アイル・ビー・バック マッチ売りの少女

ペーンネームはまだ無い

第01話:アイル・ビー・バック マッチ売りの少女

 最後の晩餐は緑のたぬきにしよう。そうマッチ売りの少女は決めていました。

 これから死地へと向かおうとする少女は、いざという時に悔いを残さずに逝けるように、緑のたぬきをすすります。こだわりの出汁を最後の一滴まで味わった後に静かに容器を置きました。さて、これでもう思い残すことはありません。

 戦闘服ふるいエプロンを身にまとうと、マッチの束を携えます。


「さあ、それでは推して参ろうか」


 ***


 その日はひどく寒い日でした。しんしんと雪が降り積もり、心の芯まで凍てついてしまいそうです。ブルブルと震える体に叱咤しながら、少女は歩を進めます。

 街の大通りには沢山の人が行きかっていました。これだけ多くの人がいるのだから、マッチを買ってくれる紳士淑女も少しくらいはいるかもしれません。淡い期待を胸に、少女は道行く人に近寄ります。


「マッチはいりませんか? マッチはいりませんか?」


 大事なことなので2度言いましたよ。少女の必殺のセールストークです。

 しかし、マッチは売れません。同じように他の人たちにも何度も繰り返しましたが、1枚の硬貨すら払ってくれる優しい人はいませんでした。


 さあ、どうしましょう。大変です。マッチは1箱も売れていません。このままでは少しのお金も持って帰ることができません。そうしたら、きっとパパは少女のほっぺを殴るに違いありません。少女は、やられたら倍にしてやりかえすタイプなので結果的にはパパが血の海に沈むことになるのですが、争わずに済むのならそれに越したことはありません。

 なんとかしてマッチを売らないと。とはいえ、これまでと同じようにしても売上は見込めないでしょう。これはやりかたを変えないといけません。

 ……ふむ、そうか。マッチ売りの少女は考えました。

 少女はあたりを見回して、人の良さそうなおじいさんを見つけます。彼に駆け寄ると少女は満面の笑みを浮かべました。


「マッチを売りませんか? マッチを売りませんか?」


 そうです。少女自身がマッチを売ることができないのなら、他の誰かに売らせれば良いのです。売人を何人かスカウトすることができれば、人海戦術という手段をとることができます。あわよくば、少女は暖かい部屋でぬくぬくとしながら紙幣の枚数を数えているだけで良いなんてこともあるかもしれません。

 少女は欲望丸出しのテンションで、おじいさんを誉め倒します。

 ヒューヒュー、おじいさん、スゲーかっこいいね。おじいさんみたいな人がマッチ売っちゃったらスゴイ稼げると思うんだよね。マッチ売り商売とか興味ない? わたし、ちょうどスカウトしてたとこなんだよね。

 しかし、おじいさんはツンとした表情のまま過ぎ去ってしまいます。デレることはありませんでした。その後も何人かをスカウトしようとしましたが、誰一人として雇用契約書に判を押してはくれませんでした。


 もうこうなってしまった以上、少女は最終手段に出るしかありませんでした。

 豪勢な家を見つけると、玄関のドアを蹴り破って叫びます。


「お金をくれませんか? お金をくれませんか?」


 もうマッチが売れようと売れまいとかまいません。お金さえ手に入れば良いのです。少女は怯える住人の喉元にマッチを突き付けると、低い声色でささやきます。金を出せ。出さなければ……わかるでしょう?

 顔に恐怖を浮かべた住人が口を開こうとしたとき、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきました。……あらら、ポリ公がお出ましのようです。少女は溜息を吐きました。まだお金は手に入れていないのですが、逃げる準備をしなくてはなりません。住民がポリ公に少女のことをチクらないように釘をさします。あ、いえいえ、物理的にではないですよ。まだ、ね。少女は菩薩のように穏やかな心を持っているので、チクらなければ危害を加えないのです。


 ***


 少女は陰に潜みながら裏道を駆けました。表通りではポリ公が強盗犯を探しています。隠れられそうなくぼみを見つけると、少女はそこに隠れて近くにあった雪をひとつまみ口に放り込みました。息が白くなることを避けるためです。白い息を吐いて居場所を特定されるなんて、素人のすることです。

 いまだ降り続く雪の中で息を潜めていると、まるで体が氷のように冷たくなってきました。毛先の曲がった長い金色の髪を雪が覆ってしまっています。でも、そのことを気にするほど少女に余裕はありませんでした。

 ああ、おなかも減ってきました。どこからか美味しそうな匂いが漂ってきます。鳥の丸焼きの香りでしょうか。そうか、今日は大晦日だからどのお家も御馳走を食べてるのね。少女のお腹がグゥとなりました。こうなったら売れ残ったマッチをムシャムシャと食べ散らかしてやろうかと思いかけましたが、そこで少女はハッとしました。そうだ、マッチで暖をとれるじゃん!


