第15話 クリスマスがやってくる
十二月中旬、平日の朝。
正は居間で新聞を読んでいる。
キッチンでは仁が、いつものように自分の弁当を作っている。適当なタッパーにご飯とおかずを詰める、別居から一か月、もう手慣れたものだ。
「それももううかな」
由宇がゆでたばかりのホウレンソウの水気を絞り、適当に切って隅に入れた。
「うん、彩りも栄養も完璧」
「そんな小さいので本当に足りるの?」
毎日、由宇は疑問に感じていた。
「ああ。食えなくなったんだよ」
そうだ、と、食器棚の奥に手を伸ばす。
「高校時代に使ってた弁当箱」
プラスチックの大きなのを取り出して見せた。
「こんなでかいの持っていってたんですか」
「あの頃はいくらでも入ったんだよなあ」
「俺、弁当を作れるようになります」
料理もしっかり作ります、と由宇は意気込んだ。
「無理すんな」
と仁は笑ったが、由宇は本気だ。
いままでは先の見えない暮らしで、なんとなく投げやりな所があった。智己が、ゆるやかな自殺を目指してタバコを吸い続けたことを思い、仁と再会できるか不安なこともあり、健康面にも気を使ってこなかった。
これからは違う、仁さんの健康を支えるためにも、少しでも仁さんのそばにいるためにも。栄養面について考えていかないと。
「俺、介護の仕事に就こうと思って」
朝ご飯を食べながら、由宇は仁と正に告げた。
給与は低く仕事はきついと聞くが、仁の父もいつ介護が必要になるか分からない。二級ヘルパーの資格を取るつもりだ。
「この辺も年寄りが増えてるからな。いいと思うよ。ねえ、とうさん」
「そうだな。高齢化社会で、ここも年寄りばかりだ」
年明けから学校に通うつもりだ、と由宇は言った。
学校のある町まで電車で通うが、駅まで遠いので、古い自転車を使うことにした。正が、サイクルショップまで案内してくれた。
二人きりで外出するのははじめてだ。由宇は緊張した。
「ちょっとお預かりしてメンテしましょう」
仁と同世代で、正の教え子だという店主は、感じのいい男性だった。
こうやって、少しずつ地元になじんでいけるように気遣ってくれている、と由宇は感謝した。
帰り道、由宇は、
「僕は、父の顔を知らないんです」
言うつもりはなかったのに、ふっと口をついて出た。
「一軒家に住むのも初めてです。ずっと母と二人で、狭いアパート暮らしでした」
正は黙って聞いていた。桜屋敷の家が見えてくるころ、
「いつまででもウチにいなさい。もう一人、息子が欲しかったんだ」
もう一人の息子、そう思ってくれているのか。
しかし、自分は仁の弟にはなれない。そんな関係ではないのだ、ウソを重ねている自分に、胸が痛んだ。
「ちょっと話があるんだけど」
その日、正が寝室に引き上げてから、仁は由宇に切り出した。
「はい」
「へそくりもあるし、急に困ることはないんだが」
給与を夏美に握られていることを打ち明けた。
「見栄張って、すべて渡すと言ってしまったが、失敗だったな」
小遣い程度は欲しいと交渉してみる、と続けたが、
「俺。仁さんと一緒なら、どんなにひもじくても我慢できます」
真剣な顔で由宇が言う。
「由宇を飢えさせはしないよ」
仁は苦笑した。
「おやじが畑をやってるし、親戚から米ももらえる。食べる分には苦労しないよ。ただ」
仁は由宇を見つめた。
「由宇に楽をさせてやりたかった」
共に生きていくはずが、長く離れることになってしまった。申し訳ない、償いをしたい。
「養ってほしいわけじゃない」
思いがけず強い声が出た。
「確かに俺は貧乏だよ、今は無職で、仁さんの家に厄介になってる。でも、ちゃんと働くし家賃も払います」
激しい口調に、仁は驚いた。
「気を悪くしたなら、ごめん」
「いいえ、そんなんじゃ」
仁と対等でいたい。庇護されるとか金のあるヤツに囲われるとか、は嫌だ。信頼しあい支えあって生きていきたい。そうでなければ共に暮らす意味はない。
クリスマスが近づいた土曜の朝。
今年はどうしよう、と仁は思った。
家族全員で祝ったのは、子供たちが小学生の頃までで、去年は千花と夏美と三人。ケーキとチキンを食べただけだ。
今年は由宇と父と三人、はじめての男だけのクリスマス。
なんかそれらしいことをしたい、と、ふと思い出した。
「子供の頃のツリー、物置にあるんじゃないかな」
見てみよう、と、仁は由宇を誘った。
二度と使わないような古いものが、物置にはぎっしり残されている。こうした場所に足を踏み入れるのも由宇にははじめてのことだ。
「あった、これこれ」
古ぼけた箱を見つけ出し、埃を払う。
小さめのツリーやモール、オーナメントが数十年ぶりに出てきた。
「これ、仁さんが子供の頃に飾ったんだ」
由宇は目を輝かせる。
「ああ」
愛する人の思い出に、こうして触れられる幸せ。
実家と言うものを持たない由宇には、まるで宝石箱だった。
家と言えば、母と暮らしたアパートの小さな部屋、その記憶しかない。
母は高校卒業を待たずに家を飛び出した。詳しくは語らなかったが、DVがあったようだ。そして由宇の父と知り合い結婚したが、幸せな家庭を築くことはできなかったのだ。
クリスマスイブがやってきた。
宙には予定はない、去年までは友人たちと過ごしたが、今年はひとりでいたい気分。
樹と風太は、楽しくふたりきりのイブを過ごしているだろう。
自宅では、去年までは両親と千花が、それなりのクリスマスを過ごしていたはずだ。
しかし今年は。
おそらく、父と再会した恋人とは、祖父の家で祖父も交えて、イブを楽しんでいるだろう。
母は、仲の良い友人を呼んで、父の悪口で盛り上がるのか。千花は、母に調子を合わせることになるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます