15話 彼女を探して

 空高く上りギラギラ輝く陽光をブナとナラの大きな体が受け止め、柔らかな木漏れ日に変える。

 軍服の外套を脱いでシャツだけになると汗ばんだ腕に涼やかな風がふわりと吹き抜けた。

 ラピスとゴーネルを繋ぐ街道から離れたここは葉擦れの音と小川のせせらぎしか耳に入ってこなくて妙な浮遊感に溺れてしまいそうになる。

 どれだけの時間が過ぎただろう。ひたすら小川に沿って砂利を踏みしめ歩いたその先、俺の目に映ったのは森から浮き出て見えるような赤いレンガに緑の切妻屋根をかぶった二階建ての家。


「じいさん……すげぇ家に住んでるじゃねぇか」


 額の汗をぬぐいながら一人そうつぶやくと、後ろからしゃがれた声が響いた。


「まだ現役のころ仲間と作ったもんだ……とはいえ、お姫様の滞在先を務めるのはちと荷が重いのぅ」

「大丈夫だ。一人めんどくさいのがいるだけだから」


 数日前この世から消えようと背を丸めていたじいさんは、俺を案内しながら森の奥まで響くほど大きな声をあげて笑っていた。






 キャンディッドと契約が成立したあの夜が明けて、俺たちは早速行動を開始した。

 まず、人が消える災いに見舞われている村への祈りをささげるという名目で外出許可をもぎ取るところから始まり、物珍しそうに見つめる修道士たちの視線を一身に受けながら旅支度を済ませ、寄り道なしで馬車で移動。

 その間、馬車の中で逃げ場がなくなった俺はコリンから延々と食事マナーを叩き込まれ、目的地であるここ、国境の村ウェルナリスへたどり着いた時には全ての気力を失っていた……

