14話 きせきの追憶~答え~

 消えるほど淡いローズマリーの清々しい香りが鼻筋を通り抜ける。


「……ん」


 意識が覚醒してゆくにつれ、やけに肌触りのいいものに包まれているのがわかった。

 重い瞼を開けてあたりを見渡す。


「どこだ、ここ」


 起き上がって初めに目にしたのはワインレッドのカーテンが鮮やかな掃き出し窓。

 陽が差し込んでいる手前には本が積まれてある木の机。右の壁は本棚で、左の壁にはいくつかの額縁が飾られている。

 俺がいたのは、一生縁がないはずの上質なベットの上だった。

 なんだか落ち着かなくなって傍に並べられていた自分の靴を履き、部屋の中をうろつく。

 外へつづく扉はベットわきにあったが当然鍵がかかっていて出られなかったので、とりあえず俺の身に何が起こったのかを部屋の中から探る。

 本棚の本の背表紙を見ると、読めない字と読める字が混在していた。

 まずはゴーネル語、帝国都市部の言葉、ラピス語らしきものそして皆目見当もつかない言語。

 額縁に数式がびっしりと書かれているところからしても間違いない、俺を攫ったのは教養のある何らかの組織。

 確かパルトは歩兵に何かを示して追い払った。

 手のひらに収まる何か…考えられるものは、徽章。

 誰にでも理解できて、腰を抜かすほどの組織……

 考えを巡らせていると鍵のかかった扉の向こうで音がした。

 カツンと響く固い足音、近づいてくるにつれて男女の話声も聞こえてくる。


「連れてきた子ってシーちゃんの部屋にいるのよね?」

「そうらしいですけど。任務成功と報告を受けたからわたしは戻ってきたのに、どうしてお土産が子供一人なんですか」

「あたしが知るわけないじゃない。今シーちゃんがお二方と話してるらしいわよ」


 ガチャガチャと鍵がまわされ、光沢のある木の扉の片方が開け放たれた。


「あ!いたわ!」


 エネルギッシュな高い声の女性は俺を見るなり大きな藍色の目をさらにこぼれそうなほどかっぴらく。

 年はパルトと同じくらいだろうが、腰まで伸びるウェーブのかかった茶髪は艶があり貴族のような姿だ。が、スラリとした体にまとっているのはパルトと揃いのブーツと紅いマントと黒と赤を基調とした軍服……


「やだかわいい!しかも頭よさそう!」


 女性は片方の扉に隠れている男に話しかけるが


「所詮子供です。たかが知れてますよ」


 男が冷めた声音でそう言うとすぐにまたブーツの足音が鳴る。


「ちょっとどこ行くのよ!」

「任務に戻ります。子守ならあなたの方が得意でしょうレディ」

「待ちなさいよバカ蛇ぃぃぃ!ったく…何がジェントルよ。ただのインチキおじさんじゃない!」


 しかめっ面でそう吐き捨てた後、女性はパルトに似た表情で俺に向き直る。


「おはよう君。よく眠ってたみたいね」


 唇に描いたきれいな弧の裏を今度は見誤らないように、警戒しつつ女性に問いかけた。


「俺を…どうする気」

「あたしはよく知らないのよ」


 あっけらかんと言い放つその人に疑いの目を向けると、女性は良く張った声で「本当だってば!」と付け足す。

 

