3 箱庭姫のめざめ

「クローディア。起きてくれ」

 翌朝、すやすやと寝息をたてるクローディアに、リインは声をかけた。けれども、彼女が反応する様子はない。

 これでは効かないか――一瞬思索したのち、次にリインがとった行動は、彼女を揺さぶることだった。

「んん……眠い……」

 クローディアは反応したようだが、まだ意識は上の空。

「気がついたか」

「……」

 リインは声をかけ続けたにもかかわらず、再びクローディアは夢の世界へ旅立ってし

まった。そこで、ため息を一つついて思索ののち、音をたてて布団を引きはがした。

「これで観念したかい?」

 困惑は隠して、あくまで強気に。リインはクローディアを追いつめた。

「しょうがないなあ……」

 のそりと、クローディアは起きあがる。彼女は未だふらふらとしている様子だった。

「さあ、お風呂に行こう」

 リインはクローディアの荷物を手に、浴場へと向かった。彼女の様子を見る限り、一人で風呂に入れることを心配したリインは女物の格好をして同行したが、クローディアは不器用ながらも入浴を済ませた。ただし、所々に石鹸の泡が残っていたため、リインは洗い残しを流す羽目になった。

「……自分でできるところまでは、体を拭いて、着替えて欲しい」

 風呂から上がってから、リインはタオルをクローディアに渡してから、背を向けて、自身の着替えを始めた。

 裕福な育ちのクローディアは、身の回りの世話をするメイドを抱えていた。けれども、自分でできることは自分でやることが、旅の約束だった。

旅装としてクローディアに用意された服は上から被るタイプのワンピース。これならば、一人で着られるだろうとリインは思ったのだが、しばらくしても、クローディアの返事はなかった。

「クローディア、どうかしたか!?」

 リインは心配になり、思わず振り向く。

 そこには、ワンピースを後ろ前にし、頭頂だけを出してもがくクローディアの姿があった。

「全く、世話が焼けるな……袖は通せるか?」

 リインはクローディアの服を半回転させる。

 クローディアは袖を通す作業に戸惑っていたが、ワンピースは伸縮性のある生地で作られていたため、袖の穴に手が入ったらすぐに、するりと腕は通っていった。

「ありがとう」

「これでワンピースの着方は覚えたかい?」

「……たぶん」


 一旦部屋に戻り、リインが男物の旅装に着替えてから朝食を済ませ、二人は再び旅に出た。けれども、クローディアは昨日と変わらず、少し歩くたびに疲れを訴えて、しゃがみこむ有様だった。

 リインは手を繋ぎ、水を差し出したり、竪琴を奏でたり、クローディアが元気を出すために様々な試みを行ったが、一向に彼女の様子は変わらず、感謝の言葉もなかった。

 そんな様子に、リインは苛立ちを感じつつ、歩いていた。

「疲れた。おうちに帰りたい」

 クローディアがぼそりとつぶやいたその時、リインの堪忍袋の緒は切れていた。

「ああもう! 泣き言ばかり言うな!」

 リインが我に返った時は、もう遅かった。

「え?」

 クローディアは呆然と、ただ首をかしげている。この様子では、何故リインが怒ったのかも理解していないようだった。

「僕が手を繋いだり、歌ったりしても君はそれを当然と思っているだろう? 君はこれまで、そうやって生きてきたのかい?」

「……」

 俯き、押し黙るクローディアに、リインの苛立ちは増すばかりだった。お嬢様育ちであることは承知していた一方、見込みが甘かったとも思っていた。従者に身の回りの世話をしてもらうのが当たり前で、彼らの手間を理解せずとも、今まで生きてこられたに違いない。けれども、お互いのためにも約束をできる限り果たしたいし、果たしてもらいたいがために、この状況を何とかしなければならないとも考えていた。

 彼女が旅慣れてなく、体力がないことは、今更どうしようもない。ならば他に、教えられることを教えるしかないのか。彼女の母親から提示された報酬金は、その対価なのか。

 リインは落ち着けと念じながら、次の宿に向けて歩いた。その足どりは気持ち大股で、強く土を踏みしめていた。時々振り返り、足の遅いクローディアを待つことはしたが、二人の間に会話はなかった。