 さっそくマッチ箱から1本のマッチを取り出すと、壁にシュッと擦って火を点けます。すると、何ということでしょう。マッチの小さな灯火の向こう側に、立派なストーブが見えるではありませんか。ストーブはとても暖かく、少女は思わずホゥと息を吐きだしました。もっと暖まりたい。そう思って少女がストーブへと手を伸ばすと、ふっとストーブは消えてしまいました。残ったのはマッチの燃えカスだけです。

 少女はもう1本、マッチを擦ります。すると目の前に豪華なテーブルが現れました。白いテーブルクロスの上には出来たての鳥の丸焼きが乗っています。不思議なことに、鳥の丸焼きが立って歩き始めました。いつもの少女であれば、これが低体温症の見せる幻覚であると見抜けたでしょうが、この時の少女にはそれだけの判断力が残っていませんでした。マッチの火とともに御馳走は消えてしまいます。

 少女は次々とマッチに火を点けると、目の前に色々なものが現れました。クリスマスツリー。亡くなったはずのおばあちゃん。とてもドキドキした入学式。楽しかった運動会。いけない草を育てた林間学校。歴史に触れた修学旅行……。数々の思い出が蘇ります。そうして、少女はやっと気づきます。あ、これ、走馬灯ってやつじゃん。もしかして、わたし、死の危機に瀕してる? しかし、時すでに遅し。少女の体は完全に冷え切っていて、体の震えシバリングも止まってしまっています。意識は朦朧。はたして、少女は死を待つしかないのでしょうか?


 はい、そんな時は、ドーン。緑のたぬき!

 少女は持っていたガスバーナーでお湯を沸かすと、緑のたぬきのカップに注ぎます。あとは待つこと3分。はい、完成……と言いたいところですが、少女は2分半でフタを開けてしまいました。そうです、少女は固めの麺が好きなのでした。

 ワリバシで麺とてんぷらを軽くほぐしてから、麺をすすります。……ああ、うまい。ほぐれかけの麺によく出汁がからんでいます。カツオぶしの香りが良いのはもちろんのこと、アオサと小エビの香りもとても良いのです。

 そして、ここでちょい足しグルメの登場です。少女はドラムロールを口ずさむとデンっと小瓶を取り出します。

「七味唐辛子~!」

 ……薬味はちょい足しグルメとは言わないですって? そんな細かいことはどうでも良いんです。少女にとって付属の七味だけでは少し物足りないので、ちょい足しなんです。追い七味を行ってから、再度そばをすすります。きました、ビッグバンです。爆発的にうまいのです。緑のたぬきは、もともとの香りが強いので追い七味をしても香りが負けてしまうことがありません。

 少女はあっという間に1杯目を平らげてしまいました。続けて2杯目です。次は天玉そばにしましょう。フタを半分まで開けた後、粉末スープを入れます。少しだけお湯を入れて粉末スープを溶かします。そうしたら、生卵を投入。卵の上からお湯を入れると白身が微かに固まります。あとはフタを閉じて3分待つだけです。黄身はお好みのタイミングで潰しましょう。少女のおすすめは3分の1程を食べた後です。黄身でマイルドになったそばを更に3分の1程食べ進めたところで、七味をガツンと効かせて味変すると、人類が誕生して良かったとすら思えるのです。


 ***


 翌朝、路地の片隅で少女は動かなくなっていました。そうです。お腹がいっぱいになって眠っていたのです。一晩中、緑のたぬきを食べ続けていた少女は凍死を免れたのです。唐辛子のカプサイシンという成分のおかげで体はポカポカです。少女は幸せそうに寝言を口にします。

「ん~、むにゃむにゃ。吹雪が怖くて緑のたぬきが食えるかっ!」

 それを聞いた人々は、スーパーへ緑のたぬきを買いに走ったと言います。

 めでたしめでたし。


 ……え、赤いきつねの話はしないのか、ですって? そんなものぁ赤ずきんの奴にでも任せておけば良いんですよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイル・ビー・バック マッチ売りの少女 ペーンネームはまだ無い @rice-steamer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