第30話 不吉の⦅バグボール⦆

 

 ◇◇◇


 セリエとフィンが城塞都市⦅フィリス⦆に到着する数日前のこと──フィリス郊外の耕作地



 早朝、二人の農夫が牛を連れて自分たちの畑へと向かって歩いている。

 二人は道の両脇で風を受けてなび穂波ほなみを見つつ、少し苦い顔をしながら語り合っていた。


「いんや〜、この分だと今年の収穫量はちょっと例年より少なくなるんじゃねぇべや?」


 線の細い農夫が牛を引きつつ、傍を歩く太った農夫にそう言った。



「んだなぁ。今年の冷夏じゃ仕方がねぇけんど、まあ3年前に起きた大干魃だいかんばつん時ほどじゃねえべ?まあ、その後の2年は嘘みたいに豊作だったかんなぁ。」


 太った農夫が、連れの言葉にそう応じる。二人の言葉の通り、今年の冷夏は中々に長く続いたので、稲の育ちが悪かった。


 例年では既に収穫の時期に入っているというのに、二人の眼前に広がる景色に重く実った穂先を垂らす稲はそれほど多く見られなかった。



「だけど、そろそろ水を完全に止めて収穫の準備に入らねえと、いつまでも待ってたんじゃ冬支度もできねえからな。ただ、うちのカミさんちょっとが良くなり過ぎちまって、今からを思い出させんのはちっときついわぁ。」


 再び、太い農夫がそう口にすると、


「……そりゃおめえもでねぇか、しっかしこの2年で良く肥えただなぁ。まあ、それはそれでいいダイエットになるだよ」



 細い農夫がそう応えると、二人は顔を見合わせてワハハと破顔はがんした。





 二人の行く道はまだ薄暗く、道に転がる石の形さえよく分からない。




 ──ぐちゃり




 細い農夫が落ちていたを踏みつけた。



「ん?なんだ?」



 男は足を上げて、自分の足の裏についたねっとりしたものを片割れに見せる。



「どしたあ?そりゃおめえの連れてる牛の糞でねぇのか?」



 太い農夫は男の連れた牛を指してそう彼に告げる。



「馬鹿言うんでねぇべさ、後ろにいる牛っ子がどうやってオラの前に糞をするだ。こりゃ何か他の獣の糞だべ?」



「そりゃ違えねぇな。オラ達の村の牛はまだ他は牛舎の中におったし……いったい、何の糞だべなあ?」




 太い農夫がまじまじと男の足の裏を見つめていた時、ちょうど朝陽が地平線から登り始める。





 差し込む陽光は持ち上げた男の足の裏のみならず、二人の足元までをも明るく照らし出した。







 そこには──






 黄緑色の体液に、グチャグチャになった動物の毛と血とが混ざり合う、ドロドロとしたがいくつも転がっていたのであった。




 それを見た細い農夫はヒッと声をあげた直後、牛を繋いだ綱をて太い男の手を引っ張ると、村へ向かって一目散に駆け出した。




「おい!あ、あれ……見たべ!?」



 細い農夫は走りながら、傍らの連れに声をかける。




「み、みみ見た、間違いねぇ!ありゃ⦅蟲玉バグボール⦆だ!あんな量、これまで見たことねえぞ!」



 太い農夫も、片割れの意見に直ぐ様同意する。




「大不作と豊作を繰り返して生き物の数が狂っちまったんだ……。こりゃとんでもねぇ被害が出るかもわからねえぞ!!」



 細い農夫がそう口を開くのと──彼らの後ろで、牛の断末魔の悲鳴が聞こえたのは同時だった。




 ン゛モォォオオオオオオー





「やべえ!ちくしょう、もっと早く走らねぇか!」



「そんなこと言ってもこれが限界なんだよ!」



 二人は言い争いながら、息も絶え絶えに何とかその場を逃れたのであった。






 ◇◇◇◇◇◇






 城塞都市⦅フィリス⦆の騎士団本部──




「何、大量の⦅蟲玉バグボール⦆だと?」



 そう口を開いたのは、高い背もたれのある椅子に座った男──この街の防衛を預かる騎士団⦅黒獅子の咆哮⦆の団長である。



「はっ!その通りであります。発見した農夫達によれば、フィリス郊外の農道一面におびただしい数のを確認したとのことです」


 副官は報告を続ける。


「話によれば、⦅蟲玉バグボール⦆を発見した農夫達は連れていた成牛をその場に置いて逃げ出したそうです。彼らはその直後、その牛と見られる生き物の断末魔を聞いたとのこと。これらの情報から、既に大型のバグが発生していると見て間違いありません」



 副官は報告書を読み上げて自らの意見を述べると、上官からの指示を待つ。彼はまだ若く、茶色の髪に端正な容姿をした青年であった。



「ふむ、この件はまだフィリスの住民には伝えるな。団内に箝口令を出しておけ。あと、周辺の農村に収穫の時期を一月伸ばすように伝えろ。表向きは冷夏で遅れた稲の成長を促す為、とでも言っておけ。一月以内に我ら⦅黒獅子⦆で虫どもを掃滅する」



「はっ!わかりました」



「とは言え、遠くの村々に被害が出る可能性もある。先ずは早急に追加の調査をする必要がある。その任務にはお前を当てる。頼んだぞキース」



 団長が副官キースにそう告げると、キースは敬礼をし、指示を徹底するため執務室を出ようとする。



 その後ろ姿に、団長は再び声をかけた。


「キース、我が子よ。決してはするな。お前の実力はわかっているつもりだが、今回の件は少し危険が過ぎる」


 彼を見つめる団長の眼差しは、いつもの威厳に満ちたそれと今は少し異なっていた。


「ははっ、分かっていますよ。私とて、自分の力で何かを果たせるなどとは過信しておりません。ただ、目の前で苦しむ民草を放っておけるほど、私の騎士道精神も堕ちてはおりません故、危険を避けてばかりはいられませんがね。」


 自分を不安そうに見つめている団長ちちおやを振り返り、ニコリと笑みを返して髪をかき上げるキースの右手には、⦅98⦆という刻印をされた学園都市チェイズの卒業証が嵌められていた。



「っふ、頼もしい。では行け」



「はっ!」



 キースは改めて父である団長に敬礼をし、今度こそ騎士団長の執務室を後にした。



「……どうか、この懸念が外れていることを祈る他あるまい。⦅昆蟲大戦バグウォーズ⦆など、そうそう起きてたまるか」



 キースの去った部屋で一人、騎士団長はそう呟くのであった。



 ◇◇◇◇◇◇

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