23話 君の秘密

 明かりひとつない暗闇の中。寝台脇のチェスナットの椅子にキャンディッドは1人静かに座っていた。

 うっすらと開いたオッドアイが緊張した様子であたりを見回す。

 森にひっそりと佇む煉瓦造りの二階建て。老人と孫の家に違いない……その筈なのにそこは何処か、何かがおかしかった。

 あんなに集まっていた妖精がいない。

 虫の声も聞こえない。

 キャンディッド自身、見覚えのないドレスを着ていたのだ。

 色彩豊かな布が幾重にも重なった古代の気を感じる懸衣のドレス。

 一体今、何が起こっているのか……その答えはすぐさま明かされた。


「相変わらずオルフェオの家は綺麗なんだね。人嫌いな僕でも住めそうなくらいさ」


 声がして間を置かず、背もたれに骨ばった手がかかる。

 優美な笑みを浮かべ彼女を見下ろすのは、純血の魔法使い、ゼノ。

 大きな藍玉が目を引く左手のインデックスリングから、蛍のように紫の光が瞬いている。


「……ゼノさん、でしたね。この空間はあなたの作り出した幻ですか」

「そう、君の夢の中に入らせてもらったんだ。

 彼を少しでも休ませてあげたくてさ」


 困ったような、泣いてしまいそうな笑みを浮かべるゼノはきっと、エスティーの表情を思い出しているのだろう。

 胸中に複雑な思いを抱えながらブーツの靴音を響かせ窓枠に腰掛ける。

 あたりを見回した後、おもむろに天を仰ぐ。そして、1人の職人の手仕事に感嘆のため息を漏らした。


「オルフェオの家は、本当は薬売りのために作られたものなんだ。

 頭痛で不眠に悩んでいた彼に唯一合った頭痛薬。

 救世主は隣町の薬屋さん。店主が孤児だって聞いたオルフェオは家を完成させたあと引き取りに行ったんだって

 ……残念ながら行方不明になってしまった後だったらしいけど

 思いのこもったこの家には癒しの力を得手とする妖精がいっぱい集まってくる。

 それでもまだ病が癒えないらしいね」


 話を聞いていたキャンディッドはしばらくの間、何処か遠くを見つめていた。

 何を思っているのだろうか、その表情に感情が出てくることは無い。しかし、纏う空気は、口をついて出た言葉は


「……私の元へ来たのはそれを聞かせるためですか」


 どことなく、警戒の色が現れていた。

 爪を立てる子猫を嗜める様に、ゼノはふっと笑って軽い調子で答える。


「今のはただの世間話。君の元へ来たのはまた別の話がしたくてね」

「それは何ですか」

「明日、君もついて来てよ」

「もとよりそのつもりです」


 そんなことかとでも言うように、間を置かずキャンディッドは答えた。

 その後、目標を狙い澄ましたように彼女のオッドアイが鋭く光る。


「それだけではないのでしょう」


 視線に応えるみたいにゼノはニヤリと笑う。

 彼女がわからないわけがなかった。わざわざ幻を作り出したのは、先の件以外でエスティーの耳に絶対入らないように何かの話をするためなのだと。

 誇り高き純血の魔法使いはキャンディッドを試すかのようにこう問いかけた。


「君はグリチネの青石の在処を知ってる?」

「……なぜそんなことを聞くのですか」

「次の次の満月まで必ず、青い石を彼に渡してほしいからさ」


 恐らくキャンディッドはエスティーと対峙したあの夜を思い出しているのだろう。

 窓枠に座るゼノを見つめる瞳にぼぅっと光が宿る。


「どうして……」


 その先は言葉にならなかった。

 今までのことが点と点で繋がってゆく感覚に意識を集中させていたからだ。

 ブルート兵であるエスティーは石を奪いにラピスへとやってきた。

 奪った石をどうするのか……十中八九ブルート公国が利用するに違いない。

