2 楽士との一日

 旅の約束を交わしてから三日後、クローディアとリインは屋敷を発った。

 壁に囲まれた街の門を抜けて、歩く。道は旅人たちが歩きやすいよう整備されていたものの、あたりは一面牧草地が広がっていた。柵を隔てて、牛たちが草を食んだり、座って日の光を浴びたり、思い思いに過ごしていた。

 一方、歩き続けて脇腹や足の痛みを感じたクローディアは、徐々に歩く速度が遅くなり、しまいには三歩歩くたびに荷物を置き、しゃがみ込む有様だった。

「宿まではまだだ。もう少し辛抱してくれ」

 リインもかがみ、クローディアに目線を合わせて諭す。

「でも……」

「すぐにしゃがんだら、余計に疲れるぞ。ほら」

 リインはクローディアに手を差し出した。クローディアは痛みを堪えながら、やっとの思いで手を伸ばした。

 旅を始めてからのリインは、男性のような口調で話していた。約束を交わした時に語ったように、この口調が話しやすいのだろう。短い髪に男物の格好もあいまって、本当は女性だと知っていても、兄が出来たようだとクローディアは感じていた。

「これで、歩けるか?」

「うん。頑張ってみる」

 リインに手を引かれながら、クローディアは答えた。足の痛みは変わらず、重いだけで感覚もなくなりつつある。けれども、なんとか歩こうと思えたのは、リインの手の温かさ故だったのかもしれない。

 二人は休憩を挟みながら、集落を抜けて、再び牧草地が続く道を歩いた。

 そして宿に着いたのは、日が今にも沈もうとする頃だった。

 夕食にしようとリインが言うため、クローディアもその後について、壁際の中央あたりの席に着いた。

 ややあって提供された食事は、黒いパンにスープ、ぶどうジュースだった。

 クローディアは一気にジュースを飲みほした後、黙ってパンとスープを見つめていた。

「クローディア、食べないのか?」

 リインは心配そうに、クローディアの顔を覗く。

 屋敷では見たことがない黒いパンに、大きな野菜が入ったスープ。野菜の香りが、湯気と共にたちこめる。野菜が苦手だったクローディアは、それだけで食欲をなくして、黙りこくっていた。

「食べないと、明日に響くぞ」

「野菜、好きじゃない」

「じゃあ野菜を食べたら、一曲奏でよう」

「……!」

 リインの一言からクローディアは心に決めて、スプーンでひとすくい、スープを口に入れた。塩味や肉の旨味よりも野菜の味がはっきりと感じられ、好みの味ではなかった。

 けれども、リインの歌が聴けるならと、少しずつ、クローディアは食を進めた。

 苦い表情を浮かべつつ黙々と食べる少女にリインは一度微笑むと、竪琴を手に、食堂の主人のもとへと向かった。

「すみません、僕は旅の楽士です。一曲奏でても、構いませんか?」

「もちろんさ」

 短く髭を刈りそろえた食堂の主人は、明朗な笑顔で頷いた。

 リインは竪琴を手に、もともと座っていた席に戻ろうとしたが、

「兄ちゃん。よかったら、真ん中で奏でてくれないか」

 と主人が進めるため、中心部の空き席の椅子に腰掛けると、竪琴を構えた。

 リインはクローディアに、来客たちに手を振ると、竪琴をはじき始めた。

 竪琴の音色とともに、澄んだアルトの声が食堂中に響きわたる。曲によく合った、明るい歌声だった。

 食堂の客の中には、リインの歌に合わせて手拍子をする者がいると思えば、傍らには踊り始める者もいた。

 クローディアもまた手拍子をしながら、リインの歌に耳を傾けていた。

 曲によって歌い方を変えるリインを、ただただすごいと思っていた。

 食堂中が活気に満ちていることをまた、クローディアは感じていた。


 リインが曲を奏で終わると、食堂は拍手に包まれた。

 アンコールを求める声も聞こえたが、リインは丁重に断り、二人は個室へと向かった。熱気が残っているのか、クローディアの頬はほんのり熱くなっていた。

「今晩の歌は、楽しんでもらえたかな?」

 リインは歌の続きのように、クローディアに尋ねる。

「うん。すごく盛り上がってて、楽しかった!」

 クローディアは亜麻色の長い髪を揺らして、大きく頷いた。

「なら良かった」

「リインが歌っていたのは、何の歌?」

「収穫の歌だ。農家の人、食堂の人にとってみれば、野菜は宝物だ。だから、クローディアがちゃんとスープを飲めたら、歌おうって思ったんだよ」

「野菜は美味しくないけど、野菜ができるのは、うれしいことなの?」

「そうだ。想像してごらん。畑を耕して、種をまいて、水をやって、野菜の世話をすることを」

「うわあ、嫌になっちゃいそう」

 野菜が実るまでの過程を想像したクローディアは、顔をしかめた。農家の人たちの一日一日は、気が遠くなりそうだった。

「そう、嫌になるしつらいかもしれないね。でも、畑を耕したり、毎日作物の世話をしたりするのは苦しいからこそ、野菜が出来た時は嬉しいんだ」

「そうなんだ……」

「明日も一日中歩くんだ。今日はゆっくり休むといい」

「うん。おやすみ、リイン」

「おやすみ、クローディア」

 挨拶をしたのち、クローディアは布団に潜り込んだ。疲れがどっと出たのか、あっという間にまどろみに落ちていた。

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