22話 水底からの訪問者

 昔……大陸に乗り込んで来た連中による凄惨な迫害の渦中。

 偉大なる魔女3人を除く先代の魔女たちは、生き残る、ただその為に正体を隠して人間と婚姻することを選んだらしい。

 だから現代の魔女たちは混血……そのはずなのに、神話上の存在だとばかり思っていたヒュドラが実在しただけでなく、純血の魔法使いとも対面するとはなんて……俄には受け入れられない。


「……君たち、だあれ?」


 首を傾げると同時にサラリと揺れる髪、光を飲み込むその深い漆黒から覗く紺の目は切れ長のアーモンドアイ。

 妖精の王の隣にいても際立つその立ち姿は畏敬の念すら覚える程、絶対的に異質だった。


「お前は……そいつの主人か」

「違うよ、一緒に湖の底で暮らしていた友達……僕とアムニスは自由な絆で結ばれてる。

 使い魔を使役していた時代はもう過去の事……母さんたち先代の魔女たちの話さ」


 なぜ目の前の魔法使いは純血なのか。シンプルに考えれば直ぐにわかることではある。

 こいつの言う母さんとやらが特別な存在だからだ。

 けれど、これもやはり俄には受け入れられない。

 

「……お前、名前は」

「僕は……そうだね~客人ゼノとでも名乗っておこうかな」

「……本当の名はなんだ」

「アムニスのことは知ってるのにこれは知らないんだね。由緒正しい魔法使いは本当の名をむやみに口に出してはいけない。

 ……だから、見逃してほしいな?」


 やはり答えは明明白白。目の前にいるゼノと名乗る魔法使いは……ヒュドラを傍に置いていた偉大なる魔女が1人。

 時の魔女エリザ・グリチネの直系だろう……


「……わかった。お前の出自についてはこれ以上聞かない。

 その代わり…俺たちはお前らに聞きたいことがある。洗いざらい話してもらうぞ」

「へぇ〜何かな〜?ドキドキしちゃうよ。

 ……だけど少し待って」


 魔法使いゼノは背を向けて、ヒュドラの口に手をかけると大きく開け放った。

 そのまま口内を覗き込み、懐から瓶を取り出して、軟膏らしきものを手につけ塗り込む。

 治療行為であることはわかっているが反射的に鳥肌が立った。

 生え揃った牙の隙間から滑りのある赤黒い血が滴り落ちる。


「だいぶ焼け爛れちゃってる……よく頑張ったねアムニス」


 糜爛した真っ赤な口内が俺たちの位置からでも見えた。

 もしもあれ以上遅れていたら。ヒュドラは助からなかったかもしれない……

 自らの毒で死にかけるなんて


「……幼体だからか?」

「そう。暴走状態……所謂、龍の逆鱗だよ。大人はそれでも理性があるし、毒を吐き出しても解毒することができるんだけど、解毒器官も心も十分に育ってないアムニスは、逆鱗になると周り以上に自分の身も滅ぼす。

 ……苦しいと感じれば感じる程、毒が出来るんだ」


 つまりこのヒュドラは今までなんらかの負担がかかる状態にいたということ……

 それに、ヒュドラだけじゃなく最初にゼノを見た時も……あいつは血を流していた。


「……それは……何に関係が」

「アムニス〜よくできたね。よ〜し仕上げのおまじないだ。きっとすぐ良くなるよ」


 俺の言葉の途中だが、ゼノはヒュドラを撫で回し、左手の人差し指にはめた指輪を媒介に魔法をかけ始める……


「……おい、魔法使い」


 そう言いかけた時、耳に飛び込んだ鈴のような音。

 慌てて隣を見ると、驚いた様子で瞳を見開くキャンディッド……ゼノの指輪に輝く大きなサファイアに呼応するようにアコーニトの赤石が光り輝いていたのだ。

 ゼノはそれに気づくとふわりと宙に浮いて顔と顔を近づける。


「わぁ……魔女じゃないか。混血だけどかなり力が強いね……君はなんていう名前なの?」

「キャンディッドと申します……」


 奴にとってはあたりが暗闇で見えないからなのか、ただでさえ近いその距離がジリジリと詰められていく。

 端正な顔が間近に迫ってもキャンディッドは眉ひとつ動かさないが、手が頬に触れた時はさすがに動揺が表に出た。一二歩後ずさる。

 

