第30話 マリーゴールドの刺繍

「アリス、クッキー食べる?」

「わ!いいの?」

しまった。またもや大人げなく歓声を上げて喜んでしまった。

アブソレムがため息をついているのが、隣を見ないでもわかる。

「アリスはいい子だねえ」

ヤオはくすくす笑いながら、ガラス戸からクッキーを取り出してくれた。

真ん中にイチゴジャムが入っている、どこか懐かしい感じの絞りクッキーだ。

「すごい。ヤオの家にはオーブンがあるの?」

一口かじると、どっしりと甘い。

いつもなら甘すぎると思うところだが、ずっと甘いものを食べていないせいかとても美味しかった。

「オーブンってなに?」

ヤオは眠たそうな目のまま首をかしげる。

まつ毛まで金色だ。

「オーブンっていうのは、ええと……。これを焼いた、釜みたいなもの」

「釜、ない。これはアピの火で焼いた」

あら、アピの火でクッキーが焼けるのね!

やり方を教えてもらえれば、うちでも焼き菓子が作れるかもしれない。

「もしよかったら、作り方を教えてもらえないかな?」

ヤオに聞くと、彼女は少し考えてから答えた。

「いいけど、それじゃアリスのそのエプロンに刺繍させてくれる?」

「え?これに?」

わたしは自分の真っ白なエプロンを見下ろす。

サムージャに作ってもらったものだけど、形を変えるわけでは無いし、刺繍くらいならしてもらってもいいかしら?

でも、クッキーの焼き方を教えてもらう上に、刺繍までしてもらったら、等価交換にならない気がする。

「いいけど、それじゃあお礼にはならないわ」

「ヤオ、真っ白なものに刺繍したいだけ」

「うーん……。それなら、わたしの焼いたクッキーを今度もらってくれる?」

ヤオはうんうんと頷いてくれた。

そして椅子から立ち上がると、キッチンの方へ向かう。

「じゃ、アリスこっちきて」

「うん。あ、その前に。アブソレム、わたしなら大丈夫だから外で吸って来ていいよ」

明らかにそわそわしていたアブソレムは、急に名前を呼ばれてピクッと動いた。

あの感じは、絶対にキセルが吸いたくてうずうずしているに違いないと思ったのだ。

「……わかった」

彼はしばしの間キョトンとした顔をしていたが、そう言うと玄関の外に出て行った。

ヤオと並んでその背中を見送ると、わたしたちは素直に従うアブソレムが面白くて、顔を見合わせて笑いあった。


「こうやって、アピの火で箱をイメージする」

ヤオが手をかざすと、炎の両端がそろそろと伸びて来て、四角い立方体になった。

この中に生地を入れて焼き上げるらしい。

「なるほど、やってみるね」

わたしは今見せてもらったように手をかざしてイメージしてみるが、平たく広がるだけで

うまく形にならない。

これは練習する必要がありそうだ。

ヤオはまた同じ椅子に座り、わたしのエプロンに刺繍している。

帽子の刺繍と同じ銀色の糸だ。白地に銀の糸は目立たなそうだけれど良いのだろうか。

刺繍しているヤオの目は先ほどと同じ眠たそうな目だが、ものすごいスピードで刺繍が出来上がっていく。

まるでミシンのようだ。この速さなら帽子の刺繍も1~2日で完成したに違いない。

惚れ惚れするほどの手際の良さにしばらく眺めていたい気持ちになったが、アピの火の練習をしなくてはいけない。


「ヤオはここに1人で住んでいるの?」

火を操る練習をしながら、後ろのヤオに声をかける。

「うん。小さい時から」

「そうなのね」

ヤオも刺繍の手を止めないで返事をしてくれた。

うーん、なかなかうまくいかない。

イメージしている箱の形が悪いのかな?

今はただの真四角な立方体をイメージしているけど、他のものに変えてみよう。

「アリスは、ママとパパはどうしたのって、聞かないんだね」

ヤオが安心したような声でそう言った。

「え?うん。わたしも両親、いないから」

今度はお菓子の箱のように、四角い入れ物だけ作ってあとから蓋をするイメージを火に伝えてみる。

入れ物だけはなんとか作れるが、蓋を作り出せない。これもダメみたいだ。

「ヤオ、アブソレムに拾ってもらった。アリスも同じ?」

「えっ?」

ヤオの言葉に驚いたわたしは、火への意識が一瞬揺らぐ。

するとアピの火はジュッと音を立てて消えてしまった。

「ごめん、びっくりさせた」

「ううん、大丈夫」

もう一度火に手をかざしながらイメージする。

今度は魔石の入っている、あの宝箱を思い浮かべた。

すると火は弱々しいが、きちんと宝箱形に変化した。

よし。ちょっと不恰好だけど、これでなんとか焼けるはず。


「ヤオ、加護少なくて捨てられた。そしたらアブソレムが拾ってくれて、この家くれた」

加護が少なくて捨てられた?

