第4話  揺れる家族

 別居?

 両親の話を聞いてしまった千花は、兄の宙に電話し、少しだけ気持ちを落ち着けたが、ややあって家の前にタクシーが止まり、父が荷物を積み込むのを目撃してパニックになった。

 再度、宙に電話。

「そっか、マジ出ていったんだ」

 当然、母は混乱し、激怒しているだろう。

「どうすればいいの、お兄ちゃん」

 普段は気の強い千花だが、さすがにおろおろしている。ケンカどころか、母の言いなりの穏やかな父しか見たことがなかったのだ。

「パパ、どこに行ったのかな」

「じいちゃんのとこだろ、多分」

 町はずれに父の実家がある。今は祖父が一人暮らしをしているが、八十近い祖父の様子も見られるから、きっとそうだと宙は思う。

 樹を連れて行ったとき、父は高校時代の話をしてくれた。キスだけだが、同性と付き合っていたと。あの父にも高校生の頃があったのだと、今更ながらに実感したものだ。

 しかし同性との恋愛関係が結婚後にあった件は、その時は伏せられていた。それが今になって浮上し、両親の別居話になるなんて想定外もいいところだ。


 母は、千花に別居の件をどう伝えるつもりなのか。

 千花は腐女子でBLには慣れているが、まさか実の父に同性の恋人がいるとは、考えたこともないはずだ。話を聞く限り、別居することしか知らないようだし。事実をいきなり、母が千花に伝えるとは思えない。

「明日、俺からかあさんに電話するよ」

「うん」

 千花は、少しは気が済んだのか、ようやく電話を切った。



 時計は十時を指そうとしている。外はどんよりとした曇り空、夏美の心そのままだ。

 頭痛に悩みつつもコーヒーをいれていると、その香りに誘われたように、千花がダイニングキッチンに顔を見せた。元気がないのが見てとれる。

「おはよう」

「おはよう、ママ」

 普段なら、休みだからっていつまで寝てるのよ、となるのだが、

「ゆうべ、窓から見えたんだけど」

 千花が重い口を開いた。

「パパ、タクシーでどっかに行ったみたいだね」

 見られたか、とギクッとしながらも夏美は作り笑いを浮かべ、

「ちょっとケンカしちゃってね。たぶん、おじいちゃんとこだと思う。頭を冷やしてくるんじゃない」


 千花が知っていることに、夏美はある意味、ほっとしていた。面倒な説明はしたくない。夫婦げんかで出ていったことにしておこう、千花もそれ以上、追及してこないし。

 宙にはどう言おうか。いや、わざわざ報告するまでもないか。

 大学三年だけど、すでに知人が立ち上げたベンチャー企業で本格的に働いている。卒業後はそのままそこに就職したいというのが気がかりだ。堅実な企業に勤めてほしいが、もしそこが破綻しても、若いのだし、なんとかなるだろう。千花も短大に推薦入学が決まっているし。

 だからこそ仁は、あの話を切り出したのだ、と夏美は気づいた。

 宙が生まれる前からの付き合い。

 ああ、どうすればいいの?

 佳代子に相談しようか。口が堅いし、ちゃんと話を聞いてくれそう。もう一人の親友、藍も交えて。


 母に電話して、どう言おうか。

 宙は昨夜から考え続けているが、結論は出ない。

 父に恋人がいることを知っていたと、率直に言うべきか。

 千花から別居の件を聞いた、とだけ伝えるか。

 本当は宙自身が誰かに相談したいくらいだ。桜屋敷家の、これは大ピンチなのだ。

 自分も千花も子供じゃないし、両親が離婚となっても、どっちに引き取られるとか、そんなに深刻な問題は生じないだろうけど。今のままではいられない、それだけは確かだ。


 樹たち、どうしてるかな。

 恋人と暮らしている樹のことを宙は思い出した。

 樹とは中学以来の付き合いで、高校も一緒。まあ仲のいい方だった。

 高校二年のある日。樹の部屋に遊びに行って、壁のポスターが、ふと気になった。ジャニ系タレントのポスターが何枚も貼られている。それは中学の頃からで、当時は気にもしなかった。

 少し前に、父から言われたことを思い出したのだ、もしおまえが同性を好きでも隠すことはない、何でも相談しなさい、と。

 その件を、宙は樹に話してみた。

「えっ」

 とだけ発した樹は、明らかに戸惑っている。

「急に言われてびっくりしたけど」

「お父さん、なんでそんなこと言ったんだろ」

「妹がBLマンガ読んでるのに気づいた時だから。もしかして俺が同性を好きかも、って思ったんじゃないかな」

「理解があるんだね。うちの母親なんて、女言葉を使うタレントがテレビに出ると、嫌そうな顔するよ。男のくせに気持ち悪いって。オヤジも多分、そうだろうな」

 そう言ってから樹は、まじめな顔で尋ねてきた。

「宙は、そういうのキモイ?」

 首を横に振る宙。

「別に。人それぞれだろ」

 すると樹は、

「僕は、ゲイなんだ」


 あの時はびっくりした。

 人それぞれ、と言いながら宙は、こんなそばにゲイがいるなんて夢にも思わなかったから。

「そうなんだ。知らなかったよ」

 なんだか間抜け、と思いながら、そう答えた。

「そりゃ、知られないように気を付けてきたから」

 宙のとうさんの話を聞かなかったら、打ち明けられなかった、と樹は言った。

「差別されて、自殺する子もいるんだ」

 その言葉はショックだった。

「ひどいな」

 差別だなんて、そんなの許せない。

 宙は素直にそう思った。

「これからも友達でいてくれる?」

 弱々しい声で樹が問う。

「当たり前だろ!」


 そう、当たり前だ。どこまでいっても、樹は大事な友達。

 あれから樹は別の高校のコと恋仲になり、今は宙と同じ東京で、彼と同棲している。もちろん二人の幸せを願っているが、父の決意を知って、宙の心は揺れに揺れている。

 さて、母への電話では、どう話せばいいのか。

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