「……っ」

「キャンディッドの瞳……ジェーン様の力を感じる……ああそうか」


 額を合わせると、紺の瞳は柔に細められ優雅に瞬きを繰り返す。


「石の主になったことで闇を見通す光の目が顕現したんだね。

 ……戦場で無類の強さを誇った意志の魔女の力……もう一度感じられるなんて感慨深いね」


 ほっといたら接吻でもしそうなくらい密着したあいつらの空気感がどうにもこそばゆくて居た堪れず、俺は無理くりゼノを引き剥がした。


「おい!治療は済んだんだろ!?俺の話を」

「わかったわかったよ……騎士さん、君の名前は?」

「……〜っエスティーだ」

「あれ……?君……」


 至近距離で視線が交わる。その瞬間、ハッとしたように息をのみ、溢れんばかりに見開かれるゼノの紺の目。


「な、なんだ……?」

 

 さっきまでの甘ったるい空気感は消え去って、何かを考えるように俯き、気味の悪い静けさがあたりを支配した。

 すると


「魔法」

「あ?」

「魔法はいつから使えるようになったの」

「あのな、今はそんな事より」

「いいから答えて」


 低い声音がやけに響いた。その真剣な眼差しに何かを射抜かれて、俺は大人しく質問に答えた。


「ブルートに来て…妖精にちょっかいを出された後だから、9年前ってところか。

 道理から外れた存在から自分の身を守れるようにって、妖精が見えるおっさんが剣をくれた。剣を取り出せば魔法が使えるらしい」


 直接会うことはなかったけれど、噂を聞いたらしいヘリオのおっさんが使い方の書かれた紙と一緒に俺の部屋に届けてくれた。


『肌身離さず持っているように』


 結びには確かそう書いてあった。

 ブルートに来たからって自分が不思議の力を使えるようになるなんて思ってもなかったが……


「それで力が目覚めた……そう聞いてるんだね?」

「特異体質とこの剣の魔力の相性が良いらしくてな。そこの魔女やお前みたいに先天的なものではない」

「……特異体質に剣の魔力……ね。その剣、ちょっと見せて」

「構わないが……古代文字らしいぞ、読めるのか?」

「うん、大丈夫さ」


 ゼノは鋭い眼差しで受け取った剣を見つめ、何かをボソボソと呟く。


「……《汝喰らうものへ、我が身を差し出す》……へぇか」


 難しい顔が僅かながら緩む。用はそれで済んだらしく剣を鞘に仕舞い込むと俺に手渡してこう言った。

 

「剣をくれた人に感謝すると良いよ……君を運命からよく守ってくれてる……だけど、魔法はあまり使わない方がいい」

「どういう意味だ……?」


 不思議な言い回しに謎ばかり募って行く……だが、どれもこれもあいつが答えを言うことは無い。

 ゼノは目を閉じて首を横に振る。


「……僕の口から言うのは……違うよ。

 あの彼が言わなかったのなら、その心を裏切るような真似はできない。

 ……僕にできるのは手助けくらいかな」

「何のことだ……お前、おっさんのこと知って」


 人差し指をそっと唇に当て俺の言葉を遮ると、ゼノは空いた右手で俺の視界を覆った。


「……いいかい?これは文字通り、ただの時間稼ぎだ。どうすればいいのかは君にしかわからない」

「……さっきから何を」

「《マールム・アルカヌム》」


 静かな低い声でそう唱えられた瞬間、暗闇だったはずの視界が青一色に塗り替えられた。

 空から海へ落下したみたいに濃さを増してゆく青は蛇行しながら瞳の中へ飛び込んでゆく。

 頭に強い衝撃が走る。途端に音が遠くなって体がぐらりと傾く。

 落ちる……!