「じゃあ今すぐ帰りたいんだ。どうすればいい」

「ん~…そうよね~こんな辺鄙な所、君は嫌だよね」


 その言葉に違和感を感じ口を開きかけたがまた突然女性の大きい声が響いた。


「じゃ帰りたいって直接言いに行きましょ!」

「誰に?」

「そりゃあの方によ。おいで、連れてってあげる」


 恐る恐る差し伸べられた手を取り。部屋を後にした。

 長い廊下には植物や動物の装飾が施されており、さっきの部屋といいまるで宮殿のような造りだ。

 すれ違う人はでかい男が多かった。皆女性と似たような軍服に身を包み、俺に微笑みかけて去ってゆく。

 それはあの村の大人の薄ら嗤いとは明らかに性質が違うもので、俺には訳が分からない。

 様々な疑問が晴れないうちに歩みを進め、ここまでの造りとは明らかに違う異質な黒鉄の開き戸の前にたどり着いた。

 仁王立ちしていた門番らしき男は俺に近寄り目の前にしゃがみこむ。


「黒髪じゃねぇかぁイケてんな小僧!」


 男はニカッと笑って俺の頭をわしゃわしゃとなでる。

 今もまだ自分の耳を疑うが、間違いない。

 ここにいる人間全員、黒髪を嫌っていない。むしろ好意的だ。


「久しぶりね~元気そうで何よりよ」

「ザフィー冗談じゃねぇよ!グリズリーの爪が肩に食い込んでひでぇ目にあったんだぜ」

「どうせ勝ったんでしょ?熊鍋美味かったかしら?」

「言うまでもねぇな!ハハハハハ!あ~そうそうあの方は執務塔だとよ、探してんだろ?」

「察しがよくて何より。じゃね~」


 扉が開いてゆくと同時に凍てついた風が入り込んでくる、片腕で自分をかばいながらついてゆくと視界の端に白の破片がちらついた。

 雪だ。

 それに気を取られて腕を下す。するとあたりに広がっている光景に足が止まった。

 俺が立つ石畳の渡り廊下のわきは急斜面で、どこまでも地平線の果てまで紅葉した木々が生い茂っている。

 目の前にそびえるのは緑の屋根をのせた蔦が絡みつくクリーム色の城、今俺が出てきたのもその一部だろう。

 

「ここはどこなの」

「ここ?ここはブルートの真ん中よ。限界森林の中に立つ山城」

「ブルート公国…」


 政治に疎い俺でも聞いたことはあった。

 かつて帝国を打ち負かし、内乱の果て起死回生で勝利をつかみ取った小さな強国、血のブルート。

 あの歩兵の態度も、パルトの誘拐のスムーズさにも合点がいった。

 それに……地図上でいうとブルート公国は…ニジェルから見て真東。


(ディディエ、ここだよ…俺たちはここを目指してたんだよ)


 城の前にいたまた別の男が女性の前に跪き、道をふさいだ。


「ザフィール様はここで…」

「え?どういうこと?」

「陛下がお子様だけを通すようにと…」

「ふ~ん…?変な話ね?」


 女性は雪が染み込む地に躊躇いなく膝をつき俺の両肩に触れる。


「ごめんね君、お姉さんの案内はここまでね」

「あぁ」

「君が無事に帰れるように祈ってるわ」


 雪と風の中にいても女性の笑顔は溢れるほどに力に満ちている。俺を覗き込むその顔がなぜか母さんと重なって見えた。


 







 城内に入り、何本もの大理石の柱を通り過ぎる。どこまで進んだんだろう、アーチ状の柱を過ぎ去るとそこは吹き抜けのホールになっていた。

 天井には不思議な絵が描かれている。三つ首の白いドラゴンの傍らに立つ女、武器を持つ民衆を先導する目を閉ざした女、片手に月をもう片手に太陽を持つ女。

 細部まで描きこまれた天井画に見入っていると


「君がエスティーだね」


 ホールに凛とした男の声が響き渡った。

 はじかれたように音の鳴る方へ顔を向けると、テラスへ続く螺旋階段に金髪のまだあどけなさが残る青年が佇んでいる。

 

