隣の隣の押掛さん

尾岡れき@猫部

隣の隣の押掛さん


 隣の隣――押掛瑞穂おしかけみずほとはそんな距離感だった。


 経済経営学部。行動心理学ゼミに所属する6人。押掛瑞穂はそのうちの一人だった。仲良く話す。でも、そんなに密じゃない。むしろ、ゼミ仲間の友近千歌ともちかちかとの方が親密だった気がする


 話をしないわけじゃない。

 仲が悪いわけじゃない。


 ゼミのメンバーのなかでは、それなりに話をする。

 でも、少しだけ距離がある。


 隣の隣。そんな距離間が、押掛と俺――橋本優はしもとゆうの関係だった。





■■■





「ちゃんと、ご飯を食べるんだからね」

「わ、分かってるよ」


 押掛の距離が近い。


「洗濯物はちゃんと干す。加湿にもなるんだから」

「分かってるって」


 季節は12月。大学入学当初から比べたら、人間関係も変わるもので。

 大学では隣の隣の距離を保ちながら。


 自宅のアパートが隣の隣と気付いたのは三ヶ月後。偶然とは怖いものだが、ゼミが一緒なことぐらいで、何も距離感は変わらなかった。


 5ヶ月目。俺が風邪をひいた。

 近くの押掛が気にかけてくれたのも、当然の流れだった。

 気付けば、一緒に飯を食う関係になっていた。ソレ以外は何も変わっていない。隣の隣である距離感も、全然変わっていなくて。


「それから、お腹は冷やさにようにして」

「お前は、俺の母ちゃんか」


「優君がだらしないからでしょ。年末年始は、病院もお休みになるんだから。みんなと遊ぶのも良いけど、ほどほどにしてね」

「分かった、分かったって」


「千歌を家に呼ぶのはダメだからね」

「しないし。なんで押掛がそんなことを気にするのさ?」


「そりゃするよ。私がいなかったら、家の中はグジャグジャになるだろうし。どうせカップ麺生活のお正月でしょ、そんな様子を千歌に見られたら幻滅も良いトコでしょ?」

「幻滅も何も、友近にそんな感情持ち合わせてないし。二人になる意味もわからないし」

「それならいいけどね」


 良いの? 俺は意味が分からなかった。

 だいたい、大学じゃ隣の隣を意識しているくせに――家では距離が近いのだ。妙に意識してしまうのを、打ち消すのにこっちは必死だというのに。

 押掛は、気を許した人間に無防備で、どことなく抜けている。


「じゃ私、行くね」

「おぅ。気を付けてね」

「あ……。うん」


 と押掛はコクンと頷いて、立ち上がる。

 押掛は、俺の方を振り返った。


「あ、あのね――」

「うん?」

「あ、いや、あの。その、優君のことが、私はその好――」

「へ?」

「す、す――すったもんだしたね、この一年!」


 無理矢理切り替えるように、押掛は言う。その顔が心做しか赤い。エアコンをきかせすぎているんだろうか。


「賢太と田端のことか。本当にようやくゴールインだもんな」


 夏の終りに恋人同士になったゼミメンバーのことを思う。正直、羨ましいなって思う。かたや、俺は独り身で。押掛にこうやって心配をかけたり、お世話してもらっているのだ。情けないったら、ありゃしない。


「押掛」

「へ?」

「あのさ」


 俺の声に押掛はコクコク頷く。


「気をつけて帰れよ、実家に。俺が言うのもおかしいかもしれないけど、親御さんによろしくな」


 ポカンと口を開けて。それから――小さく、頷く。


「うん。また、来年ね」

「あぁ。今年もありがとう」


 今日は12月29日。もう今年も終わる。

 ちょっと距離は近くなったとしても。俺と押掛は隣の隣。だから、変な期待はしない方が良い。無自覚な――人が見れば押しかけ女房のような彼女に、甘えすぎるのは良くない。


 この年末年始ぐらい、一人でもちゃんできることを見せて、彼女を安心させないと。そう思った。





■■■





 蓋を開けて、お湯を注ぐ。湯気が部屋にほんのり広がっていくのを見ながら。部屋は押掛が言うようにはなっていない。意識して、整理はするようにした。


 でも料理はやっぱりダメだ、と思ってしまう。どうしても押掛が作ってくれた料理を求めてしまうのだ。ハンバーグに煮魚、ホワイトソースから作るクリームシチュー。


 どれをとっても、また食べたいと思ってしまう。

 それだけじゃないのは自覚していた。

 俺は小さく息をつく。


(――何が隣の隣だよ……)