 そう思った瞬間だった。

 遠くなっていたはずの音が耳元で鳴り響いているかのようにガンガンと耳に突き刺さる。

 誰かの声であることはわかるのに目まぐるしく変わって、一音も聞き取れない。


『すありゅじてめやてめやいがねおにちのこどちいうもよょじまるないだいだんるなにきせきのよのこはみきてしまさをめぁさいなめやはくぼもてめやがみき』


 女の声と男の声が混ざり合う不協和音。


『るぜじだんいなれくてっかわてしうど』


 刹那その中に光が差し込んだ。

 たった一瞬、開かれた視界に映ったのはグレーの髪の若い男。


「父さん……!!」


 バシャン!


 体が水に叩きつけられた。

 慌てて顔をあげると俺は術をかけられる前と変わらず、水底に足がついている。

 水になど叩きつけられていない。

 今のはなんだ。どこからが夢で、どこからが現実なのか、考えれば考えるほどわからなくなる。

 それにさっきの不協和音はもしかして、ディディエがいなくなった日の記憶……?

 俺の中にあるはずの無い父さんの記憶、声、そして今回は姿……

 いったい、どうして。


「お前、俺に何をした……」

「最初に言ったよ。手助けだって」


 ゼノに合わせているはずの焦点がブレる。瞳が、脈打つ。


「何を、何を知っている……俺のこと」


 心臓の音がうるさい。

 目が燃えるように熱い。

 全身の血が頭に集中しているみたいで額からは玉のような汗が溢れる。

 理性が吹っ飛びそうなくらい……熱い、苦しい……苦しい……!

 

「エスティー」


 首筋に押し当てられた冷たい指先に冷めていく体温。

 凛とした凪の声で体の緊張の一切が消え失せた。


「大丈夫ですか」


 荒く呼吸しながら左を向くと、相変わらず無表情なキャンディッドが俺をまっすぐ見据えていた。


「……ああ、大丈夫だ」


 汗を拭った掌を力一杯握り込む。

 一瞬とは言え冷静さを欠きあんな事を言った己に呆れ、自嘲した。

 知ってどうするんだ。もう、自分の過去に関することは何も考えない。

 そう誓ったのは自分だろ。

 どうせ行き着く先は、父さんを罪の道へ引き摺り込んだろくでもない奴らなのだから。

 