「私はルチル。ルチル・ブルートだ」


 余りにも若い一国の王は歩みに合わせて揺れる白い装束を纏い、音もたてずに近づいてくる。


「俺をここに連れてきたのはなぜ」


 怖気づく自分を心の中で鼓舞しその人、ルチルに問いかける。


「…………わからないなら、いいんだ。むしろ、わからないほうがいいよ」


 長い沈黙の後に発せられたその言葉はどこかかみ合わなくて、不安をあおるように脳裏に響く。


「お前たちが取りに来たのは父さんに貸した宝石なんだろ」

「……それが理由ではないかもしれないよ。君は裏世界じゃ有名だからね、ニジェルの魔法の薬屋さん」

「だとしても、お前たちの狙いには十中八九父さんが絡んでるはずだ。

 父さんは俺の記憶がないくらい前にもう死んだ。俺は何も知らない、だから帰してくれ。

 唯一の家族が三日間も帰ってない…探しに行かないといけないんだ!」


 早くディディエを探しに行きたい。その一心だけで声を荒げてルチルに訴えかけるが、表情一つ動かさない。

 俺の思いなど汲み取る気はないとでも言うようにため息を吐いて俯いた。


「君の話はわかったでも…自由にしてあげるわけにはいかないよ」


 どうして、その言葉を言う前にルチルが顔を上げた。


「君がそんなだから」


 冷徹さをたたえた紅い目は冷たく容赦なく俺を射貫く。

 喉の奥がひゅっと鳴った。二の句を継ごうとする唇が震える。

 もう逃げられない、そんな確信に怯えたからだろうか。

 言葉の真意はわからない。けれど、そうだ、俺はもうブルートの内部に入り込んでる。中途半端に情報を得た人間を血のブルートがただで返すかと言われれば……答えは一つしかない。

 俺は、今ここで殺されるかもしれない。

 と身構えた俺だったが、ルチルが腰に帯びた剣を取ることはなかった。


「契約だエスティー・ポードレッタ

 もしブルートから出たいのであれば、ラピス王家に伝わる青い秘宝と赤い秘宝を奪っておいで」

「それはなんだ」

「大昔、ラピスが殺した魔女ジーヌ・ダチュラから奪った我が国のご神体だよ」

「それを手に入れれば、俺を自由にしてくれるのか」

「あぁ、君が本当にやりたいことをしていい」

「わかった…お望み通り泥棒業やってやるよ」


 殺されるよりマシだ、そう考え返事をしたがルチルはわずかに眉を動かしてこう付け足した。


「泥棒で済めば…よかったんだけどね。石は心を持っている。持ち主の命あり続ける限り離れることはない」


 離れることは無いものをどうやって奪うのか、わざとぼかした意味を考える必要はなかった。

 何かがガラガラと音を立てて崩壊してゆく。

 恐れも不安も闘志さえも抱えて立つことができなくなって、俺は膝から崩れ落ちる。


「…人殺しになれってのか」


 見上げたルチルの顔は影を背負い人形のように動かない。ただ静かに薄い唇から抑揚なく言葉を発する。


「気が変わったかい?」

「できなければ、俺はどうなる」

「…ブルートから出られない」


 嫌だ。

 胸の内でひとり呟く。

 ディディエに会えない、それはまるで自分の中にある一切の希望を亡くすことのように思えてどうしても受け入れられないことだった。

 だから、俺は酷く残酷な選択をした。


「気は変わらない…お前の言うとおりにする」


 震える声でなんとかそう言った俺を見下ろして何を思っているのだろう、ルチルはしばらく黙りこくった後に


「…君は今日からエメラダ。暗殺者のエメラダだ」


 そして、短く息を吸って俺にこう告げた。


「……君が任務をこなせるような大人になるまで、この国の外へは出さない。わかるよね」


 視界がぐにゃりと歪んだ。目頭は熱くなってゆくのに、体は急激に冷えてゆく。

 唇の隙間から、乾いた声が漏れ出た。


「…どうして、どうしてだ」

「どうしてもだよ」

「必ず帰ると約束する…!だから一度ニジェルに帰してくれ!」

「だめだ」


 ルチルにつかみかかろうとする俺を誰かの手が制した。そのまま腹に手を回されて身動きが取れなくなる。


「帰してくれ!ディディエに会わせて!」


 そう叫ぶ俺に背を向けルチルは螺旋階段を上ってゆく。


「シルトパット……連れていけ」

「わかり、ました…」


 同じ言葉を繰り返し叫ぶ俺をルチルの前から引きはがしたのは、他でもないあのパルトだった。












 君に早く会いに行きたかった。

 でも、そのころには俺は汚い姿になってる。

 だから歩みを進めるのが怖かった。

 人殺しになってしまった俺を君がなんて思うか不安で、でも会いたくて、早くしなきゃって焦って、常に選択肢に悩んでいた。


 でも、もう大丈夫。

 あの日と変わらない俺のままで、君に会いに行けるよ。


 やっとつかんだこの選択、決して無駄にしない。



 誰に何を言われても俺はまだ信じてる。

 君はきっと、この空を見上げて、俺を待っている。


 覚えてるか、ディディエ。


 俺は何年たとうが、お前の隣で約束を叶えるよ。






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