そんなことがあるなんて、思いもしなかった。

わたしはヤオの両親に対する怒りで、火にかざしている手元が震えるのを感じる。

「それから刺繍に加護を込めるやり方教えてくれて、ヤオ、仕事できるようになった。だからアブソレムにすごく感謝してる」

ヤオはどう見ても10代半ばくらいの女の子だ。

そんな子が親に捨てられてひとりで生活しているなんて、俄かに信じがたい。

わたしはアピの火から手を下ろしてヤオのいる方を振り返った。

彼女は相変わらず、なんでも無いような顔で刺繍をしている。

「アブソレム、ずっとひとりだったから、アリスきてよかった」

ヤオが刺繍を終えてパチンと糸を切ったのを見て、わたしはヤオの手に自分の手を重ねた。

その手はとても小さくて暖かい。まだ子供の手だ。

「アリスがきて、ヤオも嬉しい。たまに遊びに来てくれる?」

「もちろん。いつでも来るわよ」

そう言って笑いかけると、ヤオはまたへにゃっとした笑顔を見せてくれた。


ヤオの刺繍してくれたエプロンは、裾に銀色の花がいくつも咲いていた。

あまり目立たないが、糸に艶があるから陽の下だときらきら光るだろう。

控えめでとても美しかった。

「この花、マリーゴールド」

ヤオは刺繍を指差して教えてくれる。

「心を元気づける花。一番最初にアブソレムが作ってくれた薬にも、この花が使ってあった。ヤオ、これ好き」

「そうなのね。本当にきれいな刺繍。どうもありがとう」

マリーゴールドは確か、太陽のようなオレンジ色の花だ。

見回すと、ヤオの部屋の中も太陽のような色の刺繍で溢れていた。


アピの火が扱えるようになり、エプロンに刺繍もしてもらったわたしは、玄関のドアを開けた。

外はすでに陽が落ちかけて、暗くなり始めていた。

ドアのすぐ横には小さな椅子に座ってキセルを吸っているアブソレムの姿がある。

「終わったか」

「うん、終わったわ。お待たせしました」

わたしは手元の魔法使いの帽子に目を止めて、帽子分の代金を払っていないことに気がつく。

「アブソレム、帽子のお代が……」

「アブソレムはいいんだよ、アリス」

ヤオがわたしの言葉を遮る。

「ヤオは、アブソレムに一生かかっても返せないくらいのことを、してもらってるから」

そうか。拾ってもらって家まで建ててもらった、その分の支払いをこうやって続けているということかもしれない。

「……そっか。それなら、次からわたしが頼んだ分は、お礼をさせてくれる?」

「うん。ヤオ、ひとの作ったクッキー食べたことないから、楽しみ」

そう言うと、ヤオは嬉しそうに目を細めた。


わたしとアブソレムは、きた時と同じように箒で空へ飛び上がる。

下を見下ろすと、ヤオは見送りはせずにさっさと部屋に戻って行くところだった。

やっぱりどこかマイペースな女の子だ。

「ヤオはいい子ね」

アブソレムにそう声をかけると、彼は鼻で笑って答えた。

「君の方が、ヤオからいい子だと褒められていたようだったがな」

嫌味を言われて、フンとそっぽを向くと、風にはためいているエプロンの裾が見えた。

マリーゴールドの刺繍が薄暗い中でもチラチラと光っている。

「ヤオに最初に作ってあげた薬には、マリーゴールドを使っていたのよね?」

「ああ、その話もしたのか」

「うん。どんな効用があるの?」

アブソレムは箒の柄を掴んで前を向いたまま説明してくれる。

「花の抽出液は防腐・殺菌効果が高く、やけどやしもやけ等の皮膚疾患に効果がある」

「ということは、ヤオは火傷したのかしら」

今はあんなにアピの火の扱いが上手いのに、練習したのね、と独り言を言っていると、アブソレムが「火傷ではない」と否定した。

「ヤオは真冬の雪の中に裸足で投げ出されていた。手当てしたが凍傷が酷くて間に合わず、今は片足の先が義足だ」


わたしは頭を強く殴られたようなショックを受けた。

捨てられていたところを拾われたとは聞いていたけど、そんな捨てられ方をしていたとは思っても見なかった。

片足が義足?

だからあんなに家中に椅子があったのか。

見送りにも立っていられなくて当たり前じゃないか。

わたしはマイペースな女の子だと思ってしまった自分を恥じた。

「彼女は今はもう気にしていないから、君も変に気を使うなよ」

アブソレムの声を聞きながら、次に会う時にはヤオにうんとたくさんお菓子を持って行こう、と思った。

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