 宿に着いてからも二人は最低限の会話しかせず、リインが竪琴を奏でることもなかった。おまけに、リインは部屋に着くと、すぐにベッドに潜り込んで、背を向けてしまった。

 リイン、すごく怒っていた。けれど、あたしはどうすれば。

 クローディアはベッドに座り、両手で頭を押さえても、髪がくしゃりと歪むばかりで、考えは何も思い浮かばなかった。

 謝ればいいのか。謝って、リインは許してくれるだろうか。

 リインの反応がわからない。わからないから、何も考えたくなる。

 家に、箱庭に帰りたい。クローディアの思考は、ただその想いに支配されていた。


「……おはよう、クローディア」

 翌朝、リインは気分が晴れないまま、クローディアに声をかけた。

「おはよう、リイン」

 クローディアも、心なしかまだ怯えているようだった。

 昨晩は言い過ぎたか。あるいは、まだ怒りが収まらないのか。リインは、クローディアの顔を見ないようにしていた。

「……ひとりで着替えられるか?」

「……やってみる」

「そうか」

 クローディアの答えに、リインは軽く口角を上げた。彼女に背中を向けて、支度を待つ。ごそごそという音だけが聞こえた。

「終わったよ」

 リインが振り向くと、クローディアはワンピースを着て、髪を結び終えていた。けれども、彼女が自分で結わえたであろうツーサイドアップは、いびつな形をしていた。

「よくできたね。髪だけ直してもいいかい?」

「うん。……髪を結ぶのは、難しいね」

 リインはクローディアの髪をほどいてから櫛を手にし、丁寧に梳いてゆく。ぼさぼさだった亜麻色の髪は、次第に櫛がするりと通っていくようになった。それから髪飾りを、優しく結んだ。

「こんな感じだ。わかったかい?」

「全然」

「なら、時間のある時に練習しようか」

「……いいの?」

「ああ。一人でできるまで、やってみよう」

「うん。……あの、リイン」

「何だ?」

 クローディアは、何か言いたそうにしていた。昨日のことだろうか。できるだけ優しく、リインは答えた。

「まだ怒ってる?」

「……ちょっとね。旅立つ前の僕との約束、覚えているかい?」

「ええと……リインの格好は秘密にしておく、だっけ」

「それもあるけど……他になかったかな?」

「うーん……」

「自分の支度は?」

「自分でやる!」

 クローディアはリインの問いに頭を悩ませていたようだったが、ヒントを出すと、閃いたように答えた。

「その通り。でも、この言葉を覚えるだけではダメだ。実践できるようになろう」

「うん。けど、これが何を指しているのか、わからない時があるの」

「……そうか。確かにこの言葉は、身支度をしたり、歩いたり、生きること全てをひっくるめている、曖昧な言葉だね。その曖昧さがわからないのなら、一つずつ覚えていこう」

「そっか……!」

 目を爛々と輝かせて、クローディアはリインの話に耳を傾けていた。

 歌を聞いていた時と、同じ目。彼女が物事に興味を示している時の目なのだろう。

 彼女は彼女自身が納得すれば、変わっていけるのかもしれない。リインはひとすじの希望を見出していた。

「じゃあ他に、自分のことは自分でやるって言うと、どんなことが考えられる?」

「働いて、お金を稼ぐこと?」

「そうだね。僕の音楽も、仕事になるのかな。儲からないから、おすすめしないけどね」

「リインは、どうして楽士になったの?」

「歌ったり、思いつきで曲を作ったりすることが好きだったし、生まれた村の外に出たかったからだ」

「どうして、村の外に出ようって思ったの?」

「僕の声、変わっているだろう? だから散々からかわれたし、僕の音楽を誰にも理解されないなんて嫌だったからさ。今、男装をしたり、この口調でいるのも、この声や旅を考えてのことだ。僕が僕として生きるために、纏っているんだ」

「すごい……。あたしは箱庭にいることしかできなかったのに……」

 クローディアは、リインの経緯にただ感嘆していた。両親の期待に応えられず、器用な妹と比べられて、何もできないと箱庭の中でふさぎ込んでいた自分とは大違いだった。

「君の態度はともかくとして、箱庭で好きなものを集めること、それ自体は悪くないと思うけど?」

「あたしはそう思わない。みんな、箱庭から出ろって言うんだもの」

「外に出たからといって、箱庭を捨てる必要はないさ。外の世界から美しいもの、好きなものを持ってきて、時々箱庭を訪ねて、置いていく。それでいいんじゃないか?」

「……けれど、箱庭に置いても、お父様に取り上げられる時もある」

「それはひどいな」

「だよね!?」

「……僕からは上手く言えないけど、ただ一つ、これだけは覚えていて。どんなことがあっても、君の心は君だけのものだ。好きなことも、悲しいことも、誰かの言葉で無理に曲げようとすると、しんどくなるからね」

「ならあたし、箱庭にいてもいいの?」

「もちろん。だけど、箱庭に居続けても変化がなくて、つらくならないかい?」

「……そうだね。だけど他に、つらさを和らげる方法がわからないの」

「だったら旅の間、僕と一緒に探そう。何かやりたいことはないか?」

 クローディアは少しの間考えて、それから竪琴のケースをじっと見つめた。

「……どうした?」

「竪琴。あたし歌は得意じゃないから、せめてリインみたいに、竪琴が弾けるようになりたい」

「……簡単じゃないぞ?」

「だからこそ。弦をはじくリインの手、すごいと思ったもの」

「……そうか。なら今日、帰りたいって言わなかったら、竪琴を教えよう。それでいいかい?」

「もちろん!」

「なら、約束だ。今日泊まる予定の街は大きな街だから、楽器店もあるはずだ」

「楽器屋さん? 行ってみたい!」

「じゃあそれを楽しみに、旅の続きをしよう」

 リインが立ち上がり、続いてクローディアが宿屋を出ると、朝の日ざしが二人を照らしていた。

 クローディアは前を向いて、湖に向かう道を歩いていく。その姿に、リインは胸を撫でおろしたのだった。

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