『どうすればいいのかは君にしかわからない』


 ゼノもそう言った。

 だから、何が起きようと俺のすべきことはただ一つ。

 そのために……


「……聞きたいことがある。ビアンカという娘について」


 それを聞くや否や、ゼノとヒュドラは承知したように顔を見合わせる。


「それでアムニスのもとへきたんだ?だけど、ごめんね。君の考えは間違い」

「……本当にか」


 疑う俺へ純血の魔法使いは妖艶な笑みを向けた。


「よく調べたんだね。国境の人攫いは女の子のみという規則性が見受けられた。

 だから妖精による……だと思った。でしょ?」


 ビアンカは赤毛の娘で妖精に好かれやすい。それだけじゃない。

 じいさんの書類にはウェルナリス周辺の村は丁度10年前ぐらいから失踪が相次いでいたと言う事が事細かに記されていた。

 特徴は女だけという妙な規則性。

 それも独自のルールで動く存在、妖精が関わっているとしたら不思議ではない。

 俺は可能性の一つとして、妖精によるチェンジリング……つまり人攫いを考えていたのだ。

 奴らの目的は大きく分けて2つ。

 気に入った人間を手元において可愛がるため。

 人間を奴隷のように扱うため。

 妖精たちはさらった人間の命を奪うことはしない。

 だから……もしヒュドラがチェンジリングを行ったのなら、ビアンカは生きているはず。

 だけど、さっきの傷の具合といい…聴こえてきたヒュドラの声といい…その線は無いに等しい。


「……どうも違うらしいな。けど、知らないってわけじゃなさそうだ」

「そうだね。犯人は僕らじゃない。寧ろ僕らはその逆……被害者だ。

 敵は1人……たった1人の人間さ」

「人1人……妖精と魔法使い相手に何が出来ると言うんだ」

「その人の行い……そしてその人自身が僕らにとっては脅威なんだ」

「なぜだ?……っ!いや、そうか…!」


 そこまで言われてようやくわかった。

 ゼノは純血の魔法使いでエリザ・グリチネの直系……だと仮定すると、ブルートの伝承で聞いた偉大なる魔女エリザ・グリチネの弱点は確か、人間。そのもの。

 だからカレンドゥラ山脈は徹底的に人間を拒み最後の秘境と呼ばれるに至ったという話だ。

 血のつながりのあるヒュドラも当然その性質がある……なら、こいつらが傷だらけだったのは


「そう……僕らは人が近寄ると生命力が削られ、体から血を流して……最悪命を落とす。チェンジリングなんてできっこないだろ?」

「人が近寄ると……」


 ビアンカが来る前から、ヒュドラとゼノは人間が近寄った事により苦しんでいた。

 でも、ゼノは最初言っていた。スフェーンだっては……答えは一つしかない。

 けれど、そんなこと……


「そいつは……誰だ」


 ゼノの鋭利な切れ長の目の奥底に沸々とした光が宿った。

 緊張感があたりを満たしていくにつれて綺麗な弧を描いていた唇は真一文字に引き結ばれる。

 どこまでも冷静に、何か見定めるように、ゼノは俺たちを交互に見つめた。


「……アムニスはこの状況をどうにかしようと命をかけて人間たちに働きかけた。

 毒を出し人間たちに異常を知らせた。

 ビアンカという以外は受け取ってなどくれなかった。

 この山に来ることは無かった。

 いや、知っている者たちがのかもね……

 僕も、僕を傷つけたものたちに誠意を捧げてきた。それしか出来なかったから……

 ねぇ…君達は彼女みたいにアムニスの言うこと、信じてくれる?

 僕の代わりに彼女達を助けてくれるの?」

「……」


 なぜゼノとヒュドラが傷つくような状況になったのか、ビアンカに何を告げたのか、なぜビアンカは帰ってこないのか幾つもの謎の輪郭を……ようやく捉えた。

 全てに関係する、一人の人間の存在。

 10年前から、ずっと、女だけを攫う人間。

 そして、


(……最悪だ)


 想定よりもずっと。

 この人攫いの闇は深い。


 言葉が出てこなかった。

 頷くのが精一杯で一度だけ首を縦に振る。

 ゼノが不意に俺を抱きしめた。慰めるように背をさする。


「……君の気持ち、伝わったよ。ありがとうエスティー

 全ては明日。必ずだよ……必ず悲劇を終わらせよう」


 足元から広がる青い光に身を委ね、俺は目を閉じた。



 

「……エスティー」


 キャンディッドの声がして目を開けると、ゼノとヒュドラはもういなくなっていて、俺たちはビアンカの部屋に向かい合って立っていた。

 ウィルオウィスプが飛び回る中、俺は視線を落としてあいつに問いかける。


「……キャンディッド、お前は……お前は、わかったのか」

「……」


 わからないと言って欲しい。そんな俺の考えを見透かしたのかは知らないがあいつは短く


「いいえ」


 と答えた。

 嘘をついているのかいないのか、その無表情からは暴けない。


 だけどわからないと言ったなら

 ここまでついてきただけでもういいから

 もう何も見なくていいから


「お前、もうついてくるな」


 それだけを言って俺は部屋を出た。


「……わからない、わけがないでしょう」



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