 と、キャンディッドは今の今まで考えていたのだが、ゼノの発言によってあの夜の出会いが、任務の意味が……逆転する。


「お願いだよ。僕等、彼を助けたいんだ」


 黙っているキャンディッドへの念押しか、ゼノは真剣な声音で懇願した。

 疑惑が、確信に近づいてゆく。


「何から、ですか」

「彼自身から」

「……誰が持っているかしかわかりません。できなければどうなりますか」

「……できなかったら彼は絶対に」


 浮世離れした端正な顔が生疵を抱えているかの様に歪んだ。そして


「この世から消えてしまう」


 間違いなく、ゼノはそう言い放った。


「……どういうことですか」


 聡い彼女はゼノの言ったことを理解できていた筈だ。

 理解はできていた筈なのに、飲み込むことをいつまでも躊躇っている。

 そしてまた、知恵の結晶体である純血の魔法使いもそんな彼女の心の内を解らないはずがない。

 必要以上にはっきりと、自らの発言をもう一度繰り返す。


「……どうもこうもないさ。その通りの意味……死ぬってことだよ」


 紺の瞳はキャンディッドの様子を注意深く見つめていた。

 惑う彼女の耳に言葉が届くようになるまで、ずっと待ってやるつもりだったが、赤と紫のオッドアイが前を見据え直すのは予想よりも遥かに早かった。


「ジェーン様……」


 呆けた様子で呟いたゼノは次の瞬間、僅かに声を上げて笑った。その後で続きの言葉を紡ぐ。


「青い石を渡したとしても……助かるかどうかは未知数。できれば君のそれも彼に渡してあげて。そうすればうまくいく可能性が跳ね上がる」


 指し示されたのは、夢幻の中でもその首にさがっている赤い宝石のネックレス。

 鉄仮面の身代わり姫は、赤い宝石を両手で握りしめる。

 彼を助ける事で危険に晒される自らの命を案じているのだろうか。


「何が起こっているの……」

「叶いもしない幻想に心を奪われた者の愚かな行いさ。逆転などありえない不変の残酷。その深淵に足を踏み入れた者には……それ相応の罰がくだる」


 ゼノはやはりはっきりと答えを明言することは無い。けれど


「……一番怒っているのは間違いなくだろうね」


 ゾッとするほど険しい表情で、地を這う様な低い声で、ゼノはそう呟く。

 その顔が、エスティーに起こっている何かが如何に悍ましい事柄なのかを彼女に悟らせた。

 落としていた視線をあげ、ゼノはまた大きな紺の瞳にキャンディッドのオッドアイを捉える。

 凍てついた氷が柔らかに溶けるように、冷徹な表情はたちまち穏やかな笑みに変わる。


「綺麗な赤の目。そのドレスも……やっぱりジェーン様そっくりだ。

 僕もうっかり奇跡を信じてしまいそうになるね」


 ゆっくりと、避けようと思えば避けられるのにキャンディッドは動かなかった。

 あまりにも寂しそうな顔をしていたからだろうか。

 ゼノの手が白い頬に、赤の目にそっと触れる。

 程なくして頬から冷たい温度が離れた。けれどまたすぐに、今度は逆の頬に空いた手が伸びてくる。

 刻まれた十字架のタトゥーをなぞられ、紫の目が戸惑ったように揺れた。


「……きっと君の本当の目も綺麗なんだろうね」


 大きな手を細い腕が強い力で払い除け静寂に乾いた音が響く。

 キャンディッドは一二歩後退っただけだったが、ゼノは力を加えられたそのままにふわりと宙に浮かび、次の瞬間体が蜃気楼のようにゆらゆらと揺れ始める。


「急いで。彼に残された時間は、すぐに終わってしまうよ……」


 やまびこのように声が反響する中、部屋にはたちまち青い煙がたちのぼり、彼女の意識は自然と遠のいていった。

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