 干からびた俺を見かねたキャンディッドが先に一人でじいさんのもとに行けと命令し、今に至るというわけだ。


 家の中に通され、チェスナットの椅子に腰かけるとじいさんはハーブティーを淹れながら俺に問いかける。


「おまえさん一人で来たのか?」

「一応お姫さんは地方巡業って体だからな。実際に行動するのは俺だから事件解決には問題ない……それに話しにくいこともあるだろ」


 それを聞くや否やじいさんはぴたりと動きを止めた。


「いなくなったのは孫か。女で赤毛?」

「な、なぜ……」

「村から離れたここでひっそり暮らしてた最大の理由は……妖精が見えるから、じゃないか?」


 すげぇ家といったのは二階建ての石づくりだからという理由もあるが、何よりオーブやウィルオウィスプといった妖精の類がこの家にありえないくらい集まっているからだ。

 収穫祭のお祭り会場と言っても大げさではない。さっきから俺の視界には光の玉が入り込んできて全く落ち着かないのだ。

 こいつら以外にも力の強い妖精がこの家にいる気配がする。

 こういう奴らが好きな人間は大体赤毛の無垢で純真な女。

 ……だからおそらくいなくなったのは孫だとわかった。


「じいさんたち家族のこと、詳しく聞かせてくれよ」


 しばらく黙りこくった後ポットを置いてじいさんは向かい合うように座り、暗い表情で語りだした。


「わしはオルフェオ・シルヴェスタ。孫はビアンカ。16の女の子じゃ。

 最初は両親と町で暮らして居ったんじゃが、はやり病で亡くなりわしのところに来た。そのころからあの子は妖精が見えると言い出したんじゃ」


 おそらく、両親の死を告げる妖精バンシーを見てしまったからだろう。

 そこそこ力は強い、普通の人間の第三の目を無理やりこじ開けることくらい造作もない。


「同年代の子供とも地域の奴ともなじめなかったから、居なくなったにもかかわらずじいさんの嘆願書は無視されてきたってわけか」


 まわりの人間は当然そいつを遠ざける。じいさんの森から出てこないように陰口と冷たい視線で隅っこへ追いやる。

 じいさんが王都に来るまでどんな人間たちを見てきたのか想像に難くなかった。


「いなくなった時のこと聞かせてもらっていいか」

「……あぁ、わしが畑に行って……帰ってきたら、ビアンカはいなくなっていて」


 じいさんの視線が左へ泳ぎ、両手を組んで体をこわばらせる。


「隠し事は、自分のためにならないぜ」

「すまん……正直に話す」


 眉根を寄せて、唇をかみしめ、あまりにも辛そうにそう言った。


「ビアンカはいなくなる数日前、何度もわしに誰かが助けを求めていると言っておった」

「誰かって言うのは?」

「わからん……ただ、わしに見えない世界の話ではないかと」


 その言葉を聞いて、さっきの表情の意味がやっとわかった。


「信じてやれなかったんだな……」

「……」


 視線が背後へと移る。その先には柱があった。

 日にちと年が書いてある横にわずかに傷がついている。

 可愛い孫の成長を刻んできたそれを見てじいさんの目には大粒の涙が浮かんでいた。


「わしの所為で……あの子は」

「……自分を責めたいって気持ちは痛いほどわかるけどよ、そういうのは本人を見つけてからにしようぜ

 ……本当に消えちまう前にな」


 自分の言葉に自分で動揺している。

 気を紛らわすために口に含んだカモミールティーが鮮やかに香ったその時、俺はあの日を思い出していた。











 泣きわめいた後、胸にわいた感情は怒りと怨みだった。

 あの時、ルチルの奇麗な顔に傷の一つでもつけられたら……未練がましくあの瞬間を何度も想像し何度も暴力を振る。

 極度の興奮状態に体を委ね、二日間一睡もしなかった。

 出された食事を手を付けずに突っ返したからだろう。その日の夜、ある人が俺のもとへやってきた。


「はい君~元気にしてる?」


 ドアが開くと同時によくとおる高い声が聞こえた。

 あの日、俺を案内したザフィールという女性兵。

 藍色の目が俺をとらえると


「あらやぁね、食ってもないし寝てもいないじゃない。そんなんじゃお勉強もできないわよ」


 獣のような表情をしていたであろう俺を見ても恐れることなく、ウェーブのかかった茶髪を揺らしながらベットの横にしゃがみこんだ。

 俺に伸びる手を強い力で叩き落とし、唸り声を喉奥から絞り出す。


「どうしたの?どうしてそんなに威嚇してるの?」


 唸るだけで喋ろうとしない俺をみかねてザフィールは軍服のポケットをまさぐり丸薬を取り出して半ば強引に俺に飲ませた。

 あろうことか俺の口に手を突っ込んだのだ。

 その手を噛んで目いっぱい抵抗したが、眉をしかめることも痛いと言うこともなく、ザフィールはただ優雅な微笑を浮かべるだけ。

 丸薬が早くも効いて俺は全身の緊張がほどけベッドに倒れこんだ。


「とりあえず寝なさい。その間に元気にしてあげるわ」

 

 ザフィールが焚いたお香の香りが部屋に広がってゆき、半強制的に頭にもやがかかる。


(なんで……俺は)


 あの日、シルトパットが現れたあの日を反芻する。

 どうして俺が。その答えがひた隠しにされていることが気に食わずあの日の問答をザフィールに尋ねた。


「……プレラーティという名前を知ってるか」


 その言葉を聞いた瞬間、ザフィールははじかれたように振り返った。その顔にはもう優雅な笑みはない。


「それ、誰に聞いたの」


 ぼんやりとしていた頭が少しだけクリアになり、ザフィールの硬い表情が目に飛び込んでくる。


「もう口にしてはダメよ」

「どういう、意味だ」

「そいつはブルートの禁忌……ヘクセ教の司祭だった死刑囚よ」

「……司祭」

「偉大なる魔女の名を語り、おぞましい儀式をして……たくさんの人を殺したの」


 儀式ということは殺人を大掛かりに行ったのだろう、そいつらはおそらく司祭プレラーティの教えに賛同した協力者。


「信徒たちは……どうなったんだ」

「大方捕まえたんだけど、まだ……各地に散らばっているらしいの」


 各地に散らばる信徒……捕まえに動くブルート兵。


『ねぇ君、ジュリアスの家って知ってる?』


 俺の顔を覗き込みそう問いかけたシルトパットの顔が脳裏に浮かぶ。

 あの夢の中の父さんの言葉がつながってゆく。偉大なる魔女よ。父さんはそう言ったんだ。

 つまり、父さんは……


「協力者だと見なされれば最低でも幽閉よ。だからもう言わないってあたしと約束してね」


 瞼が重くなり俺の意識は遠のいていった。



 なぜなのか、わかってしまった。

 なぜシルトパットがジュリアスのもとへやってきたのか。

 なぜ俺がこうなってしまったのか。

 なぜルチルがあんなことをつぶやいたのか。


『…………わからないなら、いいんだ。むしろ、わからないほうがいいよ』


 だって俺は、犯罪者の息子だから。

 この国で俺は裁かれる側の人間であって、責める権利も怨む権利もないから。

 沈黙もわざとらしい冷徹な振る舞いも、優しさだった。

 そのことを嫌というほど思い知らされ、俺はまた泣き喚いた。

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