで布団の中にいたんだ? あ、もしかして今日は休みだったか?


時計を掴んで、目の前でしっかりと見直す。

『11:22 月』


──おかしい。月曜日、って? 休みだったか? んな訳ないよな?


急に脈が早くなった気がする。身体がカッと火照ったような感じもする。

充電器の上に置いていたスマホを鷲掴みにして、ロック解除した。


タケからの通知が画面の上に溢れていた。






『起きたらオレの所に最初に連絡ください』

『会社にはオレが休み申請しました』

『慌てずに。問題ありません』

『心配要らないです』

『皆、心配してます』

『連絡、何時でも構いません』

『まだ寝てるんですか?』

『本当にオレの所、一番に連絡してください』

『大丈夫ですか?』

『生きてますか?』

『これ以上、連絡なかったら、定時に上がってそっち行きます』


……なんだ? コレは?


状況が掴めなくて、オレは呆気にとられた。

最後のメッセージが送られてきた時間を見たら、起きて時計を見る直前のようだった。

スマホで今の時間を確認すると『4:47』。

定時直前だと気が付いて、慌ててタケに宛ててメッセージを打ち込み始めた。







「ほんと心配したんですよ!」


レジ袋をガサガサ言わせてタケが飛び込んできたのは、それから一時間もしなかった。


「ちゃんと熱、計りましたか?」

「飲み物、飲んでますか?」

「どこか痛いとか気持ち悪いとかありますか?」


なんだなんだこいつ。いつからこんなどこかのオカンみたいなこと言うやつになったんだ?


オレの顔を見て、タケは不服そうな顔をした。


「先輩、『なんでオレがこいつにそんなこと言われなきゃならないんだ?』って顔してますけど、昨日のこと覚えてないんですか?」


「なんだ? 昨日のこと、って」


思わず口にしたオレの言葉に、タケはへなへなと顔を緩ませた。


「……はぁ。全く。アレで実は抜けてるから、ってなおこさんに言われてたんですけど、ほんとだったんですね」


ため息交じりに呟くと、


「はい。とにかくこれ」


そう言ってレジ袋を押し付けられた。

受け取って中を覗く。


風邪薬、熱取りシート、のど飴、ウェットティッシュ。

その下に。

見慣れた赤いパッケージと緑のパッケージとが、ふたつ行儀よく並んでいた。


「あのひとのことだからスポドリとかウィダーとかはあるはずだけど、これは好きですぐ食べちゃうから買い置きがあるか分からない、ってなおこさんが」


オレの考えを先回りするかのようなタケの説明。


「……ああ。切らしてた。この前、食べてから買ってなかった」


「さすがですね。

ほんと先輩、感謝しないとダメですよ? ひとりであっちで美咲ちゃん育てながら仕事して、単身赴任してる先輩と結婚生活できるひとなんて他に絶対にいないんですから」


分かったような口、利きやがって。

腹が立つというより、こそばゆいような気持ちになる。

全く何が悲しくてこいつにこんなこと言われてるんだろうなオレは。


肩をすくめると、タケがこつんとオレの胸元にげんこつを当てた。


「ふたりとも本当に心配してたんですよ? ちゃんと食べてから電話してくださいよ?」


お湯、沸かしてくれてますよね? 

そう言ってオレの顔を睨むと、タケは早速、支度を始める。


「腹減ってたら、両方食べてもいいんですよ?」


レジ袋から取り出しながら、いいこと思いついた、と言わんばかりにタケが目を輝かせてるから、オレははっきり言ってやった。


「無理。いくら好物だからって、さすがにそれは無理」


そりゃおまえくらい若かったら食べられるだろうけど、この歳で、そしてさすがに病み上がりの空きっ腹でそれはキツイ。


「だからおまえが好きな方、食べろよ」


タケは慌てて顔をぶんぶんと振る。


「そんなことしたらバチが当たります」


「何、バカなこと言ってるんだ」


オレは思わず笑ってしまう。


「いつもひとりで食べてるんだ、こんな時くらいふたりで食べさせろ。それにお前だって会社から真っ直ぐうちに来てくれたんだ。何も食べてないだろ? だったら一緒に食えよ」


タケは「あー、」だの「うー、」だの唸った挙げ句、


「分かりました。じゃあ半分ずつ食べましょう」


そう言って、お湯を両方に注いだ。そうしてできるのを待つ間、昨日の顛末をオレに話して聞かせた。




オレは家でぶっ倒れていた、そうだ。

昨日、あっちに帰って美咲とスイーツを食べに行く約束をしていたにも関わらず、連絡もしないですっぽかしたことで、なおこからタケに連絡が入り、タケが合鍵で入ってくれたということだった。


「……それで、お前、オレに何かしたか?」


気になってつい尋ねてしまったオレの言葉に、タケはきょとんとした顔をした。


「何か、って。なおこさんに言われた通り、赤いきつね作って食べさせただけですが?」


……身体の力が抜けた。

そうか。何か口に触れた感触を覚えていたけれど、あれってうどんだったか。


ホッとしてつい笑ってしまったオレの顔を怪訝そうに見ながら


「出来ましたよ。はい、緑のたぬきです」


湯気の立つ容器を目の前に差し出す。


「ありがとな。きつね、昨日食べさせてくれたんなら、今日はオレ、こっちにするから、お前がそっち全部食ってくれ」


箸を割りながらそう言うと、タケはへらっと笑った。


「分かりました。じゃあ遠慮なく」


オレ、少し早めで食べるのが好きなんですよ。

言いながら、早速タケも箸を割って、嬉しそうに食べ始める。

タケに負けじとオレもそばをすする。


ああ、あったかいなあ。

食べたらすぐになおこに電話しなくっちゃな。

美咲には悪いことしちまったから、次、会う時は何かプレゼント買ってかないと。

それとは別に、この赤いのと緑のも買ってくか。

いや、違うな。なおこが次、こっち来る時に、きっと箱買いして持ってくるんだろうな──、

ああ、なんだか湯気で眼鏡が曇ったみたいだ。そばがよく見えない──。


食べる手を止めて、オレは瞬きをした。

そんなオレを見て、タケが


「大丈夫ですか? やっぱりうどんの方が良かったですか?」


って慌てるから、オレの眼鏡は余計、曇りそうになる。


「いいから早く食え。オレも食って電話しなくっちゃならん」


それだけ言って、オレはまた箸を動かした。


こいつの分もオレのと同じだけ買ってくれ、ってなおこに頼まなきゃな。いや、なおこのことだ、言われなくてもするに決まってるか。

それよりちゃんと食って早く元気にならないと。

遠くに住むあいつらに元気な声を聞かせないと。


いつ食べてもこいつは沁みるが、今日はいくらなんでも沁みすぎだ──。


そばをすすりながら、オレは鼻もすすった。

空っぽの胃に、それはとても優しく収まった。








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