 気付けばため息が漏れて、向かいにいつもいる人のことを考えてしまう。押掛が作ってくれた料理のことを。


 俺だって料理ができないワケじゃない。ただ、どうしても押掛が作らないような、炒飯や天ぷら、豚カツ、そんな料理になってしまう。


 押掛を言い訳にするつもりはないが――気力がわかないのだ。


 だったら、と。いつも同じ味が堪能できる、赤いきつねと緑のたぬきが目印のカップ麺。今日はこれを2食同時に食ってやると意気込んでみたものの――妙に、心は沈んだままで。


「……瑞穂」


 普段は呼ばない、名前を呼んでみた。


「会いたいな」


 本音が漏れる。そして気付く。あぁ、これが本音なのか。自分でも気付いていなかったけれど。間もなく3分。食べなくちゃ。でもそう思うと、また彼女の顔が浮かんでしまう。


「瑞穂……」

「な、なんですか。優君」


 見れば、いつもの席で、押掛が俺を見ていた。唇をプルプル震わせて。顔が真っ赤なのは、エアコンのせいじゃないのは――流石に、俺だって自覚していた。


 そう言えば、とぼうーっとしながら思う。出入り自由にできるように、鍵を渡してたもんな。





■■■





 ズルズルと俺は緑のたぬきを啜る。

 チュルルと可愛らしく、赤いきつねを押掛が啜る。


「里帰りしなかったのかよ」

「しませんでした。どっかの誰かの不摂生が気になって」


「こ、これは……。今日、たまたまで」

「そうですね。お部屋はわりかし綺麗です。でも洗濯物はやっぱり、たまってるし、年越しそばが赤いきつねと緑のたぬきなのは、どうかと」


「こ、これはこれで美味いんだぞ」

「美味しいですね、確かに」


 押掛の言葉に、俺は目をパチクリさせる。


「優君と食べるご飯、美味しいです」

「え、うん……。それは俺も、そうだよ」


「変わらない味って良いですよね。作る気力がない時とか、今年はこうやって食べていたんだなぁって思い出したので」

「うん」


 レポートが終わらない時も。バイトで忙しくなった時も。学祭の準備中も。たまに、こうやって食事を手抜きすることがあった。


「どんな食事も、優君と一緒に食べる時間が好きなんだなぁって。改めて思ったんです」

「あのさ、瑞穂」


 と俺は、今度は躊躇わずに名前を呼んだ。

 ようやく理解した。


 俺、隣の隣じゃ、満足ができなくなっていた。


 当たり前に、君と食事をする。

 ただ、それだけなのに。


 赤いきつねと緑のたぬきを啜りながら、俺たち華もクソも無いけれど。どうせお互いのウィークポイントなら、もう知っている。


 整理ができないくせに、一人暮らしを始めた無謀な俺と。


 低血圧で起きられなくて。時々ホームシックで寂しくて、泣いてしまう瑞穂と。

 もう、取り繕うような関係じゃない。

 だから、気取った言葉なんか最初からいらなかったんだ。


「瑞穂、あのさ――」


 俺は、想いの丈を素直に晒したんだ。

 隣の隣という距離じゃ、もう満足できなかったから。





________________


【ゼミのグループLINK】


「やっと、橋本と押掛が付き合ったらしいよ」

「押掛って文字通り、押しかけ妻と言うか、通い妻状態だったよな」

「よかったぁ」

「千歌が一番、報われたね」

「うんうん。だってさぁ、こっちはお膳立て頑張っているのに、瑞穂ったら思いっきり嫉妬して睨むからね」

「それは優も一緒。だったら最初から隣をキープしてくれよ、って思う」

「腹いせに、『幸せしみるショートストーリーコンテスト』に送りつけてやろうと思うの」

「カクヨムとコラボのやつね。あれ、小説を投稿するんでしょ」

「そうそう。レポートで鍛えた我らの文章力を結集させるの!」

「目指せ賞金30万円!」

「受賞したら、赤いきつねと緑のたぬきの3ケースは、優と押掛に譲ってあげよう」

「賞金は?」

「苦労した俺達がもらう権利がある!」

「受賞できるとは限らないって」

「夢は大きく!」

「今年は特別賞で、CM化だってさ」

「あの二人に、♪赤いきつねと緑のたぬき♪って言わせてやる!」

「やるぞー!」

「「「おおぅ!」」」

「課題のレポートも!」

「「「おおぅ……」」」



 この年、ゼミの推薦で大学生カップルが受賞したのはちょっと先のお話。

 頬にキスする彼女さんが可愛いと、話題になったのだが――。



 俺が現実逃避に徹したのは、言うまでもない。




※作者注

特別賞 CM化はこの作品のみのフィクションです。

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